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童話集

悪魔の残した歌

作者: 矢久 勝基

 リナは悪者が嫌いでした。

 なんで悪い事をしたり、ひどいことばかりを言うんだろう。ヒロインたちはあんなに一生懸命がんばっているのに。

 だから、リナはいつだってヒロインたちを応援したし、自分もいつか美しくてかっこいいあのヒロインたちのようになりたいと思っていました。

 そしてとうとう、リナは一つ、ヒロインに近づいたのです。


 悪者は、いつも物を壊したり、怒鳴ったり、絶望するようなことばかり言う悪魔。

 世界などつまらない。どれだけ努力したって、いい思いができるのは偉い人やお金持ちだけだ。どれだけがんばったって、力のあるヤツラには勝てない。力がなければ、自分の信じるところを進むことはできない。

 そう言いながら、自分では何も努力していなかった悪魔。酒を呑んでは、死んだ魚のような目でみんなを怖がらせていた悪魔……。

 リナは、その悪者をやっつけたのです。当たり前でした。正義のヒロインは、どんなに傷ついても希望を忘れず、最後には必ず勝つのですから。

「なぜ、オレをやっつけようと思ったんだい?」

 リナの脇で横たわる悪魔は尋ねました。リナは迷わず答えます。

「だって、悪者だから」

「ははっ、悪者か」

 悪魔は、自分がどれだけ周りの人に迷惑だったか、いくつも思い出していきます。

 いくつも、いくつもいくつも……。

 家を貧乏にして、他人に苦労させて、自分がうまくいかないことを人のせいにして、自分を疑って、世の中の悪口ばかりを言っていたこと。

「悪者だな……」

「リナは正義のヒロインなの。悪者をやっつけて世界を平和にするのよ」

 自分が正義であることを信じて疑わない透き通った目が、悪魔を見下ろしていました。

 悪魔は、笑いません。怒りもしません。ただ、その瞳に少し懐かしさを覚えます。

「……リナはずっとずっと、正義のヒロインでいられるかな」

「うん。リナはずっと希望のために戦う」

「そうか」

 この悪魔も、小さな頃はヒーローになりたいとずっと願っていました。

 希望に燃え、大きな大きな夢を見て、空さえも飛びまわろうと目を輝かせていたのです。

 でも、彼が勝利することはありませんでした。一度も……一度も。

 あちらで叩かれこちらで蹴られ、否定され無視されて、誰も悪魔の思う世界を受け入れることはありませんでした。いくら努力しても、いくら積み上げても……誰も彼の夢を知ることはありませんでした。

 それが、何年も何年も続きました。

 十年も、二十年も、続きました。

 いつからか、希望を語ることを忘れ、夢は空を覆い隠すほどの黒い霧となって、悪魔にのしかかっていたのです。

「オレは負けた」

 悪魔はどこからともなく、空まで積み上がらんばかりの紙の束を表し、示しました。

「負けて悪魔となり、悪魔の心がオレを悪者にした」

 それらは、歌でした。数え切れないほどの歌が……空まで届かんばかりの歌が、人知れず、紙の束にしまわれていたのです。

 悪魔は、たくさん、たくさん、歌を書きました。どれだけ描いたでしょう。しかし、その一つとして、街にその旋律が響いたことはありません。リナも、この悪魔がここまで何かを積み重ねていることを、まったく知りませんでした。

「リナよ。お前には才能がある。しかし、お前が飛び込む世界がどの世界でも、ヒロインとなろうとすれば、負け続けるだろう」

 勝敗のない世界で生きるなら、人は負けません。しかし一たび夢を抱けば、必ず勝敗があります。

 才能があるからといって、すぐに成果が出るわけではなく、才能があるからといって、必ずしも成果が出るわけではないのです。

「悪魔は負けた者に手招きをするのだ。そして耳元で囁く。「あきらめろ」と。「お前に才能などはないのだ。あきらめれば楽になる」と……」

 楽になり、虚無が残る。……悪魔は寂しがりやです。自分の通ってきた道と同じ道を通ってくれなければ悔しいし寂しい。だから、絶望を囁いては、仲間を増やそうとします。

「お前はそれに勝てるか」

「うん。勝てる」

 リナはすぐに頷きました。当たり前です。正義のヒロインが、悪魔に負けることなど、あってはなりません。

 悪魔は幼い頃に見た、鏡の向こうの自分を思い出しました。

 頼りない……負けることをまだ知らないまっすぐな瞳……。

 それはまぶしくてまぶしくて……思い出した悪魔は、少し腹立たしくも思いました。多くの悪魔が、この光を消したくてたまらなくなる理由が、今なら分かります。

 やはり、自分は嫌な悪魔となってしまったのでしょう。やられてしまってよかったと、自分を見下ろすリナを見上げ……そして心配にもなりました。リナは、自分のような悪魔たちに鼻をつままれながら、飛び込んだ世界で、幾度となく負けて傷つくのでしょう。

 悪魔は思いました。

 やめとけ……というのが悪魔なのか。

 行け……というのが悪魔なのか。


「行け」

 それがどちらも悪魔だと気づいた時、彼は言いました。

「リナよ。お前がヒロインでいたいのなら、負けに勝ち続けなければならない」

「負けに……勝つの?」

「負けは負けじゃない。負けに負けることが、本当の負けなんだ。負けに負けた者が、オレのような悪魔となってしまう」

 悪魔は、まるで賢者であるかのように絶望を吐きます。世の中に希望などはないのだと、すべてを見てきたような目をして言うから、本当のことのように聞こえるのです。

 本当は、その先があるのかもしれない。……それは、悪魔がまだ見たこともない、青い、蒼い、広大な空。

「オレをやっつけた、今の気持ちを絶対に忘れてはならない。お前は……お前だけは、負けに勝ち続けてほしい」

 悪魔は続けます。

「そして、オレのように悪魔に堕ちた者たちを救ってほしい。負けの先に、勝ちがあることを、見せてほしい」

 この悪魔も、そういうヒーローになりたかった。リナのような目をして、世界に羽ばたこうとしていました。

 しかし敗北の爪は、もう首元に突き刺さっています。もう、空を飛ぶことはできません。

「負けても負けても……その負けに勝ち続けてほしい」

 そうなれば多くの悪魔は悔しがるでしょう。躍起になって仲間にしようと手を伸ばしてくるはずです。

 その爪が届かないところまで……勝ち続けてほしい。

 ……しかしそれは、もっとも悪魔の考え方かもしれません。だって、苦しめと言ってるんですから。

 苦しんで、苦しんで、悪魔が手の届かないところまで突き抜けるには、戦い続けなければならない。傷つき続けなければなりません。だけど……

「そんなお前が、いつかどこかで本当に勝った時……悪魔たちは、悪者と成り下がったことを後悔するだろう。俺のような悪者を本当の意味でやっつけたいのなら、お前はたとえ負け続けても、それに勝って、いつか本当に勝たなければならないんだ」

「……」

「そしてそれこそ……悪魔たちが、いつしか忘れてしまった希望となる」

 その爪が、リナを止めることをあきらめた時、悪魔は、きっと気づくだろう。自分は世界を知ったのではなく、ただ負けに負けたのだということを。自分を悪魔にしてしまったのは、自分自身であったということを。

「悪魔を……救ってやってくれ」

 悪魔の目に浮かぶ涙。そして、二人の間に流れてきた一つの歌。

 希望を紡ぐ歌が……空気に交じって、二人の首筋をなでました。

 それは、夢を追い続け、敗れた男が、悪魔となるまで描き続けてきた、空へと飛び立つための歌……。

 やはり頼りない、しかし輝くような詩と旋律が……二人を包みます。

「リナよ。オレはお前にこの歌を贈る。世界中でお前だけがこの歌を知っている。オレはこの程度の歌しか残せなかったが、お前が負けに打ち克った時、奏でる音はきっともっともっとすばらしいはずだ」

 だからがんばれ。……悪魔は、息絶える直前に、そういう言葉を残しました。


 リナは、難しいことはまだ分かりません。

 だけど、悪魔の残した歌は空へ届くほどの紙の束となって、彼女の心に残りました。


 がんばれは、悪魔の言葉かもしれません。

 だけど、がんばる先にしか、負けに勝つ方法はない。

 絶望を吐き希望を枯らす悪魔。希望を語りイバラの道を勧める悪魔。……本当の悪魔はどちらなのか……リナはこれから、自分なりの答えを出すこととなるのでしょう。


 彼女の目は今、空に向かって輝いています。

娘が、夢を追うようになるかは知りませんが、負けに負けてほしくないというのは、それに限らず、親心ではないでしょうか。

今は世の中を何も知らず、短い腕の届く範囲で笑って泣いてる娘たち。

彼女らを待ち受ける困難に、その目が曇らぬよう、祈る毎日です。

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― 新着の感想 ―
[一言] いろいろと考えさせられるお話でした。 でもいろいろ考えることが大事なのかなと思わせてくれるお話だったとも思うのです!
2023/05/12 21:09 退会済み
管理
[良い点] また答えの出ない難しいテーマを取り上げたなあ。 大人向けの童話だね。 子供はまっすぐ夢を追えば良い。でも躓いたときに思い返して欲しい話。 [気になる点] 難しいのが「負けに勝ち続けた先」に…
[良い点] わかりやすく、読みやすいです。 娘さんに向けて執筆されたことにも好感が持てます。 やはり童話はターゲット層が明確な方がよいのですね。勉強になります。 ふしぎの国のアリスも幼い女の子のために…
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