54 昔の話
二歳年上のアルベールはヴィクトリアが物心ついた時にはもうそばにいた。子供同士で遊ぶ時にはいつも隣にいたが、他の子と仲良くしようとすると必ず間に入ってきた。
監視されているように感じ始めたのはいつ頃だっただろうか。仲良くなった子と仲違いするようなことを仕掛けられたこともあった。
ヴィクトリアにとってアルベールは目の上のたんこぶのような存在だった。
アルベールは穏やかそうな外見とは裏腹に我が強く、全く優しくなくて、ヴィクトリアにあれこれ指図しては常に彼女の上位に立とうとする意地の悪さを発揮していた。
ヴィクトリアはそんなアルベールに全く懐かなかった。
『いい? ヴィーは俺の下僕なんだから、俺が決めた相手と番になるんだよ』
いつだったかそんなことを言われたことがあった。アルベールの下僕になった覚えはないし、何でこの人にそんなことまで決められなければならないのかと憤ったヴィクトリアが嫌だと返すと、アルベールは痣が出来るくらいの強さでヴィクトリアの腕をつねってきた。
痛くて泣き出すとやめてくれたが、アルベールはそうすると今度は泣きじゃくるヴィクトリアを抱き締めて慰め始めた。
アルベールがヴィクトリアを自分で泣かせておきながら慰めるという変な光景は二人の間ではよくあることだった。
アルベールのヴィクトリアに対する意地悪は他にもいくつかあった。
魔の森を二人だけで遊ぶこともあったが、その後一人にされて置き去りにされることも多かった。
ある時は里からだいぶ離れた場所まで連れて行かれてしまい、帰る方向がわからなくて一人でうろうろしていたら、大きな熊が出て来て死ぬかと思った。結局どこからかアルベールが現れてあっさり倒してくれたので助かったが。
そもそもアルベールが置き去りにしなければそんな目には遭わなかったのだが、助けてもらったお礼を言わないと表向きは何でもない風を装いつつも本心では拗ねてややこしくなってくるので、「ありがとう」と言った所、「じゃあ俺に感謝して代わりにこの熊を里まで運んで」と言われた。
熊も里では食料になる。担げなくはなかったけど熊は重かった。アルベールはその後行方を晦ますことなく里までちゃんと道案内はしてくれたが、熊を運ぶのは最後までヴィクトリアにやらせて自分は全く手を貸してくれなかった。ちょっとぐらい手伝ってくれてもいいのにと思った。
里の子供たちは「狩り」ごっこと呼ばれる、大人がやる「狩り」を模した遊びをよくやっていた。
獣人側と人間側に分かれて、獣人側に回った者はさらに二つ以上の組に分かれ、より多くの人間役を捕まえてきた組が勝つ。
人間役は個人戦で、隠れたり逃げたりしながら終了時刻まで捕まらなければ勝ちという遊びだ。
最初に仕切り役が獣人側と人間側を誰がやるか振り分けていくが、子供たちの中で強く発言力のある者が仕切り役になる。
仕切り役をするのはたいてい年嵩の者だが、里ではある程度の年齢に達すると仕事を与えられ、子供の遊びの輪からは抜けていく。
ヴィクトリアが九歳の頃にはアルベールが仕切り役をするようになっていた。それまでは獣人側も人間側も両方やったことがあり、どちらかというと獣人側になることの方が多いくらいだったのに、アルベールが仕切り役になった途端、人間役にしか指名されなくなった。
あまりにもいつも人間役ばかりなので、たまには獣人側に回りたいと言うと、
『ヴィーはどんくさいから獣人側にすると足引っ張られて同じ組の奴らが可哀想だろ。ヴィーは人間役が適役だよ』
と言われた。理不尽だった。
ヴィクトリアが人間役を不満に思うのには他にも理由があった。
ヴィクトリアを追いかけてくるのはいつも決まってアルベールだった。暗黙の了解でもあるのか、アルベールが仕切り役になってからは他の者に追われたことがない。
アルベールがヴィクトリアを捕まえた時に一瞬垣間見える、こちらを征服してくるような勝ち誇った表情があまり好きではなかった。
「狩り」ごっこでは人間役は捕まったら檻に見立てられた場所で遊びが終わるまで待っているのが普通だ。けれどヴィクトリアはアルベールに捕まった後は、彼と一緒に他の人間役を探しに連れ回された。
人間役のはずなのにそんなことをしているのはヴィクトリアだけだった。アルベールの方が身体能力が高いので毎回息を切らせながら付いていくのがやっとだったが、そのおかげで足だけは早くなった。
結局一緒に追いかけるなら、最初から同じ獣人組にすればいいのになと思ったものだった。
あの事件が起きたのは、ヴィクトリアが十歳の誕生日を迎えて一月ほど経った頃のことだった。
その頃にはもう、母の具合があまりよくなくて、高熱を出しては意識が無くなることも頻回だった。
ヴィクトリアは母のそばを離れたくなくて、遊びにも行かずにずっと母の家に籠もっていた。
その日も友達と遊ぶつもりはなかったが、たまたま母の家の外に出た時に出くわしたアルベールに、無理矢理遊びの場へと連れ出された。
いつも通り「狩り」ごっこの役割が決められて、いつも通り人間役となったヴィクトリアが逃げて、いつも通りアルベールに捕まった。
捕まった後、いつも通り自分に付いてくるようアルベールに言われたが、ヴィクトリアはそれを拒否した。
『もういいでしょう。人間役は捕まったらそれでお終いのはずよ。私は帰る』
『ちょっと待てよ』
『私はアルと遊ぶより、お母さまのそばにいたい』
そんな事、言ってはいけなかったのかもしれない。
背を向けてヴィクトリアが歩き出しても、アルベールは何も言わなかったし追いかけても来なかった。
歩き出した直後にはもう、ヴィクトリアの頭の中は母のことでいっぱいになってしまい、アルベールの存在は抜け落ちてしまった。
しばらくして誰かが後から走ってくる音がして、直後、背中に激痛が走って前に吹っ飛ばされた。
『ふざけるな! ヴィーは俺のことが大切じゃないのか! 俺に会えなくて寂しいとは思わなかったのか! 俺はヴィーに会えなくてずっと寂しかったのに!』
アルベールの叫びを聞きながら、彼に背後から飛び蹴りを食らわされたと気付いた時には、下り坂となっていた地面を転がり、転がり、転がり……
魔の森の中で、運悪くその先の崖下に転がり落ちてしまった。




