42 出生の秘密
ヤンデレ注意
『俺の奴隷にしてあげるよ』
脳内にレインの言葉が響き渡る。すぐにはその言葉の意味も、取り付けられた首輪の感触も受け入れられない。
(彼は私のことを尊重してくれると思っていたのに…… どうして? 何故?)
「レイン………… 奴隷は嫌だって…… 私……言ったわよね?」
問い掛けるが返答は無い。レインは妖しい光を瞳に宿して無言のまま、カリリ、と歯の奥で何かを噛み、飲み込んでいる。
こちらを見つめるレインの雰囲気が怖い。小屋で冷たい目を向けられていた時よりも、さらに冷え切ってぞっとするような瞳の色をしている。
レインのことは愛している。凍えるような冷たい瞳を向けられても、騙し討ちのように首輪をかけられても、それでも慕う気持ちがなくならない。彼のことをまだ信じたいと思っている。
(でも、奴隷は嫌だ。奴隷になるくらいなら誰とも添わずに一人でいる)
逃げよう。そう思った。レインは奴隷になっても大切にすると言っていたが、今のレインがその言葉を実行するようには思えない。
首輪をかけられた状態ではあるが、その鎖の先をレインがただ握っているだけだ。腕力ならヴィクトリアの方が上だ。
思いっきり引っ張ると案の定レインの手から鎖がするりと抜けた。ヴィクトリアはレインから背を向けて店を飛び出した。
しかし…… 走りながらヴィクトリアは身体の異変に気付く。
(上手く、走れない。おかしい。思った通りに身体が上手く動いてくれない)
俊敏な動きを失った足はやがてもつれ、ヴィクトリアは路地の真ん中で膝を折り、手を突いた。
(身体に力が入らない。立てない)
どうしてこうなったのだろうと絶望的な気分になりながら考えて、先ほどレインに妙なものを飲まされたからだと思い至る。
あれはおそらく身体の自由を奪うようなもので、そのあとレインが噛んでいたものは解毒剤か何かだろう。口移しだったから、自分も薬にやられないようにと……
その場から一歩も動けず蹲っていると、背後から足音が聞こえてきた。振り返ると冷たい表情をしたレインが立っていた。
「君は今日から、俺の『犬』だ」
ヴィクトリアは唇を強く噛み締め、レインを睨みつけた。
『犬』とは、獣人の蔑称だ。
きっとレインはヴィクトリアを対等に扱うつもりはないのだろう。物か、畜生か、そんな扱いだ。
「好きだったのに! 何でこんなことするのよ! 今まで優しくしてくれたのは一体何だったの? 好きだって言ってくれたのに、全部騙してたの? 酷い!」
「酷いのはお前ら獣人族だろ。獣人なんてみんな死に耐えて滅べばいい」
硬い表情と声で告げるレインからは、優しさも愛情も何も感じられない。
ヴィクトリアはぼろぼろと泣き出した。
「そんなに私が憎いの? あなたはやっぱり私のことが嫌いなのね?」
「嫌い……」
レインが呟いたその言葉が刃のようにヴィクトリアの心を切り裂く。
「そんなわけないだろう。言ったじゃないか、俺は君が好きだって…… 獣人なんか大嫌いだけど、ヴィクトリアだけは特別だ。俺は君がとても好きだよ。大好きだ……
ぐちゃぐちゃにしてやりたいくらい大好きだよ」
好きと言うのに、その顔が憎しみに歪んでいるように見えるのは何故なのか。
(冗談じゃない)
好き勝手にされてたまるものか。
ヴィクトリアは悲しみと怒りと意地と、負の感情をごちゃまぜにしたような気持ちになった。彼女はそれらを奮い立たせ、よろけそうになりながらも自分の力で無理矢理立ち上がった。
レインが目を見張る。
ヴィクトリアは背を向けてレインから離れようとしたが、レインはすぐさま隊服の上着を脱いでヴィクトリアの頭に被せた。
レインは抵抗するヴィクトリアを捕まえて腕の中に抱え上げ、歩き出す。
「離して!」
隊服の隙間から顔を出したヴィクトリアは、レインの胸を叩いて叫ぶが、薬のせいでたいした力は出ない。
「離したら逃げるだろう? 逃さない。君は俺のものだ」
レインが低く脅すように言う。目付きが威圧するように鋭くて、ヴィクトリアが好ましく思っていた優しいレインの姿はどこにもない。
ヴィクトリアは泣いていた。
「どうして? どうしてこんなことをするの……」
「仕方ないだろう。俺は獣人の里で暮らすなんて死んでも嫌だし、こうするしか方法がないんだ」
レインが手の位置をずらして頬を伝う涙を拭おうとするが、ヴィクトリアはふいっと横を向いて避けた。
「……君の泣いている顔は、とても綺麗だ。そんな顔、俺以外の誰にも見せては駄目だよ」
少し艶っぽくなった声で囁かれるが、そんなことを言われてもちっとも嬉しくないし、束縛するようなことを言われても迷惑だ。
「気付いてた? 道行く男どもが君のことばかり見てるんだ。本当に腹立たしい。俺はもう君のことを誰にも見せたくないし、誰にも渡したくない。だから部屋に閉じ込めてどこにも出してやらない」
レインがヴィクトリアに隊服を被せたのは、周囲の目からヴィクトリアを隠すためと、それから首に付けた首輪を隠すためだろう。
「そ、そんなの嫌よ!」
まさかレインがそんな考えをもっていたことに驚く。一緒になったらそんな扱いをされてしまうのか。それではシドがやっていたことと似たようなものではないか。
もし本当に部屋に閉じ込めて一歩も外に出さないつもりなのだとしたら、その点に関してはシドより質が悪いと言える。
「君の安全のためなんだよ。それにもし君が他の男のものになってしまったら、俺は気が狂う」
(違う…… 私のためなんかじゃない……)
ヴィクトリアのためと言っているが、結局は自分の思い通りにしたいだけではないか。そのためにはヴィクトリアの自由を奪うことにも抵抗がない。
ヴィクトリアがレインの本性を垣間見た衝撃に呆然としていると、彼がさらに彼女を追い詰める発言をする。
「リュージュ、だっけ?」
ヴィクトリアの身体がびくりと反応する。
レインにリュージュの名前を言ったことは一度もない。
ヴィクトリアがレインを見つめる瞳は驚愕に見開かれていた。
「何で、レインが…… リュージュのことを知っているの?」
「君のことならたいていのことは知っている。食べ物の好みも、繰り返し読んでいるお気に入りの本の名前も、服のサイズも、好きな相手も…… 銃騎士隊の情報収集能力を舐めるなよ」
(銃騎士隊……)
レインは銃騎士隊員で、ジュリアスと同じ二番隊所属だ。
ヴィクトリアは昔読んだ銃騎士隊についての本の記述を思い出す。二番隊は特殊部隊で、その仕事は情報収集、戦略、諜報…………
――――諜報?
(まさか、里の中に敵が潜んでいた? 里の内情が銃騎士隊に漏れていたということ?)
そう考えれば、ヴィクトリアがレモネードが好きなことをジュリアスが知っていたことにも説明がつく。彼らはそんな細かいことまで知っていたということだ。
レインは直接会っていなくてもヴィクトリアのことをよく知っている――――
つまり、ヴィクトリアとリュージュの関係性についても、レインには全部筒抜けだったということか。
ヴィクトリアは青くなってきた。
「まだ、そいつのことが好き? 浮気は許さないよ」
ヴィクトリアはぶんぶんと首を振る。
「リュージュは弟なんだから、浮気だなんてそんなことにはならないわ。それにリュージュは私のことなんか眼中になかったもの」
レインの顔に不機嫌さが増す。
「『弟だと思っているから大丈夫』だなんて、俺も言われたけど…… そんなのわかるものか。あのクソ男の血を引いているんだから、何をするかわかったものじゃない」
「それなら私だって同じだわ」
ヴィクトリアもシドの娘だ。
「それは、違う」
レインが頭を振った。
「君が、君みたいな子が、あんな汚れた野蛮な奴の血を引いているわけないじゃないか。君は、君のお母さんとその番――――お母さんが真実愛した人との子供だよ」
レインの発言から衝撃を受けるのは何度目だろうか。驚きに硬まるヴィクトリアを見たレインの顔付きが、少しだけ柔らかくなる。
「ああ、もっと早く言ってあげれば良かったね。そうすれば、あの男の呪縛から解放されて、君の心は自由になれたのに」
(呪縛……)
「それ、は…… 確かなこと、なの……?」
「君の故郷に潜入していた奴が言うには、君が生まれた時のことを知る何名かから証言が取れたそうだ。皆、口を揃えて同じことを言うから確実だと」
『俺はお前が生まれてから、お前を娘だと思ったことなどただの一度もない』
シドは、きっと知っていた。ヴィクトリアが生まれた時から。あの、人の裏の裏側まで気付いて全てを見透かすような男が知らないはずがない。
「あの男は君の父親なんかじゃない。父親をかたる偽物だ。君はあの男に何の義理もない。育ての親だなんて言ったって、十歳までは君のことを放置していて、お母さんが一人で育てていたんだろう? お母さんが死んでからは君を搾取し続けた最低な男だ。あんな奴のことを父親だなんて思ってはいけない。愛情の一欠片すらかける価値の無いただのクズだ。恩なんて感じる必要も一切無い。あんな男のことは最低最悪の下衆野郎だと思って切り捨てるんだ。いいね?」
この衝撃を何と言葉に変えたらいいのかわからない。シドは何故、本当のことを言わなかったのだろう。
この何日かで頭の中が混乱することばかりが起きている。実の親子だとばかり思っていたシドとは血が繋がっていなくて、逆に血が繋がってるとは露ほども思っていなかったリュージュとは姉弟だったなんて。
(…………いや…… 違う………………)
ヴィクトリアは冷静になって、頭の中を整理してみた。
里から出奔する時にリュージュが弟であることを知った。リュージュとは父親が同じで異母姉弟なのだと思っていた。自分たちは共にシドの子供なのだと。
(でも、私がシドの実の娘ではないということは………… つまり………………)
リュージュとは、血が繋がっていないことになる。




