カラカウア貨幣
黒駒勝蔵は幕末・維新のその時、黒川金山の採掘権を買っていた。
金山は既に枯渇状態だった為、彼の構想は形にならずに終わった。
幕末は、通貨が混乱した時期である。
昔は東の金貨、西の銀貨という形式で、東西の為替で儲ける商人も存在したが、幕末期には大体「高額決済の金貨、中間の銀貨、少額の銭貨」という形式で落ち着いた。
幕府の通貨の仕組みは、甲斐武田家のそれを継承していて、1両=4分、1分=4朱という四進法である。
この1分と1朱に、量り売りで重さが価格と一致した西の銀貨を組み込む。
決まった量の銀をもって、一分銀や二朱銀という小粒貨幣を作った。
よって金1両は銀4分、一分銀4枚という事になる。
当時の国際決済通貨は銀貨であった。
幕府はこの交換レートを1両=4ドル、小判1枚に対し1ドル銀貨4枚と設定した。
しかし小粒の銀貨である一分銀と1ドル銀貨では銀の量が違い、
「3分の1の銀しか使っていないイチブと1ドルが等価なのはおかしい」
と外国から苦情が殺到した。
紆余曲折はあったが、幕府は結局「1ドル銀貨は一分銀3枚と等価」と認めた。
そうなると、
今までは 12ドル→12枚の一分銀→3両(小判3枚) だったのが
新レート 4ドル→12枚の一分銀→3両(小判3枚)→12ドルに換金
と錬金術が出来るようになってしまった。
結果、海外の商人はドルを一分銀にしてから小判を買い付け、小判を通常レートの香港で売り、3倍にして儲けたのだ。
幕府は金貨の海外流出を恐れ、アメリカの言質を取った上で、小判の質を3分の1に低下させた。
これが万延小判で、金含有量と銀含有量の比較から国際レート相応になった。
海外貿易はそれで良いが、小判が悪貨になった事で国内ではインフレが発生。
商人は価格を上げる事で対応したが、徳川家康の時代からほぼ決まった禄しか得られない武士は、収入が増えないのに物価が急上昇して生活を直撃した。
「全ては夷狄のせいだ」
と下級武士程憤慨し、それが討幕に向かう。
黒駒勝蔵はこの時代を眺めて来た。
博徒である彼は、生産者ではないし、無労働で禄を得られる身分でも無い。
この通貨の信用の変化と物価の問題を、彼は少し離れた立ち位置から見ていた。
おそらく貴金属の必要に気づき、銭金を貰うよりも造れる側が強い、一方でやり方を間違うととんでもない事態を招くと知ったのだろう。
それが黒川金山採掘権購入という行動に出たのかもしれない。
それから13年が経ち、彼は再び金銀を扱い、通貨造りに再挑戦をする。
黒駒一家の主だった者が集まり、酒宴をしていた。
本当に目出度い事のようで、日本人以外はいない。
「いやあ、親分すげえや。
この国の銭を作るなんざ、あっしは考えもしなかっただ」
「馬鹿こけぇ。
てめえなんざの考えが追い付く親分かよぉ」
「この島の賭場も動く金が大きくなったし、その上がりを掠めてる自分らの稼ぎも大きくなる。
いやはや、すげえもんさ」
子分たちの賞賛に勝蔵は
「まだまだこれからだ」
と冷たく返す。
「王様はなあ、ドルを刷っていいかってアメリカに聞いて、許可貰っただけなんだ。
アメリカの都合ですぐに使えなくなるもんよ。
こんなのは昔、薩摩だの水戸だので作らせて貰ってた天保銭と一緒よ。
本当に欲しいのは、この国独自の銭・金だ」
勝蔵の「天保銭」には「ちょっと足りねえ」の意味も込められていた。
酒をくいっと飲み干すと、勝蔵は手下に言った。
「おめえら、江戸の金座、銀座を仕切ってたのは誰か知ってるか?」
「へへへ、親分、侮っちゃいけませんや。
そんな事知ってるくらいなら、今こうやって博徒なんかやっていませんや」
「てめえらも似たようなもんか?」
「知りやせんねえ。
お役人なんかすぐに変わりますからね」
「金座、銀座を仕切ってたのは、後藤庄三郎って商人よ」
「親分、商人の癖に後藤って苗字持ってんですかい?」
「権現様がくれたとかなんとか。
まあ、それでもだ、天下を支配していたのは昔から侍なんかじゃない、商人って事だ。
銭金を動かす奴が最後には勝つ。
刀振るのは、銭金の為じゃねえ、銭金を生み出すものの為だ。
そこんとこ覚えておけよ」
手下どもは、分かっていないようだが、相槌は打って酒を飲む。
「神代の先生は、一体どなたをお斬りになりてえんでさ?」
黒駒勝蔵は、隅で2人酒を酌み交わしている平間重助と神代直人のとこに徳利を持って行き、酒を注ぎながら尋ねた。
「無論、全員だ」
「本当に全員斬れるんですか?
相手は2千人以上いるんですぜ。
実現するのが近いかもしれんのですけえ、本当にやれる事を話してくれやせんかね?」
勝蔵がいつになく顔を近づけて言う。
神代も何かを感じたのか、酒を一気に飲み干すと、
「強いて言うなら、土方ら新撰組の生き残りと、今井だったか京都見廻組の生き残りだ。
あとは榎本、大鳥ら敵の頭。
他は長州の者を斬ったわけでもないし、戊辰の戦の朝敵でもない」
そう答えた。
「ありがとうごぜえやす。
俺らの存念を話しやすぜ。
賊となって人を斬っちゃいけませんぜ。
ただの悪者として処罰されちまう。
だから、官となって人を斬りましょうや。
お上の命による人斬りは、お仕事になります」
「ふん……、その御上に裏切られ、脱走の罪を着せられた奴にしちゃ殊勝な物言いだな」
「あいたたた……、痛えとこつかれましたぜ。
まあ、それはそうなんですがね、俺らこれからお上になろうとしてるんでさ」
「何? 御主上になるだと! この国賊が!!」
「落ち着きなせえ。
この国のお上ですぜ。
どうして帝になんかなれるってんだ。
同じ『おかみ』だ言うて変な捉え方しなさりますな」
「で、なんだって?」
神代は謝りもしない。
「表の王はカラカウアさんでいいや。
お祭り好きで、この国にいくらでも金をばら撒いてくれる。
使い様によっては、もの凄い良い王様ですぜ。
しみったれて倹約とか言い出すのよりずっとずっと良い。
だが、使うと無くなるのが金ってもんだ。
裏の王様の俺らが、カラカウア王が撒いた金を利息つけて取り返し、また表に戻してやる。
そうして表は裏の事を無視出来なくなる。
俺らお役人にはならねえが、お役人を動かす黒幕にはなりてえ。
そしたらな、誰それを馘首にするのも、罪着せて追ん出すのも、思うがままだ。
あと少しだ、あと少しなんだよ。
金座、銀座を握った以上、あと少しなんでさ」
神代は不思議な生き物を見ている思いだった。
やはりこいつは尽忠報国の士でも、攘夷志士でもない。
だが、ただのヤクザでもない。
「思い上がるのも勝手にしろ。
裏の王だかなんだか知らねえが、好きにやりゃいい。
だが、そうなったら俺に土方や今井は斬らせろよ」
「へいへい、そう来なくっちゃ。
まあ、俺らの願いとしたら、榎本の命は預けて欲しいずら。
あいつぁ役に立ちそうだでなあ」
そう言いながら去っていった。
「平間殿、俺は最近あいつが理解出来ん」
平間重助はそれに対し
「俺は壬生浪士組で勝手方(会計役)をしていたんで、ちょっとは分かるような気がする」
「ほお?」
「カラカウア王と俺が仕えた芹沢鴨さんは、金遣いの荒さとか陽気さとか、似てるんだ。
俺は芹沢さんの為の金策をしてた時、辛かったけど、楽しかったんでねえ」
「そうか…………」
「そうさ……。だから今でも土方は許しちゃいねえ……」
怨念の籠った目つきになった平間に、神代が酒を注ぐ。
「まあ、飲め」
「うむ」
ここの侍も、芯の部分はいまだ変わっていないようだった。
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「これがラハイナで作られた我が国の通貨か!!」
カラカウアは歓喜した。
国王の横顔の刻印以外、デザイン全体は元のダイム硬貨と変わらない。
だが、銀貨として質が実に良い。
実は粗悪で流通に適さない、単なる記念硬貨たるを期待していた白人たちの表情が苦々しい。
「どうだ、これなら市場に出回っても大丈夫だろ?」
「御意……」
「黒駒に勲章を授けよ、そしてこれからもよろしくと伝えよ」
「御意に……」
白人たちは真剣に恐れを為した。
この銀貨は、アメリカ政府発行量を勝手に逸脱しないよう、ハワイ政府がアメリカより銀を買い、その銀で発行される。
ゆえに銀の総量を把握すれば、流通量の把握も出来る。
オアフ島の白人系造幣局でない、ラハイナの造幣局には銀の一部だけを渡した。
その少量で見栄を張り、大量の銀貨を発行して来たのを見て、それは粗悪品だから流通に適さない、インフレを起こす気か? 所詮猿に通貨というものは分からないのだ、としたかった。
だがそんな見栄を張る事なく、オアフ島のサンプルと寸分違わぬものを彼等は持って来た。
通貨のシステムを理解しているのか、それとも単なる「全く同じ物を作る」猿真似なのか。
ラハイナはどうも、半独立というか政府の目がやや行き届かない部分が多い。
ラハイナの黒駒一家というのは、独自のルートから金銀を購入できるという。
アメリカ公認の銀貨を、大量発行されて市場に流されたらたまらない。
黒駒一家を除いたとしても、ハワイのダイム銀貨は良質で市場において価値が出る。
白人たちはハワイの銀貨を買い付ける銀行を設立し、銀貨が国際市場に流れ出る前に回収する事にした。
白人たちは次第に、カラカウアと日本人というものを恐れ出していた……。
 




