兵部卿大村益次郎の旧幕府観
19世紀後半、アメリカ合衆国の太平洋方面における力は左程強くはない。
原住民やメキシコと戦争をしながら拡張し続けた領土で、まだ発展していない。
故にこそ、太平洋方面にも勢力を伸ばすべきだと主張する者は、北太平洋の中間付近にあるハワイ諸島を重視する。
ハワイ諸島の内、オアフ島の真珠湾こそ北太平洋全域に睨みを利かせる拠点と考えている。
元々彼等に、帝国主義的な征服欲求があったのかは分からない。
征服したいと考えるようになったきっかけの一つは、ハワイの人口が減少して「いずれどこかに奪われるかもしれない」と考えた、というのはある。
「ハワイはアメリカの生命線」で、イギリス、フランス、ロシアも狙っていた為、自力で国を護れず、どこかの国に取られるくらいなら、アメリカに併合させた方が彼等も幸せだろう、というのがハワイに移住したアメリカ人の半数くらいの考えにあった。
そして最近は、日本という勢力が台頭しつつある。
日本はアメリカの脅威を過剰に捉えていた。
ペリー提督の4隻の蒸気船に開国させられたこと、下関戦争でアメリカ船に負けたことが頭にあった。
一方でアメリカもまた、日本の発展を過剰に捉えていた。
海軍力を強化しつつあり、現在の軍艦では勝てない。
ハワイのアメリカ人の恐怖は、ハワイと日本が手を組む事であった。
距離的に、人口的にアメリカと対抗出来るのだから。
カラカウア王に随行して世界一周の旅に出たジャッドとアームストロングだったが、彼等はカラカウアに出し抜かれた。
監視を潜って、日本の天皇と極秘会談をした。
彼等はそれについて、当日休暇を言い渡されていた親衛隊長土方歳三の関与を疑った。
既にカラカウアが日本人たちと密接な協力関係にあるならば、憂慮すべき事態である。
しかしそれは杞憂に終わった。
日本の警察官杉村義衛(旧名・永倉新八)が、土方歳三襲撃犯についての説明をしに宿舎に現れ、アメリカ人たちは土方はカラカウアとは別行動で、しかも恨みを持つ者から殺されかけていた事を知った。
(そのまま殺されていれば良かったのに……)
と彼等は考えたが、とりあえず現時点で、何かの野望を持つカラカウアを日本人が背後から助けている、というのは無い事が分かった、それだけで十分であった。
「それで、連中はどうなった?」
土方の問いに、永倉は苦笑いを返す。
「『酔っ払いが身なりの良い者から金を脅し取ろうとして喧嘩になった。
酔っての犯行であり、留置所で一晩寝かせたら譴責の後に釈放』
という事になりましたよ」
「やはり、そんなとこか」
報告書を受け取り、何枚かめくって見ながら土方は続ける。
「それで、実際のとこはどうだ?」
「長州と土佐のお役人が動きましたよ、薩摩や肥前の動きは無し。
警視庁に怒鳴り込んで来たりと、恨みで見境い無くなってますね。
ですが、いずれも小者ばかりで、大臣級は動いていません」
「では、その大臣級に小者を取り締まって貰おうか。
カラカウア陛下に頼んで、外交使節団の1人が襲撃された事の苦情を出して貰う」
「外務卿は激怒するでしょうな。
あの人は条約改正の為に、外交の不手際をしないよう今までやって来たのに、身内にフイにされそうなわけですから」
「まあ、うちの王も宿舎脱走なんて事をやらかしたから、内々で収める事にすれば、外務卿とやらの顔も立つだろう」
頷いて、永倉は別の書類束を渡す。
「昨日言った、大村益次郎の弟子の船越衛から、自分が聞き取った報告書です。
昨晩の件で、ハワイ王使節団の宿舎に堂々と入れるきっかけが出来て良かったです。
そうでなかったら、折角日本に来てるのにどうしようかと思いましたよ」
「ありがとなあ。
でも俺ぁ学が無いから、詳しいとこはハワイ帰って榎本さんに読んで貰うよ。
で、掻い摘んで言えば、どういう事なんだ?」
「大村は、新政府より幕府の方が民衆の為には良い政体だと気づかせてはならない、そう考えていたようです」
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大村益次郎の考えはこうであった。
「幕藩体制、地方分権は決して間違った政体ではない。
むしろ地域の細かいところに目が届き、上や同格の者から監視される事で善政を競い合う、民衆には優しい政体である」
その上で
「それでは侵略して来る外国勢力に勝つ事は出来ない。
細分化された政府には、それ相応の経済力しか無い。
戦国乱世の時代と違い、現在の合戦は銃ひとつ、大砲1門でも費用がかかる。
長州は実質百万石という力を持っていたが、それでも攘夷などは出来ない。
軍艦1隻追い払う小攘夷すら無理なのに、外国に敬意を抱かせ侵略の芽を摘む大攘夷など以ての外である」
と、幕藩体制は現状に合わない事を指摘した。
「新しい政府は、全国一律での支配と過酷な徴税を行わねばならない。
軍事力を整えるには費用が必要で、現在のところ我が国は税でそれをしなければならない。
また、兵も草莽より集める必要がある。
税を取り、兵として働かせながら、さらに国力を強める為の方策を採らねばならぬ」
新政府は苛政にならざるを得ない。
幕府の頃よりも重税にし、庶民にも兵役を勤めさせ、その上で産業を興させないとならない。
「政府はその教導をすべし」
新政府は民を導く必要があると大村は述べる。
「されど、大局観を有さぬ限り、苛政を行う政府は虎の如し、忌避される。
農工商は二百有余年、戦に参加せずに自分の仕事をしていれば良かった。
それが税が重く、兵役を課され、国の為の使役を命じられたならば、そのような政府は要らぬとなろう」
「高杉翁が奇兵隊を集め、諸隊が国を護った長州には、防長二国が亡びるかもしれぬという危機感があった。
それ故に草莽崛起がなり、武士を駆逐して民が勝つに至った。
しかし、この長州の事例を全国で期待する事は出来ない。
海を持たぬ山奥の百姓には、知らぬ外国よりも、彼等を駆り立て海辺に連れ去り、銃を持たせて警備をさせる政府の方が迷惑極まりない。
我が国に迫る脅威を教えるにしても、実感無き者には時間がかかる」
「そうして新政府を棄て、幕藩体制を再び選ぶような事にしてはならない。
新政府に対し、幕政復帰の戦を全国で起こされたならば、新政府は勝てない。
今の我々は建武新政権のようなものであり、再度武士による幕藩復興の乱を足利尊氏にされたなら、同じ運命を辿ろう」
大村益次郎は、西郷隆盛を「足利尊氏」の再来と警戒していたという。
「百姓町人が足利尊氏につき、新政権を否定したならば、もう再起は難しい。
新政府は大義を失う。
親政は停止となり、大なる幕府と小なる藩とが細分化した日本を統治する時代に戻るだろう」
実際にはそうはならなかった。
民は武士と共には戦わず、地租や徴兵への一揆を起こしつつも、結局新政府に従った。
だが、明治二年の時点では大村の危惧を否定は出来ないだろう。
「足利尊氏は海を渡って湊川に押し寄せた。
さて、現代の足利尊氏は如何であろうか?」
これは九州に隠棲した西郷隆盛の事とも解釈できるし、あるいはもっと遠い南の島か……。
「不幸な事に、今後十年近くは幕藩体制でも国は守れる。
外征に出ず、国を守る事に徹するならば、今より負担を軽くし、守備方面を限定し、責任を明確にして諸侯に当たらせるやり方でも何とかなる。
政争に費やさず正しく世界を見ていたならば、幕府も奥羽諸侯も決して西軍に負けぬ軍備を整えられた」
これは実際に、先を読んで武器を購入していた庄内藩や長岡藩という例があった。
先に軍港を抑えていなければ、会津もプロイセンの後装銃で戦っていただろう。
「しかしさらに先、二十年、三十年となると幕藩による守備国家は上手くいかない。
銃器、大砲、軍艦の値は毎年上昇している。
いずれ経済力が小さい諸侯では購入できない時代が来る。
例え日本が統一されていても、現在のままでは同じ事が言える。
ゆえに税を多く取り、国が産業を整え、数十年先を見据えて経済力をつける必要があろう」
ここには土方も驚いた。
まさか「あと十年くらいは」幕府でも大丈夫だったと、幕府を倒した者が言っていたというのだから。
「江戸幕府を倒した男」大村益次郎は、幕府について高い評価をしている。
だからこそ「今は厳しい時期なのを分からず、優れた幕藩時代に回帰」を望まれる事を恐れ、一度改良型で「この先十年保つ」幕藩体制に戻ってしまった場合、数十年後の敗北が見えてしまうという。
続いて土方は別冊に目を通す。
大村益次郎は、旧幕府の人間を観察していた。
「大鳥圭介は余と適塾の同門にて、南国で遊ばせておくのは勿体ない。
首に縄をつけてでも連れ帰り、国事を任せるべきである」
「榎本武揚は、我が国において海軍というものの戦略に精通した数少ない将である。
蝦夷地の残党を『事実上政権』として諸外国に認めさせた外交手腕も中々のものである。
降参した勝安房と併せて、よろしく海軍を任せるべし」
等等。
大村はハワイの旧幕府体制等崩壊させ、足りない人材を得たかったという事も分かった。
「薩長土に佐賀や松代、水戸と言うものの、国の大事を任せる人材に足らず。
専門知識を持ち、それを用いた実績がある者は徳川家家臣にこそ多し。
それをみすみす海外に捨てるやり方等あろうか」
その紙の最後にはこう書いていた。
「怨霊や夢によって国家の大事を決めるとは、新国家足り得ざる失策なり」




