武器無き戦い
フェアヘブンのホイットフィールド氏宅に、ジョン万次郎からの手紙が届いた。
漂流していた中浜村の漁師・万次郎らを救助し、何かと世話を焼いてくれたウィリアム・ホイットフィールド船長は、前年の1886年に亡くなっている。
日本政府を退官してホノルルに移住していた中浜万次郎は、アメリカ本土へは行きやすくなっていた為、船長が亡くなった後も駆けつけ、遺族を慰められた。
その万次郎からの手紙は
『これから自分は戦いに身を投じる。
不幸にして命を落とすかもしれない。
その意思だけを、恩がある貴方たちに知らせておきたかった』
というものであった。
この手紙がフェアヘブンに届いたのと同時期に、アメリカの各新聞社には「ジョン・マン」名義の意見文が送りつけられていた。
『親愛なる合衆国国民の皆様、私はジョン・マンと言ってかつて合衆国に多大な恩を受けた日本人です。
帰国後、日本開国の為に働き、政府役人ともなりました。
病気となり、政府を退官してハワイ王国に移り住んでいます。
ここは漂流者だった私が、合衆国に移って学校に行く前、一時的に住んでいた懐かしい土地でもあります。
さて、このハワイ王国が危機に瀕しています。
ハワイ王国は二重国籍を認め、農園主となったアメリカ人は選挙権を得て、投票し、また自らも議員となれます。
この中の一部が、国王を脅して憲法を変更し、自らが権力を握ろうとしました。
そして日系移民がそれを阻止しようとし、争いとなりました。
きっと彼等はハワイ王国の中のアメリカ人の危機を訴え、その保護の為に出兵を求めるでしょう。
合衆国はそれに応じないでいただきたい。
ハワイ国王が腐敗し、王の権力の強い現体制に不満があると彼等は言います。
しかし、王を幽閉し、銃剣で脅しながら新憲法を強要した時点で、彼等に正義はありません。
私は、恩のある合衆国が、不正確な情報を元に行動し、歴史に汚名を残す事を恐れます。
どうかこの件を調べていただき、あなた方の判断で暴挙に手を貸す事を止めて下さい』
この文書は、アメリカの各地方紙に送られ、無視する新聞社もあれば掲載する社もあったが、まずはアメリカ人の目に触れた。
新聞について知識が足りず、あっても有力な大手にしか目がいかない日本人の中で、生活経験があるジョン万次郎は
「地方紙ごとに色があり、その地域の情報源となっているから、全てに送るべき」
と判断した。
助手にも手伝って貰いながら、麻痺の残る手で文章を綴った。
ジョン万次郎は、政権寄り、反政権、保守派、進歩的、覇権主義的、大陸への閉鎖主義的と様々に新聞の主張が分かれていても、彼等が望む唯一のものをよく知っている。
売れる記事である。
万次郎は自ら王宮前の戦闘を取材し、その体験談をアメリカの新聞社に、今度は少しずつ情報を変えて送った。
そうでないと、同じ文章ではどこの新聞を買っても同じな為、彼等は有難がらない。
戦闘前の「ある男」の活躍や、戦闘の詳細、それを支える為のホノルル・ライフルズが如何に戦っているか、王の対応、米仏の機関銃対決、そして決定的であった巡洋艦についても情報を視点を変えて、お互いに情報補完となるようにしながら新聞社に送り付けた。
ハワイから本土までの時間差こそあるが、ジョン・マンのレポートはアメリカ国民に届いた。
ジョン・マンのレポートは中立で、何故改革党がカラカウア王を嫌ったのか、その政治や放漫財政についても論評抜きで記載している。
また改革党の最終目的がアメリカ併合であり、合衆国内にもそれを後押しする議員の可能性も指摘していた。
正しい情報を、扱いやすい分量にしながら多くの新聞社に送った為、新聞の複数買いや州を跨いでの情報収集をする者まで現れたくらいであった。
そして大量の正確な情報から、合衆国国民は
「どうもアメリカに対して保守的な宣教師の一団による暴走」
と判断するようになる。
彼等は他国からアメリカに移民して来た者たちであり、
「何故移民先のハワイの為に尽くさない?
併合を前提とした権力奪取など、本国に心を残した者のやる事だ。
しかもそれを議会の多数決ではなく、クーデターで為そうとするとは、これは手を組んではならない相手だ」
と思う。
一方で併合派に同情的な論説もある。
「確かに彼等の行動は、ハワイの文化を認めず、一方的なものだ。
だが、民主主義は絶対であり、貞節や倹約は美徳である。
王がそれを改めない、むしろ逆行させるのならば、実力行使已む無しだ」
過激なものだと
「野蛮な王を幽閉し、彼を脅して憲法を変えて何が悪い?
頭の悪い王しか憲法を変える権限が無いなら、他に手は無いだろう。
そして合衆国は、そうやって領土を拡大させて来た。
今更テキサスやカリフォルニアをメキシコに返せ、それが正義だからとでも言うのか?
拡張は合衆国に与えられた天命である。
天命に逆らわず、併合派の求めに応じようではないか」
このように書いた。
主にタブロイド判であるが。
アメリカ合衆国政府は、アメリカ国籍を有する者の保護を名目に艦隊を出そうとした。
しかし問題が大ありだった。
まず太平洋艦隊、当時は艦隊と言える規模の部隊はなく「戦隊」程度だったが、その艦艇はサモアにおいて現在進行形でドイツ艦隊と睨み合っているのである。
次にアジア戦隊なのだが、ここに所属している艦は老朽化が激しく、また香港からの出発となるのだが、中国の貿易監視の役割上長くは空けられない。
兎に角自国民保護をしないと政府の沽券に関わる為、太平洋戦隊とアジア戦隊から手の空いている艦を引き抜いてホノルルに派遣する事にした。
その頃ホノルルのアメリカ系白人は、日本から来た四大名の1人、林忠崇に保護されていた。
彼は戊辰戦争の折、当主自ら脱藩して新政府軍と戦った経歴を持つ。
そしてそれ故に上総請西藩は許されず、明治において改易となった。
旧家臣の懸命の運動で家名存続は許されたが、林忠崇は70名程の彼に従った家臣と共にハワイ移住となった。
甥で養子の忠弘を当主にした林家では、忠崇は「そんな人居なかった」扱いとなっている。
元々忠崇は、忠弘が幼少だった事から中継ぎで家督を継いでいたのだが。
かつて土方歳三が手紙を届けようとした時も、ここだけは門前払いを食らわせた。
この林忠崇とその家臣70名程は、戦力としては一個小隊程度である。
故に希望者を除いて、最初から旧幕府「軍」には加わっていない。
林忠崇はかつて、将来は江戸幕府の閣老になる器と評されていた。
彼は下手に、榎本武揚や大鳥圭介という才能の下に「元大名」が加わって気を使わせるより、独自の道で「ハワイの為の攘夷」をしようと考えた。
それが農園経営で、この辺は両松平家や酒井家と変わらない。
だが両松平家や酒井家は多数の藩士がそのまま兵士となって軍務もこなしているのに対し、林家は軍隊から離れる。
そして何度も破産しかけ、他の大名家から借金をしたり、白人農園主からも手助けして貰ったりしながら、何とか経営して本国の林家に仕送り出来る資産を築く事に成功する。
上総請西藩は1万石だったが、忠崇脱藩で改易、その後300石として復活するも、すぐに35石取りに減らされた上で秩禄処分。
元家臣には困窮する者も出た為、本家からの支援をして欲しいと1880年頃から仕送りをしていた。
受け取ってはくれたが、感謝の手紙等は一切無かったという。
一度試しに検地をしてみたら、温暖な気候のせいか米は1万2千石と旧大名時代より増えていた。
その上に義務の砂糖栽培や、趣味の果樹栽培等があり、収入は大名時代より多い。
この収入も金に換えねば話にならないが、このオアフ島ではホンマ・カンパニーの訪問を待つより、近隣の白人農園主と付き合って、そちらの商社を使った方が手っ取り早かった。
かくして借りたり貸したりしながら白人農園主と良好な関係を築いていった林家は、1887年の内戦を迎える。
林忠崇は他の日本人には悪いが、最初から中立を決めていた。
それは「攘夷」の考えに基づいている。
適当な所で内戦を止めなければ、藪(ハワイにおける併合派)をつついて蛇(アメリカ合衆国)を出す事態を招きかねない。
軍と距離を置き、白人農園主と付き合うようになって以降、彼はこの考えに辿り着いた。
その事は他の大名家、榎本や大鳥たち陸海軍、さらに土方らも聞いて納得している。
……下手にオアフ島で強硬派になったら、真っ先に攻撃目標とされ、そちらに兵を割かねばならないから、むしろ穏健派でいて貰った方が助かるという判断もあった。
ハワイアン・リーグに加盟した白人農園主の中には、近所づきあいからそうした者や、ノリでやってしまった者も居る。
まさか内戦にまで発展するとは予想外だった。
だから彼等は、林家に駆け込んで仲裁を依頼した。
林家にも実はハワイアン・リーグから「同じ農園主だし、加入しないか? 東洋人だけど君だけ特別扱いにするよ」という誘いがあったと言う。
忠崇は静かに拒絶し、かと言ってこの事を誰にも話すつもりは無いとも言った。
実際林家経由で漏れた情報は無く、白人たちは日本人の中ではこの男を頼る。
「全て承知した。
余は君たちの弁護士となって、日本軍から君たちを守り、財産も奪われないようにしよう。
余も散々諸君たちの世話になった故、恩を返すのはこの時と思う。
だが、諸君たちにも頼みたい事がある」
「何でしょうか?」
「警戒しないで欲しい。
諸君たちと同じように戦意の無い者、あるいは敗れて戦意を失った者を連れて来て欲しい。
全てを罰するのは、あまりにも馬鹿馬鹿しい。
余は自業自得なのだが、他の日本人は正か邪かの余りにも容赦の無い裁きが、会津殿や桑名殿の行き場を無くさせた。
そのような愚を繰り返してはならぬ」
林忠崇のその言葉に、白人農園主たちは安堵した表情を浮かべた。
これなら大丈夫だ。
もしかしたら過激な併合派だった者も許して貰えるかもしれない。
彼等は口々に忠崇に礼を言い、手を取って感謝の意を表し、そして行動に移った。
忠崇はお人よしではない。
かつて「将来の幕閣」と評されたキレ者である。
『ハワイの四に三は白人たちの土地であり、我々日本人も食い込んだが、それでも半分は白人の手で物は動いている。
余りに多くを処罰し、奪ってしまっても、代わる者が居ない。
戊辰の折の極端な賊扱い、さらには大権現様の関ヶ原後の仕置きの激しさは、それをしないと国の財政がもたないからだ。
だがこのハワイの場合は違う。
白人を余りに排除し過ぎると、逆にこの国の財政がもたない。
見極めの難しいところよのお』
忠崇は手を叩き、用人を呼びつける。
「カウアイ島の本間とハワイ島の小野の当主か番頭を呼べ。
御勝手(財政)の事は万事商人と話した方が話が速い。
どうしても許せず、改易になる併合派白人もおろう。
それについて余は口出しせぬが、その土地を如何にすべきか、商人どもの話を聞きたい。
左様申し伝えよ」
用人が出て行き、忠崇はまた沈思する。
(武器を持って戦うは容易い。
しかし戦った後、シコリをなるべく持たせず、多くを得心させるは武器を持たざる戦いだ。
やれやれ、余は場合によっては榎本や大鳥を敵に回して白人どもの弁護をする羽目になるやもしれぬのぉ)




