おまけ バージンロード
前話のアルベールハッピーエンド最終話を読んでからお読みください
「おはようございます。娘さんをください」
公爵家の跡取りである少年は今日も今日とて、食卓を囲もうとする一家団欒の場に朝一からやって来ては、婚約の了承を貰おうとする。
婚約を申し込んで最初の頃は、『おはようございますお義父様!』と挨拶すると、完全無視されていたので、そこらへんは少年もフレキシブルな対応を心掛けている。
アルベールはヴィクトリアの魔法で容姿を別のものに替えていた。
最近は伊達眼鏡をかけるスタイルがお気に入りで、食卓における一家の大黒柱席に着いていたアルベールは、愛妻の淹れてくれた紅茶を啜りながら新聞を広げ、優雅な朝のひとときを過ごしていたが、毎度毎度な闖入者の存在を受けて、新聞に落としていた視線を上げた。
アルベールは優雅な雰囲気はそのままに、少年に向かって不自然なほどににっこりと微笑んだ。
「帰れ」
この村の唯一の医者として、人格者であるとまで言われるようになったアルベールは、態度こそは荒げなかったが、少年に対して発する言葉は辛辣だった。
「帰れません」
しかしこの程度の拒絶で引き下がる少年でもない。公爵家に生誕してしまったので、心の中がどうであれ顔に微笑みを浮かべることは造作もない。
お互いに微笑みながらもバチバチと火花でも散ってそうな雰囲気の中、ヴィクトリアの魔法でテーブルに朝食が配膳されていく。
当然のように少年の食事も用意されていて、アルベールは彼が愛娘アンジェの隣に座ることもかなり不本意だったが、「ご飯を一緒に食べるくらい良いじゃないの」という愛妻であり唯一無二の番ヴィクトリアの一言により、アルベールは現状を受け入れるしかない状態だった。
やがて食事が始まるが、隣同士になった娘と少年がテーブルの下でこっそり手を繋いだり、脚を絡ませ合ったりして、いつものようにイチャイチャし出したので、アルベールは思わず持っていた金属製のフォークをバキャリと折ってしまった。
「アル……」
フォークは魔法で直せるが、アンジェと少年の様子にアルベールが逐一反応してカトラリーをバッキバキにしていくので、食事が終わってからまとめて直そうと、ヴィクトリアは予めアルベールの席にカトラリーセットをいくつも用意している。
「ごちそうさまでした」
「よし、帰れ」
「はい、また来ます」
公爵家令息の日常はなかなかにタイトらしく、朝ならば確実に時間が取れると、彼は朝食を別で食べる許可を両親からもらってるらしい。
「ヴィーちゃんの手料理めっちゃ美味いから、またお父ちゃんに作ってな」
「俺のヴィーに馴れ馴れしくするな!」
彼がヴィクトリアの耳元でそう囁くと、距離の近さにアルベールが激高して足蹴りしようとしていたが、彼は蹴りを食らう寸前に、転移魔法で部屋の別の場所に移動した。
魔法を使ったとしてもアルベールの蹴りを避けられるとはなかなかの反射神経だ。ヴィクトリアが少年から聞いた話によると、彼は紛れもなく人間なのだが、稀人という、普通の人間よりも潜在的な戦闘能力が高めな存在なのだそうだ。
「ほなな~ また来るで~ アンちゃん愛してんで~」
黒髪の少年はひらひらと手を振り、本人は本気なのだと思うのだが、なぜか少々遊び人風にも見えてしまうウインクと投げキッスをアンジェに送ってから、今度こそ家に帰った。
「もう来るな!」
少年に惚れているアンジェはポッと頬を赤らめていたが、アルベールは娘をたぶらかしているようなお色気少年に怒りを見せていた。
その後も少年の猛攻は続いた。ある時、ヴィクトリアは『過去視』で、アンジェと少年が家の中で隠れて抱き合いキスしている場面を視てしまった。
アンジェはうっとりとした表情で少年に身を任せていて、少年に完落ちしている様子だった。
両親が婚約を渋ろうとも、二人の恋は既に走り出しているようだった。
ヴィクトリアはアルベールが匂いで気付かないように、魔法で誤魔化すか迷った。
交際に大反対しているアルベールが二人のキスの事実に気付いたら、フォークバキバキどころではなくて、久しぶりに剣を取り出してきて彼を叩き斬ってしまうのではないかと思った。
迷った末に、ヴィクトリアはそのままにしておくことにした。娘大好きお父さんもそろそろ娘離れして、現実と戦わなければならないと思ったからだ。
二人がキスしたことに気付いたアルベールの反応はヴィクトリアの予想とは違った。アルベールは娘がファーストキスを済ませたことに気付くなりフッと意識を失い、その場に昏倒してぶっ倒れていた。
「アンが穢されたぁぁぁ……」
めそめそ泣くアルベールに対し、ヴィクトリアは『自分は薬を盛って私を襲ったくせに何を言っているのかしら』と思わないではなかったが、番が悲しいと自分も悲しいので、よしよしと慰めた。
しかしアルベールの落ち込み具合はヴィクトリアの予想を遥かに超えていた。アルベールは気落ちした状態のまま回復せず、少年の姿を見るたびに泣き出し、食欲も落ち、身だしなみには気を使う人だったのに、寝衣のまま一日過ごすこともあった。
そして、極め付きが精力減退だった。
医院にも本日休診の札ばかり掛かるようになり、急患はこっそりヴィクトリアが魔法でなんとかしていたが、寝込んでばかりいるアルベールの落ち込みはかなり深刻だった。
このままではいけないと思ったヴィクトリアは、ある決断をした。
アンジェを公爵家に出す。
アルベールにとってはかなりの荒療治だが、アンジェと彼を引き離すことはかなり不可能であるし、獣人が公爵家に嫁いで大丈夫なのかという大問題もあるが、驚くことに少年の祖父である公爵家当主は、獣人のアンジェが嫁に来ることを了承しているらしい。
それに彼の魔法があればなんとかやっていけるのではと、ヴィクトリアは楽観的に考える部分もあった。
アンジェが産む子は獣人になるので、ゆくゆくは跡継ぎどうするのか問題が大浮上するだろうが、それは結局の所、公爵家の者たちが考えるべきことであり、ヴィクトリアが今悶々と悩んでいてもどうしようもなかった。
アンジェの幸せを考えに考えた末、ヴィクトリアとしては、何かあったらいつでもここに帰ってきていいからと、二人を信じて送り出す他ないのではという結論だった。
獣人が貴族として生きるなんて大変なことだ。貴族の常識もマナーもヴィクトリアはチンプンカンプンだが、きっと付け焼き刃でどうにかなるものではないだろう。
彼の妻――未来の公爵夫人――として生きるのであれば、早いうちからその環境に慣れさせたほうが良いのではという、心配はありつつもそんな親心も働いた。
アルベールは「アンが行っちゃうなんてイヤダイヤダイヤダ!」と駄々を捏ねていたが、アンジェのためだと説き伏せ、ヴィクトリアが梃子でも動かないと強硬な姿勢を取り続けた所、不承不承ながらも何とかアルベールの承諾を取り付けた。
ひとまず正式な婚約はさせずに婚約者候補として様子見をすることになり、アンジェは行儀見習いのような形で公爵家に滞在することになった。
「いってきます!」
晴れやかな表情で彼と手を携えた娘の、転移魔法での旅立ちを見送り、アルベールは滂沱の涙を流していたが、ヴィクトリアもまた泣いてしまった。
アンジェが行ってしまってからアルベールは文字通り抜け殻となっていたが、数ヶ月過ぎた頃によろよろと重い腰を上げ、医院の仕事を再開していた。
アンジェは時々帰省した。ヴィクトリアはその度に淑女度が上がっていく娘の成長を、嬉しいんだか寂しいんだかな気持ちで見守っている。
本日はアンジェの結婚式だ。アンジェよりも彼の方が一ヶ月ほど誕生日が遅いが、彼が十四歳の成人を迎えたその日に結婚するということで、彼の思いの強さはなかなかに感じた。
式は華麗で煌びやかで精練な雰囲気の漂う都内の教会で盛大に行われた。
「私もこんな素敵な場所で結婚式したかったな……」
純白のウェディングドレスを身にまとい、幸せそうなアンジェを見つめながら、ヴィクトリアがぼそっと呟いたのを聞いた隣のアルベールは、泣きすぎた充血ショボショボお目々のままで、その後しばらく思案顔になっていた。
公爵家の財力を示すような豪華絢爛な結婚披露宴が終わった後、ヴィクトリアたち一家は獣人バレを防ぐためにその日のうちに家に帰る予定だったが、アルベールに「連れて行きたい場所がある」と言われて、寄り道をしてから帰ることになった。
行き先は、昼間アンジェたちが結婚式を挙げた教会だった。
入口にはアンジェと彼の二人が立っていて、これから夫婦水入らずの時間だろうに何をしているのだろうと戸惑ったが、「いいからいいから」と中に引っ張り込まれ、促されるまま姿替えの魔法を解いた後に、ヴィクトリアは彼の魔法で、一転、純白のウェディング姿になっていた。
「えっ?」
花嫁はアンジェだろうに、なぜ自分がこんな姿になっているのかと、ヴィクトリアはやはり思いっきり戸惑ったが、同じように花婿姿になったアルベールからは、一切の戸惑いは見られなかった。
「サプライズよ。お父さんとお母さんは結婚式を挙げてないんでしょう? お父さんの発案よ」
アンジェの説明を受けてアルベールを見れば、彼は慈しむようないつもの優しい微笑みをヴィクトリアに向けている。
「司祭役はうちのお祖父様が務めてくださいます」
彼がそう言った途端、転移魔法で祭壇に司祭が出現したが、よく見れば確かに公爵様だった。
「では諸君、定位置に」
公爵の合図で、アルベールが先に祭壇まで歩き、アンジェは他の子供たちを促して共に席に座り、彼はヴィクトリアの腕を取って、バージンロードを一緒に歩く役を引き受けてくれた。
彼はまだ十四歳だが、体躯が良くスラリと背も高いため、ヴィクトリアのエスコート役には何の遜色もなかった。
「ヴィーちゃん、めっちゃ綺麗や…… 幸せになるんやで…… ああ、もう幸せか」
「……お父様…………」
前世はヴィクトリアの実父だったという彼が口調を変えて語りかけてくる。父親はヴィクトリアが生まれる前に死んでしまったらしく、ヴィクトリアの中にも実父の面影というものはないが、親愛の感じられる彼の言葉からは、家族の絆を確かに感じられた。
彼が魔法で出現させたレースのハンカチでヴィクトリアの涙を拭いてくれる。
「今日は感動の連続やな。ヴィーちゃんは化粧が崩れてもオリちゃんに似た最高の美人や。いくらでも泣いたらええ、何度でも化粧直したるからな」
オリちゃんというのはヴィクトリアの母オリヴィアのことだ。
アンジェの前世は母オリヴィアだそうだが、アンジェが彼と違って前世の記憶を思い出さないこともあって、ヴィクトリアはアンジェに対しては、これまでも母というより娘だと思って接してきた。
けれど振り向くとそこにアンジェがいて、彼女と共に母の魂もそこにあるのだと思うと、ヴィクトリアはとてつもなく安心した。
「よし、これで大丈夫や。ヴィーちゃん、やっぱりめっちゃ綺麗やで」
化粧を直してくれた彼も、目元にうっすらと涙を浮べながら微笑み返してくれた。
「ほな、行こか」
促されたヴィクトリアは顔を上げると、花婿が待つ祭壇までの僅かな道を、彼と一緒に歩いた。
おしまい
これにてアルベールハピエン完全完です。




