46 帰郷
ナディアは腰まであるヴィクトリアの長い髪に鋏を入れた。ヴィクトリアの髪は、肩くらいまでの半分ほどの長さになった。
ナディアは長い金髪のウィッグの毛先に、短く切った結い紐をいくつも使ってヴィクトリアの銀髪を取り付けていく。頭部付近は元々のウィッグから成る金髪なので、ストールを被ってその部分を隠せば長い銀髪の人物に見えた。
「良く見ると変だってバレちゃうけど。あまり銃騎士隊員に近付きすぎないようにするわ。もうすぐ夕方だから、薄暗くなってきたのは好都合ね」
二人は衣服を交換した。
ヴィクトリアは自身の銀髪は隠さなければならないので、髪の毛を一つにまとめてから黒髪のウィッグを被った。念の為その上から帽子も被り、目元のわからなくなる色眼鏡をかけた。
二人は銃騎士隊の追跡を避けながら、宿の付近まで戻って来ていた。
曲がり角に身を潜めるのは、薄桃色のシャツと花柄のスカートを着て、黒髪に帽子を目深に被り、さらに色眼鏡を掛けた少女――ヴィクトリア。
もう一人は、ストールを頭から被って顔を隠し、ストールの端から背中側に向かって特徴的な銀髪を垂らした少女――ナディア。
周囲は薄暗くなり始め、夕方に差し掛かってきている。
ナディアが道の向こうを探っている。銃騎士隊員数名の姿が見えたナディアは、後ろのヴィクトリアを振り返った。
「姉様、どうか無事で。またどこかで会いましょう。それからこれだけはどうしても言わせてほしいけど、銃騎士を番に選んだら絶対に駄目だからね。ちゃんと、姉様を大切にしてくれる人を選んでね」
ヴィクトリアは頷いた。銃騎士は敵だ。今回のことでヴィクトリアもそのことがよく身に沁みた。銃騎士――――レインと番になることはおそらくないだろう。
「じゃあ私もう行くね。そっちも気をつけて!」
「ナディアこそ捕まらないようにね。無事に逃げ切るのよ」
ナディアは曲がり角から一人身を踊らせると、銃騎士隊員たちのそばまで駆けて行った。
「私ならここよ、間抜けな銃騎士さん」
ナディアはわざと煽るような事を言ってから身を翻す。
「いたぞ! 待て!」
銃騎士隊員たちがストールから銀髪を覗かせた少女を追い始める。
隊員の一人が笛を吹き、標的が見つかったことを他の仲間に知らせる。笛の音に散らばっていた他の銃騎士たちも集まってきて、逃げるナディアの後を集団で追う。
ヴィクトリアはその様子を、曲がり角に身を潜ませてハラハラしながらじっと見ていた。ナディアが銃騎士隊員たちを引き付けながら遠くに姿を消すまで見送ってから、ナディアが行った方向とは反対方向へと歩き出す。
ヴィクトリアが向かっているのは泊まっていた宿屋の厩だった。急いでいるつもりだが走ることは叶わず、歩くほどの速さでしか移動できない。
確かにナディアの言うとおり、今銃騎士隊員に追われたらかなり危ない。薬の効果は未だ切れず、自分の足で逃げるよりは馬に乗った方が安全だ。レインには申し訳ないが、慰謝料代わりに頂いて行こうと思った。
栗毛の馬は厩の中で大人しくしていた。馬丁に馬を出してほしいと告げたが、若い馬丁は、「えっと、あの……」と言っていて歯切れが悪い。
レインと買い物に出掛ける時に馬を出してくれたのもこの人だったが、今のヴィクトリアは変装していて首輪まで着けたままなので、変に思ったのかもしれない。
(あまりもたもたしていられないわ!)
ヴィクトリアは色眼鏡を外して声を張った。
「馬を出して! 早く!」
「は、はいっ!」
馬丁はヴィクトリアを認識した様で慌てて柵から馬を出してくる。ヴィクトリアは馬丁に手伝ってもらい鞍の上に乗ったが、スカートが足を広げるのに邪魔で上手く跨がれない。
ヴィクトリアはスカートを裂いてスリットを入れた。白い肌と、太もものガーターホルダーに収まった短剣が見える。
ヴィクトリアの太ももを見た馬丁が、「あっ」と叫んで崩折れているが無視し、鞍に座り手綱を掴んだヴィクトリアは馬を走らせ始めた。
少しだけ駆けた所で馬を止め、宿屋を振り返る。
(――――さようなら)
ヴィクトリアは心の中で別れを告げた。
(結局、罪を償うことはできなかった……)
レインに対しての心残りはとてもある。酷い目に遭わされたけど、ヴィクトリアはレインを信じたいと今でも思っていた。
レインともっとよく話をして、彼の憎しみの根底にあるものを理解できていたら、ひょっとしたらレインもあんなことをしなかったのではないかと思ってしまう。
もしかしたらもっと違う道があったのではないかと、そんな風に苦しく思う。
でも、今更それを考えても仕方のないことだった。
ナディアが示してくれた道を無駄にするつもりはない。
レインには幸せになってほしいと、心から願う。
ヴィクトリアは思いを振り切るように首を振ると、馬を走らせ始めた。
陽は完全に落ち、月明かりが周囲を照らす。
ヴィクトリアは本来の姿を隠したまま街道を西に進んでいた。
ヴィクトリアはこれからどうしようと考えて、やはり一度里に戻ることにした。リュージュがあの後どうなったのかずっと気になっていた。
川の音がしたので、ヴィクトリアは馬を休ませるために街道を逸れて音がする方へと進んだ。
やがて幅の広い大きな川が見えてきた。ヴィクトリアが馬から降りて、手綱を引きながら川のそばまで連れて行くと、馬は水を飲み始めた。薬の効果が切れてきたのか、ヴィクトリアの身体も段々と動くようになってきた。
ヴィクトリアは立ち尽くしながら、昨日もこうやって人気のない川のそばでレインと一緒に過ごしたなと、思い出していた。
考えたくないのに、ヴィクトリアはレインのことばかり考えてしまう。頭の中からはレインのことを追い出しているつもりだったが、ふとしたきっかけで彼の表情や声が蘇る。馬に乗ってここに来るまでの間も、ヴィクトリアはレインのことを思い出してたまに泣いていた。
一緒にいられたのはそんなに長い時間でもなかったのに、自分は、思っていたよりもレインに強く惹かれてしまっていたらしい。レインのことは忘れなければいけないのだから、この状況はあまり良くない。
ヴィクトリアはその場に座り込んだ。川を覗き込むと、水面にぼんやりと映る黒髪が見えた。
陽が落ちてからは、周囲がよく見えなくなるので色眼鏡はポケットにしまっていたが、帽子とウィッグはそのままだった。
黒い髪色は、レインのことを思い出す。
ヴィクトリアは帽子とウィッグを取り、髪を結わえていた紐も取った。
さらりと、短くなった銀髪が落ちてくる。
帽子は小さく畳めたので服のポケットにしまったが――――
ヴィクトリアは、その黒いウィッグを捨てた。
ヴィクトリアは魔の森に入った。木々の間を抜けながら、ヴィクトリアは不思議な気持ちだった。あれほど里から出たいと思っていたのに、その里に帰ろうとしている。
今は何時くらいだろう。夜は更けてきたが、まだ日付が変わるほどではないはずだ。
魔の森を抜けて里の入口に差し掛かろうとした時だった。
ヴィクトリアはその人物の匂いを嗅ぎ、泣きたくなるほどの安堵感を覚えた。
「ヴィクトリア!」
彼は里の警備の仕事をしている。まだ里に入っていないのに気付いてくれたのは、夜間の警備に当っていたからかもしれない。
まるで何年も会っていないように感じた。
ちゃんと生きていてくれた。それだけで、充分だった。
「リュージュ!」
ヴィクトリアは馬から飛び降りて走った。
リュージュの姿を見つけると、感情が制御不能になり涙が次から次へと溢れてきた。
リュージュは立ち止まると、驚いた顔をしてこちらを見ていたが、ヴィクトリアは構わずリュージュに抱き付いた。
泣き崩れるヴィクトリアを、リュージュが腕の中に抱え上げる。
リュージュが誰のことを好きでもいい。
この人のそばでずっと生きて行こう。そう思った。




