伊藤・ドール密約
・旧幕臣の日本再入国を禁じる
・ハワイ王国は、日本からの政治亡命者を受け入れない
・日本~ハワイ間の通行は外交官と商社のみとする
先年のホノルル裁判所暴動に日本人が「暴動を助長する」介入を図った事に抗議しに来た、ハワイ王国国王代理サンフォード・ドール弁護士は、日本側が突き付けて来た条項を見て愕然とした。
(この国は移動の自由や、他国の権利について分かっていない)
そう考えると、途端に「自分が教えてやるよ!」てな口やかましい態度に出るのが、アメリカ人の悪い癖であろう。
ドールは、対面にいる伊藤博文工部卿に説教する。
長々した説教を聞き終えた伊藤という男は、
「その辺の説明もありますので、一度あちらに席を移して、茶を飲みながら話しましょう。
我々とて外交の常識を弁えておりますが、印象を与える為にあえてあのような事を書きました。
ですが、『だが、しかし(No but)』はお国でも使う外交手法でしょう?」
にこやかに英国英語で反論し、茶話に誘う。
中々外交慣れした男である。
不思議に思っていると、
「何故、工部卿の自分が出て来て、外務卿が外されているのかも、話さないといけませんね」
と言って来た。
ドールは伊藤のペースに呑まれてしまったようだ。
ドールは大まかに聞いていた幕臣ハワイ行について、伊藤から詳しい説明を受けた。
日本には「幕府」という、大君とその家臣が運営する政府があった。
この「幕府」とは「朝廷」から政治をする権利を代々与えられていた。
「幕府」が外交問題を解決出来ず、国の富が外国に流れるようになった為、「朝廷に政権を返せ」という運動が盛んになる。
「幕府」は自ら政権を返上し、ここに無血革命が成った。
この話だけでもドールには衝撃的だった。
普通、革命は血が流れるものである。
そうならなかったこの国は一体何なのか?
伊藤は話を続ける。
「幕府」とは大君が諸侯を束ねる政体である。
彼が先年旅をしたドイツに例えるならば、
皇帝が将軍に政権を委ね、将軍が公爵や伯爵の土地支配を承認するようなものである。
先年の明治維新は将軍が皇帝に政治権力を返したものである。
しかし将軍派の諸侯も居て、この返上に異を唱えて戦争となった。
その負けた者が、今はハワイ王国にいる榎本氏や松平公等である。
ドールはこの辺りなら理解出来る。
当然、既得権で利益を得ていた者は、革命には反対し、内戦が起こるものだ。
それは世界各国の歴史の通りで、日本という国も例外ではない。
「ここで負けた者たちが、勝った者の下で、新しい体制を認めるなら何の問題も起きなかったのです」
伊藤が苦笑いする。
当時の伊藤は知らされていなかった「謎の命令」により、9割勝っていた戦争が急遽停止された。
戦争が、敵陣営の君主の命令で双方矛を収めるというのも、ドールには分かりづらい。
ともあれ戦争は終わり、負け側は「ある国を日本と同じように守れ」という訳の分からない命令を胸に日本を去った。
勝った側が負けた側を国外追放したように見えるが、それは違う。
負けた側は、かつて日本の北方の蝦夷地に、負け組で開拓する新国家を樹立しようとした。
蝦夷地を渡すわけにはいかず戦争となったが、その代わりに南方の国で同じ「負け組の引受先」を作ってしまった。
多くの人はこれを問題視していない。
しかし、重大なミスと考える者がいて、この「負け組の聖域」を破壊しようと目論む。
何故なら、日本は先の例えで言うところの、公爵や伯爵やらの領土も没収し、皇帝と官僚とで一元支配する「近代国家」に改革する必要があった。
さらに西洋で言う騎士階級を廃止し、彼等が働かずとも得ていた収入をゼロにしないと財政が健全化しない。
農作物の取れた量ではなく、土地に準拠した税金にしないと国庫が安定化しない。
このような改革は痛みを伴う。
当然反乱も起こる。
この時に、負け組が海外に「聖域」を作っている事は実に都合が悪いのだ。
政策に反対ならば、その「聖域」に逃げ込めば良い。
例え海外にあろうとも、国というものは1つで十分で、逃げ込める国がもう一個在っては困るのだ。
「アメリカも、分離独立は認めなかったので、ドールさんにも理解いただけると思います」
「なるほど、今ハワイにあるのは、日本にとっての南部連合か」
「はい、南北逆ですが、そのようなものです。
そして、南部連合に自分たちの税制や政策に反対する国民が逃げていくのは認められませんよね」
ドールは、日本が同じ日本人ハワイ移民を嫌って攻撃した理由を完全に呑み込んだ。
さらに伊藤が言うに、外務卿はその負け側出身の政治家であり、幕臣の扱いの話題を任せられないという事も。
呑み込んだのだが、やり方が回りくどくて理解出来ない。
「小生もその辺は理解出来ないのです。
この南部連合が脅威と気づいた者と、脅威だから潰そうと考えた者と、その為の人を手配した者は別々のようなので」
「首尾一貫していないのかね?
ふふん(笑)、それは愚かしいね、もっと上手くやり給え……
いや、そういう事をするなと私は言いに来たのだったな」
両者が笑う。
「さて、話を外交に戻しましょう。
我が政府としては、その『南部連合』等忘れて欲しいのですよ。
だから帰って来て欲しくもないし、行く先として覚えていて欲しくもない。
貴方に提示した3ヶ条は、国から国へ言うには失礼な話で、断られるのを前提としています。
また、民間でハワイに移民する日本人が、契約で騙される事件も起きていますので、いつか移民問題について話し合いたい。
あの3ヶ条は正式にお断りになった上で、お持ち帰りいただきたいと思います」
「そういう事であれば、承知した。
では私からの要求についても……」
「ああ、そうでした、それについての正式な返答をしていませんでしたね。
了解したと、すまなかったとお伝え願います」
「おお、それは良かった」
両者はお互いの言い分を伝え合い、合意した。
さて、この移民問題が正式に議題に上がる前に、やる事を日本でやって置きたい人たちもいる。
酒田本間家とカウアイ島ホンマ・カンパニーの者は、京都の小野組を訪ねていた。
江戸時代は「井筒屋」といった京都の豪商・小野組。
商売の中心が東京になった為、彼等は京都から本社を東京に移そうとする。
その小野組の財力に去られたら困る京都府が妨害し、両者は争いとなった。
「小野組転籍事件」である。
問題を大きくしたのは、京都府知事が長州閥に属していたことだ。
京都府側には長州閥の木戸孝允が味方し、小野組と転籍を許可した裁判所には佐賀閥の江藤新平が味方し、派閥抗争の体となる。
こうして東京に移った小野組だったが、政府の度重なる金融政策の改変に翻弄される事となった。
小野組は御用御免を願い出て閉店、資金精算を始めていた。
その情報を得た本間家では、ハワイに来ないかと勧誘する事を決めた。
かくして豪農本間家と豪商小野組の会談が持たれたが、話はあっさり終わる。
盛岡・八戸にいる小野組に資本を残す必要はあるが、どうせ店じまいするなら、新天地でもう一旗も良いかもしれない。
しかもそこには長州と佐賀という連中はいない。
意趣返しも込めて、東京本社精算をしつつ、ハワイに移籍と決めた。
彼等は金融業を行いたいと言った。
ハワイにはアメリカ資本が大分入っているが、まだまだ日本人金融業の入り込む余地はあり、挑戦するのも面白い。
本間家の人材勧誘は続く。
会津や桑名に赴き、漁師、漆器職人、小売り商人等の庶民に声をかけて歩く。
彼等の旧主への忠誠心が高かったわけではないが、近頃の新政府のやり方には我慢がならない。
「亡命」ではなく、新規事業開拓という名の元に、店から一部が「暖簾分け」の体裁で移る事となった。
残念ながら農民は、官憲の目が厳しく、勧誘出来ず。
新政府は何よりも農民の逃散を恐れていた。
それ故、商人や猟師という層には目が行き届いておらず、本間家は暗躍する。
本間家以外の暗躍もあるが、それは別な機会に語られる。
このように「新政府のやる事に文句がある」から、完全移住でなくとも、一部を移転して資本が逃げてしまうのを見れば、伊藤博文等は大久保利通や大村益次郎が恐れている事を理解出来ただろう。
だが彼が、後ろ盾である内務卿大久保利通から言われ、絶対にハワイ王国に呑ませたい事は、別な身分の移動についてである。
「不平士族」の移動である。
既に明治七年、1874年には佐賀の乱が起きていた。
不平士族が、一度海外に逃れて勢力を温存し、武器を購入して再入国して反乱、等とされたら迷惑極まりない。
それが出来そうな国は、ハワイ王国の旧幕臣領だろう。
彼等が不平士族に同情心を持ってなくとも、権謀術数の一部として手助けすれば、日本の混乱は長引く。
故にハワイはもう武士身分だった者を受け入れないで貰いたい。
一方、サンフォード・ドールは別な意味で日本の「侍」等受け入れたくない。
狂暴で野蛮な侍がこれ以上増えると、ハワイが日本に乗っ取られかねない。
現に1874年、明治七年に日本は台湾に兵を出していた。
日本にも他国侵略の意図はある。
日本が本格的にハワイ侵略を目論んだら、今のアメリカで勝てるかどうか。
国際状況次第では敗北の可能性もある。
両者の思惑は一致した。
伊藤・ドール密約が結ばれた。
『ハワイ王国は1875年以降、士族身分の移民を拒絶する』




