ハードボイルド徹
法律上、クラック帝国は同盟国だ。よってイルクージョンでは、帝国人の身分はある程度補償されている。
帝国の有力人物ともなると、下手な貴族より優遇されているらしい。
何しろクラック帝国は魔族領と接しており、有事には前線基地となる。前大戦でも、クラック帝国の被害が一番大きかったそうだ。
(こっちから先に手を出せば、国際問題に発展する危険性ありか)
確実な証拠を掴まない限り、下手な手は打てないのだ。
いまだにリリスの正体は不明。没落貴族の娘、皇帝直属の諜報部員……色んなパターンが予想出来る。
「トール、学校に行くわよ」
ザントやリリスに会わない一番の方法、それは屋敷から出ない事……そう思っていたけど、お姉様は許してくれないみたいです。
流石にクレオがいるのに、クローゼットに隠れるのは無しだ。格好悪すぎる。
「分かった。今、行くよ」
引き籠っていても、問題は解決しない……それは分かっているけど、行きたくないのです。
襲われて、少しでも触ったらアウト。近づいて騒がれてもアウト。満員電車で女子高生に囲まれたおじさん状態なのです。
前世で一度経験したけど、あれはきつかった。後から向こうが乗って来たのに、アウェイ感が凄かったです。
多分、ザントはリリスの近くにいる。そしてザントの隣には、魔法研究会の会長がいるだろう。
リリスが叫び声をあげたら、ザントも騒ぎ魔法研究会の会長に伝わる。そこからジェイド伯爵に伝わっていく。地獄のピタゴラスイッチなんですが。
「うん、寝癖はないわね。貴方も執事かメイドを付けてもらったら良いのに」
姉ちゃんにはお付きのメイドさんが五人いる。伯爵令嬢としては、これでも少ない方らしい。
本当は執事やメイドの世話になるのが正解なんだと思う。彼等はそれで給金を得て生活をしている。
でも、俺的には人材を工房や加工部門に回したいのです。今回は、それが仇となったんですけど。
「考えておくよ。クレオ、おはよう」
通学時間が同じだから、起きる時間も近い。だから、姉ちゃんやクレオと顔を合わせる
クレオの背後には、大勢のメイドさんが控えていた。公爵令嬢のクレオのお付きともなると三十人もいる。皆様、こっちでの生活にも慣れて、イルクージョン生活を満喫している様だ。
「トール、おはよっ。今日もよろしくね」
爽やかに笑っているけど、まだ中一なのに留学しているんだよな。俺が中一の時なんて、もっと餓鬼だったぞ。
「それは俺のセリフだよ。姉ちゃん、クレオ……それに皆さんに相談があるのですが」
ザントの事を調べてもらっていたら、偶然リリスの情報が手に入った……そんな体で話を伝える。流石に前世の事は言えません。
クレオ……ポリッシュ共和国を盾に脅しを掛けられるなら、先にばらしてしまえば良いい。俺に下心がない事を伝えておけば、強い味方になってくれる筈。
「あいつ等も懲りないわね。でも、リリスは何するつもりかしら?」
……失敗した。姉ちゃんは、まだ中二。ネットのないこの世界だと、美人局の事を知らないと思う。いくら弟とはいえ、そっち方面の事を伝え辛いです……てか、こっちの世界で美人局ってなんて言うんだろう?
その前にこの中で男は俺だけ。性的発言は、満員電車以上に危険なんですが。
(自分で女に狙われているかも?って痛くないか。完全に勘違い野郎じゃん)
言い出しっぺの癖に、思わず沈黙。どうしようかと思っていたら、意外な所から助け舟が出て来た。
「お嬢様、そのメイドはトール様にハニートラップを仕掛けてくる危険性があります」
ベーカリースティックをリクエストしたメイドさんが助言してくれたのだ。そして、この世界でもハニトラは通じるんですね。
「トールが乗らなきゃ良いだけじゃない。まさか、メイドの色香に騙されたりしないわよね」
お姉様、目が怖いです。その辺は弟を信じて欲しいな。前世で何回も痛い目に遭ったから、そっち絡みの危険感知能力は高いんだぞ。
「向こうは近づくだけでオッケーなんだよ。目の前でうずくまって『少し具合が悪くなって』とか言うのさ。心配して近づけば、大声で助けを求める。そこにザントが登場ってパターン」
時代劇だと持病の癪がって言う展開だ。今だと通じないよな。なんて直せば良いんだろう?
「無視したら、優しさがないって騒ぎそうね。それで私達はどうしたら、良いの?」
これで一安心だ。リリスは俺をはめようとして、近づいて来る筈。でも、証人が大勢いれば、俺の無罪は立証できる。
「今度の休み俺が一人で出掛けるから、近くにいてくれればオッケー。キャナリー商会辺りが妥当だと思う」
リベルに『新作パンを持って行くついでに店に寄る』とか言っておけば、ザントの耳にも入る筈。
「分かった……僕に任せて!トールは誰にも渡さないんだから」
気合入りまくりのクレオさん。いや、財産目当てやハニトラじゃない限り、誰も近づいて来ないと思うぞ。
◇
前に探偵小説の校正を担当した時、ハードボイルドな世界にはまった時があった。
何気ない事件が世間を揺るがす騒動に発展。男女の騙し合いも上手く描かれおり、当時は妄想したものだ。
まあ、俺は騙されてばっかりだったんだけどね。
「それじゃ行ってきます。向こうも動いているそうですので、よろしくお願いします」
ニコラさんの配下から、定期的にザントサイドの動向が伝わってきている。バレているとも知らずに、もう騙し終わった気でいるらしい。
……俺って、そんなにちょろく見えるんでしょうか?確かにモテないけど、そこまで餓えていないぞ。
「トール、僕が行くまで動かないでね。それと浮気したら、怒るから」
プッと頬を膨らませるクレオ。なに、この生き物可愛すぎるんですけど。
「トール、入学式の時みたく鼻の下を伸ばすんじゃないわよ。下手な動きしたら、組手百回よ」
ギラっと睨んでくるお姉様。なに、この生き物怖すぎるんですけど!
「大丈夫。要は近づかなきゃ良いんだろう?」
今回亜空間には、鉄板・その辺で拾った石・水筒を入れてある。これで牽制出来る筈。
◇
とうとうチャンスが巡ってきた。あの探偵小説で見た格好良いセリフを言うチャンスが来たのだ。
俺が好きだったのは、『女の色香で何度も悪酔いしたからな。耐性が出来ているのさ』と『バラの棘を警戒しない馬鹿はいないだろ?あんたは綺麗なバラだ。だから、警戒していたのさ』どっちにしよう。
見た目は中学生、中身はハードボイルド。今度からは、この路線で行こうと思う。
「そこの可愛い僕。ちょっと良いかしら?」
それはキャナリー商会への近道である裏路地に入った時だった。
リリスが俺に声を掛けてきたのだ。
「僕ですか?……え?」
こういう時ってテレビでは映せない様な煽情的な恰好をするのが、お約束なんだけど。
(な、なんで運動着なんだ?)
リリスさん、なぜか健全百パーセントな運動着を着ています。お昼の教育テレビにも出れそうなんですけど!
「お姉さんとバドミントンしない?」
なんちゅう健全過ぎる誘いなんだ。トラップ要素ゼロなんですけど!
あれか、乙女ゲーのレーティングに引っ掛かる行為はアウトなんでしょうか?
「これから買い物なんで遠慮しておきます」
決め台詞がから回りなんですけど。
「私の誘いを断るなんて……中学生にとって年上のお姉さんとスポーツなんて憧れのシュチエーションでしょうが!こうなったら近いづいて、無理矢理ナンパされたって叫んでやる」
そう言うとリリスは俺に迫って来た。確かに中学生なら憧れるかも知れないけど、中身はおじさんなんで。
リリスと距離を取り、亜空間から鉄板を取り出し、道に置く。そこに石を乗せて魔法で熱していく。
俺の奇行?に戸惑ったのか、リリスの動きが止まった。
その隙に水筒を取り出し、熱くなった石に水を掛ける。
「これぞ、サウナ魔法……そして送風」
水蒸気と熱風がリリスを包み込む。
「あ、熱い……ふざけた真似してくれるわね……え?」
誰かに肩を叩かれて振り向くリリス。そこにいたのは、激おこの姉ちゃんとクレオ。そして二コラさんに捕まったザントだった。




