ハワイにおいて最も汚い選挙
1874年2月12日、第2回ハワイ王国国王選挙が行われた。
それより数日遡ったマウイ島ラハイナでの密議。
黒駒勝蔵は、選挙というものを理解していない。
(無尽講みたいなものかいな?)
その程度に考えている。
だが昨年の、王が決まりました、それは良かったですね、というものとは違う、鉄火場の匂いを彼は感じていた。
入れ札で頭目を決める、ヤクザや盗賊でも並び頭になった場合、とりあえずの上位を決める時に行う。
だがそれは両者に対立が無く、どちらが兄でどちらが弟分と決めても揉めない場合に行う。
もしも対立する頭目格2人がどちらを頭にするか決める場合、どこかで血を見る。
血を見ない場合は、裏で金や縄張りのやり取りがあったりする。
今回、カラカウアという男とエンマという女の一騎打ちのようだが、この2人はどちらかに決まっても仲良くは出来ないようだ。
(金は動くか?)
黒駒勝蔵は次にそれを考えた。
もしもエンマが国王になった場合、アメリカとの経済的な交渉が破綻する危険性がある。
すると先年のポンド買い付けの時と同じ事が起こる。
だが、換金のほぼ済んだ今は、去年のようにポンド大量買い付けで有利なレートでのドル交換をするには、ポンドが圧倒的に足りない。
逆にアメリカ系白人の農園が、砂糖を売れなくなって不景気となる。
すると賭場も人の入りが悪くなるだろう。
黒駒にとって、エンマ当選での旨味は全く無い。
カラカウアが当選した場合、現状維持が続く。
儲けは出ないが、損はしない。
今回の選挙は、消去法でカラカウアを勝たせた方が良い。
ラハイナにおいては、港湾労働者の組合長的な表の顔もあって、ブラックまたはブラックホースという愛称で勝蔵は親しまれている。
ハワイ人や華僑に対しても「カラカウアに投票しろ」と言って、従わせられる。
だが、それだと目立ち過ぎる。
ただでさえ新撰組が分署を作ってラハイナの監視を始めた。
自分は動かない方が良い。
(自分は動かんが、志士さんたちには動いて貰ってもいいな。なにせ、血が流れる機会はこの先、そうそうは無いで)
新撰組を牽制する意味でも、自分が匿っている志士たちに動いて貰う事にする。
そう決めた勝蔵は、情報を仕入れ、志士たちにそれを与えた。
彼は志士たちの長ではない。
命令権など無いので、情報を与えられた志士たちが勝手に動く事になる。
動く際に、何らかの名目が必要である為、それは勝蔵が作り上げた。
カラカウアに選挙資金を融通するのだ。
それも白人の農園主からの献金という形で、その護衛役に志士たちを紛れ込ませ、ホノルルに運ぶ。
マウイ島に黒駒一家の息がかかっていない白人農園主は、今はいない。
彼等は知らず知らずに、この東洋人によって儲けを与えられ、彼を利用すると思いながら利用されていた。
白人農園主の思いも、エンマよりはカラカウアがマシという点で一致している為、喜んで勝蔵の懐から出た金でカラカウアに献金しに出かけた。
伊牟田尚平は、清河八郎らが活動していた頃からの志士である。
だが、清河八郎の他に平野国臣や真木和泉、最後は西郷吉之助と、頭首の下で暴れる方に向いていて、自分から計画を立てて行動はしない。
相楽総三らと江戸でテロを起こし、幕府を挑発して戦争に持ち込むというように、実行役としての能力は高い。
……「実行犯」であるゆえに、薩摩から切り捨てられたとも言える。
だが彼は、敬愛する西郷隆盛の元に帰り、共に薩摩で働きたいと思っている。
その為にも、与えられた仕事をしなければならない。
かつてカメハメハ5世の庇護下で新撰組が治安活動を行っていた際、白人農園主はゴールドラッシュ後に行先を無くした西部のならず者を呼び寄せたりした。
彼等は大概頭のネジの飛んだ、危険人物たちだったが、それを取り締まった侍の方は最初からネジを回すことを拒否したかのような、無法を上回る無法者だった。
寝ているところを襲撃され、堂々と逮捕だの、暴れたから斬首だのというイカれた連中のいるホノルルから、賭場もあるラハイナに居つくようになるのも当然の流れだった。
伊牟田は彼等にも声をかけ、銃弾だの火薬だのを与えた上で「新撰組に復讐しろ」と言った。
同じような無法者は、幕臣や会津・桑名藩士らと共に来た、最初の世代の移民にもいた。
志も戦意も無いまま、ただ新政府に従うのは嫌だという旗本・御家人崩れは、これも新撰組に捕縛されたりして散々な目に遭わされた。
彼等も見つけながら、新撰組への復讐に組み込んでいった。
伊牟田は僅か数日で、何かあったら略奪・放火・殺人をしながら新撰組や旧幕臣らを襲撃する手勢を組織化し、ホノルルに潜伏させる事に成功した。
この手際には、黒駒勝蔵も思わず唸った。
あとは、本当に事が起こるかどうか、だ。
何も起こらねば、ここまでの組織は内部に不満を抱え、暴発して自滅するだろう。
だが、勝蔵は
(確実に何かは起こる)
と確信していた。
2月11日、まずは住民投票が行われた。
各島で投票が行われ、その投票箱が選挙管理委員会の居るホノルルに運ばれる。
比呂松平家(旧会津藩)と古奈松平家(旧桑名藩)の藩士らは、選挙権が無い上に中立という事で、投票所の警備を任されていた。
彼等はプナ、ヒロ、カウ、コナ、コハラ、ハマクアに、軽装だが武装した兵を派遣し、投票所の警備をした。
投票では誰に入れたかは口にしないものの、投票所を出るとすぐに、エンマ女王を称える歌を歌い出したりと、ハワイ人の支持がどちらに多いかを彼等は肌で感じていた。
「十中八九、4世の奥方が勝利するであろう」
と、投票箱が運び出され、警備の任が終わって帰り支度をしていたところに、ホノルルの榎本武揚から連絡が来た。
『決戦投票の後まで現場所で待機をしていて欲しい』
というものであった。
榎本は彼等の上官ではない為、依頼という形式を採っている。
そこで彼等は藩の上役を通じて、それぞれの当主に可否を伺った。
松平容保、松平定敬兄弟は、選挙で沸く世間からは離れた場所に居た為、詳しい事は分からない。
今までの日本人社会をハワイに移植する「政治」において、彼等は榎本に一定の信頼を置いていた。
彼等は榎本の依頼を承諾し、交代要員を送って引き続き警備を続行させた。
2月12日、新聞は住民投票の結果を報じた。
意外な事に、エンマ女王の有利は僅かなものであった。
これは女王よりも、「エンマ女王党」を名乗る者たちの口汚さが原因と言えた。
もっともカラカウア陣営もエンマ女王を口汚く罵り、「ハワイにおいて最も汚い選挙」と評される中傷合戦となっていたのだが。
また、白人農園主のみならず、彼等と関わりの深いハワイ人も、不満はあるが親米政策やむなしと思っていたのかもしれない。
無記名投票なので、ハワイ人のどの層がカラカウアに票を投じたのか、はっきりは分からない。
この時点で女王党はイラつき始め、「ハワイ人の裏切者は誰だ?」等と叫び始めていた。
(ハワイ人は気のいい奴らなんだが、酒を飲み過ぎ、悪酔いすると暴れたりする。
薩摩の芋と似たとこがある……)
市内の警備を行っている新撰組にあって、土方はそう思っていた。
彼はとっくの前に、ラハイナ支部の藤田五郎から警報を受けていた。
黒駒勝蔵は藤田を騙す為に、あえて平間重助は襲撃計画から外し、共に酒を飲ませていた。
その藤田は、毎晩のように酒場に誘われる事からも、何かが企まれている事は把握していた。
随分な数の日本人が、ホノルル行きの白人の警護として付き添っているのを察知していた。
「なあに、白人の旦那方がカラカウアを勝たせる為に金を持って行くのだが、大金を持ってるから、道中の安全の為に雇ったんですよ」
平間はそのように説明する。
間違いではない。
藤田はその裏を察知していたが、ここであえて結論を出すよりも、ホノルルの土方に「日本人が多くホノルルに入る」という情報を知らせさえすれば良い、そう判断した。
その為、彼は治安活動において、何らの手もあえて打っていない。
いつも通りの警備をしながら、比呂松平家から借りている武士を通じて土方に連絡を入れていた。
(日本人が何かするなら、日本人の新撰組が叩っ斬る。
だが現地人に対してはどうすべきか?
やって貰うしかねえな……)
土方はある決断を下した。
ホノルル裁判所には、ハワイ王国の議員たちが集まっていた。
ここで決戦投票が行われる。
カラカウアは自邸で、エンマ女王は離宮でその結果を待っていた。
そんなエンマ女王の離宮を、日本人部隊の今井信郎が訪れた。
「あなた方は何故、兵士を引き連れてこの離宮に来たのですか?」
そう詰る女王に、今井は恭しく答えた。
「陛下の身の回りを護る為です」
女王は目を吊り上げた。
「貴方たちは、私の支持者が選挙結果によって暴動を起こすとでも言うのですか!?
私がそれで危険な目に遭うとでも言うのですか!?」
今井は、早口のハワイ語は聞き取れない。
恐縮するハワイ人通訳の口を通して、はっきりと言った。
「暴動が起きてから動く等、愚の骨頂です。
何が起こるか分からないから、ここに来ました。
貴女を襲撃するのが、ハワイ人とは限らないのです」
「えっ……?」
エンマ女王には分からなかった。
彼女はそれなりに政争は経験して来たが、なりふり構わない政争というのは流石に無い。
「おそれながら、このハワイの人々は戦争の経験が無い。
いざという時、大将である貴女の取り合いが起こる。
もし取れない場合、殺してしまえという発想もあるのです」
エンマ女王は身震いした。
アメリカ系白人たちがそこまでやるとは考えられない。
だが、目の前の男は「あり得る」と断言する。
エンマ女王は力なく、警備を認めた。
その日の夕方、カラカウア39票 エンマ 6票の決戦投票結果でカラカウアの勝利が発表された。
そして、議員たちのいるホノルル裁判所前には、銃を持ち激高した女王党のハワイ人たちが押し寄せて来た。




