布石
1887年4月15日、海軍外洋艦隊司令官榎本武揚は、老朽化した蒸気コルベット「蟠竜」の退役をカラカウア王に届けた。
「『蟠竜』は君たちをハワイに運んだ艦だったね?
随分長い事頑張ったんだなあ」
「何度も遠洋に出動させ、無理をさせました。
大事に使ってはいたのですが、もう機関がボロボロです。
一際凄い煙を吐くようになりました」
「代艦はどうするつもりかね?」
サーストン内務大臣が問う。
「もう小回りの利く小型艦を購入する余力はありませんので、可能ならば『カイミロア』が帰還したら、あれを我々も使いたいのですが」
「う……、うむ、考えておこう。
だが『カイミロア』は私のポケットマネーで買った艦だし、私も自由に使える軍艦が欲しくてなあ」
「練習艦としては、海軍学校のものと、国王直属で少年院の更生用のものとがあるのは、少々贅沢です。
交代交代で使うことにして、1隻に役割をまとめませんか?」
「ドール君、君はどう思う?」
「結構な事と存じます」
サンフォード・ドールはそう答える。
サーストンも
「半分運用費を外洋艦隊が出してくれるなら、予算削減になって好ましいところです」
と賛同し、王も従わざるを得なかった。
(軍艦など少ないに越したことはない。
どうせ合衆国併合の後はほとんど廃棄する事になるのだ)
そうサーストンは心の内で呟いていた。
数日後、濛々と黒煙を吐きながら「蟠竜」が出航した。
その舳先にはロープがつけられ、「マウナロア」が曳航している。
どこかに廃棄の為に移動させるのだ、誰もがそう見ていた。
マウイ島ラハイナ。
黒駒一家とシシリアンマフィアとの抗争は…………
結局起きなかった。
シシリアンマフィアの本腰を入れている地域はアメリカであり、ハワイは「どれ程のものかな?」という観察程度であった。
勿論、この地を仕切るマフィアのボスが小人物だったら、一気に奪いにかかったのは言うまでもない。
黒駒勝蔵というボスは、この十余年で大きく成長していた。
金融や産業育成にも力を入れ、既に航路があるアジア地域との連携をしている。
人物としても、成り上がった厭味なところが無い。
特権階級を小馬鹿にするところはあるが、彼自身は
「俺らは田舎博徒だでよぉ、頭は良くねえし、物を知らねえから皆さんの世話になりますら」
と抜け抜けと言う度量がある。
シシリアンマフィアは、彼と戦うより、まずは共存の道を選んだ。
黒駒も彼等に探りを入れ、敵対する気が無い事を確認した。
そして黒駒勝蔵自らがシシリアンマフィアの元に出向く。
「俺ら頭悪いから、分かりやすく言って欲しい。
あんたらは何を求めている?
俺らたちに何を呉れる?」
この地のボスのいきなりの来襲に彼等は驚いたが、彼等も一家の代表として来ている訳で、気圧されてばかりはいられない。
「我々はアメリカに進出している。
ハワイはある人に言われて、使えるか探りに来た。
中々良いカジノで気に入った。
だが、貴方というボスを敵に回すのは得策ではない。
だから、この地でのビジネスは貴方の邪魔をしない程度にする。
本業はアメリカで得た非合法な金を……」
「まねーろんだりんぐとか言うやつかい?」
「……!!
そ、そうだ。
その中継拠点として使わせて貰いたい。
幸い、貴方は銀行も持っているようだし。
貴方に提供するのは、この逆の事だ」
「つまり、俺らはアメリカに足がかりを持てるってわけか?
無論、あんたらの親父の邪魔をしない範囲でだが」
「そういう事だ」
「『ある人に言われて』……その背後が気になるが、聞かねえでおこう。
腹に一物ある奴らを抱え込むのも面白え。
まあ、気になったって事だけはそいつに伝えておいて貰えないかね」
マフィアは曖昧に返事をした。
ハワイの事情を紹介し、行って拠点を作ってみろと言ったジュゼッペ・ガリバルディは1882年に既に亡くなっていたからだ。
ともあれ、黒駒一家はシシリアンマフィアとも提携し、さらに強固な集団となる。
そんな黒駒一家に、物騒な情報がもたらされた。
「ラハイナで暴動を起こし、黒駒一家まで延焼させ、ハワイ王国軍を治安出動させるだあ?」
アメリカ併合派のトップ、サーストンは幼少時に母の故郷であるラハイナで育った。
その後ホノルルで大学に進学し、そこを退学になった後はアメリカに留学する。
留学からラハイナに戻ってみると、そこは堕落していた。
キリスト教宣教師及び法学者の価値観からしたら、そう言わざるを得ない。
元々捕鯨衰退によって港湾の価値が下がり、都市としては寂れていく運命だった。
それでも鄙びて質素で良い故郷の姿を思い描いていたのだが、現実は違った。
カジノが乱立し、そこに群がる欲望丸出しの人間と、その勝者を狙った娼婦たち。
路地裏には阿片窟があり、酒場には大量の酒と沈没した人間が詰まっていた。
それでいながら、奇妙に秩序が出来ている。
キリスト教を唯一絶対の価値観とする人間からしたら、悪の蔓延る都市で悪が支配しているのに秩序が保たれ、かつ貧民が食い物にされず生活改善されているというのは、アイデンティティを揺るがす事態であり、本能的に許されないのだ。
「悪い事で得た金でも、良い事に使える」というのを、彼等は許さない。
正しい者のみが、正しい教えを伴って人を救済すべきなのだ。
故に、ハワイ主義、原始社会の活力を許さないのと同じくらいに、サーストンらはラハイナの「黒駒の秩序」を許さないのだ。
「それで、どういう手筈になっているんだ?」
黒駒一家は、表向きは港湾労働者の為の組合である。
そして構成員を船員としてホンマ・カンパニーの商船に乗せている。
如何に電信、電話が発達しようと、島国において港と船を制して物流や人の出入りを掴んでいる以上、サーストンという陰謀の素人がやろうとしている事は筒抜けであった。
なお、船員や港湾労働者に諜報員を潜ませるやり方は新撰組も行っていて、同質の情報を今頃手にしていると思われる。
情報によると、手順は以下のようになっていた。
マウイ島の砂糖農園主等を中心に、義勇兵を組織する。
カジノにおいてイカサマだと叫び、用心棒を巻き込んだ争乱を起こす。
用心棒らの元締めである黒駒一家が出て来たとこで、武装蜂起して内乱状態にする。
その鎮圧の為に、巡洋艦「マウナロア」と陸軍第一旅団の出動を命じる。
「つまり、俺らたちを餌にホノルルをがら空きにするのが目的だな。
ホノルルをがら空きにする、つまりは王様が狙いか。
奴らの目的は……」
「アメリカ合衆国への併合でしょうな」
新しい側近であるシシリア人が断言した。
黒駒もその辺は想像出来ていたようで、それについては何も語らなかった。
そして
「よし、その陰謀にあえて乗ってやろう」
と言い出した。
「親分?」
「ボス?」
「聞きねえ。
ホノルルにいる元徳川の連中は、そのアメリカ併合を阻止する為に来てるんだ。
そして俺らは、その徳川の残党を始末しろと言われハワイに送り込まれた。
今更カビの生えた命令なんざ聞く気はねえが、かと言って徳川の残党に肩入れする気もねえ。
うちの剣客さんたちは、その中の土方、今井を殺したくてうずうずしているしな。
だから、これくらいの陰謀を阻止出来ねえくらいなら、俺らっちの用心棒として飼う価値もねえ。
奴らが上手く処理出来るかどうか、見定めようじゃねえか」
「ですが親分、アメリカに併合され、サーの字の好きにさせたら、このシマも危なくありやせんかね?」
「サーの字はこのシマに手出しなんか出来ねえよ」
「は?」
「ボスは裏の金融でイギリスだけでなくアメリカとも繋がっている。
そいつらが旨味を吸ってるから、少なくともこのマウイ島に手は出せない。
手を出すつもりなんだろうが、やった途端裏社会の者がサーストンや仲間どもを始末するだろう」
「なるほど。
で、親分、こいつの言ってる事は本当なんですか?」
「そういう事だよ。
金の力が俺らたちを守っているんだぜ」
「じゃあ、怖い者無しじゃねえですかい!
親分は凄え」
そう賞賛する子分(日本人)に対し
(おいおい、怖いのはいっぱい居るんだぜ、そいつらから身を護るので苦労してるんだぜ)
勝蔵はそう思う。
金の力の通じない相手、理不尽な暴力に対しては勝てない。
だから勝蔵は旧幕臣を出来れば飼い犬にして用心棒として使いたい。
見栄を張って紳士ぶっているアメリカがなりふり構わず攻めて来た時、無防備でいるかそうでないかは大きく違う。
次に、金の力を知り尽くした相手、これが厄介である。
黒駒一家もやっているが、金を貸し、伝手を作り、内部に同調者を作って、隙を見て乗っ取る。
表社会の金融から仕掛けて来る裏の手法。
血に飢えている平間、神代という侍に餌を与える意味で、こういう手合いを勝蔵は始末させて身を護っている。
一番危険なのは、今隣で仲間の面をしている、金を知り尽くした同業者だ。
油断がならない。
隙を見せたら、命を含めて一切合切を持っていってしまう。
だが一方でこいつらは、こちらに隙が無いと見ると友好的になり、友好的になると一番利用価値の高い相手にもなる。
旨味を吸ってる限り、その餌場を潰そうとする奴等は何も言わずとも排除して貰える。
利害関係が成立している内は最も頼りになる。
てなわけで勝蔵は、「金の力の通じない、理不尽な暴力」に対し手を打った。
「おい、誰か新撰組のラハイナ支部に密告込め。
黒駒一家は相手の手に乗るが、本心からじゃねえと説明して来い。
やるのはそこまでだ。
これでこの国を救えねえような奴らとは手を組めねえな。
お手並み拝見と行こうかい」




