16 王に捧げる
R15注意
執務室で仕事をしていたヴィクトリアはペンを走らせていた手を止め、顔を上げた。
ヴィクトリアの視線の先、外の風を入れるために開けていた窓から入ってきたのは、不審者ではなくて、この国の王だった。
「ちょうど良かったわ。キャンベル家から資材の引き渡しの件で書面が来ていたから、目を通しておいてもらえる? それから、これと…… あとこれも……」
言いながら、ヴィクトリアは必要な書類を取り出すと、背後からの風を背に受けて自由人そのままの雰囲気で窓枠に脚をかけてだらしなく座るシドの手元まで、魔法を使って書類を運んだ。
以前はシドの番たちに物凄く憎まれ恨まれていたために、阻害されて魔法が使えなかったヴィクトリアだったが、『番解消の魔法』発動後は、彼女たちのヴィクトリアへの恨みの感情の大部分が消え、魔法が使えるようになった。
学校環境を整えるなどして頑張っている最中だが、獣人たちの識字率はまだまだ低く、文字を使って仕事ができる者も限られていて、そのためにヴィクトリアは「国」の重要な案件を含む書類と格闘する、とても忙しい日々を過ごしていた。
あの日ジュリアスから、『国を作ってほしい』と頼まれて以降、色々なことがあった。
様々な問題を乗り越えつつ、もちろん言い出したジュリアスやキャンベル伯爵家の協力も得て、時には反対する人間たちとの血なまぐさい衝突も皆無だったわけではないが、苦しみを乗り越えて、ヴィクトリアたちは国を作った。
この大魔王じゃなくて獣人王シド率いる獣人の里と周辺一帯の魔の森は、悲願叶い、「獣人の国」として人間社会からの独立を果たしている。
「まあいいんじゃないか」
書類を読み条件を確認したシドがそう言った。
「良いなら一番下の欄にサインをしておいてくれる? あっ! あなたのサインが必要なものが他にもあるのよ。ええと、これと、これと…… これもそうね。あとこれも――――」
「ヴィクトリア」
ふよふよと次々に書類を空中に浮かせて机回りのことばかり気にしていたヴィクトリアは、気付けばいつの間にか瞬間移動ばりの高速でそばに来ていたシドに抱きすくめられていた。
「今日の仕事はもう終わりだ」
「ちょっと、待っ…… んーっ!」
シドの口付けにヴィクトリアは腰砕けになってしまい、とろんとした目付きでシドを見上げた。
「全く書類書類と面倒な毎日だ。こんなことならお前の制止を振り切ってさっさと世界征服しておけば良かった」
建国にあたり、幾度も困難な場面に遭遇する度にシドは舌打ちして「世界征服」と言い出していたので、ヴィクトリアは毎回青褪めながらそれを止めていた。
族長の頃、やろうと思えばできたのに世界征服しなかったのは、ただ面倒だったかららしい。
「駄目よシド」
「わかってる。お前の望まないことはしないさ」
シドは、彼の至高の存在であるヴィクトリアの望みは、結構わりとなんでも受け入れてくれる。
しかし、一歩間違ってヴィクトリアが世界の破滅でも願ってしまったら、シドは躊躇なく世界を滅ぼすのかもしれないと思うと、それはそれで恐ろしい部分はあった。
「ま、待って……! この後引き渡しの立ち会いが……」
「そんな雑用はあのクソ美形に全部やらせておけば良い。俺の相手をするのもの立派な王妃の仕事だろうが」
シドはジュリアスのことを「クソ美形」と呼ぶが、貶しているのか褒めているのかわからないなと時々思う。
執務室でエロエロする流れになりそうで、ヴィクトリアも抗いきれずにそれに乗っかりそうだったが――――
「お父さま! お母さま!」
幼い子供の声が外から聞こえてきた。
以前のシドはヴィクトリアとの子供はいらないという考えだったが、魔法が使えるようになってから、「妊娠出産中に何があっても大丈夫!」と説得し、現在一粒種を授かっている。
「お待ち下さい!」
シドに似てわんぱくなその子は、子守役の制止を振り切って執務室の扉をバーン! と開けた。
しかしその時には、子供に如何わしい場面を見せてはならないと思ったヴィクトリアの転移魔法により、二人は鍵付きの部屋の寝台上に移っていた。
鍵が付いているのは子供に突撃されないためであり、ヴィクトリアはもう昔のように、シドを恐れて鍵を使ったり、シドの顔色を窺いながら窮屈な生活を送る必要はなかった。
国を動かす仕事は責任も重大だし難しい場面も多くて、大変な毎日ではあるが、この国が存続していくことにはきっと意義があると思うから、これからも精一杯頑張るつもりだ。
何より、ヴィクトリアには最強の男が付いている。怖いものはない。
シドは義父で、人殺しで、女性経験も星の数で、その女たちとの間に子供もたくさんいて、かつてヴィクトリアを苦しめていたとんてもない男である。
(でも――――)
「あなたのすべてを愛してる」
ヴィクトリアがいつものように愛を伝えると、シドが嬉しそうに笑った。
ヴィクトリアはシドのその笑顔をとても深く愛している。
シドが唇を合わせてきたので、ヴィクトリアは目を閉じてそれを受け入れた。
「ヴィクトリア、愛してる」
「シド……」
ヴィクトリアは請われるまま、そして自らも望んで、彼女の唯一無二で最愛の王に、すべてを捧げた。
【シドハッピーエンド 了】
次回短めの共通エピローグで完結です