内戦後のホノルル
この章を始めるにあたり。
ホノルル幕府に行き着くにあたり、第二次蝦夷共和国ではない分岐点を描く必要があります。
必然からですが、このまま榎本無双は出来ません。
榎本も大鳥も限界がある、それが歯止めとして……とこれ以上は書けませんが、そういう事です。
榎本無能とか、その判断おかしいとかツッコミ来そうですが、章末までとりあえずの読了をお願いいたします。
鎌倉時代から有力な武家は、政治の中心地に己の館を持っている。
その土地が手狭になると、将軍の近くに館を置ける事がステータスとなる。
江戸時代になると、己が生活する上屋敷、参勤交代で連れて来た家臣や江戸常在の家臣が住む下屋敷、米や物産の取引を行う大坂蔵屋敷、さらに幕末風雲急の時代には京都藩邸等を置いた。
ハワイに移住した四大名家も、毎年正月には国王に拝謁する為と、商業港から自領の物産を輸出する為、己が滞在するホノルル上屋敷と蔵屋敷を備えていた。
蔵屋敷とは聞こえの良い呼び名で、実際には借り倉庫の事である。
日本時代の格式も加味し、会津23万石、桑名14万石、上総請西1万石、家老としての庄内藩酒井玄蕃家500石の役宅である。
酒井玄蕃の家系は、先祖が5千石の旗本だった事と、亀岡(酒田)城代を勤めた事もあって、本家酒井家17万石の名代と見做されていたが、本人が「これくらいで結構でござる」と敢えて小さな邸宅としていた。
酒井家も小さいが、林家の邸宅も大きくは無い。
軍隊を置ける容量はない、尤も林家は早くに軍隊を切り離したから、形式的な彼の警護役しかいないが。
とは言え大名屋敷であり、広間に貴人接待用の間、座敷牢に警護役の詰め所もあり、東屋では茶会も出来る広さはある。
それ故、会談場所として持ってこいと言えた。
「ドール殿、このような形でお会いするとは思いませんでした」
榎本武揚が、林家内の座敷牢に軟禁されているサンフォード・ドールと面会する。
王の親友であり、林家自体が中立を早くから宣言した為、座敷牢と言いつつ格子のある部屋ではなく、雨戸を閉め、行灯の使用を禁じた薄暗い部屋に住ませているだけだった。
簡単に脱走可能な襖戸を僅かに開けて、明りを室内に入れている。
その戸の傍には監視役が居るが、彼は大刀を差さず、脇差一本を差しただけで正座して半分「護衛」していた。
「罪人だが、礼を尽くし罪人として扱っているように見せない」という配慮はドールにも伝わったらしく、彼は食事と読書に関しては我がままな要求をするも、その他は殊勝に振る舞っていた。
「榎本、何の用だ?」
ドールが髭を撫でながら答える。
伸びたのか縮れたのかよく分からない髭面だ。
「貴方に頼みがあって来た。
私に脅されたって形を取っても良い」
「ほお?
捕虜であるこの私に頼みとは面白い。
一体何かね?」
「今回の乱の顛末をアメリカ本国に送るので、その文章を書いて貰いたい」
「は??」
「貴方の手記を必要としているのだ」
ドールはしばらく考えた。
つまり彼等はアメリカ合衆国を恐れている。
併合派を倒したとは言え、その手法に正当性が無いと見ると、合衆国は「居留民の保護」を名目出兵するだろう。
だから挙兵したハワイアン・リーグの正当性を、幹部であった自分に否定させようと言うのか。
中々曲者だな。
「あ、先に言っておくとアメリカはしばらく出兵出来ないそうだ。
サモアの方で忙しいようで、太平洋艦隊は出て来られない。
何よりこれを読んで欲しい」
10日以上遅れたアメリカ本土の新聞であったが……
「国務省はハワイ併合を否定……。
ハワイアン・リーグとの関係も否定し、王国の主権と王制の存続を確認した……」
「そういう事だ。
我々はある人に教えを受けて、情報を使った戦いが大事であると学んだ。
だから今更貴方に、正当性を否定して貰わなくても結構なんだが……」
「だが、何だ?」
「貴方たちの主張をはっきりした形で示して貰いたい。
アメリカの意向もあるだろう。
何を求めての挙兵だったのか、アメリカへの併合論なのか、それを示してくれないと和議がならない。
我々の和議はアメリカも注目しているのだろう?」
「なるほど……。
アメリカも注視している講和会議だから、我々の主張もクリアにさせておきたいわけか。
ある程度我々の意見も聞き入れての結果なら、アメリカも納得するだろう、と。
だが榎本、私が本当の事を書くと思うのかい?」
「書くさ」
「ほお?
何故そう思うんだ?」
「君が汚職や腐敗を許さない聖職者であり、かつ法に忠実な弁護士だからだよ」
「皮肉か?」
「どう解釈しようが貴方の勝手だ。
とにかく頼みは伝えた。
なんなら『銃剣で王を脅した我々が、日本刀で脅されながらこの弁明書を書いている』とでも書き出せば良いさ」
「ほお、いいね、その文句。
いただいたよ」
榎本はジョン万次郎の待つ執務室に戻った。
脳梗塞で麻痺が残り、頭痛もある万次郎だが、病を押して情報分析を行っている。
知人に頼み込んでアメリカの可能な限りの新聞を購入し、読み込んで分析する。
同様にイギリスからも新聞を購読する。
フランスやドイツのものは、そちらの語学に堪能なものに任せているが、彼は列強諸国の情報解析をしている。
こればかりは武人揃いの旧幕府軍、医師たちには無理な事であった。
榎本もオランダの新聞を取り寄せているが
「もう何十年も使ってないから、忘れてしまった」
と嘆いていた。
「榎本殿、ドールは書くチ言いましたかの?」
「多分書くでしょう。
自分の主義主張をして、法で戦うのが本来の姿なんですから。
土方君に聞きましたが、彼は最後の一線、王を殺させなかったそうです。
身を張って止めていたそうです。
だから土方君も『後々禍になるから殺した方が良い』と言いつつ、斬らずにいるのでしょう。
根の部分で生真面目な本性が出る、だから言いたい事を余さず書いて勝負を挑んで来るでしょうね」
「早くそうして貰いたいもんですろ」
「ええ、まったく」
ここで両者同じ事を言う。
「早く和議を始めないと、新撰組が市中の過激派を狩り尽くしてしまう……」
確かに王を暗殺しようと狙う過激派を取り締まるのは大事だが、新撰組は捕まえるより先に斬り殺す。
王の命をも無視し、土方歳三がそうさせている。
確かにピストルを持って隠れている併合派の残党相手に、まずは捕縛等と悠長な事は言っていられない。
だが、やり過ぎると
『アメリカ国籍を持つ者が、弁護の機会すら与えられずに惨殺されている』
と伝えられ、アメリカが本腰を入れて居留民保護を名目に介入して来る危険性が高い。
併合派残党も身の危険が迫っているから必死で抵抗する。
新撰組を一概に悪いとは言えない。
だから
「ドールとアシュフォードに出頭して貰い、停戦が為され、それを各国領事館が保証する形を取って、安心して併合派残党に出て来て貰いたい」
という事だ。
アシュフォード大佐もまだ山岳に籠って形勢逆転を狙っている。
彼のホノルル・ライフルズを支援する白人はまだ多い。
食糧や武器弾薬、情報をそういうシンパの白人が届けている。
ホノルル・ライフルズの反撃を阻止し、かつホノルル・ライフルズへの補給をさせない為に、第一旅団第二大隊が市内に駐屯しているが、ここの隊長今井信郎は土方歳三同様、京都で治安活動をしていた経歴を持つ。
彼の部隊の中で、その元「京都見廻組」だった者を抽出し、やはり市内においてホノルル・ライフルズを支援する白人を取り締まっている。
新撰組と職分が重なるが、新撰組が専ら倉庫街や中華街付近の治安の悪い地区を担当していて手が離せない為、一見治安も良く普通の市民が暮らしている地区を元「京都見廻組」が監視している。
過激派のシンパが、必ずしも過激とは限らない。
一見普通の市民が、その奥底の感情から過激派を支持している事もある。
元「京都見廻組」は、そういう裕福な市民、普通の商人で密かにホノルル・ライフルズに物資を届けているような者を、既に何人も摘発していた。
彼等にとって幸せなのは、新撰組程苛烈な拷問は加えられなかった事である。
今井は榎本や大鳥に近い場所で長年過ごし、現在の国際情勢等は何となく頭に入っている。
何より「成り上がりの百姓」で「過剰なまでに士道に拘る」新撰組と違い、生まれながらの旗本な為「厳格ではあるが、余裕もある」集団なのだ。
とりあえず、聞いた事に答えれば拷問はしない。
命令に従うならば、一回目は監視付だが釈放もしてくれる。
……まあ、幕末の京都に居た連中だから、甘くはない。
反抗的な態度を取る、「もう彼等を助けないように」という命令を破って二度目に捕まると、大体新撰組と変わらない……。
土方、今井という京都治安活動組の苛烈な行動に対し、日本人の間からも非協力的な者は出ている。
林忠崇は、彼の邸宅に逃げ込んだ者の引き渡しには絶対に応じない。
「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」
と言って守り続けている。
林忠崇は一万石の大名で、土方、今井も文句は言えない。
今一人協力を拒否しているのが黒駒勝蔵であった。
彼の資本は今や、オアフ島にも及んでいる。
黒駒の息のかかった宿や倉庫に匿われた白人たちは、裏稼業の者たちによって守られた。
黒駒一家は王家お墨付きの造幣局関係者となったが、実態はヤクザである。
土方も今井も、勝蔵はともかくその手下相手には強硬に当たる。
ヤクザだってそれに怯んで唯々諾々と命令に従っていては、任侠の名折れであろう。
ここに日本人同士の殺し合いも生まれていた。
意外な事に榎本武揚と黒駒勝蔵は、この件に関して共闘状態にあった。
お互い連絡を取り合っての事ではない。
榎本はアメリカ国籍を持つ者は出来るだけ「無事で居させて、アメリカに付け入る隙を与えたくない」し、黒駒勝蔵はある思惑から白人農園主も実働部隊の人間も無傷で手の内に入れたい。
日本人同士の騒動が起きた時、大体新撰組の方がやり過ぎているので、榎本は
「また黒駒の手下かよ……」
とブツブツ文句を言いつつも、彼等を釈放し、建物を解放させるよう手を打った。
この時期、まだカラカウア王は暗殺の危険からイオラニ宮殿に籠っていて、政務が出来ない。
併合派の大臣や検事副総長等が斬り殺され、またギブソン首相も辞任をした為、政府は機能していない。
カピオラニ王妃、リリウオカラニ王女はいまだイギリスにいて、政務代行も出来ない。
榎本・大鳥の軍政にならざるを得なかった。
榎本は、それはそれで列強から警戒されるかもと思い、チャールズ・リード・ビショップに暫定首相を依頼した。
ビショップは故パウアヒ王女の夫である。
カメハメハ大王最後の血筋、パウアヒ王女は3年前に亡くなり、ビショップはホノルル商工会議所の頭取をしていた。
榎本の依頼のみでなく、商工会議所としても早期の混乱収拾を希望していて、ビショップは暫定政権を作った。
暫定政権に政治を任せる一方で、内戦の処理、治安活動のやり過ぎへの対応、併合派残党との対話等は榎本・大鳥が担う。
榎本は「国際法上問題が無いように」と苦心しているが、今井対アシュフォードはともかく、土方対黒駒の方はホノルル市民の関心の的になるくらい壮絶で、後処理に頭を悩ませていた。
「頭が痛いです。
髭も大分白いのが混ざるようになって来ました……」
と愚痴を零すも、
「なあに、脳を患った儂よりはマシですろ」
とジョン万次郎が仕事をしながら返すので、苦笑いせざるを得ない。
そんな榎本を喜ばせる情報が今井信郎からもたらされた。
「アシュフォード大佐とホノルル・ライフルズ約350名、投降するとの事です。
我々は信用出来ないからアメリカ領事館に入ると言っています。
如何しましょうか?」
「認める!
彼等がアメリカ領事館に入ったら、すぐにアシュフォード大佐に会えるよう手配して欲しい。
あと林家のサンフォード・ドールにも誰か伝えてくれ。
早く和議を結ばねば!」
 




