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比呂城籠城戦

 オアフ島の旧幕府軍対ホノルル・ライフルズの戦いが再開した頃、ハワイ島ヒロにおいても旧会津藩とハワイアン・リーグの戦いが再開された。


 ヴォーバンの『要塞攻囲論』というものがある。

 17世紀のフランスの軍事学者ヴォーバンによる理論で、19世紀にはよく広まっていた。

 簡単に言えば、要塞の射程距離外に包囲するように塹壕を掘って第一平行壕として兵員や物資を集結させる、そこから第二平行壕、第三平行壕と要塞に向けて掘り進み、そこから砲兵支援を受けながら要塞の防御に穴を空けて一点突破するものである。

 塹壕で兵の身を護りながら要塞に近づき、胸壁の爆破なり砲撃での破壊なりをして歩兵突撃をする。

 歩兵、工兵、砲兵の連携を必要とする総合的な攻城戦法である。

 ヴォーバンの理論は知らないが、日本の戦国時代においても、即席塹壕と言える「仕寄」で兵を守りながら城に近づき、大鉄砲なり大筒をもって城門や城壁を破壊、場合によっては鉱夫を使って地下から破壊して兵を突撃させる戦法は存在した。


 知ってはいても、それを実践するとは限らない。

 意外に多くの城や要塞は、歩兵の突撃によって陥落している。

 「強襲」は犠牲を出すが、塹壕を掘り進むよりも遥かに短時間で、金を掛けずに目的を達成出来る。

 砲兵も工兵もそれなりのものを揃えるのは、中々金と時間が掛かるものなのだ。


 砲は6門しかなく兵力も400人程度のハワイアン・リーグのキニー隊は、松平容保の住む比呂城に対し、惣構えによって奇襲を阻まれ、強襲に切り替えるも北出丸・二ノ丸・帯廓による三方からの十字砲火に損害を大きくして失敗していた。

 援軍を得たウィリアム・アンセル・キニーは、包囲した上で砲撃によって開城させるべく作戦を切り替えた。

 比呂城はかつての会津若松城に比べて遥かに小さい。

 惣構えだけはやたら広いが、主郭部分は身の程に合わせてこじんまりと作っていた。

 惣構えの守備隊は全滅している為、キニー隊は堂々と惣構え内に侵入し、大砲を配置した。

 そして主郭、三階建ての東洋風建築に向けて砲撃を始めた。

「これでジャップも一たまりもあるまい。

 中世的な城なんて、火砲の前には無力と知れ」


 比呂城の天守閣代わりの三階櫓だが、そこに松平容保は居なかった。

 20年前に散々砲撃を受けた会津藩は、ハワイに移った時にその意図が意図なだけに、城を作る時も完全に若松城をコピーしただけに留めず、しっかり砲撃対策も行っていた。

 表に見える木造建築群は、心の拠り所であって、燃えてしまっても特に問題は無い。

 無論多層櫓からの多段鉄砲隊は防御上魅力があったが、それは人数が居ればの話である。

 元「玄武隊」や女性たちが大殿の世話をする為に暮らし、いざという時は惣構え内に住まう家臣たちが城に入るのだが、主力部隊は兵として別な場所に勤務している為、織豊式城郭を活かし切る程の人数は居ない。

 故に城の本体は、火山岩を積み上げ、そこを火山灰と水と珊瑚の欠片等を溶かして作った漆喰で固めた「石垣や地下倉庫」の方である。

 大殿と近習が避難し、他は二ノ丸や北出丸の退避壕に籠りながら戦う。

 旧会津藩は、砲撃戦はとっくに経験済みで、これに怯む事は無いのだ。


 ウィリアム・キニーは良い方に誤解している。

 敵は打って出て来ない、即ち砲撃の前に縮こまっている。

 あれだけ建物を穴だらけにされたら、猿の肝も随分冷えた事だろう。

 このまま包囲を続けているだけで十分目的は果たした。

 ホノルル・ライフルズ司令官アシュフォード大佐は「無理して捕獲する事は無い、包囲して生かすも殺すもこちら次第という状況を作れたらそれで十分だ」と話していた。

 あとは解囲に来る援軍を食い止めれば目的は完全に達成される。


 キニーは砲兵と、もしも敵が打って出た時に阻止する抑えの兵100ばかりを置くと、自身は南回りでヒロに達する街道を封鎖すべく向かった。

 道としては広く、開けている北回りの街道はジェームズ・アンダーソン・キングが180ばかりで封鎖している。

 ガトリング砲もあるし、特に問題は無いだろう。

 キニーはこの時の状況を、オアフ島に電信で送った。

 オアフ島の王宮を攻めているハワイアン・リーグの面々は喜び、士気を上げていた。

 だが、しばらくしてオアフ島側の電信が途絶える。

 戦火によってあちこちで断線が起きた為、復旧までハワイ島・オアフ島の連絡は途絶えてしまった。

 プウコホラの要塞からヒロまで、北回りで約160km、南回りは250km超であり、進軍速度から考えて4日は余裕があるだろう。

 これは日本軍が騎兵として行軍した場合で、もしも付近の牧場から馬を調達出来ない場合はもっと遅れる。

 キニーは余裕を持っていた。


 夜になり、キニーの元に残念な報告が入る。

 なんとか復旧した電信がホノルルとヒロとを繋いだが、そこから入った情報はオアフ島の戦いで正規戦に敗れたというものであった。

 アシュフォード大佐の部隊は敗れる事なく、山林地帯に逃げ込み、そちらでの戦闘に移行する。

 アシュフォード兄が指揮していた王宮攻撃軍は完全に敗れ、ホノルル市街に隠れて市街戦に移行する。

 マウイ島の暴動はとっくに鎮圧され、巡洋艦「マウナロア」はオアフ島に帰還、ホノルル港と真珠湾の海上封鎖を行っている。

 唯一の救いは、海上封鎖をしているのが巡洋艦「マウナロア」の他は、いい加減ガタが来ている蒸気コルベット1隻と数隻の帆船だけで、オアフ島の北岸、マヒヌイやカイルア周辺には警備が及んでいない事である。

 そこは港湾として整備されている訳ではないが、少数ずつ残党が船を用意し、ハワイ島に向かうと言う事だ。


「なんて事だ。

 軍の組織を維持しているのは俺たちだけらしいぞ」

 キニーは事態の変化に驚き、北方のキングを呼んで相談した。


「市内に潜む奴らは、隙を見て王や土方らを狙撃する、または王宮に乱入すると言っている。

 そんな戦い方では俺たちは正当性を主張しづらいが、勝つにはもうそれしか無いな。

 やはり俺たちが日本人の王を捕らえて、それを持ってジャップと停戦交渉するしかない。

 あの城に降伏勧告しようと思う」

 キニーのその意見にキングは賛同する。

「可能なら、あの城に籠ろう。

 城に砲やガトリング砲を置けば十分戦える」

「それもそうだな。

 あの城は歩兵だけで攻めると痛い目に遭う。

 それくらい防御が固いから、砲兵を置いて砲撃戦に弱いという欠点を補えば、そう簡単には落ちない」

「ではすぐに降伏勧告の使者を出そう」


 彼等の期待は叶わなかった。

 松平容保も「玄武隊」兵士たちも女たちも、全く戦意が衰えていなかった。

 降伏勧告の使者に対し、流石に蛮風な対応はしなかったが、

「余は一度居城を開城し、家臣たちに恥をかかせてしまった。

 二度目は有り得ない。

 この城が落ちる時は、余が死ぬ時である。

 使者殿にはご苦労であったが、開城はせぬ。

 ここまでご足労いただき感謝する。

 酒肴を土産として送る故、飲食していただきたい」

 そう丁寧に拒絶した。


 酒と酒のつまみを渡されて引き返して来た使者を見て、キニーは大いに不満だった。

(酒や食い物を攻撃側に渡すくらい余裕があると言うのか?)

 砲撃は思ったより全く効果を上げていない。


「仕方が無い。

 増援が来るとしたら早くて明後日だ。

 明日1日であのクソッタレな城を落とそう。

 街道封鎖軍を全て引き揚げ、全軍で城を攻めよう」

 キングが一部修正を加える。

「いやガトリング砲の運搬に時間を掛けるのは好ましくない。

 どうせ明後日には元の位置に戻して敵増援と戦うのだから。

 現在の封鎖陣地には砲の警備と斥候を兼ねて20名程残そう。

 それくらいなら攻城部隊から外しても大きな問題は無いだろう?」




 オアフ島では正規戦が終わった7月3日、キニーとキングは350名程の兵を引き連れ三度目の惣構え内侵入、そして砲も配置転換して、6門全てを大手門近くに配置した。

「あの張り出した部分が、要塞の稜堡のように側面を狙って来る。

 あそこから沈黙させよう」

 砲弾を撃ち込み続ける。


 会津藩は西洋型要塞を知っている。

 ペリー来航の嘉永七年、西暦1853年、幕府に命じられ品川沖に台場が建設された。

 その最大の第二台場を作るよう命じられたのが、当主が代替わりしたばかりの会津藩であった。

 この台場には、地下弾薬庫や砲撃に対する退避壕が作られている。

 台場建設で学んだ西洋式要塞の知識を、この比呂城にも活かしていた。

 老兵たちは砲撃の間、退避壕に引っ込んでやり過ごし、砲撃が収まるとそこから出て、石垣を防壁にしながら阻止射撃を始める。

「あいつら、しぶと過ぎる……」

 見た目東洋風、中世的な城の外部防御施設に、近代要塞の知識が使われているとは夢にも思っていないキニーは苛立ちを隠せない。

 それでも安易に突撃を命じないのは、軍事教育を受けてない者の指揮としては上出来である。

 参謀役のキングは、かつての地縁を活かして新規のハワイアン・リーグ加入者を募っていた。

 探せばいるもので、50人ばかり武器を自弁した参加者が現れ、キニーの下に駆け付けた。

 これにオアフ島からの脱出者も加われば、まだ戦える。




 その頃オアフ島では、土方歳三が親衛隊長を辞職し、代わりにジョージ・ハサウェイ・ドールを親衛隊長、相馬主計を親衛副隊長に推挙して、自らは新撰組局長に復帰した。

 彼を新撰組から引き離したサンフォード・ドールたちは捕らえられるか、死ぬか、逃亡中かで、この人事を遮る者はいない。

 新撰組に復帰した土方は、腹部の負傷を押して陣頭指揮に立つ。

 久々に一から四番までの部隊が揃った。


「敵はまだ市内に潜んでいる。

 奴らはまだ諦めていない。

 奴らがやれるのは王や側近の暗殺だろう。

 戊辰からや、ハワイに来てから加入した者は知らんだろうが、京都からの者には懐かしい感じじゃねえか?

 そう、俺たちはいつも市中見回りをしていた。

 『天誅』と称し、ご公儀や佐幕派諸藩の要人を斬ろうとする輩を捕らえ、斬っていた。

 ホノルル市中に潜伏した以上、もう陸軍の出番は無え。

 俺たちの狩り場だ。

 行くぞ! 久々に不逞浪士取り締まりだ!!」

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