土方歳三の長い1日(後編)
1881年3月10日、赤坂離宮で明治天皇はハワイ王カラカウアと私的な会見をした。
その席でカラカウアは驚くべき事を口にした。
「ハワイ王国と日本とを連邦国家に出来ないだろうか?」
帝は驚いた、がそれを表情に出さない。
カラカウアは真剣な表情で語る。
『明治天皇記』によれば、以下のようであった。
「今次巡遊の主旨は、多年希望する所の亞細亞諸國の聯盟を起こさんとするに在り。
歐州諸國は只利己を以て主義と為し、他國の不利、他人の困難を顧みることなし。
而して其の東洋諸國に対する政略に於いては、諸國能く聯合し能く共同す。
然るに東洋諸國は互いに孤立して相援けず、又歐州諸國に対する政略を有せず。
今日東洋諸國が其の権益を歐州諸國に占有せらるる所以は一に此に存す。
されば東洋諸國の急務は、聯合同盟して東洋の大局を維持し、以て歐州諸國に対峙するに在り。
而して今や其の時方に到来せり」
欧州諸国は利己主義に走っている。
東洋諸国は連合してこれに当たるべきなのに、互いに孤立している。
だから大局の為に連合同盟して欧州諸国に対峙しよう、今がその時だ!
と王は語るのであった。
「今次の旅行、清國、暹羅、印度、波斯等の君主にも面会して、具に聯盟の利害得失を辨説せんと欲す。
然れども、弊邦はさいじ(小さい)たる島嶼にして人口亦僅少なれば、大策を企畫するの力なし。
然るに貴國は、聞知する所に違わず、其の進歩実に驚くべきのみならず、人民多くして其の気象亦勇敢なり。
故に亞細亞諸國の聯盟を起こさんとせば、陛下進みて之が盟主たらざるべからず。
予は陛下に臣事して大に力を致さん……」
ハワイには力が無い、しかし日本は文明の発展も素晴らしいし、人口も多い。
アジア連合の盟主には陛下が相応しく、自分は臣として陛下に力を貸しましょう。
ハワイ王が臣従を申し出た、翻訳の具合もあるだろうが、そういう事であった。
「姪のカイウラニ王女を貰って欲しい。
しかるべき身分の方で結婚させて貰いたい。
候補としては、山階宮定麿親王殿下は如何でしょう?」
山階宮定麿親王、後の海軍元帥・東伏見宮依仁親王である。
カラカウアはどこで仕入れたのか、13歳のその親王の名を挙げた。
なお、カイウラニ王女は当時5歳である。
明治天皇は黙って聞いていた。
そして慎重に
「即答できかねます。
後日お答えいたします」
と答えた。
カラカウアは「いつまででもお待ちします」と必死に訴えた。
赤坂離宮にカラカウアが居るという事は、離宮の職員から外務省を通じて、警察、そして随行団に知らされた。
場所的に最も近い所にいた土方が赤坂離宮に迎えに行く。
「国王親衛隊長土方歳三、カラカウア陛下をお迎えに参上いたしました」
離宮の門で土方が挨拶する。
門衛はどうやら土方の事を知っているようだ。
緊張感を走らせ、駆け足で上官のところに向かった。
しばらくして使者が帰って来る。
「カラカウア陛下の出迎えご苦労である。
ただいま延遼館に連絡が行き、随員2名が馬車で迎えに来るとの事。
土方親衛隊長は、カラカウア陛下のいらっしゃる応接室にお通ししますので、そちらでお待ちあれ。
そこの警察官、ご苦労だった。
帰って良いぞ」
侍従がぞんざいに扱っている警察官もまた、新撰組の組長だったと知れば、彼もぞっとした事だろう。
だが永倉はそうやって他人を脅かしたりはしない。
一礼し、
「ではこれで失礼します。
今晩の狼藉者の顛末と、依頼されていた件の報告書は、後で宿舎に届けますので」
と言って去っていった。
「ひ……土方? 何故に君がここに?
今日は休日を与えた筈だよね?」
カラカウアは先刻までの真剣な表情が飛んだ、いつもの顔で脅えていた。
「自分が用がありましたのは、この先の赤坂氷川でしたので。
全くの偶然ですがね!」
目が怖い。
さっきまで殺し合いをしていた為、殺気がいつも以上に強烈である。
もう一言くらい文句を言おうと思った時、侍従が現れた。
「土方隊長、帝がお会いしたい、話を聞きたいとの仰せです。
是非にこちらにお越しいただけませんか?」
先代孝明天皇の時、「禁裏守護」のお役目を会津藩が担い、新撰組はその下で市中見回りを行った。
直接天皇の顔を見た事は無い。
だがこの日、彼は帝に呼ばれるという思いがけない事を経験した。
(おいおい、勇さんよぉ、俺ぁ今までどんな奴の前でも気後れした事はねえのに、今だけは震えちまってるぜ。
どうしたってんだろうな、おい)
土方は西洋式の礼法もハワイで学んだが、ここでは武士の礼を取る。
平伏した。
「おもてを上げられよ」
頭を上げると、帝が椅子に座っていた。
その横には見覚えのある顔があった。
「よお、土方君、久しぶりだな」
それは山岡鉄舟であった。
彼には壬生浪士組立ち上げの時に世話になっている。
「榎本君は息災かね?」
天皇ではなく、山岡が質問をする。
どう答えるか戸惑っていると山岡が
「わしが聞いた時は普通に答えればいいよ。
御上の質問には礼をもって答えろ。
聞きづらい事、言いづらい事もあろうから、わしがここにいるのよ」
土方は頷いた。
山岡はハワイに行った者たちの名を一々上げ、その消息を聞いた。
土方はほとんどについて答える事が出来た。
何故なら、離脱する者もなく、皆がハワイで精勤しているからである。
そんな中、帝が直接聞いたのは
「会津中将は如何しておるか?」
という事であった。
土方は言葉遣いに気をつけながら、ハワイ島ヒロに十万石相当の領地を得て、隠居身分ではあるがハワイの大酋長と同じ格式を与えられ、領民に敬われながら暮らしている事を報告した。
帝は一つ一つ頷く。
「朕は、如何に崇徳院の言葉とはいえ、会津中将までをも国から出した事を悔いておる。
だが、あの時は……致し方無かった」
帝も言葉を選んでいた。
「いずれ呼び戻したい。
中将には息災で居るよう伝えよ」
土方は頭を下げた。
そして帝は
「ハワイ王の話を聞き、崇徳院の、お父様の言われた事が分かりました。
そなたたちは列強に負けず、彼の王を援けたもう事を」
無茶言うぜという軽口を、思うことすらせず、土方は承った。
カラカウアの迎えの馬車が到着したと聞き、土方が帝の前より退出した。
見送りに山岡鉄舟が着いて来る。
「なあ、土方」
「何だよ?」
「わしはお主らが羨ましい。
攘夷がきちんと出来るのだからな」
「は?」
「わしは、清河八郎たちと共に、攘夷の『虎尾の会』などを立ち上げておったのだ」
かつてハワイで暴動を起こし、土方が拷問の後に薩摩に送り返し、佐川官兵衛が討ち取った伊牟田尚平もまた、「虎尾の会」に名を連ねていた。
片や尊皇討幕の怪人清河八郎、片や生粋の幕臣山岡鉄舟、更に薩摩人の伊牟田尚平に、越後商人の子も居たりと「虎尾の会」は何とも捉えどころが無い。
だが、その時代から活動していた山岡にしたら、皆が結束して一つの目標に向かっているのは羨ましいと言う。
「穢らわしき洋夷」という偏見でも、「幕府を倒す為」という方便でもなく、正しく西洋と付き合いながら、国を損なう者あらば立ちはだかり、阻止する覚悟というのが山岡の気に入ったところでもある。
「西郷隆盛との約束でな、わしは侍従を十年に限って勤める事になっている。
来年がその十年目だ。
わしもハワイに行って攘夷などやってみたいものだが」
「勘弁して下さい……。
これ以上、厄介なのを抱え込みたくないです」
「わしを厄介者扱いするか!」
山岡は大いに笑った。
そして
「これ以上って、誰が厄介なんだい?」
と聞く。
土方は辺りを見回して、小声で答えた。
『うちの王様だよ。
この旅だってお忍びにしたいって言うし、黙ってこんなとこに来るし、何か色々要求したらしいですし……』
「土方君」
「はい、失言でした」
「いや、その色々要求した事について、他言無用だよ。
決して漏らしてはいけない」
「??
はあ、分かりました。
では、これにて」
カラカウアが手招きしている。
土方はいつもの仏頂面に表情を戻すと、彼と共に馬車に乗り帰っていった。
これが生涯で最初で最後の天皇との謁見となった。




