西南戦争
明治十年、日本では最後の内戦・西南戦争が勃発した。
その最中、熊本県にて。
警視隊副指揮長兼一番小隊長佐川官兵衛は、見知った顔を敵陣に認めた。
「伊牟田尚平!!」
その怒号に、足を引きずり、顔が一部歪んだ大男が反応する。
「会津っぽの佐川か。
ハワイ以来ごわんど、ここは戦場じゃって、挨拶は刀じゃ!」
刀を抜き、蜻蛉の構えを取る。
佐川も太刀を抜き、溝口派一刀流の構えを取る。
警視庁からのサーベル支給を、彼は「大殿よりこれで戦って来いと言われた」と断った。
規律違反ではあったが、警視庁大警視川路利良が認めた事で、その日本刀帯刀が許可されたのであった。
佐川の戦いは、もしも新撰組の近藤勇や土方歳三が見たら「死ぬ気か?」と文句を言われたであろう。
薬丸自顕流の突進に、真正面から反撃に行ったのだから。
だが、伊牟田尚平はハワイで土方歳三から受けた拷問により、骨が折れたり身体が歪んだりして、かつてアメリカの通訳ヒュースケンを斬った威力は無くなっていた。
その上、佐川は死兵である。
死に場所を求めて日本に戻り、「脱走兵」「会津が」という侮りに耐えながらこの日まで生き続けたのだ。
身体と気迫の双方に勝る佐川の太刀が、伊牟田の刀が振り下ろされる前に、その巨体を大きく斬った。
伊牟田は噴水のように血を噴き出しながら倒れたが、まだ少し生きていた。
「俺いは幸せごわった。
西郷どんな、こげん体の俺いを黙って受け止めてくいやった。
俺いはあん方の下で、武士として戦い、戦場にて武士に刀で斬られて死にもす。
こげな幸せはまたとなか」
だが、その言葉が言い終わらぬうちに銃声がした。
見ると、伊牟田を斬った男が、体から血を流し倒れた。
「佐川さぁ!
ないでじゃ……。
おはんも刀で死なんとおかしいじゃなかか!
誰いじゃ、武士に飛び道具で仕掛けたんわ!!」
その声は野山にただ響くだけだった。
佐川は部下により引きずられ、どこかに連れて行かれた。
伊牟田は最期に
「まっこて、侍として死ぬるは難しかごわすな」
と漏らした、それをある男が聞き取っていた。
佐川官兵衛はまだ生きていた。
「はあ、はあ、……どうやら今度も死に損なったかの」
その言葉に、彼の部下では無い警官が答える。
「いや、あんた死ぬよ。
今はなんでか知らないが、頭も冴えて喋っているが、その内眠いと言って瞼を閉じ、その後は二度と目を開かなくなるさ。
言い残す事があるなら今のうちだ」
「そんなもんかね?」
「そんなもんさ」
「ところで、にしゃ誰だ?」
「失礼した。
私は杉村義衛といい、警視徴募隊に属する。
以前の名は永倉新八と言った。
新撰組二番隊組長を務めていたよ、佐川さん」
佐川はその男の顔を覗き込んだ。
話では何度も聞いた事があった人物。
「貴殿が永倉新八か、こんな場で会えたのも不思議な縁じゃのお。
土方君がよく君の話をしておった」
「土方さんは相変わらずですか?」
「いや?
新撰組でやり過ぎて、それで国王の親衛隊長に抜擢されたから、相変わらずと言えるかどうか?」
「やり過ぎた?」
「ああ、アメリカの白人を拷問して、全ての指を使いものにならなくしたり、片目潰したりして悪評が立ち、警察関係にはおいておけないと、親衛隊長に”左遷”されたのだ」
「じゃあ、相変わらずですな」
「そうか」
「そうです」
死にかけの男は、天国に上るか地獄に落ちるかは分からないが、そこへ行く階段の踊り場にいる。
そう長くは居られないが、居る間は変な興奮状態でもあり、不思議と言葉がよく出る。
「そういえば、貴殿は土方君から”何故新政府は俺たちをしつこく狙うのか”を調査するよう頼まれていたのではなかったか?」
「左様。
だから新政府に仕え、こんな犬の服まで着ているんですよ」
北海道松前で所帯を持って暮らしていた杉村義衛(永倉新八)だったが、意外な事から東京に出る事になる。
警視庁大警視の川路利良が、入庁と剣術指南役への就任を依頼して来たのだった。
断るつもりであったが、土方歳三からの依頼も頭にあり、家族と相談したところ「名誉な事だからお受けしなさい」となった。
それで東京に出て来たが、一下級官吏である警官に大きな調査は出来ない。
分かるところから少しずつ探りを入れていた。
そして、もう少し進むと身に危険が及ぶと彼は見ている。
内務卿大久保利通が壁となっている。
そこまでは進捗したが、無理はすまい、そう考えていた。
ここまでの事は、既に土方歳三に報告していた。
届くまでの時差はあれど、土方は大まかには掴んでいるのだ。
だが、まだ何かがあるような気がして、調査の続行を頼んでいる。
土方と永倉は主従ではないし、永倉は既に所帯を持った事も知っている。
折を見て調べてくれ、と急を要する調査ではなくなっていた。
ハワイに干渉の手を放り投げていたのは、大久保利通と右大臣岩倉具視であった。
しかし、その共犯の一方・岩倉具視は発言が変わって来ている。
「会津の者を帰国させられないか?」
「会津の者を警察や軍に入れられないか?」
薩摩との戦いが不可避になってからの事で、そういう事情があればこそ、他から散々悪口を言われても、ハワイ帰りの佐川官兵衛が警視庁で長のつく役職に就けていたのだ。
それと共に、岩倉の旧幕府への敵意は感情的なもので、敵味方が逆転すれば簡単に変わるものと分かった。
岩倉にとってはそのようなものだが、大久保にとっては違う、もっと重い事のようだ。
だが、性急な深入りは禁物である。
どんな考えなのかを見極めねばならない。
そうこう言っている内に、佐川が静かに口を開いた。
「貴殿が言ったこと、正しかったようだ。
眠くなってきおったわい。
どうやら永遠の別れとなりそうじゃの。
にしゃに会えて良かったと思う」
「……良き黄泉路を」
「この太刀、我が大殿より賜ったものじゃが、貴殿に預ける」
「大殿? 会津中将様の事か?」
「うむ。
縁があれば、殿にお返し願えないか?
いや、きっと縁はあろう……、わしがにしゃとこのように会うたのだからな……」
杉村(永倉)が何かを言おうとしたが、佐川の目は既に閉じられていた。
もう二度と開く事はない。
西南の役は、ハワイの旧幕臣にも伝わっていた。
勃発前より意思統一を行っていた為、揺らぐ事はない。
その為、薩摩から琉球、上海を経てアメリカ船に乗って援軍依頼に来た西郷軍の使者を、榎本武揚は捕縛して王国政府に引き渡した。
「何故か?
貴殿たちとて武士であろう。
その二本差しこそ武士の証である。
今は武士の生きるか死ぬかの瀬戸際。
西郷先生に味方し、武士の世等とは言わぬ、せめて武士が誇りを持って生きられる世にする為、助力すべきではないのか!?」
そう噛みついて来たのは、肥後士族と佐賀士族であり、薩摩人では無かった。
(そりゃあ、徳川を亡ぼした薩摩の者が、その徳川の残党である我々に手を貸せ等とは言えないな。
今更恨みも無いし、薩摩の連中はそういう連中だ)
武士の世がどうこう言うのは、彼等旧幕臣たちには、外国に在って消えそうになる立位置への問いで、何度も己たちで問い続けていた事であった。
戊辰の勝ち負けは今更どうでも良い、今はハワイ王国がこの先も存続する為に戦うのがハワイ武士の大義。
「今でも戊辰の恨みを引きずっておるのか?」
援軍を求めた者は、そう叫んだ。
「戊辰の恨みよりも大きなものがあろう!
細かい事に拘ると大義を見失うぞ」
榎本は鼻で笑っていたが、彼の傍に居た旧会津・比呂松平家の者は違った。
「戊辰の戦を細けえ事だと?
にしゃに何が分かるんだ?
会津のお城で何人死んだか分かっとんのけ?
会津じゃのうても、二本松で、越後長岡で、何ぼ死んだんか分かるんか?
そのような目に会津や他を遭わせたのは西郷じゃ。
今、西郷が賊として追い込まれているとして、一片の同情も湧かず。
非業の最期を遂げるとしても、そりゃ当然の帰結じゃ!」
西郷のシンパも、会津の者の恨みの籠った声に、何も言えなかった。
「では、ここまで来た度胸には敬意を示すが、我々は西郷軍には味方をしないし、そもそもハワイ王国陸海軍は日本に干渉をしない。
それを示す為にも、君たちにはまた海路、日本に戻って貰うことになる。
遭難しない事だけを願うよ。
我々には君たちを秘密裏に葬る意味は無い、無事に帰って貰う事の方に意味があるのだからね」
榎本武揚はハワイ王国に彼等を引き渡し、外交筋から日本に送還する事とした。
それは「ハワイの幕臣は日本に何があっても干渉しない、帰国したり亡命を受け入れない」というメッセージになる。
ハワイ王国の旧幕臣たちは、動かない事によって日本本国の新政府と、関係修復のきっかけを掴んだ。
残るは「何としても旧幕臣を亡ぼすべし」という意志が、どこまで生きているかであろう。
 




