ホノルル裁判所暴動(前編)
不穏な空気は午後3時頃には漂い始めていた。
約100人の女王信奉者たちが、決戦投票が行われたホノルル裁判所の周りに集まり始め、やがて周囲の家を占領したりしながら膨れ上がっていった。
国軍は解散されて存在せず、日本人部隊を投入する前に内務省は警察を出動させたが、数において劣っていた。
選挙結果が発表された途端、彼等は激高し、実力行使に出た。
カラカウアに国王就任を伝える書状が届けられる筈だったが、暴徒はそれを奪い、引き裂いた。
銃声が響き、暴徒はホノルル市内の武器庫、財務省庁舎、刑務所等になだれ込んで占領した。
「女王陛下の為に!!」
彼等は叫び、銃を撃ち、火を掲げた。
そんな彼等に、浅葱色の集団が襲い掛かった。
「ただちに武器を捨てて降伏しろ! 抵抗するなら殺す!!」
その声の主はハワイ人であった。
その日の朝、新撰組は非番の者も含めて、全員を集合させた。
新撰組は、箱館まで戦い抜いた者と、新たにハワイに来た幕臣で選抜を通り抜けた者、会津(現比松平家)からの支援の他、現地人も相当数を組み入れていた。
新撰組初期の働きは、原住ハワイ人を熱狂させた。
元々カメハメハ大王の時代までは、ポリネシア系でも有数の戦闘民族であったのだ。
キャプテン・クックに対しても、納得出来ぬ事があって襲い掛かって殺害し、その後イギリス船と戦闘をした事もあった。
昔は焼き討ち、虐殺なんでもやらかす民族であった。
摂政カアフマヌによるキリスト教の国教化や近代化政策と、疫病による人口減少等で弱くなってはいたが、何かきっかけがあれば戦闘民族の血は騒ぎ出す。
新撰組の銃を使わず、刀で突き刺し、時に禁を犯した身内の首を刎ねる「野蛮さ」は、彼等本来の性質に何か訴えるものがあったのだろう。
若者の中には志願者が出た。
そんなハワイ人を編制したのが4番隊である。
土方歳三はこの日、内務省に呼ばれて不在であった。
彼の言伝を受けていた相馬主計は、4番隊及び隊士見習いのハワイ人を集めて命じた。
「今回、もしもハワイ人が騒動を起こした場合、君たちが処理せよ。
日本人に命令する権利も与える。
重要なのは、君たちが君たちの同胞を斬る事だ」
ハワイ人たちはざわついた。
「同胞を殺せと言うのですか?」
相馬はそうだと言う。
ざわつくハワイ人たちを、原田左之助が一喝した。
「これはてめえらの騒動だ!
王様選ぶのに、自分の思うままにならないからって暴れた奴らが出た。
そいつらを部外者の俺たちや、白人たちに排除させたら、後々何言われっか分からねえぞ!
いいか! 自分のケツは自分で拭くんだ!」
それでもなお、二の足を踏んでいるハワイ人隊士に、相馬は言った。
「正月だというのに、血を流す不届き者を捕らえて来い。
今は血を流してはいけない季節だろ?
禁を破った者を捕らえるのも、お前たちの役割だ!」
禁を破った者の処罰、ハワイ人としての大義名分が整った。
彼等は長槍、棒、短剣を手に出動した。
暴動勃発時、内務省の警察隊は何も出来ずにいた。
ハワイ人警官の中には、むしろ暴徒に賛同する者もいた。
アメリカ系白人の中には、このまま警察も何も出来ないまま暴動が拡大すれば、停泊中のアメリカ軍艦から軍隊が出動し、そのままなし崩し的にハワイを掌握出来るのでは?と考える者もいた。
政府関係者にすら、それに近い考えの者もいる。
暴動を米軍によって鎮圧し、ハワイ人は「選挙結果を受け容れない、選挙権を持つにはまだ未熟な国民」として、選挙権剥奪をする。
そうすれば今回のように、思いも寄らない人物が選挙で勝ちかける不安も無くなる。
だがそこに新撰組が到着した。
内務大臣の横に居た土方は
「遅かったな。さっさと鎮圧しろ」
と、周囲の視線をよそに言ってのけた。
「ミスター・ヒジカタ! 出動命令など出していないぞ!」
「新撰組は警察の一組織だ! 我々の命令無しに動くな!」
内務大臣や警察長官の文句に
「この期に及んでそんな事言ってるあんたらは無能者だ。
無能者に任せてはおけない。
おい、誰か、こいつ……、いやこの方たちを安全な場所にお連れせよ。
丁重にな。
全警察の指揮は俺が執る。
文句や命令違反での処罰は、この騒動を治めてから、新国王陛下に問うて貰うよ」
内務大臣と警察長官は、警官たちの目の前で醜態を晒してしまった。
顔を見合わせるハワイ人警官に土方が檄を飛ばす。
「ハワイ人の間違いは、ハワイ人の手で正せ!
お前らはその為にこそいる!
お前らが出来なかったら、今真珠湾にいる白人の軍隊が代わりにやるだろうよ。
お前らは同胞の命を、他国の連中に委ねるのか?!
やるなら、お前らがやれ!」
ハワイ人警官たちは、何かに取り憑かれたかのように叫び声を上げ、新撰組を追うように暴徒鎮圧に向かっていった。
「いい気になるなよ、猿!
既に真珠湾の艦隊には支援要請が出ている。
彼等の軍事力の前に、警官も新撰組も踏みつぶされて終わりだ!」
「それがあんたらの本音か……」
土方は冷たい声で、聞き返すという形で睨む。
「……安心しろ、もう手は打ってある」
「何だと?」
「外国の軍隊が、勝手にこの国の民を鎮圧なんか出来ねえよ」
「お前らだって外国の軍隊だろうが!」
「違うな。俺たちはハワイ王国国民で、新撰組は警察だ。
俺たちの第二の母国はここだ」
まだ喚く白人たちをどこかに連れ出し、土方は彼等には聞こえない声で呟いた。
「何をしたいかはっきりしている連中には手を打てる。
何をしたいのか分からん奴らの方が始末に負えん。
奴らが現れるとしたら………この混乱の最中だろうな………」
真珠湾には3隻の軍艦が停泊していた。
・USSタスカローラ(アメリカ) 1,480トン 11ノット 11インチ前装滑腔砲 2門、32ポンド砲 4門
・USSポーツマス(アメリカ) 1,022トン 帆走 32ポンド砲 18門
・HMSテネドス(イギリス) 1,268トン 13ノット 7インチ砲 2門、6.3インチ砲 4門
アメリカ艦は、先代ルナリロ王との交渉で成立した無関税での砂糖貿易を監視する為に来迎していた。
暴動発生と共に、ハワイのアメリカ系白人は、テネドスも含めた軍艦に鎮圧要請を出し、彼等はまさに海兵隊を編成して上陸させようとしていた。
「軍艦が見えます! 艦籍は、ハワイ王国」
真珠湾に軍艦「カヘキリ」と「カメイアイモク」(旧「デュプレックス」)が入港して来た。
さらにもう1隻、小さな蒸気軍艦「蟠竜丸」も加わっている。
「カヘキリ」は排水量3,500トン、速力11ノット、19サンチ砲4門の装甲艦で、戦闘能力は米英3隻を合わせたものより上かもしれない。
砲の口径で言えば、11インチ(28センチ)砲がアメリカ側には存在するが、前装滑腔砲は如何にも時代遅れである。
時代的に、ペリーの黒船より少し新しい南北戦争時の軍艦に対し、南北戦争後~普仏戦争期の装甲艦が立ちはだかった形になる。
アメリカ側は望遠鏡でハワイ艦の優勢を確認し、その指示に従う事にした。
「カヘキリ」から短艇が下ろされ、伝令将校がやって来た。
『海兵隊を上陸させ、暴徒を鎮圧させる件について、保留を要請する』
それが伝令の内容であった。
「承知しかねる。我々は我が国民の保護の為にも、軍を上陸させる必要がある」
アメリカ側はそう突っぱねるが、ハワイ海軍側も反論する。
「現在既に警察が出動し、暴徒の鎮圧にあたっている。
警察が鎮圧し切れない時は、ハワイ軍がその任にあたる。
警察、軍を無視して外国軍を上陸させるのは主権侵害である」
「だが我々は救助要請を受けている」
「その要請は、国家からのものか?
大臣ではあっても、それは私人からのものである。
現在、国の組織が対応している以上、そちらが優先する。
無論、要請に対し応える必要がある事は承知している為、我々は『保留』を要請した。
政府の承認が下り次第、上陸を許可するが、現時点では不法入国と見做す」
使者の東洋人は、国際法を説いて来る。
中々押し通しづらい。
そこにイギリス艦からの連絡が来た。
『我々は24時間の上陸延期を決めた。貴艦は如何するか?』
アメリカ側は、あまりに早くイギリスが手を引いた為、自分たちだけ突っぱねることも出来なくなった。
「よろしい、我々も24時間の延期とする。上陸はしばらく保留とする。これで良いか?」
東洋人水兵は敬礼して艦を退去した。
(侮れない連中がこの国を守護している)
アメリカ側はそのように考えた。
「最初にイギリスに筋を通しておいて良かった。
イギリスは法に沿った申し込みと、中止ではなく24時間の延期という妥協を出せば、すぐに決断してくれるから助かる。
そしてイギリスが先に動きを止めれば、アメリカだけ突っ走る訳にもいかんだろう」
旗艦「カヘキリ」艦橋で、望遠鏡を見ながら榎本武揚が幕僚たちに語っていた。
「アメリカの方が野心は強い。
先に妥協を含んだ申し込みをしても、彼等はもっと押して来る。
だから、我々に協力的なイギリスを先に説得するのが重要だった」
これは榎本の外交センスと言えた。
「しかし、榎本さんも久々に海に出て、生き生きとしてますなあ」
「そうかね?」
「そうですよ。なんか嬉しそうだ」
確かに榎本は久々に軍艦を指揮し、気分が高揚していた。
だが、別に気分高揚の為に、日本人陸海軍の総帥と目される男が出撃したわけではない。
彼は土方歳三から忠告されていた。
「榎本さん、あんたは軍艦に乗って海に出ていた方がいい。
何かを仕出かそうとする奴らでも、海の上に居るあんたは中々狙えねえ。
俺たちを結びつける軸だから、まだまだ死なれたら困るんでね」
「さて、市内はどうなっているかな」
榎本が幕僚に聞く。
「カラカウア邸とエンマ女王の離宮は既に護りについております。
だから、後は土方さんと大鳥さんに任せておきましょう」
(土方君、大鳥君、君たちこそまだ死んで貰っては困るぞ)
榎本はそう心に思った。




