88 愛と憎しみ
女二人がお風呂に入っていますがマグノリアはふざけているだけです。
マグノリアとカナリアが浴室から出た後、先にどうぞとロータスに言われたが、ヴィクトリアは居候の身であるからと固辞して一番最後に入浴することにした。
白を基調にした浴室には子供用のおもちゃが置かれていて微笑ましい。お風呂はリュージュとサーシャの家でシャワーを浴びてからほぼ一日ぶりだ。
「ヴィー、ちょっといいかしら?」
先に髪の毛を洗い終え、次に身体を洗おうとした所で浴室の外から声がかかる。
「どうしたの?」
見れば浴室の磨り硝子の向こうに人影が見える。マグノリアだ。
「お風呂、一緒に入ってもいい?」
「え? いや、それはちょっと……」
ヴィクトリアは尻込みした。幼い頃ならいざ知らず、成長してから一緒にお風呂に入ったのはリュージュだけだ。
それにリュージュに口付けられた痕が残っている。いくら同性と言えども恥ずかしい。
「……しばらくうちで暮らすんでしょう? 家人の背中くらい流してくれてもいいんじゃない?」
何だか半分脅しのようにも聞こえるが、痛い所を突かれてヴィクトリアは一瞬言葉に詰まった。
先程マグノリアが作ってくれた夕食を、つまりはタダ飯を頂いてしまっている。この家を追い出されたらお金を持っていないヴィクトリアは今晩の寝床にも困る。家人の要求には答える義務があるようなないような。
「でもさっきカナと一緒に入っ――」
「ヴィーと一緒にお風呂に入れるなら二回でも三回でも何十回でも入るわ!」
ヴィクトリアの語尾に被るように食いぎみに、かつ語気強めに言われたので若干引いた。
ヴィクトリアが黙っているのを了承と取ったのか、マグノリアは浴室の扉を開けて中に入ってきてしまった。一緒に入る気満々だったのか、マグノリアが既に服を脱いでいたのは驚きだ。
マグノリアは姿替えの魔法を解いていて、黒髪に黒眼の姿になっていた。長い髪は結わえてまとめられている。顔付きも先程までとは全くの別人で、お淑やかな感じの美女になっている。
昔リュージュがマグノリアのことを綺麗な子だと言っていたが、確かにその通りだと思った。マグノリアは子供を一人産んだとは思えないほど体型に乱れがない。
一つ気になったのは、マグノリアの左胸――――ちょうど心臓があるあたりに、花のような黒い痣があることだった。
「あらあら、まあ…… リュージュったら…… 昔は女の子にしか見えないくらいに可愛かったのに、いつの間にか男になってしまったのねえ」
ヴィクトリアの身体の痕を見たマグノリアが驚きに目を見開きながらそう言った。『真眼』の持ち主であるマグノリアはヴィクトリアの身体の広範囲に痕をつけたのがリュージュだとわかっているようだ。
獣人が匂いから情景を思い浮かべる時は靄がかかったようにぼんやりとしていて詳細まではわからないことがほとんどなのだが、マグノリアはどこまで見えているのだろう。かなり恥ずかしい。
ヴィクトリアは赤面しつつ身体を手で覆って痕を出来るだけ隠そうとしたが、たくさんついているので全部は隠しようがない。マグノリアはヴィクトリアの反応を面白がっているのか、背中のあたりについている痕を突き出す始末だった。
「や、やめて…… 突っつかないで」
羞恥に肌を赤く染めるヴィクトリアを見ながら、マグノリアは楽しそうにふふふと笑っている。この人は一見理知的でまともそうだが、実はとてもえげつない人なのではないかと思い始めた。
涙目になりかけていたヴィクトリアだったが、首元に回されたと思ったマグノリアの手から淡い光が発せられて驚いた。
マグノリアの手が移動していく度に、肌にあったはずの痕が消えていく。
(あれ? 消えて、る……?)
「このまま残しておいても面白いけど、せっかくだから綺麗な肌にしておきたいし、消しておくわね」
「え…… あ……」
ヴィクトリアは昨日、レインがシドにつけられた痕を魔法使いに消してもらったと言っていたことを思い出した。
(あれは本当のことだったのね)
戸惑った声を出したヴィクトリアを見てマグノリアが口を開く。
「あら、リュージュからの愛の証は残しておいた方がいい? ヴィーもなかなかに熱烈ねえ」
「…………いえ、全部消してくれる?」
(私が番になりたいのはリュージュではなくてレインなのだから……)
レインがつけた痕は残してほしいと思ったが、その上からリュージュがつけ直しているので、一度全て真っ更な状態に戻してもらうのがいいのだろうと思った。
「あと祓っておくわね」
「祓う?」
「あなた、色々憑いてるわよ」
「つ、憑いてる?! お化け!?」
いきなり怖い話になってきた。
「いいえ。お化けじゃなくて怨念」
結局怖い話に変わりはなかった。
「怨念というか情念というか執着? 一人二人とかじゃなくて大勢からのものよ。
あなたへの恨みを募らせた真っ黒いものもあるけど、どちらかと言えばあなたに恋する念の方が多いわ。たぶんあなた自身が知らない人にまで思われている。ほとんどが桃色よ。
だけどその中に愛と憎しみが混ざりあったような大きいものがある……」
恨みというのはおそらくシドの番たちからだろう。
「愛と憎しみ」という言葉から真っ先に浮かんだのはレインだった。
「……私に憑いている念を祓ったら、その人たちが抱えている私への恨みは晴れるの?」
マグノリアはヴィクトリアの肩に手を置きながら、「いいえ」と首を振る。
「私の処置はただの対症療法だから、根本的な原因を取り除かない限りまた積もっていくでしょうね。
でもこれでしばらくは正常な状態でいられるわ。これまでは他人からの強い念を浴びて、本来の気の流れみたいなものが阻害されていたのよ。どう? 何か変わった感じはする?」
そう言われたが、特に何かが変わった感じはしなかった。
「いえ、何も……」
期待外れの答えだったと思うのに、マグノリアは頷いている。
「いいのよ。何事もありのままがいいの。何も感じ取れなくても気にしないで。無理にこっち側に来ることもないわ」
「こっち側?」
ヴィクトリアは言葉の意味がわからずに首を傾げたが、マグノリアは意味深長に笑っているだけだ。
「私が見てて目が痛くなるから祓ってみただけよ。変な女がおかしなことを言ってるわって思って気にしないで。さて――」
マグノリアはスポンジを掴んで泡立てると、お願いしますと言ってヴィクトリアに渡してきた。
マグノリアとロータスとナディアは最後まで味方でいる予定です。




