摂政リリウオカラニの日々
摂政リリウオカラニは1838年生まれの43歳、既婚者である。
国王カラカウアが、皇帝・国王としては初の世界一周旅行に出てしまい、彼女が国王代行として指名された。
子供の頃は、かなりのお転婆娘だったそうだ。
成人した今でも結構気が強い。
兄のように大酒飲みというわけではない。
代わりに葉巻が好物で、プカプカ煙を燻らせている。
この日も随分と煙の量が多かった。
彼女は兄の政策に全面的に賛成してはいない。
真珠湾のアメリカへの貸与は、国を損なうものとして反対している。
兄の世界一周旅行にも反対だし、兄の金遣いの荒さも批判していた。
だが、それでも彼女は「摂政」であり、国の重鎮であった。
この日のイライラは、ハワイ議会の野党「宣教師党」にあった。
宣教師党は「国王不在な以上、議会が政治を行うべきで、摂政は決定を承認するだけで良い」と訴えていた。
それに対しリリウオカラニは「摂政は国王不在にあって、国王と同じ権限を持つ」と主張。
両者は激しく対立していた。
さらに議会で話題に上がっているのは、イオラニ宮殿建設費の膨大さであった。
議会では予算削減を求め、ギブソン財務大臣は必死に国王を擁護する。
リリウオカラニは本音では予算削減をしたいのだが、議会は「国王の権限を縮小し、白人中心の議会政治に」という野望を持っているのが見えていたので、反議会として行動する。
リリウオカラニは親米と見える兄を上回る、相当なハワイ至上主義者であった。
「まったく、お兄様は一体どこで、何をしているのでしょう!!」
カラカウアが出発して数週間後、ホノルルで天然痘が発生した。
日本人医師による種痘が功を奏していたが、それでも相当数が罹患し、病院は飽和状態に陥った。
彼女は強権を発動し、天然痘を持ち込んだと見られる船舶の隔離、船員の上陸禁止を命じた。
天然痘騒動が済んだ後、ハワイ島から急報が入る。
マウナロア火山が噴火、溶岩がヒロの町に迫っているというのだ。
リリウオカラニは榎本武揚に命じ、装甲艦「カヘキリ」に座乗してハワイ島に向かった。
ヒロでは松平家の一党が住民を避難誘導し、備蓄食糧を分け与えたりしていた。
広大な松平容保邸に、家を焼かれた住民が避難している。
リリウオカラニは松平容保と会い、彼等の救助活動を労った。
そして「カヘキリ」で運んだ物資を渡し、当分は松平家が住民の避難を指揮するよう頼んだ。
応援に比呂松平家からの人手と物資が来ているのを確認し、リリウオカラニはホノルルに引き返す。
「日本人は随分と結束が固いのですね」
彼女は何気なく榎本に問うた。
「あれ? 聞いていませんか?
松平容保公と松平定敬公は兄弟なのですよ。
そして、共に日本の首都を警備していた仲なのです」
「あら、そうでした。
滅多にお会いしないので、すっかり忘れていました。
兄弟2人、仲良くハワイ島の西と東を守っていただき、ありがたく思います」
「あーーーーー……、あちらは2人兄弟ではありません。
全部で10人兄弟です。
その内4人は名君で、高須松平家の出なので『高須四兄弟』として名高いのです」
「え! 日本人って多産なんですか?」
「左様……。
お国に比べて遅れているかもしれませんが、我が国では側室が認められていて、それで多産なのです。
しかし十人以上の子が生まれても、成人出来る子は少なく、子はいくらでも産めというのが美徳となっています」
「そうですか……。
我が国も、昔はそれは多産だったのですよ。
カメハメハ大王は7人の子を持っていました。
……夫人も11人おりましたが。
キリスト教の一夫一妻制度、廃止しようかしら?」
「それもよろしいかと思います。
摂政殿下が側室の存在に嫉妬されないのでしたら」
「……前言撤回いたします」
何だかんだ言ってもリリウオカラニも敬虔なキリスト教徒であり、その倫理観から逃げられない部分があった。
そして、ハワイ女性の気質もある。
リリウオカラニはハワイ王室の歴史を語る。
「ハワイの女性は気が強いものでして。
カメハメハ大王の夫人の1人で、後に摂政になられたカアフマヌ様も、それは気が強い方でした。
大王が他の夫人のとこに行くと、決まって喧嘩になったそうです。
ある時は家出をして、遠くの島まで泳いで逃げたそうですよ」
「ほお……。
大王も夫人には振り回されたのですね。
どのようにして仲直りをしたのでしょう?」
「艦隊を差し向け、島を包囲し、匿った村を焼き討ちにしたら、
『そこまでして私を探してくれるんですか!?』
と感動して仲直りしたようです」
「…………」
「榎本! 呆れないで下さい!!」
「恐れながら、カメハメハ大王は日本においても、戦国時代の有力大名としてやっていけますな。
焼き討ち大好きな織田信長公といい勝負になりそうです……」
「日本にもそのような方が居たのですね!
ハワイ人にもその時のような活力が戻れば良いのですが……」
兄はもっぱらアメリカ汽船をチャーターし、それで移動するが、リリウオカラニは自国の軍艦に乗る事を好んだ。
水兵としてハワイ人が鍛えられ、軍艦を操っているのを見るのが好きだった。
カラカウアは、それ故にこそ外洋航海にハワイ人水兵の多い軍艦を嫌い、他国の商船を使うのだが……。
「カヘキリ」は中継地のマウイ島ラハイナに投錨した。
軍艦、汽船だが、この時代の進歩は著しい。
日本に来航したペリー提督の「サスケハナ」は、帆走が主で、蒸気機関は入出港時または戦闘機動の時に使用する。
ポスト南北戦争の軍艦である「カヘキリ」(フランス製アルマ級)も帆走主体だが、航行にも蒸気機関を使用する。
この次の世代の軍艦(既に建造されている)は、蒸気機関主体となり、帆走は補助機能となる。
さらに新世代、イギリスでは設計が始まっている巡洋艦は、帆走を廃止、蒸気機関のみとなる。
「カヘキリ」は一世代前の軍艦で、間もなく二世代遅れとなるのだが、石炭を輸入に頼るハワイでは帆走主体の軍艦の方が都合が良い事情があった。
「ハワイ島まで視察に行ったついでなので、帰路は各島を視察します」
というリリウオカラニの命令により、「カヘキリ」はまずラハイナに着いた。
摂政一行はラハイナ知事と警察署長、新撰組ラハイナ支部の藤田五郎の出迎えを受けた。
さらに商工会議所の歓迎も受ける。
「藤田君、随分機嫌が悪いねえ」
榎本は、穏やかな笑顔の藤田五郎の、実は不機嫌な部分を感じ取った。
藤田は笑顔のまま、榎本にしか聞こえないよう耳打ちする。
「してやられましたよ」
「誰に?」
「黒駒の勝蔵です。
監視をしていたのですが、カラカウア王が世界一周の旅に出るのと前後して、奴もハワイから出国していました」
藤田五郎(旧名斎藤一)は新撰組の中でも諜報活動を得意とする。
その彼を出し抜いて海外旅行に行かれたとは、彼の機嫌も悪くなるだろう。
マウイ島は黒駒一家が裏社会を支配し、しかしそれによって表の社会の景気まで良くなっている、黒駒について様子を見た方が良い、それは榎本たちも報告を聞いて理解していた。
だが、何をするか読めない相手だけに警戒は欠かせない筈だ。
「そして今、奴さんはどこに居るんだ?」
「戻って来ました。
行方不明になって、こちらが密かに捜索していたのも知っていたのでしょう。
ふらっと現れ、『手間かけましたな、これ香港のお土産ですら』と、あの酒を置いていきましたよ」
口調は穏やかだが、語尾の響きに若干怒りが感じられる。
「土方君はいないから僕が言うしかないが、まあそう気にするな。
簡単に扱える野郎なら、土方君も君をホノルルに戻しただろう。
今でも監視させてる以上、一筋縄ではいかぬ野郎なのさ」
「では、その一筋縄ではいかぬ野郎からの伝言です。
その内ホノルルにも顔を出します、だそうです」
「そうか……、用心する事にするよ」
黒駒の勝蔵の用事は、何となくは見当がついた。
商工会議所主催の午餐会から戻って来たリリウオカラニが榎本に
「タックス・ヘイブンとか何かご存知?」
と聞いて来たからだ。
「税の楽園ですか?
いえ、自分も勉強不足なもので……」
「なんでもマウイ島全域の企業について、税金を免除しろと言って来たのです。
王国の財政の問題です、許すわけがありません。
しかし、彼等が言うにはタックス・ヘイブンは外国企業を呼び寄せ、経済が潤うだけでなく、それ自体が国を守る盾になるとの事です。
私も勉強不足で、そのような事について知らないので、即答はしませんでした。
兄が戻ってからにします、と返事をしておきましたの。
確かに、カジノというゲームの場の税金を免除したら、あの寂れていく一方だと思った町が活気を取り戻しましたからね。
イエスともノーとも言えません。
そうですか、色々知っている榎本でも知らない事はあるのですね」
「申し訳ないありません」
頭を下げつつ、これがどこから出た思考なのか、榎本には想像がついた。
ハワイには無い思考で、最近まで外国でそういうものを見て来て、ラハイナの商工会議所に影響を与えられる男。
(黒駒の勝蔵、自分で言っといてなんだが、一筋縄ではいかぬ野郎だな。
下手したら俺より新しい知識を身につけているかもしれねえ。
褌締め直してかからねえと、足元掬われてしまうかもな。
かの漢王朝を起こした劉邦は農民の出で、博打ばかりやってたヤクザまがいの男だ。
黒駒の事も、過大評価やもしれぬが、油断はならぬ、油断はならぬ……)
タックス・ヘイブンはイギリスが自国の植民地の中に作ったのが最初とされる。
つい最近できた概念で、香港もタックス・ヘイブンである。
そこには多くの企業が本籍地を移し、合法的に節税している。
これを教えたイギリス人に、本国と通じた野心が無かったわけではない。
ドルに基軸通貨を変えたハワイを、タックスヘイブンを使ったポンド金融ネットワークの中に置いておき、それでイギリスの存在感を維持させる計算があった。
それを聞いた男は、イギリスの野心は何となく悟ったが、それよりも「米ドルだけでなく英ポンドの後ろ盾もあった方が良い、転ばぬよう杖は2本あった方が良いだろう」と理解していた。
榎本は、手ごわい政治家が現れたのを感じ、冷たい汗を流したのだった。




