戴冠式に伴うお祭りにて
1883年2月、カラカウア王の戴冠式は2週間のお祭りとして始まった。
戴冠式等、極端な話「ハワイカエ教会で王の冠を授かる」と「パレード」で済む筈だ。
しかしここは陽気でお祭り騒ぎ大好きなカラカウアの発案、
・競馬
・ガレッタ競争
・フラダンス大会
・サーフィン
・花火
・バンドによるマーチ
と賑やかに挙行された。
この内、勝敗を巡って博打になりそうな物が多数あり、それらは「公営」という形で何人かのマウイ島から来た白人たちが仕切っていた。
その白人たちに、あれこれ言って回っている日本人の姿は、よく気をつけないと分からない。
その日本人、黒駒勝蔵は日本や香港、マカオ等にも宣伝を打ち、観光客を大量に呼び込んでいる。
カラカウアが大喜びする程の活況は、海外からの観光客の多さも理由の一つである。
さらに王は八角形のパビリオンを建て、VIPはそこから観覧する。
「このお祭りにかかったご予算は?」
VIPの一人、海軍司令官榎本武揚の問いに、王妹リリウオカラニはこめかみの辺りを揉みながら
「5万ドルを超える模様です……」
そうため息交じりに回答した。
「そういや、剣技の大会があった筈ですが、中止になったんですか?」
それにはサンフォード・ドールが答える。
「私の一存で中止にしました。
裸で波に乗ったり、踊ったりするのですら恥ずかしいのですが、
あなた方の剣技の大会は確実に殺し合いに発展するでしょう?
あんな刀を使って、まともに済む筈がありません!
神聖な教会と王の前で流血沙汰を起こす気ですか?」
言いたい事は色々あるが、どうも説得力に欠けるから、榎本は口を閉ざした。
確かに今井信郎も伊庭八郎も、木刀ながら
「ハワイの樹はどうも加工が面倒だな……」
「でも、硬いから当たれば一撃で額を割るぜ」
「意外に重いのもあるな……威力がありそうだ」
とブツブツ言っていたのだから……。
「代わりにレスリング大会としました。
君たち日本人の参加も歓迎ですよ!」
ドールは明らかにニコニコしながら、見下す視線である。
(お前ら身体の小さい東洋人など、肉体のぶつかり合いなら怖くもないさ)
そう表情が語っている。
榎本は黙っている。
(こいつらは、日本にも角力とか柔とかあるのを知らねえな)
そう思い
(きっと誰かが目にもの見せるだろう)
と気楽でいた。
案の定大会には多くの日本人が参加した。
「おい、島田! 白人どもに負けるんじゃねえぞ!」
土方歳三が巨漢で怪力の島田魁に声をかけていた。
巨漢と言っても、西洋人の中では「やや大きい」くらいだが、怪力の方が半端ではない。
勝ち上がり戦で、白人のレスラー、元ラグビー選手を相手に5連勝する。
だが、準決勝で現れた日本人が異様だった。
その少年は小柄で、とても強そうに見えない。
共に道着と袴を履いた両者は組み合った。
そして……
「島田ぁぁぁ、てめえ何やってんだぁぁ」
いつも冷静な土方が思わず絶叫した光景が繰り広げられた。
日本人としては巨漢の島田魁が、あっさり投げられ、マットの上に転がっていた。
しかも投げられた島田自身が、何が起きたのか分かっていないようだった。
「土方殿、どうかお許しを。
あれには出るな、手の内を見せるなと言ったのですが……」
比呂松平家ホノルル家老の西郷頼母が、面目無さそうに言う。
「あの少年、頼母殿のお知り合いですか?」
「恥ずかしながら、養子です」
「おお! 西郷殿のご養子か!
それにしても素晴らしい技ですな。
新撰組の柔の師範に招きたいくらいです。
ところで、あの少年の名は?」
「四郎……、保科四郎と言います。
故あって、西郷の苗字の前の保科を名乗らせております」
レスリング大会は決勝戦。
大柄でレスリングもラグビーもボクシングも得意とするその男は、真珠湾に入港したアメリカ海兵だそうだ。
王の側近のジャッド大佐が連れて来た。
対する保科四郎は、余りにも小さく見える。
だが、今までの試合で大柄な選手を投げ飛ばして来たのを見たハワイ人たちは、大歓声をその少年に送っていた。
「あの少年の真価が見られる」
そう言ってじっと観察しているのは、黒駒勝蔵の宣伝と「ハワイに多くの日本人が渡り、中には古武術を極めた者もいる」という事を知ってやって来た日本人学士であった。
海兵は、組んだら投げる少年の戦い方を見て、遠くからタックルにいく構えを見せた。
這いつくばるかのように姿勢を低くし、立っている四郎少年の膝を狙う。
だが、「ファイト!」の掛け声の後、海兵は想像しなかった事態に遭う。
保科四郎はマットに座り込んだのだ。
このままタックルにいけば、足を取れず、少年の頭に正面衝突する。
反則になるが、まさか座り込む等誰も想像出来ない。
(もう止まんねえぞ!)
そう思いながら突進した。
「あの馬鹿っこが、手の内見せちゃなんねーじょって言ったべ」
西郷頼母が表情を険しくした。
その表情の方を見ていた土方は、肝心な瞬間を見損ねた。
保科四郎に手首を取られた大男はマットにひっくり返っていた。
何が起きたか分からない顔だが、それでも逆の手や足を踏ん張って、辛うじて仰向けに寝そべるの拒否していた。
海兵は立ち上がろうとするも、少年が握った海兵の手首を捻る度に、苦痛の叫びを上げながらただ転がされるだけだった。
審判が
「レスリングにこのような技はない。
両者フォールにいく気配がないから、引き分け」
という、見てたハワイ人が文句を言いまくる裁定を下した。
まあ、柔の投げ飛ばしからの抑え込みは「フォール」と言えるが、片や正座しながら相手を転がす技はルールには無いし、レスリングとしては致しかたない。
「西郷殿、あれはもしや、噂に聞いた事がある会津松平家のお留流……」
「は……御式内です。
どうかお忘れ下さい」
会津の御式内、合気道の元祖ともされる。
保科四郎少年が行ったのはその中で、殿中にて狼藉者を取り押さえる技の練習でする「座取り」だった。
関節を逆に曲げ、痛みを拒絶する身体の反射を上手く読み、相手を転がすのだ。
知っていればともかく、全くの未知の技にかかった海兵こそ不運であった。
そして日本人とハワイ人は、小が大を転がす技に大騒ぎとなった。
「素晴らしい!
あの少年を是非日本に連れて帰りたい!
あの少年の素性を知る者はいないか?」
ある観光客の日本人が興奮していた。
この祭りを仕切っていると見られる日本人に声をかける。
「知らねえよ、飛び入りだったんだから」
そうすげなく返すも
「どうしたい?」
「あ、親分。
この日本の学士とか言う人がですね、さっきの洋式角力で優勝した少年の事を教えろって」
「ふうん、あんた名前は?」
「私は嘉納治五郎と申します」
「じゃあ嘉納さんよ、俺らもあの少年の事は知らねえ。
知らねえが、あそこに見える和風の屋敷の主がその少年と話してるのを見た。
あの屋敷の主は、元会津の家老の西郷頼母って言う。
あとは自分で何とかしな。
俺らが教えてやれるのはそこまでだ」
「ありがとう!!」
やがて嘉納治五郎は、柔術師範として招きたい新撰組との間で、激烈な獲得競争を繰り広げる事になる。
「親分、随分あの学士さんに親切にしてやりましたね」
「あいつからは金の臭いはしなかったが、強者の臭いはした。
あと政治家と同じ、駆け引きが出来るような勘が働いた。
親切にしてやって、得はねえが損もしねえだろ。
さあ、喋ってねえでまだまだ祭りを続けるぞ!
かき入れ時だ!!」
香具師の手配、賭け事の仕切り、金の管理、この祭りにおいては掏摸や置き引きの監視、胴元となった白人の護衛等、黒駒一家は忙しかった。
そしてその忙しさに見合う莫大な利益と、王からの信頼を勝ち取った。
「また何かある時はよろしく」
黒駒勝蔵はにやけ顔を見られぬようにしながら、王の前で跪いていた。




