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陸軍兵器の更新

 銃は進化する。

 最初球形弾丸を銃口から装填し、黒色火薬に火縄点火(マッチロック)で発射する銃が、種子島という名で日本を席捲した。

 続いて球形弾丸を銃口から装填は同じだが、火打石点火(フリントロック)方式の銃が、ゲベール銃として紹介された。

 ゲベールとはオランダ語で「銃」の意味であり、銃銃となるのだが、そこは大目に見よう。


 ある時、銃の火薬点火方式に革命が起きた。

 雷管(パーカッション)が発明され、衝撃によって起爆剤が発火し、装填薬が爆発して弾丸を発射するようになる。

 江戸時代の後期には、火縄銃やゲベールの点火方式を雷管式に変えた改造銃を開発した大名家も現れた。


 銃腔に溝を掘り、弾丸に螺旋状の回転を与える事で、命中精度と射程距離が向上する事は古くから知られていた。

 弾丸を銃口から装填する前装銃では、弾丸と銃腔を密接させ、掘られた施条によって回転を加える方式は、装填時間が長くなる為好まれなかった。

 命中率よりも弾幕、発射時間重視の戦場では滑腔砲となる。

 発射時間よりも命中率、射程距離、威力重視の猟師や狙撃手には、前装式でも施条によって回転が与えられる銃が好まれた。

 ドイツ語で猟師を意味する「ヤーゲル」銃も日本に紹介され、会津藩士はこれを使って戦った。


 銃の次の進化は、弾丸から起こる。

 球形の弾丸から椎の実型弾丸に変わり、弾丸の底部が点火爆発で拡がり、それが銃の施条と接し、回転が加えられると共に、発射ガスの無駄を少なくした。

 これが幕末日本で、後に新政府となる薩摩・長州を利したミニエー銃と呼ばれる。

 もっとも、ミニエー銃とは椎の実型のミニエー弾を使える銃を総合してそう呼んだのであり、実際にはエンフィールド銃やスプリングフィールド銃という名称が存在した。


 日本の幕末期、銃の進化は凄まじい。

 続いて起きた進化は、銃の後部から弾丸を装填する「後装式」への転換であった。

 後装式は、発想自体は古くからあったが、発射薬のガス漏れのせいで銃の威力が低くなる為、長い間廃れていた。

 だが、工作精度の向上や、ゴムという新素材の発見が後装式を復活させた。

 後装式にすると、地面に伏せたままで装填作業が行える。

 装填間隔も短くなり、戦争において使い勝手が良い。

 この後装式ボルトアクション小銃の元祖はドライゼ銃と言ったが、長い撃針が紙製薬莢に取り付けられた雷管を叩いて爆発させていた為、「撃針」のドイツ語を略した「ツンナール銃」と日本では呼ばれた。

 このツンナール銃を会津藩は大量購入したのだが、港を抑えた新政府軍によって没収され、会津藩には届かなかった。


 ドライゼ銃の長すぎる撃針を短くし、薬莢と雷管を改良したのがフランスのシャスポー銃である。

 ナポレオン3世の世界戦略から、江戸幕府の伝習隊等に供給され、今も不都合はありながら大鳥圭介の軍が使用している。


 それ程先進的ではないが、前装式のエンフィールドイギリスを後装式に改造した銃もあった。

 それがスナイダー・エンフィールドこと「スナイドル銃」で、現在日本陸軍の銃となっている。


 これら小銃とは違う進化をした銃もある。

 それが「騎兵銃(カービン)」である。

 小銃を使う歩兵も存在するが、西部での原住民(インディアン)との戦いにおいて、庶民も騎兵隊も取り扱いやすい騎兵銃がアメリカで発達した。

 カービンは、銃身が短く、それ故に低威力でも良しとされた。

 カービンには早くから金属薬莢が使用された。

 初期的なレバー・アクションで連続発射できるスペンサー銃が日本にも紹介され、会津の女傑・山本八重の愛銃となった他、佐賀藩や庄内酒井家で購入されて使用された。


 さて1875年のハワイは、これらの銃器がバラバラに保有されていた。

 アメリカ系白人農園主や、その軍事組織と言えるハワイ・ライフル協会はスペンサー銃の他、シャープス銃やウィンチェスター銃というカービンを持っていた。

 ハワイ国軍となってしまった日系人の部隊はシャスポー銃を使っている。

 しかし、海を渡ったカウアイ島の第2旅団は、庄内酒井家と白人農園主の混成部隊で、ここはスペンサー銃とスナイドル銃で武装している。

 さらに離れた元会津藩を主力としたハワイ島の第3旅団は、戦争も無く、守備兵的な意味が強い事もあり、ヤーゲル銃やゲベール銃という前装銃を使用している。

 これは西郷吉之助により寛大な処分で済んだ庄内藩家老酒井玄蕃が、多数の最新式銃を持ち出せたのに対し、長州による過酷な処分を受けて旧式銃の少数持ち出ししか許されなかった会津の違いがあった。

 もっとも旧会津藩兵は銃より刀の装備を喜んでいる事と、ハワイ島は戦火の気配が無い為、特に不満を持たれていない。




 カラカウア王の軍事改革で、陸軍参謀本部が設けられた。

 そこに軍事の専門家としてフランス人が戻って来た。

 榎本武揚や大鳥圭介の推薦であり、白人社会も白人の軍事顧問・参謀については問題視しない。


 数年ぶりで、フランス陸軍からジュール・ブリュネがハワイにやって来た。

 榎本や大鳥には懐かしい存在である。

 ブリュネは榎本たちと共に、もう一度国作りをやってみたかったが、フランス陸軍がそれを許さなかった。

 フランス陸軍はブリュネを昇進させ、ゆくゆくは幹部にするつもりである。

 そこでブリュネは、自分の意思を受け継ぐ者を推薦し、連れて来たのだった。


 旧幕府陸軍はフランス人軍事顧問団に多くを学んだ。

 だが、学び足りてはいない。

 新しい要塞の築城学、新型の火砲など、学ぶ事はいくらでもある。


 榎本らの歓迎式の前に、ブリュネは極めて重要な事を連絡する。

「シャスポー銃は更新された。

 金属薬莢を使うグラース銃が開発された。

 最新式だから、まだ海外への輸出は無いが、自分の権限でいずれハワイに輸出可としたい。

 ただし、ナポレオン3世の時代と違い、無償というわけにはいかなくなった。

 それ相応の代金を支払って貰う」

 そう言った後でニヤリと笑い、

「代金はシャスポー銃で換えても良いぞ」

 と嬉しい発言をした。


 フランス陸軍は、普仏戦争以来の地位の低下を気にしている。

 ハワイ陸軍が、戦術に関してのみとはいえフランス式を採用というのは、彼等の自尊心をくすぐった。

 蝦夷地での縁があるとはいえ、エリートのブリュネをわざわざ派遣したのがその証左である。


 式典が終わると、ブリュネは大鳥と話し合いを持った。

 ハワイ流にカスタマイズされた「軍制はオランダ式、戦術はフランス式」であるが、大鳥が書物で解釈したものだったり、既に新しい方式となったものと、色々齟齬がある為、それを指摘する為である。

 主要8島に分かれているハワイ王国で、島1つを軍管区と見立てるのはやむを得ない。

 そこに要塞を築いて、守備的に兵を収容するのも納得できる。

 だが、外征の意図が無いからといって兵站が軽視されているのは見過ごせない。

 要塞は何年でも籠城できるよう準備すべきで、それだけの兵站は用意するものだ。


 また、要塞についての認識が非常に甘い。

 要塞は火力があってこその要塞である。

 かつての居城・五稜郭であっても古い。

 フランスのセダン要塞は、攻撃的なドイツの砲撃の前に開城した。

 これからは大砲をより攻撃的に使う軍が勝利する。

 よって、火山灰をうまく使ってベトンとし、五稜郭等よりも広範囲に稜堡を造り、それぞれを地下通路で連携させる。

 砲も露天式ではなく、掩蓋で防御すべし。


 分かりやすく言えば、全てがそこに集中した城郭式ではなく、日露戦争で言うところの旅順要塞のような、砲台支援型にしろという事である。

 大鳥は、そんな大規模工事をする金と人員はいないと渋ったが、

「そこは地形を活かすべきなのだ。

 ここは背後が火山だったり、沼地が多かったりと、地形による制限が多い。

 どこか一個を孤立させる事なく、そこを攻めれば周囲からの砲火で袋叩きにするのだ」


 さらにブリュネの新装備への啓蒙は続く。

 電信を多用せよという。

 かつて榎本武揚は、フランス・ディエニェー社の電信機を購入し、モールス信号について独学で勉強していた。

 なので、ここの理解は榎本の方が速く、多少無理をしてでも多くを購入する事に決めた。


 多銃身機関銃といえばガトリング砲が有名であるが、フランスにもミトライユーズという同種の機関銃があった。

 この機関銃は、普仏戦争で使用されたが、それ程役立ったとは言えない。

「銃による長射程攻撃は、砲撃を凌駕する」

 という普仏戦争時のフランスの基礎戦術で、この長射程の機関銃が使われたが、野戦においてはもっと近距離での戦闘となって、長射程用の照準器のついたミトライユーズは、発射弾数の割に命中率を得られなかった。

 そういった事情から、ミトライユーズは安く市場に出回っている。

 ブリュネはこのミトライユーズをハワイ軍に推薦した。

 何故なら、人数が限られている軍に、一人で大量に弾丸を発射できるミトライユーズは適した武器である。

 要は使い方なのだ。

 野戦において小銃のように使うよりも、拠点防御に使い、十字砲火の焦点に弾丸をばら撒く使い方が良い。

 照準器で狙いをつけて撃つよりも、短距離用の簡単な照準に統一して使用する。


 かつて戊辰戦争の時、日本ではガトリング砲が使用された。

 使った者の1人、長岡藩の河合継之助の場合、局地的には大戦果を挙げている。

 しかし、操作が面倒で、多銃身ゆえに鈍重で、クランクを回す際に防御盾が無い為、射手が身を晒す欠点があった。

 大鳥は今一つこの兵器について信用を置いていなく、北越戦争で河合と共に戦った元桑名藩の立見尚文にミトライユーズを使った有効な戦術については全てを任せる事にした。


 ブリュネは、榎本や大鳥たちが無理をして軍艦や大砲を装備し、その装備もかつてのナポレオン3世の好意というか世界戦略から無償供与されたものである事を知っていた。

 ゆえに新兵器ではあるが、評価が下がって低価格のミトライユーズを推薦した。

 同じように、四斤山砲も価格が下がっている事を知らせた。

 普仏戦争でクルップ砲に敗れ、やはり安値で欧州市場に出回っている。

 旧式となったが、大鳥たちにも扱いに慣れた、中々の大砲である。

 とにかく要塞建築で大砲や防御火器は数が欲しい。

 普仏戦争を経験していない大鳥は、まだ火力についての見通しが甘い。

 要塞を作るなら、火力で護らなければならない。


 フランスのテコ入れがあり、ハワイの旧幕府軍は外征型でなく徹底的な守備型でありながら、装備についてはヨーロッパの一流陸軍のやや世代遅れ、という軍隊に変わった。

 今なら日本の新政府軍と戦っても十分勝てるような気がする。

 そんな復讐心もある中、日本からは風雲急な情報が入って来ている。

 士族が各地で反乱を起こし始めたというのだ。


 榎本たちは、それに干渉する気は全く無かったが、一部の若い兵士たちの中には「故郷復帰と、武士を顧みない新政府への鉄槌」や、不平士族の不穏が中国・九州に多かったことから「戊辰の復讐、旧官軍諸藩を討て」という声が出ているという。

 再度、ハワイの日本人はどうあるべきか、話し合う時期が来たのかもしれなかった。

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