新型巡洋艦発注
ハワイ王国陸軍の軍事顧問を務めるジュール・ブリュネ大佐が、久々にやって来た。
間もなく少将に昇進する彼は、本国でも重職に就いていて、ハワイ王国軍事顧問はあくまでも顧問団の監督をしているだけで、常時パリで勤務している。
その為、彼がハワイの地に足を踏み入れた回数は少ない。
彼は陸軍将校だが、ハワイの軍事顧問としては海軍にも少々関与していた。
具体的な事は海軍将校と話すのだが、ともかく情報が無いと海軍との連絡も出来ない。
ブリュネが持って来た情報は、日本がフランスに新型の防護巡洋艦を発注するという話だった。
「どうだね? 同じ設計のを君たちも買わないか?」
帆船時代、海軍の主力は戦列艦と呼ばれる、大砲を大量に搭載した艦であった。
だが、海戦に使用される戦列艦とは別に、輸送船の護衛、逆に敵輸送船への攻撃、偵察、遠隔地の警備等を担う艦もあった。
それらの内、最大のものをフリゲートと呼んだ。
フリゲートより小さい艦はコルベットと呼んだ。
沿岸警備に使ったりする小型艦には、スループ、砲艦という艦種がある。
近海で海戦を行う戦列艦と遠洋のフリゲート、コルベット、やがてそれらに蒸気機関が搭載される。
例えば日本に開国を迫った「サスケハナ」やかつての榎本艦隊旗艦「開陽」は蒸気フリゲートという艦種であった。
太平洋横断を成し遂げた幕府海軍の「咸臨丸」は蒸気コルベットである。
そして、外洋用の蒸気フリゲート、蒸気コルベットは「巡洋艦」という艦種に集約された。
巡洋艦は軽快さと航続距離の長さを長所とするが、それでも防御力はある程度必要である。
幕末の「甲鉄」のように、舷側を全て装甲で覆った巡洋艦を「装甲帯巡洋艦」と後世分類した。
1870年代の装甲帯巡洋艦は、その重さから使い勝手が悪かった。
そこでイギリスにおいて新型装甲が考えられる。
蒸気機関用の石炭庫を防御の一部とし、装甲は石炭庫の下の機関部を覆うように貼って、使用部分を減らして軽量化する。
これが「防護巡洋艦」という艦種で、1883年の今年進水したイギリス・アームストロング社建造のチリ海軍「エスメラルダ」がその第1号となった。
余談だが、この「エスメラルダ」は後に日本海軍が購入し、「和泉」と名を変えて活躍する。
フランス海軍は、この「エスメラルダ」の情報をいち早く掴んでいた。
そこでベルタン技師が設計し、早速防護巡洋艦「スファクス」を建造している最中である。
「スファクス」はまだ完成していないが、そのフランスに防護巡洋艦のリクエストが入った。
日本海軍からだった。
日本海軍は「エスメラルダ」の優秀さを認め、この同型艦を欲しがりイギリスに発注する。
これが「浪速」「高千穂」で、「浪速」は後にハワイ王国と関わりを持つ。
と同時に、国際関係からイギリス1国に傾斜すると他国が敵に回る可能性も考え、フランスにも1隻の建艦を持ちかけた。
現在この艦の仕様について詰めている最中だ。
「そこで、この艦の姉妹艦を君たちもどうか、と思ってやって来たのだ」
ブリュネはそう語った。
この艦は最終的に、日本円で153万円という価格になる。
だが二番艦、三番艦となると、設計は同じで部品は流用が利き、値下げが可能だ。
「同じ日本人が使うのだし、丁度良いのではないか?」
そういう事でもあった。
榎本はしばし考えた。
以前寄港した日本海軍の「金剛」「比叡」を見て、艦の更新が必要であると考えていた。
更新となると、旧式艦に代える事になる為、もう1隻欲しい。
2隻買う余裕はあるか?
明治四年(1872年)の為替レートでは、10セント=10銭、 1ドル=1円と定められた。
これを基準にすると、この艦は153万ドルである。
イオラニ宮殿の建築費は、最終的に36万ドルになり、それでも「予算の使い過ぎだ」と不満が出ているという。
日本においても「金剛」「比叡」「扶桑」3艦の購入費は312万円であったが、当時の海軍の予算は352万円だった為、9割をこれに使った事になる。
大村益次郎が予想した「武器購入にも金がかかる時代」が来ている。
「少し時間が欲しい。
皆と一度相談したい。
あと、いくら独立採算でやってる海軍とはいえ、国王陛下とも相談しないとならない」
返事を保留した。
ブリュネは一度帰国した。
次の来訪までにどうするかを決めておく必要がある。
海軍の持つ輸送船を商船代わりにした業務は、ホンマ・カンパニーが業務代行していた。
ホンマ・カンパニーは大きく儲けていたが、献金としてすぐに出資可能なのは15万ドルだと言う。
日本の本家から借りたとして、精々30万円=30万ドル。
小野組も無償供与で15万ドル、利子ありの貸付で45万ドルと言った。
その他、色々日本人移民関係で借りて、130万ドルまでは何とか確保出来た。
1隻分にあと少し足りない。
榎本はカラカウア王を訪ね、王室財産から借金出来ないかを聞いた。
豪快な王はあっさり
「40万ドル与えよう。
うち10万ドルはこれまでの功績を評価してのもので、返済の必要は無い」
と言った。
あと1隻欲しい、戦術的にあと1隻どうにかしたい。
その榎本に助け船というか、知恵を授けたのは、日本から移籍して来た商人たちであった。
債券を発行しろと言う。
「要するに借金か?」
「榎本様らしくも無い。
債券発行はただの借金ではありませんよ」
信用が無ければ発行出来ない上に、債券を持つ者は「資産を持つ」事と同義になる。
債券を多く買い、その利息だけで生活費を稼ぎ、元本は預けっぱなしという方式もある。
「うむ……。
俺が国際派と言われ、オランダ渡りの知識があって他よりも物知りだったのは、もう十年も前の事だな。
今じゃ白人相手に商売をやっている君たちの方が、新しい知識を持っているという事か……」
榎本は嘆息する。
商人たちはそんな榎本に
「貴方様は国際法というものに詳しく、また政治的に王国政府やアメリカ、さらに白人の議会とやり合っていらっしゃいます。
新しい知識は私どもが仕入れますが、政治に関わる諸々は貴方様以外に太刀打ち出来る方はいますまい」
そう慰めた。
(俺も年を取った、俺に代わる若いやり手の野郎が欲しい)
代替わりは旧幕臣たちの問題として、次第に重くなって来ている。
海軍の軍艦購入債券は、ハワイ王国政府の後ろ盾を得て25年金利で150万ドル分発売された。
そして、榎本が驚いた事に1月経たずに完売した。
彼は合計で320万ドルの資金を手にした。
これで姉妹艦2隻を購入出来る。
翌月再びハワイを訪れたブリュネに2隻分の発注をしようとした。
しかし、この日本人に対して親切な男は、あえて一度断った。
「ムッシュ榎本、1隻ずつにしましょう。
もしかしたら日本がキャンセルをするかもしれない。
違約金でもっと安くなるかもしれないです」
ブリュネ他フランス人にとって不愉快な話があった。
日本陸軍はこれまでフランス式でやって来た。
それが、現在ドイツ式に改める為に、ドイツ語を教えたりしているようなのだ。
この防護巡洋艦発注も、どうも義理を欠くフランスに対する詫びの一面もある。
元々日本海軍はイギリス式であり、今回の巡洋艦発注も状況次第でキャンセルをするのではないか?
疑念が持ち上がっていると言う。
日本への不満が、逆にフランス式を採用し続けるハワイの日本人への思い入れとなって表れていた。
もしも日本がキャンセルした場合、日本から違約金を取り、ハワイへは1隻半の値段で2隻売る。
この場合は、フランスから改めて買わないか打診するから、待っていて欲しい。
キャンセルしなかった場合でも、153万ドルの対日価格に対し、2隻で275万ドルまで値下げするという。
「設計から完成までに4年はかかる。
ここ1年は状況を見定めたいから、今は1隻発注の方が良い」
ありがたい申し出に、榎本は従う事にした。
こういうフランスからの親切心と、外征型軍隊を持てない宿命的な問題から、ハワイの幕臣はこの後もフランス式を採用し続け、良好な関係を継続し続ける事になる。
さて、あっという間に150万ドルもの債券が売れた事に榎本は喜んでいたのだが、それには裏があった。
買った者はオアフ島、ハワイ島、香港、日本と様々な商人ではあったが、根はマウイ島ラハイナに繋がっていた。
そう、購入者として見破られないよう策を凝らしていたが、結局は黒駒勝蔵が買っていたのだった。
そもそも商人を通じ、債券という手段を教えたのが黒駒であった。
(まずは一本、幕臣どもの首に鎖をつけたずら。
一気にはいかん、気づかれてしまっては何にもならん。
気が付いた時に、首輪をつけて俺らの家に繋がれた犬になっていたってのが一番良い……)
黒駒の資金力は、次第にマウイ島を出て全島に浸蝕しようとしていた。




