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帰国事情

 1875年……ハワイに来てから既に6年、若い世代にこそ望郷の念が出始めていた。

 日本本国では官軍も賊軍も無く、藩というものが消滅し、好きな土地に住めるようになった。

 自分たちだけが何故許されないのか?

 そろそろ故郷に戻してくれても良いではないか!


 それは満たされた武士のわがままと言えた。

 本国では次第に武士の特権が奪われていき、士族は様々な形で新政府へ反抗している。

 彼等の中には「何故、勝った自分たちがこんな目に遭うのか!」という不満があった。

 それを、次第に武士の誇りを取り戻しつつあるハワイの日本人は実感出来ない。

 朝昼に田畑を耕しながらも、時に刀を差して軍事訓練をし、学問所で論語を読み、子供たちに水練や剣術を教える。

 殿様は健在で、少ないながらも禄を得ている。

 禄を得るのは、出仕して殿様の身辺警護をし、予備役兵として軍事訓練をし、時に領内外の百姓の為に橋をかけ、用水路を掘り、船を直したりする諸役をするからだ。

 昔と違い、無役で禄だけ得られはしないが、天下万民の為の手伝いや、戦争の学習は悪くはない。

 現地人からも恐れ、敬われる。


 己れの責任で幕末の動乱に身を投じ、悲惨な敗戦も今の「昔に戻ったような日々」も味わっている者は、今が望外の幸せにあると理解している。

 本国に戻って、今の待遇を失いたくない保守的な理由もある。

 だが、幕末動乱期に子供だったものは、戦の辛さは分かったが、それは自分の選択ではない。

 経験の少なさもあり、そろそろ武士として生まれ故郷に戻って良いのではないかと考える。


 実感は出来ない、しかし事態は聞いている士族の不満。

 我々は本国に戻り、武士として諸国の士族と手を取り合い、新政府を倒すべきではないのか!

 否、士族の不満を叫ぶ者どもにかつて我等は賊軍とされた、今こそその汚名を雪ぐべき時ぞ!


 理屈であーだこーだ言っているが、要は満たされた血の気の多い小天狗が、本国で暴れたいだけなのだろう。


 だがその数は多くなりつつある。

 若者間で伝染していく。

 榎本武揚は、四大名に旗本老臣に計り、若者たちと対話することにした。




「出て行くんなら、シャスポー銃も四斤山砲もミトライユーズも置いていけよ。

 これはハワイ王国を護る為の武器だからな」

 大鳥圭介の文句は逆効果となった。

 上等だ、刀一本有れば十分だ!と若者たちはいきり立った。

 日本を発つ時に8歳だった少年も、6年経てば14歳、立派に後の世で言う「中二病」になれる。

 躾と教育に厳しい旧会津の中からすら、そのような者が現れている。

 他は尚更だった。


「ミスター・ドール、貴方は先年日本に行かれましたな。

 貴方の目から見て、如何でしょう?

 日本はこいつらの帰国を受け入れますかね?」

 榎本武揚は曲者である。

 変化球を用意していた。

 ドールは言う。

「日本の方が貴方たちを求めていない。

 もしも日本に戻るなら、兵士としてではなく、農民としてだ。

 彼等は混乱を望んではいない」

(そしてハワイ王国も同じだ。

 我々が欲しいのは君たち兵士ではなく、単純に働く農民だ)

 ドールは思ってもそれを口にはしない。

 ただ伊藤博文と話して得た日本の都合を話した。


 若い連中は激高する。

「我々はまだ許されないと言うのか!」

「そもそも我々は帝の命によって来たのであり、帰国に何の許しも必要ない!」

「鎖国じゃあるまいし、何故帰国を止められねばならないのだ!」


 ドールは怯まない。

「諸君たちは立場から言えば亡命に近い。

 本国の政治体制を認めないまま外国に移住したのだ。

 政治体制を認めないまま、前政権の者が帰国するならば、収監される事になるだろう。

 さもなければ、今の体制を認める事だ。

 そして、今の日本の体制はサムライの存在を認めていないのだ」


 ますます若い連中は激高する。

 榎本は

「お前さんたちは結局何をする為に帰国してえんだ?」

 と問う。

 返事を聞く前に畳み掛ける。

「サムライでいてえんならここに残りな。

 ドールさんが教えてくれたように、日本本国にはもうサムライは必要ねえんだ。

 帰るなら大鳥君が言ったように、武器を持って行くなんざ以ての外。

 大小の刀すら捨てる覚悟じゃねえと、今の日本には必要とされねえだろうよ」




 若者たちは、一度はそれで収まった。

 いや、反論出来ないから黙り込んだ。

 喋らないだけで、熔岩はまだ灼熱を中に秘めている。

 それを見ていて、こいつは救えないと判断したのが元会津藩家老佐川官兵衛である。


 佐川は今、元会津藩士で構成されたホノルル新撰組三番隊隊長を任されている。

 彼は戊辰戦争の時に、寝坊をして出撃し損ねるという大失態を犯した。

 故に、もはや自分に過剰な期待をしていない。

 むしろ恥を雪ぎ、死に場所が欲しいくらいである。

 新撰組ならば討ち死に出来たかもしれないが、何度か出撃したものの死ねず、そのままホノルルの治安は安定して来た。


 佐川は過激な若い侍の内、数十人のどうにも収まりのつかない者を率いて、日本に戻ろうと考えていた。

 彼等は、このまま放置すると、かつてホノルル新撰組が討伐した不良旗本や「志士」のようになりそうなのだ。

 佐川は土方歳三程に、身内を粛清して平然としてはいられない。

 殺すよりも新天地に導いてやれば良い。

 そう思い、相馬主計に相談してみた。

 新撰組局長はしばし考え込んで

「土方さんが居たなら、局を脱するを許さず、だったんでしょうね。

 土方さんが国王の親衛隊長になったのが幸いですな」

 そう言って離脱を追認した。

「かたじけない」

「で、佐川さん、どっちに着くんですか?」

 その質問に佐川は

「思う事は多々あるが、新政府に着く事にするよ」

 と答えた。

 さもなければ入国すら許されないだろう。

「拙者の望みは薩摩か長州と戦う事。

 あの者どもも、薩摩や長州の士族の下に走らぬよう、わしが見張らねばな」

 相馬はそれを聞くと、机に向かい書状を作った。

 一通は榎本武揚に宛てたものだ。

 佐川の意志を書き、離脱させる不穏分子をオアフ島から集めて貰う。

 もう一通はサンフォード・ドール氏へである。

 外務省や領事館を通じ、合法的に入国させる必要があり、協力を求めたものだった。


 佐川官兵衛は、旧主松平容保への挨拶は自分で行った。

 ハワイ島からも、将来の禍根になりそうな若衆を連れて行く事も告げた。

 容保もまた書状を書く。

 祐筆に任せず、彼自身が筆を取った。

 佐川官兵衛やその下の者たちに帝への叛意は無く、可能ならば公僕として受け容れて欲しいという嘆願書である。

 それが容れられると、容保は思っていない。

 旧主としての責務と、有れば何かの折に役立つかもしれないという淡い期待からだった。

 その書状を佐川に渡す。

 そして容保は

「官兵衛、少し歩かぬか」

 と庭に誘った。


 大殿松平容保の隠居城は、城郭としてはまだ未完成だが、容保が暮らす二の丸御殿は出来ている。

 日本風の庭も(しつら)えていたが、松ではなくヤシの木なのが違和感となっていた。

 火山岩と珊瑚が砕けた白砂を加工し、強引に枯山水を作っている。

 そんな日本ハワイ折衷庭園で、主従が歩き、少し後ろから小姓が着いて歩く。


「官兵衛、余はそなたが死に場所を求めておるのを知っておるぞ」

 ズバリと言う。

 頭を下げる佐川に

「余は京都守護職を引き受けて以降、家臣や領民に苦しみをかけたのを悔いておった。

 このハワイに来て、御主上の御心とは違うが、戦も無く国を作っていく日々を好ましく思っていた。

 だが、そなたはそれを投げ打って、死所に戻るのだな?」

 そう言った。

「お許しを……」

 佐川は言葉少なかった。

 それしか言えないようだった。


「そなたも難儀な生き方しか出来ぬ強情っ張りよの」

 そう言うと、容保は小姓から太刀を受け取り、佐川に授けた。

「今度こそ、心残す事無く、存分に戦うが良い。

 そして死に損ねたら、恥じる事無く戻るが良い。

 この太刀はそれまで預けておく」

「ハハッ!」

 佐川はその場に座り込んで、深々と頭を下げた。




 その日は、話を聞いた同僚たち、オアフ島在住の西郷頼母以外の家老や若年寄たちが佐川を囲み、別れの宴を執り行った。

 語ると、同じように戦って死にたいと思う者も少なからず居た。

 佐川は彼等から想いを託された。


 佐川は一度オアフ島に戻り、外交的な手続きが整うのを待って、チャーターしたアメリカ船で帰国の途に着いた。

 80人程の若い侍が丸腰で付き従う。

 交渉の結果、彼等は薩摩の川路利良の下で警察官として働く事になった。

 農民となるのは免れたが、陸軍からは拒否された。

 正確には、陸軍の山縣有朋は受け容れる気であったのだが、内務卿大久保利通と工部卿伊藤博文が反対していた。

 警視庁に入った佐川官兵衛は、やがて運命の明治十年を迎える。

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