カリフォルニア大返し作戦
ハワイ王国親衛隊長土方歳三に、渡英するカイウラニ王妃及び王妹リリウオカラニの護衛任務が下ったのは、1887年4月の事であった。
「土方隊長不在中の親衛隊長代行はジョージ・ハサウェイ・ドール中佐とする」
王直々の命令である。
土方は黙って拝命したが、どうも臭う。
何かがあると直感した土方は、榎本武揚と大鳥圭介、そして現新撰組隊長相馬主計と相談する事にした。
「陛下の命令であるし、ジョージ・ハサウェイ・ドールも信頼出来る。
だが、何か腑に落ちねえ。
小御所会議の時と同じ厭らしさを感じる」
文久三年(1863年)8月18日、禁裏を守護していた長州藩は急にその任を解かれ、会津・淀・薩摩・阿波・備前・因州・米沢の藩兵が禁裏の六門を封鎖した。
そして急進派公家の禁足と他人面会の禁止が決議された。
「八月十八日の政変」と呼ばれるものである。
反対に慶応三年12月8日(1868年1月2日)、薩摩藩・芸州藩・尾張藩など5藩の軍が御所九門を固め、摂政他公家の立ち入りを禁止し、そのまま御所内学問所において王政復古の大号令が発せられた。
小御所会議はその翌日に行われ、今まで禁裏守護をしていた会津は追い出された。
新撰組はこの両方を見知っていた。
八月十八日の政変の時は追い出す側で、小御所会議前日は追い出されて一方的に処分を決められる側で。
この時期の京都を生き抜いた男には、政変の臭いというのが感じられるようになっていた。
「僕もきな臭いと思うね。
土方君を外したいんだろう。
王の傍を離れるべきではないと思う」
大鳥圭介はそう言い、
「新撰組の方で何か掴んでいないかい?」
と相馬主計に話を振った。
「今年1月、『ハワイアン・リーグ』と呼ばれる秘密結社が出来ました。
活動実態までは不明ですが、加盟者は13人、アメリカ人の他にドイツ人、イギリス人、ハワイ人もいます。
その彼等はホノルル・ライフルズのアシュフォード隊長と頻繁に会っています」
新撰組は相変わらず諜報活動を行っている。
彼等がハワイに根付き、隊士の中にハワイ人が増えた事で、より諜報範囲は広がっていた。
しかし中で何が企まれているのか? 単なる親睦会か何かかは、潜入捜査をしないと分からない。
そしてこの秘密結社は、簡単には中に入れない壁があった。
「相馬、そのハワイアン・リーグの頭は誰だ?」
「ロリン・サーストン内務大臣です。
先の選挙で敗れた、元宣教師党で独立党として分派した13人の議員・元議員が参加しています。
議会における民主主義の回復を訴えていますが……」
表向きのスローガンを鵜呑みにするような愚か者ではない。
「今年の1月に出来て、頭と構成員と交流関係を掴んで3ヶ月か……。
怠けていたとも言えねえな。
もう少し深入りしていて欲しいとこだったが……」
「面目ありません」
「最後に連中が会合したのは何時だ?」
「一昨日です」
「一昨日が会合で、今日が俺への下命か……」
「土方君、さっき言った事撤回するよ。
君はイギリスに行く事にしよう」
大鳥が何かを思いついたように言った。
「あんたもさっき、俺のイギリス行きはきな臭いと言った。
それなのに行けってのはどういう事か、伺いたい」
「君が居たら、連中の腰も重いんじゃないかってね。
鬼の居ぬ間に洗濯というように、鬼の副長がホノルルから姿を消せば、連中も油断するんじゃないかって事さ」
土方はしばし考えた。
「かもしれねえ。
が、ホノルルには新撰組もいる。
俺一人居ないだけで、馬脚を露しやがるかねえ?」
「きっと、何かをする時は新撰組もホノルルから動かすんでしょうな。
その前に何らかの動きがあるから、それを見て判断しよう」
「大鳥さん、あんた忘れてる事あるぜ。
俺がイギリスに行ってしまったら、一朝事が起きた時にすぐに戻っては来れねえ。
そんだけ距離があるんだぜ」
「だから僕は、『行く事にする』と言ったんだよ。
本当に行かせるわけはない」
「よし、もっと話を続けてくれ」
大鳥圭介は古今の戦術を研究した。
大村益次郎の戦略と戦術を分けて、系統的に分類した程ではないが、それでも多くを学んだ。
今回使うのは、おそらく土方も聞いた事がある戦法である。
「羽柴秀吉の大返し」
織田信長死後、同僚柴田勝家との覇権争いが激化してついに賤ヶ岳にて睨み合いとなった。
この時、羽柴秀吉はあえて大垣に出陣し、陣を空けた。
柴田勝家は引っ掛からなかったが、その寄騎武将たる佐久間盛政が釣られ、秀吉留守の賤ヶ岳陣地を攻撃した。
それを待っていた秀吉は、大垣から大返しを行う。
既に自陣を出て野戦を行っていた佐久間盛政は、突如現れた秀吉の大軍を見て驚く。
そして佐久間盛政を救うべく柴田勝家も陣を出て、秀吉が望む野戦が行われた。
勝った羽柴秀吉は、やがて天下人豊臣秀吉、太閤秀吉となり日本の英雄となる。
「つまり、俺は適当なとこまで出かけて、相手を油断させろって事だな。
で、それはどこまでにする?」
「ハワイ島が良いだろう。
ハワイ島で下船し、会津公にでも匿って……」
「いや、土方君にはアメリカまで行って貰おう」
今まで黙って聞いていた榎本武揚が口を開いた。
カピオラニ一行は、インド洋からスエズ運河を通って地中海に抜ける航路ではなく、カリフォルニアを経由してアメリカに一時滞在、そこから大西洋航路でイギリスを目指す事が発表になっている。
「榎本さん、アメリカでは例え西海岸からでも、戻って来るのに時間がかかりますよ」
「このハワイアン・リーグの面々、アメリカに繋がりがあるよね? 相馬君」
「はい、アメリカ本国に留学経験があります」
「ならば君が船に乗ったかどうか、アメリカの新聞で確認するんじゃないかな」
「それは有り得ますね。
でも、そうしたら土方君はどうやってハワイに戻って来るんですか?
汽船に乗って密かにって言っても、入国した時点で連中にバレますよ。
連中、政府関係者もいるんですから」
「大鳥君、君は先走り過ぎてるよ。
何もまだ、連中は悪事を企んでると決まったわけではないんだから。
でもまあ、悪事を企んでると思って考えようか。
土方君を排除したがっている以上、狙いは国王だ。
土方君は命令を拒絶したら、それを理由に解任し、それはそれで王の傍から土方君を追い出す事には成功だ。
だから土方君は王命に従って一度出国をするべきだろう。
そしてアメリカの新聞に載る。
土方君は既に2回、アメリカの新聞に載っているから、次もまた新聞に載って貰おう。
そして、『大返し』の肝は『簡単には帰って来ない』と思わせるところだ。
入国したらカピオラニ様なりリリウオカラニ様に命令を受けて、ハワイに戻ろう。
そしてホノルル市内に隠れていようか」
「だが、さっき大鳥さんが言っていた入国問題はどうなりますかね?」
「それは俺に任せて貰おう。
なんたっておいらは海軍外洋艦隊司令官だぜ」
4月12日、アメリカ汽船をチャーターし、ハワイ国王妃カピオラニと次期国王・王妹・国王名代リリウオカラニはホノルルを出港した。
傍らには土方歳三の姿もあった。
土方に随行の命が出た後、カピオラニもリリウオカラニも不安を感じ、土方に断るように言って来た。
もしそれで更迭されるようなら、自分たちが取り為す、土方は常に王の傍に居て欲しい、と。
土方は2人には榎本たちと謀った作戦について説明した。
2人は不安を覚えつつも、
「土方が居ない方が問題解決になるというなら、私たちはそれに従いましょう」
「何事も起きなければ良いですね。
起きてしまったら、私たちは貴方を恨みますよ」
そう言いつつ、とりあえずの同行を認め、船内で適当な帰国命令書を作成する事にした。
「土方は確かに乗船したな?」
「確かに乗った」
「油断ならない奴だからな。
サンフランシスコの新聞に奴が載るのを確認してから次の行動を起こそう」
「断罪者ヒジカタ、首狩ヒジカタ……。
悪名のせいで奴がアメリカに入国したらすぐに記事になる。
行動の監視には丁度良いな」
「土方が居なくなったら、次はラハイナを動かそう。
我々の愛する故郷を、あのような堕落都市にした罪を贖って貰おう」
土方の留守が確定し、併合派はついに行動を起こした。




