さらば歴戦の勇者よ
神代直人と平間重助が黒駒勝蔵の事務室を訪れた時、神代はいつになくご機嫌だった。
当初は……。
「親分よ、よくやった!
土方は逆賊で天誅の対象となり果てた。
待った甲斐があった」
「黒駒の親分、感謝してますよ。
やっと、芹沢さんの仇が討てる」
だが、返す言葉は意外なものだった。
「土方が死んだ。
新撰組抹殺作戦は破綻してしもうた……」
勝蔵が何を言ったか、しばらく理解出来なかったが、理解した瞬間神代は激昂した。
「お主ゃ、散々儂を待たせた挙句、先に土方が死ぬたぁ何ちゅう不始末じゃ!
じゃから早よお斬らせろ言うちょったんじゃ!
儂ゃ、お主を許せんのお!」
刀を抜こうとするのを平間重助が必死にしがみついて止める。
止めながら
「一体、奴めに何があったんだべか?
土方がどう死んだっぺか教えてくんろ」
と余裕の無い水戸弁で聞いて来た。
オアフ島ホノルル。
ここにも凶報が届いた。
「土方局長が討ち死に?
榎本さん、何があったんです?」
榎本武揚の顔色が良くない。
周囲は余程衝撃だったのだな、と見ていたが、榎本の内心は
(まさかな?
黒駒の誘いに乗ったのは昨日の事だ。
早過ぎる。
違うだろ、俺が言ったせいじゃ無いだろ?)
と長年の同志を売った後ろめたさが有った。
局長代行の藤田五郎からの報告は、野戦に出た新撰組がハワイアン・リーグ残党に撃たれて死んだ、というものであった。
ハワイ島ヒロの町中に逃げ込んだハワイアン・リーグ残党は百人前後で、第三旅団に投降したり、松平家に出頭したりしたのも含め、全員片付いた。
残り半分の残党は山林に逃げ込み、その後アシュフォードが出した停戦命令に従い第三旅団に投降した。
最後の数十人が停戦も拒否し、ゲリラ戦を続けていた。
第三旅団の若い中隊長が、山狩りに手の空いた新撰組の協力を依頼したのが運命の変換点であった。
越後に飛び地で領土を持っていた桑名藩兵は、戊辰戦争では北越戦争と秋田戦争を戦った為、新撰組との共同戦線は鳥羽伏見の戦い以来無い。
新撰組は路地裏や室内という超近接戦闘では魔物のような強さを発揮するが、野戦では必ずしも強くは無い。
会津戦争母成峠、箱館戦争二股口の戦いで強さを見せていたが、それは新撰組だけでなく他の諸隊との連合軍であった事と、土方歳三個人の戦術指揮能力に依る。
甲州勝沼の戦いでは敗れ、宇都宮城攻略戦では土方が被弾する等、敵陣を攻める戦さは良くも悪くも無い、勇名程に怖くは無いものだった。
桑名系の若い中隊長は、そういう実態を知らず、幕末・戊辰・ハワイでの勇名に期待して協力を依頼したのだった。
土方は新撰組が野戦部隊としては並かそれ以下、訓練された正規軍には及ばない事を知っていたが、武士が頼まれて素気無く断れない。
元々死ぬ気の人間であり、依頼を引き受けた。
もっとも、部下を犬死にさせる気もさらさら無く、銃に持ち替え、着込みの着用を命じた。
ハワイから参加した現地人や少数の白人隊士は、訓練では経験していたが、実戦で近接戦闘用以外の武器を持つのは初めてであった。
新撰組は旧桑名系の中隊と共に山狩りを始める。
室内や路上と違う、長距離からの射撃や、広い範囲での散兵戦法に若いハワイ人隊士が戸惑う。
(この辺り、白人連中は流石だな。
元々奴等の戦い方だけに、全く混乱してない)
と感心しつつ、経験の少ないハワイ人隊士を怒鳴りつけた。
「足を止めるな!
臆病になるなとは言わん。
銃を恐れて当然だ。
それ故に足が止まれば撃たれるぞ」
まだ戸惑っているハワイ人隊士に、土方は刀を抜いて首筋に当てた。
「走らねば俺が斬る。
怖いならいっそ走って撃たれて死ね。
運が良ければ敵を討ち取るだろう。
行け!
さもなくば斬るぞ!」
ハワイ人隊士たちは、背後で刀を持つ鬼の方が怖かったようで、山から撃って来る敵への恐怖は乗り越えたようだ。
「そうだ、行け!
俺ぁお前らの活躍を見届けてやるからよ」
隊士たちが突撃した直後、土方に弾丸が命中する。
第三旅団の真っ青な軍服、新撰組の黒い半袖シャツの中で、首に白い布を巻いた漆黒の長袖軍服の土方は、一見して「この男が指揮官」という出で立ちだった。
「西部を征服した銃」たるウィンチェスターM1873は、騎兵銃タイプの銃身が短いものだったが、ピストルよりも威力はずっと高い。
ウィンチェスター銃の弾丸は、二重の着込みを貫き、土方の身体を抉った。
単発でなく、数人から撃たれて数発が土方を破壊した。
「局長ぉぉぉ!」
「土方さん!」
敵を打ち取った隊士たちが、仁王立ちしている筈の局長が血を流して倒れているのを見て叫ぶ。
「騒ぐな。
首尾はどうだ?」
土方はまだ生きていた。
第三旅団兵士も加わり、急いで比呂城に土方を運び込む。
しかし、負傷兵治療に当たっていた松本良順は、土方の容体を見るなり首を横に振った。
手の施しようが無い。
最早死を待つばかり。
報せを聞き、松平容保が元大名としては相応しく無い慌てた形で駆け込んで来た。
「土方、余が分かるか?」
「会津様、このように見苦しき姿、申し訳なく存じます」
「何を言うか!
そなたは余の配下として京を守り、今まで戦い続けて来た。
礼を言わねばならぬ。
余に出来る事は無い。
せめて最期を看取らせてくれ」
「勿体無いお言葉、忝く存じます。
会津様にお願いしてもよろしいでしょうか?」
「何なりと申すが良い」
「然れば、榎本さんに伝えて頂きたい。
白人の恨みは俺に集中している、俺が死んだ後こそ話を纏める好機だ、と」
(死に臨んでまだそのような事を……)
と容保は思ったが、口にはせず
「相分かった、確かに伝えよう」
とのみ返した。
「斎藤、……いや藤田と原田は居るか?」
「ここに」
「土方さん、俺は生き残ってしまったよ」
「原田は隊を纏めて待機しろ。
斎藤は事の顛末を王国政府と榎本さんに報告し、後は相馬と話して新撰組解散をやってくれ」
「承知」
「分かりましたよ、土方さん」
「面倒な手続きを押し付けてすまん」
そう言うと土方の目蓋が落ちた。
「土方さん!!」
原田左之助の呼びかけに、土方は目を開く事は無く、口だけで
「うるせーよ、原田。
ちょっと近藤さんとこに行って来らぁ。
俺ぁお前らの事なんか待っちゃいねえから、後追って来るんじゃねえぞ、暑苦しい。
後は好きに生きるんだな。
今のが最後の命令だ」
そして、二度と目を開ける事も、言葉を発する事も無くなった。
土方歳三の訃報と、新撰組前局長相馬主計による解散届提出のニュースに、ハワイ王国全島の白人たちは密かに祝宴を挙げたという。
断罪者土方の名は、白人たちには恐怖そのものとして刻み込まれていたのだ。
アシュフォード、ドールの2人も、会議決裂も辞さないという態度を改め、口だけだが土方に対する弔意を述べたりもした。
(土方君が死んだ事で、日本人に対する敵意が一気に消滅した。
もしかして、これを君は望んでいたのか?
だとしたら、俺は……)
悔やむ榎本に別な報せが来た。
「『蟠竜丸』売却の件でイギリス商人が来ました。
応接室にお通ししましたので、すぐにお越し下さい」
土方と並び、戊辰から今回の内戦まで戦い続けた歴戦の勇者「蟠竜」との別れも近づいていた。
「蟠竜」は帆船として使うのがやっと、船体には腐ったり錆びて朽ちている箇所もあり、今後はスクラップとして、機関部は外されて屑鉄として再利用、帆布もまたジーンズというズボンにされたりして再利用、使えない部分は焼却処分となる。
「この艦は我がイギリスのビクトリア女王陛下より日本の大君に送られた王室ヨット。
このような形になりながらも、よく今まで使い続けましたな」
「優美な姿は損なわれてしまいました」
イギリス商人は首を振る。
「いえ、美しい。
働き続け、戦い続けた機械には風格が宿ります。
私にはこの艦は実に美しく、気高く見えます」
「そう言って貰えて嬉しい」
松岡磐吉元艦長がそう応える。
「私はこの『蟠竜丸』艦長を拝命してより、未熟な操船で艦体を傷つけた事は無い。
それが誇りです。
軍艦ですから酷使はしましたが、それでも壊れた場所を直し、雨風に朽ちた所を繕い、労わりながら使って来ました。
傷痕を見るにつけ、思い出が蘇ります。
別れが辛くなりますな」
「作った工廠の作業員が聞いたら喜ぶでしょうな。
艦としてはもうこれ以上は使えませんが、頑丈に作られた部品や構造、機械は別な船や機械に再利用されます。
この艦の魂はいくつかに分かれて受け継がれていきますので、次の活躍をお祈り下さい」
そして「蟠竜」は曳航されながらハワイを離れていった。
数ヶ月後、松岡磐吉の元に記念として「蟠竜」の舵輪が届けられたと言う。
数多の老雄の退場があり、榎本はそれを無駄にしないよう、後腐れを残さない講和を纏め上げようと決意を新たにした。
 




