65 お姉ちゃんじゃなかった
ヴィクトリア視点→リュージュ視点
オニキスがアルベールを回収してきて、右肩に乗せながら松葉杖を使い器用に歩いている。アルベールは口から血を流してぐったりしているが、ちゃんと息はあるようだった。
ヴィクトリアはオニキスと並んで歩きながら里に向かっていた。
「嬢ちゃんも大変だな。これからは望むと望まざるとに関わらず、番希望者が押し寄せてくるんじゃないか?」
「え? そうなの?」
「そうともさ。嬢ちゃんはこの里一番の別嬪さんだものな。今までは族長に睨まれるから誰も大っぴらな言動はしてこなかったかもしれないけど、嬢ちゃんの隠れ信奉者はいっぱいいるんだよ? 揉めないうちにさっさと番を決めてしまった方がいいぞ?」
「でも私、しばらくは誰とも番になるつもりはないわ」
「そうなのか? だったら…… しばらくは里から出てどっかに隠れているくらいのことはした方がいいかもしれないぞ? またこいつみたいに嬢ちゃんを襲う奴が現れないとも限らない。
まあ、里の外は人間の脅威もあるから、それはそれで全く危険がないわけじゃないけど」
ヴィクトリアはオニキスの肩に乗ったアルベールをちらりと見やった。
アルベールに口付けられたり身体を触られたりした感触がまだ消えない。ヴィクトリアはブルリと身体を震わせた。
嫌いな男に身体をいいように弄ばれるなんて、そんな思いはもう二度としたくない。
アルベールは絶対に諦めないと言っていた。今回はオニキスが退けてくれたが、次また襲われたらどうしたらいいのだろう。
(おじさんの言うように早く番を決めた方がいいのかしら? 番を得ればアルベールも諦めてくれる……? でも、レイン以外の男性には抱かれたくない)
「ヴィクトリア!」
歩いていると、リュージュの声がした。探しに来てくれたらしい。
リュージュはヴィクトリアの姿を認めると、安堵したように詰めていた息を吐き出しながら、こちらに駆けてくる。
「リュージュ……」
そんなに動いて大丈夫なのかと問いかけようとした言葉は、強く抱き締められた勢いで、喉の奥で止まる。
「ヴィクトリア、よかった。心配したんだ。無事……じゃないかもしれないけど、アルベールに連れて行かれなくてよかった」
森の中でもまたアルベールに襲われかかったのは匂いでわかってしまう。
「ごめんな、俺が不甲斐ないせいだ。これからは俺がちゃんと守るから。もう誰にもヴィクトリアに指一本触れさせない」
リュージュにそう言われて、ヴィクトリアは純粋に嬉しいと感じた。ヴィクトリアはリュージュに抱き締められていると、とても安心した。
アルベールにされた時のような嫌な気持ちは湧いてこなかった。
「ありがとう、リュージュ」
ヴィクトリアは微笑むとリュージュの身体に手を回して抱擁を返した。
「……」
遅れてウォグバードもその場に姿を現したが、彼は一言も発さずに、抱き合う二人に顔を向けているのみだった。
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リュージュとアルベールの怪我の処置と、それから、ウォグバードとオニキスはまだ入院中の身なので病室に戻るということから、その後一同は医療棟にやって来ていた。
リュージュは簡素な部屋の白い寝台に寝かされて医者の処置を受けていた。
ヴィクトリアも首に裂傷があったので処置のため別室に行ってしまった。
ウォグバードは諜報員の件を話すとどこかへ消えてしまい、アルベールもオニキスに担がれたままどこかへと連れて行かれた。
リュージュはアルベールに応急処置はされていたものの、その後激しく動いたせいで出血が酷く肋骨の骨折も悪化していて、診察をして処置を施した医師に入院を言い渡された。
けれど、リュージュは入院は嫌だと突っぱねた。
何日間入院になるのかはわからないが、その間ヴィクトリアから離れることになる。守ると約束したのに、それでは彼女を守れなくなってしまう。
アルベールは今回オニキスが倒してくれたが、また隙を見てヴィクトリアを狙うかもしれない。
リュージュは、アルベールに襲われていたヴィクトリアの姿が、脳裏に焼き付いて離れなかった。
言うことを聞かないリュージュに、医師はため息を吐き出したのち、少し待っていなさいと言い置いて部屋から出て行った。
ほどなくしてウォグバードが姿を現す。
「リュージュ、大事な話がある」
ウォグバードはやや声を落とし、深刻そうな口調でそう言った。
「諜報員のことか?」
「いや、それとはまた別の話だ」
ウォグバードは、ヴィクトリアが言っていた魔法の話を信じてくれて、「摩訶不思議な術を使う者の正体を見破るのは難儀だが、相手に気付かれないよう慎重に事に当たる」と言ってくれた。
「確実に諜報員ではないと思える何人かだけに相談して対策を考えてみる」とも言っていたが、それからさほど時間が経ったわけでもないので、その件で何か動きがあったということでもなさそうだ。
ならば考えられる話題は一つ。入院の説得か。
「入院はしない。俺はヴィクトリアのそばにいる」
リュージュはウォグバードの話を先回りして、意見を述べた。
対するウォグバードの返答は、「好きにしろ」だった。
「お前は身体が頑丈で回復も早いし、医者はああ言うが歩けるならそのまま自宅療養でもいいだろう。
お前がヴィクトリアを大切に思っているのはわかっている。あの方はもういない。
彼女はお前の思うように、煮るなり焼くなり抱くなり好きにしろ」
「は?」
リュージュは聞き間違いかと驚いて目を見開く。
(別にヴィクトリアを煮たり焼いたりはしないが、最後の抱くって何だ?)
「リュージュ、お前に言っていなかったことがある。お前には敢えて伏せていた話だ。先にすまないとだけ言わせてくれ」
頭を下げたウォグバードを、リュージュは首を捻り怪訝そうに見ていた。
「お前とヴィクトリアは、姉弟ではない」
言葉が頭に伝わり、意味を理解するのに数拍を要した。
(ウォグバードには前に俺がシドの息子であることは打ち明けていたから、ヴィクトリアと姉弟であることは知っていたはずだが、それが姉弟ではない……………………?)
「…………どういうことだ?」
「ヴィクトリアはシドの本当の娘ではない。彼女の本当の父親は、母親がシドと番う前に最初に番としていた相手だ。シドは身体にヴィクトリアを宿した状態の母親を略奪したんだ。お前たちに血の繋がりは無い」
リュージュは驚愕していた。
(ヴィクトリアが姉ではない……………………)
黙ったままのリュージュにウォグバードが続ける。
「リュージュ、お前は本当は昔からヴィクトリアを愛していただろう? 女として。だが姉だと思い、自分の気持ちに蓋をしていた。違うか?」
図星を指されすぎてリュージュは答えられない。
「サーシャのことは残念だったが、お前とは縁がなかったのだろう。女はサーシャだけではないんだ。完全に番になったわけではないのだから、まだ他の相手を選べる。サーシャと上手くいかなかったからと言って、全てを諦めてしまうには早すぎる。
ヴィクトリアを番にすればいい。昔から思っていたが、傍から見ていてもお前たちは仲が良く、お互いを大切に思い合っていて、恋人ではないのがおかしく思えるくらいにお似合いだ」
「無理だよ」
リュージュは即答して首を振る。
「そんなことを言われたからって、姉じゃなかったなんて言われたからって、そう簡単に気持ちが切り替えられるはずがないだろ? サーシャと別れたばかりなんだぞ? 俺はまだサーシャを愛している。
それにヴィクトリアだって、俺のことをそういう対象としては見ていない」
結局弟ではなかったが、弟だと伏せていたことを知られるより以前から、ヴィクトリアがリュージュを男だと意識した様子は全くなかった。
今度はウォグバードが沈黙する番だった。
ウォグバードは普段からあまり表情を変えない。加えて今や視力を失っている。
目があった部分には包帯が巻かれていて、瞳の揺れから感情を窺い知ることができない。
ただでさえリュージュは幼少期を兄と二人きりで過ごすのみで、多くの者と接する機会がほぼ無かった。
里に来てから他者との接し方を学びはしたものの、それでも何も主張してこない相手の考えを読んで察するのは苦手だった。
ウォグバードとはもう五年ほど一緒に暮らしているが、現在目の前でウォグバードが何を考えているのか、リュージュにはさっぱりわからなかった。
「無理強いするつもりはない。ただ、そういう選択肢もあるのだということを、お前に示しておきたかっただけだ」




