133.神の運命、人の可能性
地上に顕現した暗黒神ヤルダバオトと、タダシの生やした世界樹との戦い。
それはまさに、神話そのものであった。
人とは異なる次元で、タダシ達の戦いを見守っていた始まりの女神アリア様は言った。
「これは、勝ちましたね」
アヴェスター大陸の地中に潜み、この世界を荒廃させ続けてきた暗黒神ヤルダバオトが一万年ならば、この世界を創造した始まりの女神アリアは数万年の昔より世界の趨勢を見守り続けてきたのだ。
様々な神話を超えて、始まりの女神アリアが見守ってきた永劫の時を思えば、この長きに渡った戦いも歴史の一ページに過ぎない。
「やったぞタダシ! そこじゃー!」
今回の功労者である農業の神クロノス様は、タダシが出した樹木と暗黒神ヤルダバオトの触手のような腕がガッチリと組み合っているのを、拳を握りしめて観戦している。
「ああいう手合と直接やりあわんとは、タダシらしい活躍じゃがさて」
鍛冶の神バルカン様が腕組みして面白そうに言う。
「魔木は本来世界樹だったのですね。タダシのおかげで、大地の穢れが払われて、この世界はあるべき実りを取り戻せそうです」
癒やしの女神エリシアは、両手を合わせて嬉しそうに言う。
最初は互角だった暗黒神の触手と、タダシの世界樹の戦いは次第にタダシが優勢になってきている。
なにせ、本来ならば世界に一本の世界樹を、タダシは何本も生やしているのだ。
四方八方から生えてくる枝に取り囲まれて、暗黒神ヤルダバオトは次第に身動きが取れなくなっていく。
「うちが与えた『神の見えざる眼』をよく活用しているようやな。それでこそや!」
眼の良さを活かし的確に相手の死角を狙う攻撃に、知恵の女神ミヤ様が満足そうにうなずく。
「戦は地の利を得たものが勝つ! そこだタダシ、関節技を決めろ!」
英雄の神ヘルケバリツ様が、興奮して剣を振り回しながら叫んでいる。
一方、悔しそうにしているのは反逆した神々だ。
「何をやっているのだ暗黒神ヤルダバオトは、顕現した神がこの体たらくとは!」
憤怒の形相で、闘争の神ヴォーダンは叫ぶ。
「これでは、私が新しい主神になれぬではありませんか」
歓喜の神ディオニュソスは落胆して言う。
「何を、主神になるのは俺だぞディオニュソス!」
「私は眷属である魔王を捧げたのですよ!」
「俺だって皇帝家の一族郎党ごと捧げたわ!」
「数の問題ではありません!」
「なにを言うか!」
「この!」
取っ組み合いになっている、闘争の神ヴォーダンと歓喜の神ディオニュソスに腐敗の神ゲデが言う。
「グブブ……神ともあろうものが醜い争いは止めぬか。まだ負けたと決まったわけではない」
「そ、そうだった。いくら世界樹の枝が取り付こうと無駄、地上に顕現した神を滅ぼすことなど不可能であるから!」
いつかは、タダシの世界樹も息切れするはず。
持久戦に持ち込めば必ず勝てると、闘争の神ヴォーダン達は気を取り直す。
そんな反逆の六神に向けて、始まりの女神アリアは言った。
「貴方達、今ならこちらに戻ってきても構いませんよ。そこにいては、やがて暗黒神ヤルダバオトとともに永劫の牢獄へと封じられます」
たとえ不滅の存在である神でも、世界最終戦争に負けて永劫の牢獄へと囚われれば、それは神にとって死に等しい。
その言葉に、じっと自らの杖の先にある運命の輪を見ていた幸運の女神フォルトゥナ様が言う。
「私達を許してくださると?」
「ええ、幸運の女神フォルトゥナ。貴方達が信徒を人質に取られて従わされていたのは存じてます」
それも、アヴェスター大陸の至るところでタダシ達の軍に救われて、もはや人質の用をなしていない。
幸運の女神フォルトゥナは言う。
「運命の輪は、暗黒神ヤルダバオトの勝利を指しております。しかし、どうしますかお二方」
大海の神ポセイドン様は白い髭をさすりながら言う。
「いくかディアベル。ワシは、最初からあいつらのやり方が気に食わん」
魔族の神ディアベル様が、それにうなずいて答える。
「今頃になってしまったが、恥を忍んでアリア様の下に帰らせてもらおう……」
三人の神々は、始まりの女神アリア様の下に戻ろうとする。
それを遮って闘争の神ヴォーダンが言った。
「バカな! 幸運の女神フォルトゥナ! 運命の輪は暗黒神ヤルダバオトの勝利を定めているのだろう。何故いまさら負ける側に付く!」
三人は顔を見合わせるが、そのまま去っていく。
それに代わり、始まりの女神アリア様が言う。
「愚かなる三神よ。神の定めた運命など、人の子の持つ無限の可能性の前には無力なもの。そんなことも忘れてしまったのですか?」
「なんだと……」
地上では、幸運の女神フォルトゥナ様達が始まりの女神アリア様の下に戻ったために、さらに力を増したタダシの世界樹が暗黒神ヤルダバオトを圧倒していた。
※※※
自らも世界樹の枝に乗って浮上するタダシは、自らの身に神力が集まっていることを感じていた。
「神様達、どうかこいつを持ち上げる力を貸してください、うぉおおおおお!」
あらゆる神話において世界樹は一本と決まっている。
しかし、農業の神の加護がオーバーフローしているタダシは多数の世界樹を育てている。
これには地上に顕現した暗黒神ヤルダバオトもたまらず、四方八方から迫りくる世界樹の枝に取り囲まれて、そのまま空へと引きずり上げられる。
暗黒神ヤルダバオトがいくら暴れても、自らの多数の腕や触手に絡みついた枝は振りほどけない。
それどころか、莫大な神力を注がれて伸びる世界樹の成長速度は指数関数的にその速度を増大させていく。
「ぬううう! だがこんなことをしてなんになるか、我は地上に降り立った神! 絶対的な不滅の存在ぞ!」
大気を震わせる暗黒神ヤルダバオトの大声に負けずにタダシは叫ぶ。
「この星を枯らせる寄生虫を排除するだけだ!」
「たかが人間ごときが! 神である我を、寄生虫だとぉおお!」
「暗黒神ヤルダバオト! この星は、お前を生み出すための卵なんかじゃない!」
タダシに向かい暗黒の触手を伸ばす暗黒神ヤルダバオトだが、その全ては白銀の光によって遮られる。
「なんだこの光は!」
「みんなが、この星そのものが生きたがっているんだ! お前はこの世界からいなくなれ!」
ゴゴゴゴゴゴゴッ……。
凄まじい勢いで成層圏を突き抜けていくタダシと暗黒神ヤルダバオト、荒れ狂う風が頬をなぶる。
絡み合って伸びる世界樹は、さらに宇宙の彼方を目指して伸びていく。
しかし、この窮地に暗黒神ヤルダバオトは笑い出す。
「フフフッ、愚かな男よ。これで我が、全開で戦っているとでも思っていたのか?」
「何っ!」
完全に抑え込まれていた暗黒神ヤルダバオトが、さらに瘴気の力を増大させて世界樹の枝を崩していく。
「これぞ真なる神の力。これまで溜め込んだ闇の神力を、五百倍にまで増大させたぞ!」
「五百倍だと!」
それは、三百人を超える妻を娶り、その全てに神の加護を与えて、人の繋がりで神力のオーバーフローを起こしたタダシの神力をも超えた力だった。
「救世主! 人の身にして神をここまで追い詰めるとは、よくやったと褒めてやろう。だが、それもここまで!」
常識を覆す活躍ぶりではあったが、世界の滅びの運命を覆すにはあと一歩足りなかった。
地上に降臨した神、暗黒神ヤルダバオトはそれにも勝る暗黒の力を発揮する。
「ぐっ!」
空気の薄い成層圏を越えて、宇宙に向けて登っていくなかで、世界樹の檻より抜けた暗黒神ヤルダバオトは、暗黒の手を伸ばしてタダシを掴み上げる。
「光栄に思うのだな! これは本来であれば、神々もろともこの星を滅ぼすための力だったのだ。我が神力の最後の一滴まで振り絞って、お前を撃つ!」
「うぁああああ!」
タダシを守るように重なる世界樹の枝を吹き飛ばし、白銀の光も瘴気によって侵食してタダシを掴み上げる。
「勝ったぞ!」
暗黒神ヤルダバオトが勝利を確信した、その時――
地上では、聖王女アナスタシアやイセリナ達が、必死に神々への祈りを捧げている。
「ああ、タダシ様の力が闇に押し込まれている。私達に、もう少し力があれば……」
あと一歩、力が及ばない。
後少し何かが……。
そこで、マールが抱いていた、タダシの赤子、リョウとミライが両手を広げて騒ぎ始めた。
「あー! あー!」
「あだー! あだー!」
マールが慌ててあやす。
「よしよし、どうしたの?」
しかし、あやしても泣き止むどころか、その声は他のタダシの赤子達にも連鎖し、みんな一斉に天に向かって泣き始めた。
より良き未来を作れと、タダシに願われて生まれた長男リョウと、長女ミライを中心に、それは大きな光の波の輪となって、周りに広がる。
イセリナが言う。
「アナスタシア様、お腹が光っていますよ」
「えっ?」
お腹が光り輝いているものは、聖女王アナスタシアだけではなかった。
新しく妻となった、ノエラの親衛隊達に至るまで、多くの者がお腹を光り輝かせている。
まどろみの眠りの中にありながら、母を慕う子の光。
その暖かな光は、世界樹を通して父親のタダシの元へと上昇していく。
「これって、もしかして……」
――その光は、タダシにさらなる力を与えた。
「なんだと……なんだこれは、何が起こっている!」
暗黒神ヤルダバオトの瘴気の力は、土壇場でタダシをほんの少し凌駕して勝利するはずであった。
最初から勝利できるように、一万年の時をかけて神の運命に従ってやってきたのだ。
しかし、これまで想定してきたシナリオと違った現象に、ここで本当に暗黒神ヤルダバオトの顔から余裕の色が消えた。
神々の力をさらに倍増させたタダシは、暗黒神ヤルダバオトの瘴気をはねのけて、再び暗黒神ヤルダバオトを世界樹の檻へと閉じ込めていった。
「聞こえないのか。この星に生まれた子供達、これから生まれる命の声を……」
「まだ生まれてない子供の分の加護まで、お前は力とするのか!」
暗黒神ヤルダバオトが過去の力によって立つなら、大野タダシは未来の力によって立つ。
いや、驚愕するヤルダバオトはそんなことより、妻が三百人以上もありえないが、この土壇場にお前はどんだけ子供作ってるねんとツッコみたかったかもしれない。
それは、暗黒神ヤルダバオトの想定外。
「暗黒神ヤルダバオト! 復活でもなんでも好きにするがいい! だが、この星を大地を、世界を滅ぼすことなど俺が絶対に許さない!」
この間にも、暗黒神ヤルダバオトを乗せた世界樹は速度を上げている。
大気は薄くなり、暗黒神ヤルダバオトの皮膚がバリバリと凍りついていく。
「なんだこれは、冷たい苦しい。絶対不滅の神の我が身に、何が起こっている!」
「真空の宇宙は、お前が思うほど甘い世界じゃないぞ!」
世界に受肉してしまった神だからこその弱点。
地上の生物である以上、たとえ不死だろうが不滅だろうが宇宙の物理法則には抗えない。
マイナス二百七十度の真空の宇宙。
タダシは、このまま暗黒神ヤルダバオトを宇宙の果てへと弾き飛ばして封印するつもりなのだ。
これまで神であり続けて、宇宙の物理法則に気がついていなかった暗黒神ヤルダバオトはゾッとする。
まるで、植物を枯らす害虫を摘んで捨てるように。
最初からタダシは、宇宙空間に暗黒神ヤルダバオトを排除するつもりだったのだ。
「バカなっ! 人間ごときが神を宇宙に封じるだと! いや、我ら神ですらそんな恐ろしいことは考えようもない。お前は、一体何なのだ!?」
地上に顕現した破滅の神を、世界から排除する存在。
世界を救う転生者。
「俺は大野タダシ、農家だ!」
ふざけるな! と叫ぼうとしたが、暗黒神ヤルダバオトの周りには、もうその叫びを振動させて伝える大気が残っていなかった。
暗黒神ヤルダバオトは、そのまま加速し続けてついに星の重力を越えて脱出速度に達してしまった。
ギリギリのところで地表へと戻っていくタダシを恨めしそうに睨み、最後の神力を振り絞って暗黒の触手を伸ばした暗黒神ヤルダバオトだが、その触手の先まで極限の冷気でガチガチに凍りついてしまう。
引力圏を脱してしまった暗黒神ヤルダバオトは、世界樹の発射台から宇宙へと放出されて恒星を周回する星屑となり、二度とこの世界に戻ることは叶わなかったのだった。




