18 けじめ
ヴィクトリア氏→三人称
お色直しをしたサーシャは豪奢なドレスを身に纏っていた。基本色はやはり青で、広がりを持ったスカート部には所々白色の布地が混じっていて、スパンコールが散りばめられている。
青色が主体のドレスだったが、色は濃い青ではなく薄めで、どちらかと言えば水色に近い。
「体調が優れないようにお見受けしましたので、僭越ながら薬を持って参りました。できればこの場ですぐにお飲みいただければと思います」
やや強引に、手の平に紙で包まれた粉薬を渡された。ヴィクトリアは戸惑いつつサーシャを見上げる。
「どうしたの、これ」
「同僚に取ってきてもらいました。その症状はおそらく暑さと疲労からでしょう。吐き気などはそれで取れると思います」
驚いた。祝福の輪の中心で会食を楽しんでいるとばかり思っていたのに、ヴィクトリアの様子に気付いたのか。
「……ありがとう」
微笑みを貼り付けてサーシャを見れば、彼女はじっとヴィクトリアの顔を凝視している。
おそらく、薬を飲むのを見届けるまでは離れるつもりがないのだろう。サーシャの薬師としての腕は信用している。変なものが入っているとは思っていない。
ヴィクトリアは包みを開けて粉薬を口に入れると、水で流し込んだ。
「水分をよく摂取し決してご無理はなさらないように。では私はこれで」
「待って」
早口で言って去ろうとするサーシャをヴィクトリアは呼び止めた。
「サーシャ、結婚おめでとう。今日のあなたはとても綺麗よ。どうかリュージュとお幸せに」
(言えた)
本日の目的は、リュージュへの恋心を抹殺すること。
言いながらまだ引き攣れたように胸が痛い。けれどこうやって少しずつ、リュージュに番ができたことを受け入れていければいいと思う。
リュージュにもサーシャにも幸せになってほしい。それは本当のことだ。
しかしサーシャは口元を硬く引き結び、眉根を僅かに寄せている。心なしか瞳も潤んで泣くのを堪えているようにも見えて、まるで責められているような印象を受けた。
「サーシャ?」
サーシャの様子がおかしい。もしかして言い方に棘があったのだろうかと心配になってしまった。
「サーシャ」
リュージュの声がして胸が跳ねた。見ればリュージュがこちらにやって来ている。
落ち着き始めていたはずの胃の辺りがいきなりまたモヤモヤともたれ始めた。ヴィクトリアは手の中の水を一口飲み、心を落ち着かせた。
「どうしたんだ?」
話しかけられたサーシャは、生真面目な顔でリュージュに対する。
「ヴィクトリア様の体調が悪そうだったので、薬を渡してたのよ」
サーシャはリュージュに何も言わずに来たらしい。
リュージュがこちらを見た。視線が合ってしまい、心臓の動きが大きくなる。
「大丈夫か? 具合はどんな感じなんだ?」
リュージュは近くに寄るとヴィクトリアの顔を覗き込んできた。ヴィクトリアの前髪を上げ、額に手を当てる。
ヴィクトリアは、静まれ!心臓!と思いながら、表情その他をできるだけ変化させないようにして、身の内の激しい動揺を悟られないようにした。
「暑さでやられてしまったみたいなの。でももう大丈夫よ」
安心させるような微笑みを湛えて答えるが、リュージュは尚も心配そうな眼差しを向けてくる。
リュージュの赤みを帯びた黒い瞳は、成長するごとに色素が抜けてきて、より赤みが強くなっている。
「ちゃんとした所で休んだ方がいいんじゃないのか? 部屋まで戻るか? 俺が運んでやるよ」
「大袈裟ね。そこまでじゃないわ」
相変わらず優しい。リュージュはこの期に及んでもまだ優しさを発揮するのか。でもそんな過剰な優しさはもう、自分の一番大切な人だけに向けてほしい。
「サーシャに薬も貰ったし、少し楽になってきた所なの。すぐに良くなるわ」
「大丈夫ならいいんだけどさ、無理はするなよ。お前はいつもそうやって我慢ばかりしている。少しは頼れ」
「ありがとう。でも今は大丈夫よ。本当に困った時はちゃんと頼るから」
「約束だぞ」
リュージュはそう言って、サーシャと共に祝いの場へ戻って行こうとする。
「リュージュ」
大切なことを言っていなかった。ヴィクトリアは離れていこうとするリュージュに呼びかけた。
「リュージュ、おめでとう。あなたの友人、いえ、親友として、心から祝福するわ。末永くお幸せに」
ヴィクトリアは貼り付けたものではない笑顔と共に自分の思いを告げた。愛する人に幸せになってほしい。その気持ち自体に嘘偽りはない。
「ありがとう。ヴィクトリア」
リュージュもまた笑顔を見せた。
リュージュの笑顔は、やはりとても眩しかった。
リュージュとサーシャの二人が去って行く。
(ちゃんとリュージュにお祝いの言葉を言えたじゃない。大丈夫。私は大丈夫よ)
胸はまだ痛い。でも、大きな仕事をやり遂げたかのような達成感があった。
ヴィクトリアは一つ大きく息を吸って吐き出した。身体の不快感は消えつつあり、体調は良くなってきているようだった。
「ヴィクトリア様」
ヴィクトリアに水を渡してくれた先程の茶髪の少女が、新しいグラスを乗せたトレイを手にしてやって来た。
「水分をたくさん摂ったほうが良いです。交換致しますね」
「ありがとう」
ほとんど空になったグラスを渡してから、トレイに乗せられた飲み物を選ぶ。少し体調が回復してきたので、ヴィクトリアはレモネードを選んだ。果物の成分が少量入っている程度なら、ヴィクトリアでも摂取できる。レモンの爽やかな香りが好きなので、宴席ではいつも一、ニ杯ほど嗜んでいた。
「素敵ですよね、結婚式」
縁にレモンの輪切りが飾られたグラスを受け取ると、茶髪の少女が話しかけてきた。
「私もいつか、あんな風に好きな人と寄り添い合って、結婚式を挙げたいです」
「あなたには好きな人がいるのね」
「ええ、まあ……」
彼女はそう言っただけで、詳細は語らなかった。
「ヴィクトリア様は、どなたか好きな方はいらっしゃるのですか?」
「私は……」
ヴィクトリアは視線を上げて、離れた場所で隣のサーシャに話しかけて幸せそうにしているリュージュを見つめた。
「私にも好きな人がいたわ。でも、その人はもう他の人のものだから、それ以上何かをどうしようとは思わないわ」
「そうなのですか。でも、それでいいと思いますよ。獣人族は身体を契りさえしなければ、違う相手を好きになれるのでしょう? きっと、別の人を探した方がいいです。新しい恋ですよ」
「新しい恋……」
呟いてみたが、あまり現実感はなかった。
(また別の人に恋をしても、シドは許してくれるだろうか……)
「ヴィクトリア様には私みたいになってほしくないです。自分に愛情を示してくれない相手をずっと思い続けるなんて、本当、地獄みたいですから」
声の調子を落とし、仄暗い表情をして自嘲するようにそう言った少女の印象が、それまでとは全く違って見えた。
ヴィクトリアはこの少女の中に闇を見たような気がした。違和感を覚えてもう少し話をしようと思ったが、彼女はすぐさま給仕に呼ばれてしまい、礼をして去って行った。
あの茶髪の少女は時々ヴィクトリアの部屋まで食事を運んでくれる。また顔を合わす機会もあるだろうから、その時によく話を聞いてみよう。
(そういえばあの子…… 名前は何だったかしら……?)
ヴィクトリアは思案しながら、手元のグラスから伸びる赤いストローを口に咥えた。一口飲むと爽やかな香りが口腔に広がり、気分が落ち着く。ヴィクトリアの白い喉元が動き、液体を嚥下していく。
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ヴィクトリアは輝く銀色の髪に、神秘的な水色の瞳をしている。その透き通るような清らかさは、獣人という、人間から忌み嫌われる存在であることを忘れさせるほどの神々しさがあり、近づいてはならないような雰囲気を作り出している。
世界中のどこを探しても、ヴィクトリアほどの美女はそうはいない。
シドはヴィクトリアの様子を、離れた所からじっと見つめていた。




