カラカウア王来日
「なあ、デーヴィッドよ」
カラカウア王の幼馴染で親友であるアームストロングは、王に対する態度が非常に馴れ馴れしい。
「なんだい?」
「あの男、どうにかならないかい?」
アームストロングが嫌がっているのは、彼等が馴れ馴れしい態度になる度に放たれる「親衛隊長」の殺気だった。
彼もまた幼馴染で親友を長に据えた組織を作ったが、決して馴れ馴れしい態度を取らなかった。
上に立つ者に下が馴れ馴れしくして良い事など無い。
それゆえ、国務大臣なんて地位に就き、馴れ馴れしい態度を取るジャッドやアームストロングに、土方は何もしないが無言で殺気を浴びせ、馴れ馴れしい態度を許すカラカウアにも不快の念を送っていた。
カラカウアはこうなるのが分かっていたから、私的な旅に土方を加える気は無かったが、王妃のたっての願いで加えたのだ。
「まあ、実害は無いから、慣れろ!」
カラカウアはそう言って逃げた。
やがて蒸気船「オセアニック」は、とある水道を通って日本に入港しようとしていた。
余談であるが「オセアニック」号の所有会社はホワイト・スター・ライン社である。
この会社は後に「タイタニック」という超巨大客船の所有と喪失で有名になる。
「土方、あれがトーキョーか?」
「いえ、あれは横浜村です」
「日本の首都はトーキョーだろ?」
「今はそう言うそうですね。自分には江戸と言った方がしっくり来ます」
「エド?」
「あの町は古くからそう呼んだのです。
東京と言うのは、『東の京都』という意味です」
「ふむ。では、エドはここから遠いのか?」
「いえ、横浜に入港した後、この海沿いに進めばすぐです」
「なるほど、今我々がいるのはエド湾の入り口付近ということだな」
カラカウアはそう言って、頷いた。
一つの不思議がある。
カラカウアが日本に到着した時の記録に
「We steamed up the Bay of Edo」
とあるのだが、「江戸湾」という呼称は、江戸時代や明治時代には存在しなかったとされる。
さて、これはヨーロッパの地図に古くからあった「Edo Bay」という記録をハワイ王が知っていたからだろうか?
それとも……?
「こ……これは……!!」
カラカウアは思わず息を飲んだ。
「オセアニック」号が入港すると、港内のロシア・イギリスなどの軍艦が一斉に21発の礼砲を放った。
上陸すると軍楽隊がハワイ国歌を演奏して一行を迎える。
このハワイ国歌「ハワイ・ポノイ」は、カラカウア王自身が作詞したものである。
(それが、この国にも知られていた)
カラカウアはいたく感激していた。
政府は、関係改善したハワイの旧幕臣に頼み、ホンマ・カンパニーの船で急遽ハワイ国歌の楽譜を送って貰っていた。
さらにハワイ語、ハワイの禁忌、ハワイの風習等詳細な情報が送られていた。
(旧幕臣ども、初めて役に立ってくれたな)
と政府の一部高官は、ひねくれた感謝をしていた。
埠頭には多くの民衆が詰めかけ、歓声を上げている。
さらに官僚たちが居並び、国王一行を出迎える。
井上外務卿が馬車に誘い、手を取って共に乗り込む。
この日は伊勢山離宮に宿泊となった。
その沿道に多くの民衆が集まり、一行を見て騒ぐ。
「これ程の歓迎を、私は今まで受けた事がない」
カラカウアの目に感動の涙が浮かんでいた。
そんな中、警護の都合で、頼み込んで御者の位置に立たせて貰った土方は
「あれ? どこに伊庭八がいるんだ?」
「伊庭八は? 隻腕だからすぐ判る筈なんだが?」
と言った声を聞きとった。
(伊庭? なんで伊庭八郎? どこかで随員に伊庭がいることになっちまったのか?)
と訝った。
まあ連絡間違いで、居ない者が勝手に居る事になっていたとしても、もうそれはどうにもならない。
彼の使命は、王を狙う不届き者が居ないか見張る事である。
(日本にとってハワイ国王が何か不都合を為した事はない。
恨まれる理由もなく、狙われる理由も無い筈だが、日本は十数年前まで攘夷を叫んでいた。
国王が攘夷志士によって『穢らわしい夷狄』と狙われる事も有り得る)
土方は気を抜かない。
この警戒は中途半端に当たっている。
ハワイ国王は全く狙われていない。
歓迎されている。
狙われているのは、親衛隊長土方歳三その人であった。
十数年前まで攘夷を叫んでいた者は、土方の属していた新撰組に捕らわれ、殺された。
その恨みは、十数年ぶりに姿を現した土方に向けられているのである。
道中何も起きず、カラカウア一行は伊勢山離宮に到着する。
花火が上げられ、政府要人による歓迎式典が開かれた。
土方歳三は式典には参加せず、門外で警備に就いた。
(俺はあの場所に居てはいけない。新撰組はあそこには入れないのだ)
と自粛というか、かつての敵と席を同じくしないという気持ちで、外に立っていたのだった。
そんな彼に、敬意を込めた敬礼をしてくる警察官と、殺気を秘めた視線をぶつけて来る警察官とが居た。
殺気を持った方は、きっと長州か水戸かは知らないが、彼等が殺した志士の身内なのだろう、土方は理解していた。
逆に話しかけようとした警察官もいたが、土方は「公務中である」と断った。
(俺に話しかけたとこを薩長の奴らに見られたら、後でどんな酷いいじめを受けるか分かったもんじゃねえぞ)
そう思ったりもした。
翌日、カラカウア一行は汽車で東京に向かう。
「この国は鉄道を走らせているのか!」
カラカウアが感動する。
ハワイにも鉄道はある。
瓢箪型をしたマウイ島の中央部を横断するように、砂糖運搬用の鉄道が通っている。
カフルイ鉄道である。
1879年、つい2年前に開通した「私鉄」である。
マウイ島カフルイの郵便局長のトマス・ホブロンが敷いた鉄道である。
……彼が鉄道を敷くにあたり、東洋人が大量の資金供与と工員派遣を申し出たという……。
浜離宮内の迎賓館・延遼館に到着した。
12日間の日本滞在中の宿舎となる。
アームストロングが記した日記にはこのようにある。
『日本風とヨーロッパ風のそれぞれ最高級の家具が備えられてる部屋がものすごくたくさんある。
着替え室のテーブルには、さきほど天皇との会見のときに出されていたお菓子が山盛り。
……この広々とした屋敷に我々たった4人しかいないわけだ。
広間や寝室の前にはおおぜいの召使たちが控えてはいるが』
『重い正装を解いて、宮殿の中のたくさんの部屋を覗いてみた。
どの部屋にも繊細で絶妙なデザインの家具や、非常に高価な薩摩焼の花瓶が置かれている』
カラカウアを迎えるにあたり、日本側も気合いを入れていた。
花で「ALOHA」と飾られていた事に、カラカウアは感動した。
土方を除く3人は、皇居で明治天皇に謁見する。
アームストロングは、彼の主君に対し時に馬鹿にしたような態度を取っていた。
カラカウアもそれを許すところがあり、君臣緩みきった間柄であった。
だが、明治天皇に謁見したアームストロングは、全く違った印象を抱いた。
『厳しい目で閣僚を見ている。
とても、誰かに操られるような人物ではない』
カラカウア自身も明治天皇に会い、その器量を認めたのかもしれない。
カラカウアは、ある思いを秘めていたが、この君主にならそれを託せるかもしれない。
彼は計画を実行しようと決めた。
カラカウア一行の予定はぎゅうぎゅうに詰まっていた。
製紙工場や印刷所の見学、陸軍士官学校や海軍兵学校の視察、新富座での観劇など予定が決まっている。
皇居での挨拶に近い謁見とは別に、赤坂離宮での会談が予定されていた。
陸海軍の視察の後になる。
この日が狙い目であろう。
いや、この日しか無い。
カラカウアには、その計画において邪魔な者がいた。
背後を護って離れない親衛隊長土方歳三である。
彼は任務に忠実である為、きっとこれからの自分の行動を見逃さないだろう。
だからカラカウアは、土方を呼び出し、許可を与えることにした。
「私は明日、赤坂離宮で天皇陛下と再び会う。
どうせ君は離宮等に入ろうとしないだろう?
何があったか、どうしてなのかは聞かない。
だが、どうせ同道しないのならば、この日は君に休日を与える。
君は、エノモトやイバたちから家族への手紙を預かって来たそうじゃないか。
この日の内にそれを届けたまえ。
そうでないと、もう予定的に私的な事を出来る日は無いだろう」
土方は熟考した。
確かに彼は政府高官の居並ぶ座に行かない、そう決めている。
そして、視察等では絶えず国王の背後を護る役目がある。
ゆえに、国王の赤坂離宮訪問時しか私的な用を果たせる日は無い。
帝のおわす場所で、外国首脳を襲おうとする馬鹿は、まさか政府内にはおるまい。
帝との会談ならば、安心して休む事も出来るか……。
土方はカラカウアに頭を下げ、休日許可を有り難く受けた。
そして土方の長い日が始まる。




