71 本音
R15
ヴィクトリアは抱えられたままリュージュたちの新居に入った。
脱衣所に連れて来られて下ろされたまでは良かったが――――
「一緒に入ろうよ」
「ちょっ…… それは…… 恥ずかしいから一人で入りたいわ」
「ヴィクトリアの裸ならさっき見たよ」
かなり慌てているヴィクトリアに比べれば、ヴィクトリアと番になると決めたリュージュは、わりと落ち着いているようだった。
ヴィクトリアはぎゅっと目を閉じた。脳裏に黒髪の青年の姿が浮かぶ。
(レイン……)
ヴィクトリアは泣いていた。
「ごめんな、アルベールにあんなことされたばっかりで怖いよな。
今日はもう遅いし番になるのは別の日でもいいんだけど、ただ、この風呂場を使うなら俺と一緒じゃないと使わせたくないんだ。ごめん」
抱きしめられて少しだけ安心する。
「……大丈夫、よ…………」
逃げるわけにはいかない。リュージュとお風呂に入るのを嫌だと思ってしまっているのは、『番の呪い』のせいだ。
『呪い』にかかる前、リュージュを一番に好きだった頃に、もし一緒にお風呂に入るなんてことになっていたら、恥ずかしく思いながらも幸福を感じすぎて舞い上がり、この上ない嬉しさに浸っていたことだろう。
(レイン以外の男性に慣れて、『番の呪い』を解かなければ……)
ヴィクトリアとリュージュは浴室に足を踏み入れた。
浴室に入ると、リュージュが最初に浴室を使うのを渋った理由がわかった。
(リュージュ、サーシャとここで一緒にお風呂に入っているわね……)
二人が一緒にこの家に泊まったのは結婚式の日からのはずだが、新居の準備が整ったのはそれよりも前だ。
この家で二人きりで過ごすこともあったのだろう。ここは浴室で壁などを洗い流せるとはいえ、匂いはまだ完全には取れていない。
ヴィクトリアは、リュージュとサーシャがこの場所で何度か絡み合っていた匂いを嗅ぎ取り、ぼやっとした絵だが自然とその情景が頭に浮かんでしまった。
以前も二人の身体から漂う匂いから親密度が上がっていくのは感じていたが、現場で嗅ぐ匂いはまた違う。正直気持ちの良いものではない。
ヴィクトリアは眉根を寄せて強張った顔になっていた。
(このまま回れ右をして浴室から出て行こうかと思うくらいには、胃がムカムカしてきたわ……)
結婚式にも感じたあの感覚が蘇る。
「ヴィクトリア、その、お前が嫌がるかもしれないと思って、ここには近付けたくなかったんだ。
サーシャと色々あったことは事実で、できれば全部隠したかったんだけど、そう上手くはいかないよな。
過去を変えるなんて奇跡までは起こせないけど、でも、俺が今一番愛してるのはお前だから、それだけは胸張って言えるから、俺の事を信じてほしい」
「リュージュのことは信じてるわ。私がこの世で一番信じているのはリュージュだから。
リュージュとサーシャが付き合うことは私だって了承したことなのよ…… 二人が仲良くなるのは当然のこと…… だから、いいのよ、気にしないで」
自分だってレインやアルベールと口付けてしまっているし、リュージュの本当の父親であるシドと長年恋人紛いのことをしてきた。
レイン以外の二人とは望んでいない行為だったけれど、自分だって厳密に突き詰めればリュージュに対して申し訳ないことをしてきたと言える。
お互い様だ。
(だからもう気にしないようにしようと理性ではわかっているけれど…… ここでリュージュを責めるのも何だか違うような気もするけれど…… でも……)
でも、心に巣食ったモヤモヤはそう簡単には晴れない…………
「…………ごめん、私また嘘ついた」
「え?」
目の前でほっとした顔をしていたリュージュが聞き返してくる。
「本当は嫌! すごく嫌! リュージュが他の女の人を好きになって抱こうとしていたのが耐えられない!」
ヴィクトリアは以前の感情を思い出して泣き出していた。
リュージュに失恋してからずっと思ってきたこと――――どろどろとしたものが全部出てくる。
リュージュが優しく抱きしめてくれる。
「ごめんな。お前の気持ちに気付いてやれなくて悪かった。
言い訳っていうか、取り繕うような言葉に聞こえるかもしれないけど、もし、お前と姉弟じゃないって本当のことを知っていたら、俺はサーシャじゃなくてヴィクトリアを選んでいたと思うよ。仮定の話をしてもしょうがないけど……
ただこれだけは言えるけど、ヴィクトリアはずっと俺の特別な存在だったんだ。これからもずっと、ヴィクトリアは俺の特別だ」
「私にとっても、リュージュは特別な存在よ」
リュージュが口付けてくる。ヴィクトリアはそれを受け入れてリュージュに縋った。
リュージュを好きだと思う気持ちがより大きくなっていく。
(このまま、『番の呪い』が解けてくれたらいいのに……)
「俺も一つだけいいか?」
ヴィクトリアが頷くと、リュージュがレインやアルベールに付けられた痕に指で触れた。
「俺だってずっと嫌だったんだ。おまえがシドに弄ばれた痕を見かけるたびに、すごく嫌だった。
なのにお前はいっつもそれを隠そうとしてて、俺にはほとんど何も言ってくれなくて…… 打ち明けてもらえないのが辛かった。
何でもないことのように振る舞うなよ。本当の心を隠すな。辛かったら言えって言ったろ? 頼れって言ったろ?
お前は俺のことを危なっかしく感じて頼り甲斐がなかったのかもしれないけど、俺はお前の力になってやれないことが歯がゆかった。
俺だってもう前みたいに悪手を打ったりはしない。たいしたことはしてやれなかったかもしれないけど、それでも俺には全部言えよ。お前の背負ってるものを俺にも持たせろよ。俺を頼れ、馬鹿」
リュージュの真心が伝わってくる。リュージュが好きだと思った。リュージュの持つ思いやりの心がとても大好きだった。リュージュの優しさに、何度も助けられてきた。
ヴィクトリアは胸が震えて涙を流し、リュージュに抱きついた。
「ごめんね。頼り甲斐がないだなんてそんなこと思ってないよ。リュージュを巻き込んで傷つけられるのが嫌だったの。
リュージュはこの里での私の全てだったから、大切にしたかったの」
「俺だって大切にしたい。大切にするから」
リュージュが突然ヴィクトリアの首筋に唇を付けた。
「リュ、リュージュ……!」
「これ、すごく嫌なんだ。あいつ以外の別の奴にまで痕をつけられてるのも嫌だ。
もう俺以外の男とはこんなことするなよ」
「う、うん」
頭にレインの姿がちらついたが、ヴィクトリアはリュージュが急に大人になってしまったように感じて、たじろいだ。




