カラカウア王、世界一周の旅に
ハワイ王国第7代国王カラカウアは、ズバ抜けた名君とは言えない。
彼の治世は、国王選挙の結果に反対するエンマ女王派の暴動から始まる。
ケチがついた形であった。
その後彼はアメリカを訪問し、互恵条約を締結させる。
アメリカへの輸出関税が0となり、砂糖農園主や米の農園主は大いに得をした。
彼等の税収により、1873年金融危機以来の苦しい財政は危機を脱する。
不幸もあった。
日本で西南戦争が起きた1877年、後継者に指名した弟のレレイオホクが死亡した。
後継者指名が無いと、王死亡後に選挙となる。
カメハメハ5世とルナリロ王の死後はそうだった。
カラカウアは即座に妹のリリウオカラニを後継者に指名した。
選挙は行わない方針と言えた。
経済が立ち直り、身内の不幸の喪も明けた頃から、カラカウアは散財を始める。
ハワイ国王の住居はイオラニ宮殿という。
元々首都はマウイ島のラハイナだった為、この地にはオアフ島の知事であるボキの邸宅があった。
カメハメハ3世がホノルルに遷都し、この邸宅に住んだ。
古い珊瑚と木の簡単な建造物であった為、あちこちが壊れている。
カメハメハ5世はここよりも、今は某企業の宣伝で有名なモンキーポッドの生えた公園の辺りにコテージを構え、そこに住んでいた。
カラカウアの対抗者エンマ女王は、別に山荘を持ち、そこで生活している。
カラカウアはこの草臥れたイオラニ宮殿を、全面改築する事を決めた。
カラカウアの支持者であるギブソン財務大臣は5万ドルの予算を割り当てた。
さらに、即位時に出来なかった戴冠式を行おうと言い出した。
ギブソン財務大臣はこれにも1万ドルの予算を計上する。
後に分かるが、実際にかかった費用は5万ドル超であった。
そしてカラカウアは1881年に
「世界一周旅行をするぞ!」
と言い出した。
議会は前代未聞の事に慌てる。
これも後に分かった事だが、この旅行にかかった費用は2万2500ドルであった。
1880年の合計12万2500ドルは、2018年換算で321万8630ドル相当である。
思いっきり省略し、322万ドルとすると日本円換算1ドル=110円で3億5420万円となる。
時代はやや前のものになるが、かつて榎本武揚を苦しめた装甲艦「甲鉄」は、1867年に40万ドルで購入された。
「甲鉄」程といかずとも、中古の軍艦なら10万ドルあれば購入出来た。
このような金額である。
「お兄様は馬鹿なのですか? 馬鹿なのですよね?
国王が1年近く国を空けて世界をうろつく等、正気の沙汰ではありませんよ!」
リリウオカラニ国王代行は、兄の突飛な思い付きを批判した。
船旅はまだまだ安全ではない。
遭難の可能性もある。
「思う事があっての旅だ。
そう批判しないでくれ」
「どのような事なのですか?」
「アメリカ以外の国から、もっと移民を求めるのだ」
「それ、国王がわざわざ行かなくてもいい事ですよね?
やっぱり旅行したいだけなんじゃないですか?」
「そんな事はないぞ。
それに、国に迷惑をかけないよう、随員は3人だけにした」
「どなたですか?」
「チャールズ・ジャッドだろ、ウィリアム・アームストロングだろ、あと料理人の……」
「全員お兄様のお友達ですよね?
侍従武官とか移民局長って肩書ついてますけど、個人的な友達ですよね?
やっぱり個人的に旅行がしたいだけなんですね!?」
「互恵条約後の話もあるし」
「だったらアメリカに行って、交渉終わったら戻って来て下さいね」
「いや、どうせなら世界一周で知識を広くしてだな……」
「やっぱりただ旅行がしたいだけなんですね!!!???」
批判は親族だけではなかった。
「あの男はただ遊ぶ為に世界旅行がしたいのです」
エンマ女王もまた、カラカウアの世界一周の話を聞くと、そう批判した。
「彼は元々は即位してすぐに行く予定だったのです。
それが暴動が起きて、それどころではなくなったので、アメリカに条約批准で行くだけでその時は済ませたのです。
統治が安定して来たから、気が緩んだのでしょうね」
カラカウアの事となると毒舌な女王であった。
「貴方の好きになさい。
妹さんは私が助けますから」
カピオラニ王妃がカラカウアに助け船を出す。
「流石は我が妻だ!」
「ですが、随員に条件があります」
「何だい? 誰も外さないぞ」
「外せなんて言いません。
親衛隊長土方歳三を同行させる、それが条件です」
「え……………?」
カラカウアは、任務に忠実で強い土方歳三を信用している。
だが、土方は友達ではない。
酒を飲み、ダーツを飛ばし、乗馬を共にする仲ではない。
彼はそれを外から見ているだけなのだ。
一度酒を薦めてみたが
「酔うと人を斬りたくなる」
と物騒な事を言われた。
これでは遊べない……。
カラカウアもリリウオカラニも土方の一面しか知らない。
彼は結構遊び人なのだが、仕事において自制心がやたら強いのだ。
ゆえに護衛任務中は決して遊びに加わらない。
それを見て堅物と判断していたが、非番の時に誘えば割とノリは良い。
京都祇園で散々遊んで来た強者なのだ。
それを知っていたらカピオラニも推薦しなかったと思うが、彼女は夫の目付役と、海外で何か起きた場合の護衛に最適と思って彼を随員に加えるよう要請した。
ジャッドもアームストロングも、アメリカ陸軍大佐だの中佐だのの階級を持ってはいるが、指揮官としてはともかく、いざという時の個人戦闘力と護衛能力で土方には遠く及ばない。
土方が後ろで、美形の癖に仏頂面で刀を触っている限り、心に疚しい事がある者は近づく事すら出来ない。
その殺気は凄まじく、カピオラニは夫の安全を委ねるならこの男しかいないと思っていた。
……逆にカラカウアは、久々に背後からの威圧感から解放されると思っていたのだが。
「そんな訳で、1年程留守にする」
土方は榎本や大鳥らを訪ねてそう言った。
「新聞で見たんだが、世界一周の行程で、日本にも寄るそうじゃないか」
「ああ……」
「日本にも行くんだね」
「行かざるを得んな」
「じゃあ、親族への手紙頼む!」
「こちらも知り合いへの手紙あるんで預かって欲しい」
「俺は一族への手紙とこちらの土産を」
「待て待て! 俺は遊びに行くんじゃないんだぞ」
「手紙を渡す時間くらいあるだろ?」
「いや、そういう問題じゃない……」
「何か問題でもあるのか?」
「俺、新撰組だぞ?」
「だから?」
「今でも恨みに思ってる奴いるだろ?
だから本当は日本に上陸したくはねえんだ。
面倒臭い事になりそうだから」
「土方君らしくもないなあ。
そういうの切り伏せて来たじゃないか」
「俺は国王の親衛隊長だ!
そういう職務の人間が、王じゃなく俺個人への刺客と戦ってどうすんだ!
おかしいだろ?」
榎本が冷静にツッコむ。
「……一国の国王の親衛隊長だったら、日本も刺客を送ったりしねえよ。
外交問題になるだろ。
大丈夫だから行って来な」
「そうかね?
俺は悪い予感しかしねえんだが……」
とりあえず随員として土方歳三も加わり、訪問国にリストが送られた。
土方は、
「会津や桑名まで行けと言わんから、江戸在住の者の分だけな!」
と大量の手紙や写真や土産物を預けられ、渋面がさらに渋面になっていた。
そして悪い予感は当たる。
日本にサンフランシスコの日本領事館からハワイ国王来日の知らせと、その随員リストが送られて来た。
リストの中に、目ざとく「Toshizo Hijikata」という文字を見つけた者がいた。
その男は外務省に問合せ、外務省から在日ハワイ王国領事館に照会がなされた。
そして、10年前にハワイに移住した旧幕府側の人間で「あの男」という確報を得る。
そのやり取りの間に新聞記者が嗅ぎつけてしまった。
そしてデカデカと
「布哇王国より元新撰組副長土方歳三氏帰還」
と、新撰組では実際には着なかったとされるダンダラ模様の羽織を着た錦絵つきで記事になった。
困った事に、どこかで話が混線したのか、錦絵には
隻腕の剣士・伊庭八郎
元京都見廻組・元彰義隊・今井信郎
の絵も追加で加えられていた……。




