101 どうしてもお前に言っておかねばならないことがある
ノエル視点→マクドナルド(三番隊長)視点→アーク視点
長兄ジュリアスが、自身が作り出した闇の中に獣人姫ヴィクトリアと共に入ったことに、ノエルはすぐに気付いた。
「兄さん! 何をするつもりですか!」
ノエルは暗闇の中にいるジュリアスに向かって叫ぶが、当然のように返事はない。
本当は精神感応を使って脳内に直接呼びかけたい所ではあるが、長兄の使ったこの魔法は外側からの魔法の干渉が一切不可能だ。物理的に声をかけた方がまだ聞こえているはずだ。
透視の魔法で闇空間の中を探ると、ヴィクトリアは既にジュリアスの手からシドに奪われていた。
(兄さんはヴィクトリアをシドに渡して一体何がしたいのか……)
嫌な予感しかしない。
「ノエル」
始まってしまったジュリアスとシドとの戦いをハラハラしながら見ていると、未だ意識の戻らないセシルを抱えた父アークが近付いてきた。
「鳥を使ってシリウスを探せ。このままではジュリアスが死ぬと言って必ず呼び戻すんだ」
アークは抱きかかえていたセシルをそのままの状態でノエルの腕に委ねながら、ノエルに長兄の死を予期する言葉を語った。
「わかりました」
ノエルは深刻な顔のままでアークに了承の意を返した。
暗闇の中での戦いは互角のように思えるが、ヴィクトリアを抱えたままのシドは、片腕一本しか使っていない。
シドが本気を出したら、いくら兄弟の中では一番の戦闘技術の高さを誇る長兄でも、流石に命が危ぶまれる。
ただ、不思議なことにジュリアスはシドとの戦闘が始まってから攻撃魔法の類を一度も使っていない。
シドの気が変わらずに腕一本だけで戦っている間に、魔法も使って剣術で押していけばあるいは勝てる可能性も出てくる気がしたが、ジュリアスはそうしない。
ノエルは兄の考えに気付いていた。おそらく最初はヴィクトリアを使ってシドの動きを封じさせた状態で、殺傷能力の高い魔法も使って一気にシドの息の根を止めてしまうつもりだったのだろう。
だがそれではヴィクトリアも巻き込まれて一緒に死ぬ可能性が高い。非情な部分もあるはずの兄は、土壇場で非情になりきれなかったようだ。
勝算がないならひとまず暗闇から出て別の作戦を立てればいいのに、そうしないのはジュリアス自身も意固地になっている部分もあるのかもしれない。
ひょっとすると、最終的には自滅するのも覚悟の上で、シドが確実に死ぬような強力な魔法を暗黒の空間内に展開させるつもりなのではないかと思った。
直前でヴィクトリアを外に出せば、死ぬのはジュリアスとシドだけだ。
(そんなことはさせたくない)
いつもの長兄らしくもなく冷静さに欠けた行動をするのは、次兄シリウスがいないからだ。
シリウスが戻ってきてくれさえすれば、事態は好転していくはずだとノエルは思った。
「父さんは?」
札を取り出して鳥に作り変えているノエルから視線を外し、何かを探すように処刑場広場を見渡しているアークに、ノエルは声をかけた。
「俺は、キャンベル…… フィオナを起こしに行ってくる」
アークが口にしたのは、ジュリアスの婚約者であり恋人である、伯爵令嬢フィオナ・キャンベルの名前だった。
******
「マック隊長! どうしますか!」
「マック隊長!」
三番隊長マクドナルド・オーキットはまだ動ける三番隊の部下たちや、今回のシドの処刑の応援に来ていた四番隊や五番隊の銃騎士たちに囲まれて、声をかけられていた。
輪の中には四番隊長と五番隊長もいるが、彼らは元々は三番隊所属であり、マクドナルドの部下だった。
隊長交代のために誰か良い人材はいないかと相談されて推薦したのだが彼らだった。
一番隊長は貴族や観客たちの避難の誘導にあたっているし、同期でもある二番隊長アークに至っては、先程のシドとの戦闘で腕を吹っ飛ばされて負傷中だ。
今この場にいる上役の中で取りまとめ役はマクドナルドしかいない。
シドが自ら鎖を破壊して暴れ初めた直後は、「絶対にシドを処刑場から出すな!」と仲間を鼓舞していたマクドナルドだったが、その後シドが突然出現した暗黒の闇の中に閉じこめられてしまい、対応を考えあぐねている最中だった。
「ジュリ! 死ぬな! 私を置いて行くな! 私はどうしてもお前に面と向かって言わなければならないことがあるんだ!」
悲痛な叫び声が聞こえてきてそちらに目をやれば、銃騎士隊副総隊長でありジュリアスの親友でもある、美しき銀髪の貴公子ロレンツォ・バルト公爵令息が必死な様子で暗黒の壁を叩き、ジュリアスを愛称で呼びながら語りかけていた。
マクドナルドはロレンツォの発言の内容にぎょっとしていた。
突然出現したこの闇は、魔法使いの一家であるブラッドレイ家の誰かがやったのだろうなとは思っていたが、少し離れた場所にいる一家の面子は父親のアークと三男と意識のない四男の三人だけだ。
次男はシドの処刑前に戦線離脱してこの場にはいないという話だったから、ロレンツォの言動から中にいると思われるジュリアスは、たった一人でシドと戦っていることになる。
(一騎打ちだと? 死ぬぞ…………)
今回のシド捕獲劇は二番隊の中でも特にジュリアスの肝煎り案件だったらしい。
難攻不落と言われていたシドの捕獲を成し遂げた栄誉から一転、拘束を破られたという失態を取り戻すために躍起になっているのかもしれないが、もっと仲間を頼ってくれていいのにと思ってしまう。
もっとも、先程のシドとの戦闘では、自分も含めてジュリアス以外の銃騎士ではシドに全く歯が立たなかった。
閉ざされた闇の中に入ってシドと一対一で戦うのは、銃騎士隊にこれ以上の被害を出さないようにしたいというジュリアスの意図も見え隠れする。
ジュリアスにそんなことをさせてしまう自分の無力さが口惜しいとマクドナルドは思った。
「マクドナルド」
声と共に気配が増えて、離れた場所にいたはずのアークが近くまで来ていたことに気付く。
「お前…… 腕、死んでんじゃねえか?」
アークは瞬間移動の魔法を使ってここまで来たようだが、全く力が入っていない様子で垂れ下がっているアークの利き腕を見たマクドナルドは、思わず呟いていた。
アークは自分の治癒魔法で治療を施したが、完全に元の通りには戻せなかった。
アークはセシルの治療を優先させた結果、もがれた自分の腕の接合には成功したものの、以前と全く同じようには動かせなくなっていた。
「問題ない」
問題なくはないだろうと思ったが、自分のことは後回しにしたいというアークの意図を感じ取ったマクドナルドは黙った。
アークは利き手とは逆の手に出現させた何枚かの札をマクドナルドに押し付けてきた。
「これを持っていれば闇の中が見えるはずだ」
アークに促されて闇空間に視線をやれば、確かに剣を持ったジュリアスと、獣人姫を抱えているシドが戦っている様子が見えた。
「俺はしばらくここを離れる。あとを頼む」
「おいコラ! ちょっと待て!」
マクドナルドは札の説明しかせずに瞬間移動で消え去ろうとするアークを呼び止めようとしたが、アークは問答無用でそのまま消えてしまった。
「おいいいいいいっ! 人の話を聞けーっ!」
制止を聞かずに行ってしまったアークに対して、マクドナルドは額に青筋を浮かべていた。
「相変わらず勝手な野郎だな!」
アークに対して悪態を吐きつつも、マクドナルドは持っていた札を隊長たちや主立った銃騎士たちに渡していった。
「これは…………」
暗闇の中の様子を見た銃騎士が絶句する声が聞こえた。
シドと一対一で戦うなんて、銃騎士隊最強と言われているジュリアスでも、流石に自殺行為だと理解しているようだった。
「すぐに加勢を!」
「駄目だ! この闇色の壁はどうやったって破壊できないぞ!」
「マック隊長! どうしたらいいですか!」
部下たちから指示を仰ぐ声がする。
「待機だ!」
「ですがマック隊長!」
マクドナルドの指示は逃げのようでもあり、血気盛んな銃騎士たちからは反対の声も上がる。
「まだ戦える奴は闇の壁を取り囲んで等間隔で包囲しろ! 壁が消えた時にシドが死んでいなかったら全員で攻撃する! それまでは待て!」
暗黒の壁を壊せるのならとっくにアークがやっているだろう。奴がそれをしなかったということは、現状では壁の向こう側へ行ってジュリアスに助太刀する方法がないということだ。
どこかへ行ってしまったアークはジュリアスを見捨てたのではないと思う。
あの男は一見血も涙もない冷血漢のように見えるが、家族のことは愛している。
理由はわからないが必要があってこの場を離れたのだろう。
魔法使いが作り出したこの闇の壁の向こう側に行くのは困難だと判断したマクドナルドは、隊員たちの体力を温存させることにした。
今は戦いの行方を見守ることしかできないが、ジュリアスがシドに勝ってくれることを信じようと思う。
壁を破壊するために戦力を使うよりは、万が一の際に、ジュリアスの代わりに自分たちがシドを討ち取らなければならないのだと、マクドナルドはその役割を隊員たちに説いた。
ここでシドを取り逃したら大惨事になる。何が何でもこの場でシドの首を斬らなければならないことは、マクドナルドも理解していた。
最後にマクドナルドは、隊員たちの士気を高めるためににこう叫んだ。
「仲間を信じろ! それしかねぇだろ!」
******
アークは海辺に近いキャンベル伯爵家の別荘まで来ていた。
ここにジュリアスの恋人フィオナを眠らせて隠していることは、ジュリアス本人から聞いていた。
そこには、もしも自分が死んだらフィオナを頼むという意味もあった気がする。
ジュリアスは今回の作戦において死を覚悟していたようだった。
別荘には強力な結界の魔法がかかっていて、簡単には中に入り込めない。
本来であれば魔法の効力が切れるまで待つ所ではあるが、そんなには待てない。アークは結界を破るために利き腕を犠牲にした。
元々利き腕はシドにもがれた後に魔法で接合してはしたが、もう思ったようには動かせなくなっていた。
息子を失うことに比べれば、こんな腕ぐらいくれてやるとアークは思っていた。
迷宮の魔法も解いてフィオナが眠る部屋へ辿り着き、最後に眠りの魔法も解いた時には、アークの片腕の大部分は真っ黒焦げになっていた。
「隊、長…………?」
眠りの魔法を解くと程なくフィオナは目を覚ましたが、アークの姿を認めるなり困惑顔になっていた。
きょろきょろとあたりを見回すフィオナは、寝入った時は寮の自分の部屋だったはずなのに、いつの間にか実家の別荘にあるフィオナ用の部屋にいることに気付いたようで、そのことにも驚いていた。
「キャンベル、一緒に来てくれ。このままではジュリアスが死ぬ可能性が高い」
アークは仕事上の理由からフィオナを名字で呼んでいた。
「待て」
アークの言葉に眠気が吹っ飛んだらしいフィオナは、詳細も聞かずに可愛らしい寝間着姿のままで部屋を飛び出していこうとしたが、アークがそれを止めた。
「キャンベル、ジュリアスの所に行く前に、どうしてもお前に言っておかねばならないことがある」




