16 おまじない
| クリスティーナ様がリーゼス王国にお帰りになって、ようやくいつもの日常が帰ってきた。
セルジュとダミアンは無事に魔術師の教師を付けて貰えることになり、セルジュとダミアンが新しい魔術を持ち帰ったことでクリスティーナ様にも味方が増えたようだ。
セルジュとダミアンは恩を感じてくれているようで、よく手紙をくれる。返事を書かないのも悪いので書いているうちになんとなく手紙をやり取りする仲になった。
平穏と共に寒さもやってきて、教会の治療院には体調を崩して薬を求める人が増えてきた。
こちらでは風邪が感染するものという認識があまりなく、手洗いやうがいの習慣がない。
風邪を引いたら、熱冷ましの薬と咳止めを貰って暖かくして寝る、というのが一般的である。
私の地元の町では8年ほど前から教会で、風邪がうつる病気であることが教えられ、うつらないおまじないとして、帰宅時と食事前の洗浄魔法による手洗い、白湯による(生水は絶対に口に入れてはならない)うがいが行われるようになった。
最初は、風邪がどんなものかも理解して貰えず、予防という概念を説明することもできなかった。
基礎知識がないとはこんなに大きな壁になるのかと7歳にして大きな挫折を味わった。
それを解決してくれたのは、商人見習いのジルだった。
「確かにね、みんなのためにした方が良いと言ってるのに、なんでそんなことしなきゃいけないんだって言われるお嬢さんは不憫に思いますよ。
でも、要は手の洗浄とうがいとやらをすれば良いんでしょう?そんなに一生懸命話す必要なんてないんですよ。
簡単なことです。こういえば良いんです。
“良いおまじないを教えましょう。手の洗浄とうがいをすると風邪をひきにくくなるんです。特に家に帰ったときと、食事の前が効果的なんですよ。”とね。」
ジルは言った。
「とりあえず理由なんて良いんですよ。何でだって聞かれてもそう言うおまじないなんだって言えばだいたい半信半疑でやってくれます。
今年風邪を引かなかった人が増えたら、来年からはみんながおまじないを広げてくれますよ。」
発想の転換とは言ったものである。
おまじないですよ。と言っておけばどんな変わった習慣でも半信半疑でしてくれるようになるのは良い教訓である。
なにが言いたいかというと、私は今年から王都の治療院でもこのおまじないを広めようと思っているのである。
研究室で待っていると、団長と副団長がやってきた。
「団長、お疲れ様です。クロード様もお疲れ様です!今日も寒くなりましたね。」
待ちきれなくていつもよりテンションが高くなってしまった。
「落ち着け。」
「落ち着きなさい。何かあった?」
あはは、注意されちゃった…反省。
「特に何もないんですけど、今年も風邪が流行り出したので王都でもおまじないを広めたいなと思ってるんですが、協力してもらえませんか?」
「おまじないとはなんだ?」
あれ?団長は知らないんだっけ?そんなわけないよね?
「予防のために手の洗浄とうがいをすることですけど、団長も毎年してますよね?」
「効果があるからな。あれは呪いなのか?」
「ちゃんと科学的根拠はあるんですけど、おまじないって言った方が普通の人には受け入れられやすいんですよ。」
そんなことよりも、と続ける。
「治療院でも広げたいので、まずは魔術師団で周知してもいいですか?魔術師がそんなの効果ないって否定しちゃうと一般に広がりにくくなるので。」
「そう言う面倒なことは俺には向かないから、クロードに頼め。」
じゃあ任せた。と団長は魔方陣を広げ始めてしまった。
もともとクロード様に相談するつもりだったけど、団長も無責任だね。途中まで自分も聞いたんじゃない。最後まで聞いてくれてもよかったのに。
「副団長、押し付けられちゃいましたね。なんか…私のせいじゃない気もしますけど、すみません。」
「いいよ。こっちこそディナンがごめんね。」とクロード様も苦笑いだ。
「こっちで打ち合わせしようか。」ミーティング用のソファーに座り、ふっと表情を緩めてクロード様が言う。
くたびれた制服姿でも心臓に悪い。
クロード様と二人で話すのは久しぶりだ。少し顔が熱くなってしまったので、真面目な話をするんだからと気合いを入れて話し出す。
「王都は人口が多いので込み合う場所が多いから田舎より風邪が流行りやすいんです。本当は少しでも早くそう言う知識を拡げたいんですけど、一気にすると逆に混乱を招くので、今年はお呪いから導入していきたいと思っています。
それで、前に町で拡げたように、風邪で治療院に来た患者さんと教会の学校の子供達にお呪いを教えていきたいんです。」
「それは理解した。」
「その際、せっかく治療院で患者さんに教えても、他の魔術師が否定すると否定する噂も拡がるので実際に試す人が減って効果が期待出来なくなります。
なので、魔術師の中で否定する人がでないように権力のある人からお呪いを拡げて欲しいんです。」
「君が説明するのでは不都合があるってこと?」
「そうです。信用が違うんです。最初が肝心なので、権力でもなんでも使って、とりあえず実行させる力が欲しいんです。
結果が出ればあとは勝手に拡がるので、最初だけ協力してもらえませんか?」
クロード様は少し考えていたけれど申し訳なさそうに言った。
「理解はしたけどちょっと難しいな。」
うん。そうかもしれない。権力ってこんなに簡単に使って良いものじゃないものね。
「まず、君の提案だと人手が足りない。魔術師団内に周知するのも全員が集まる機会もないからなかなか難しいし、王都全体の教会にいる治療院専属の魔術師に周知する時間もない。規模が大きくなるから足並みを揃えるのが一番の難題になる。権力ってそれなりに反発があるから、権力を使うならしっかり時間をかけないと不要な混乱がおきる。」
なるほど。さすがクロード様だ。
「そうですね。ちょっと焦りすぎました。副団長はどのくらいの規模なら混乱せずに始められると思いますか?」
「そうだな。教会ひとつか二つ分の地域からがいいんじゃないかな。うまく行けばそこから拡がるし、拡がる頃には少くても団内に顔を出す魔術師には“おまじない”が拡がると思う。それに自分がどこかで仕入れた噂の方が納得しやすい。」
そうかもしれない。
「そうしてみます。私が行ってる教会の治療院と学校なら神父様も先生も顔馴染みなので、そこから始めることにします。」
よし!っと思わず笑顔でガッツポーズをしてしまった。
それを見たクロード様が小さく笑った。恥ずかしい…。
「こっちもディナンと知り合いから拡げていくよ。」と言ってくれた。
「クロード様、ありがとうございました。」
私は恥ずかしさを隠すようにお礼を言って、いつのまにか来ていたレックスといつものように研究を始めた。