藤田五郎と黒駒勝蔵
元御陵衛士・内海次郎は、その男の顔を忘れかけていた。
新撰組監察だった山崎烝という男程ではないが、印象が薄いのか、影が薄いのか、顔は朧気にしか覚えていなかった。
だが、その男が彼の元同志に仕出かした事は凶悪であった。
女に入れ上げた挙句、伊東甲子太郎先生の金を盗み、同志の計画を新撰組に売ったろくでなし。
「あの顔、斎藤一! わざわざラハイナに出向いて来やがったのか!」
何かの手続きをしているのか、船から降りて、大小の刀を係官に預けている。
(奴は今、丸腰だ……)
それが内海を冷静ではなくした。
彼は腰の刀を抜くと、それを見た周囲の悲鳴を他所に斬り込んだ。
「同志の仇!! 覚えたか……」
彼は最後まで叫び切る事が出来なかった。
(何故??)
彼の喉に、斎藤一の刀が水平に突き刺さっていた。
血が噴水のように流れ出て、同時に意識も遠くなっていく。
「人を殺す時は余計な事を考えるな。
相手の一挙手一投足に集中せよ。
勝てないと判断した場合、お前が懐に入れている拳銃を使うも可なり」
斎藤一が上から目線でお説教をする。
(一挙手一投足だと?)
意識の最後で内海が見たのは、検査をしていた白人の腰にあった筈の洋式刀が無くなっていた事と、それが斎藤の左手に握られていた事であった。
目から光が完全に失われた骸に対し、斎藤一こと藤田五郎はまた、冷たい言葉を投げた。
「新撰組に居た頃は虚心に人を殺せただろうに。
同志だの大義だの言っていて、忘れてしまったようだな……」
このラハイナ港での惨劇は、直ちに目撃した手下から黒駒勝蔵の耳に届けられた。
「斎藤一だと? あの、だらしのない、影の薄い男か」
平間重助の評はそんなものである。
ただし、剣の腕の凄さについては誰も過小評価していない。
「あの男が来たという事は、密偵としての意味もあるだろう。
だが、あれは確かに印象は薄いが、それでも顔は知られている。
密偵である事は分かる。
だが、酒飲みで女に溺れるだらしのない男だ。
御陵衛士の時は、奴が金に困ったから情報を新撰組に売った。
たまたま密偵として成功しただけだと聞いている。
そんな男を送って来るとは、土方の手駒も少ないようだな」
黒駒勝蔵はそれを否定した。
「密偵だとバレバレの男をあえて送って来た。
そこに何か企みがあるとは思えませんかね?」
「内海君のように、先走ってしまうとか?」
「狙いはそこのヤクザだろ。
おそらく新撰組は平間さんや伊牟田さんは眼中に無い。
というか、既に存在を知っていて、脅威では無いと判断してるだろう。
内海とやらを、捕縛せずに殺したという事は、捕らえて聞きたい事も無いという証さ。
俺の存在は知られているかどうか分からんがな」
今まで黙っていた神代直人が口を開いた為、一同そちらを注目した。
「連中が俺を知っていようが、おそらくそれもどうでも良い。
同じ人斬り同士だ、戦って勝つか負けるか、それだけだ……。
だが、そこのヤクザの事は分からないんだろう。
敵か味方か、それすら分からない。
だから斎藤とやらが乗り込んで来た。
顔を知られている、だから、あんたらが何らかの行動を起こすと見て。
そこから糸を手繰り寄せて、ヤクザに辿り着く寸法さ」
思想・教義に関しては神代は狂信的で、原理原則以外認めようとしない。
しかし、それ以外であれば冷徹に物を見る事が出来るようだ。
「目的はあっしの命ですかね、人斬りの先生」
「命かどうかは知らん、あんた次第だ」
「ほお……」
「黒駒の勝蔵、お前が金儲けをし、ラハイナの裏社会を牛耳る、それだけなら奴は命を獲らん。
その金を使って、この国の幕臣どもを殺そうとするなら、それでもまだ命は獲らん。
その場合は調べる事があるから、しばらく泳がすだろう。
お前自身が短刀を呑んで、新撰組を潰そうとしている、その程度の単純な事なら奴は命を獲る。
お前が生きていられるのは、背後にまだ何かがあるのではないか、という向こうの疑念に依るだろうな」
「ははは、俺を調べても複雑な背後なんか無い。
俺らはこの国で好きにヤクザをやってるだけだからな」
「もし本当にそうならば、俺がお前を殺す」
「何だと?」
「忘れるなよ、お前も俺も、平間さんたちも、やりたい事は全然違うが、裏では繋がる一蓮托生の身だって事をだ。
お前は日本等忘れてヤクザとしてこの国に根を張りたいのかもしれないが、そこで得た利益は我々の正義の為に使わせて貰う。
ヤクザであれ商人であれ、自ら尽忠報国が出来ぬ者は、出来る者にそうやって尽くすものだ」
(勝手な言い草よな)
そう思わなくもないが、勝蔵自身がかつては官軍に加わり、またこれまでこいつらの面倒を見て来た以上、確かに我関せずは通じない。
泥船かもしれないが、既に乗った船であり、船頭には協力せなばならぬ。
「神代先生は、あの斎藤という奴と殺り合ったら、勝てますかね?」
勝蔵は話題を変えてみた。
神代は少々考え、そして
「互角か、あちらが強いだろう。
正面からなら勝てない。
そうなると闇討ちで、となるが、他の新撰組以上にあいつは闇討ちを得意としている。
腕も衰えていないようだし、裏路地での斬り合いも互角と見ねばなるまい。
達人であろうが、僅かにある隙をつく以外あるまい」
やはり冷静だった。
「人数は必要か? 俺らの手下を貸すことになるかね?」
「無用……と言いたいが、借りる事になりそうだ。
新撰組相手に1対1など愚の骨頂、数を頼まねば……」
(となると、手下を借りるまでは、こいつは俺の命は狙わんな)
勝蔵は、いつでも自分に襲って来そうな猛獣の心を量った。
人斬りは人斬りだけに冷静であり、機が訪れるまでは息を潜めて待つだろう。
そして、戦いに自分の配下が必要ならば、無茶苦茶な事を言って身内の和を乱す事もあるまい。
「平間先生、ちょっとやって欲しい事がありますがね」
勝蔵は動いてみることにした。
新撰組ラハイナ分所には、藤田五郎率いる一番組が10人と、目付役の尾関泉、中島登、さらに会計役や書記を手伝う比呂松平家(旧会津藩士)が5人に、雇われのハワイ人5人、白人の法務顧問が1人の、24人が詰めることになる。
先遣隊として物件を探していた会津藩士が見つけた、貿易商人の邸宅を間借りする事になった。
この貿易商人だが、捕鯨が低迷し、ラハイナへの商船寄港数が減ると負債を出し始めていた。
そこに目を付け、倉庫等を詰め所として借り、執務室として敷地内に別邸を作って貰い、結構な額の賃貸契約をした。
だが、会津の人間は分からない事があった。
ラハイナの白人富裕層は、最近ではほぼ全てに黒駒の息がかかっていた。
この契約も、黒駒勝蔵が裏で承認しての事だった。
自分の手の届く場所に危険人物を置いておきたい、それは神代直人に対する態度と一緒だった。
ゆえに、家主を通じて藤田五郎(斎藤一)にアポイントメントを取るのは、実に簡単な事だった。
「久しぶりだね、斎藤君。こんな南の島で君に会えるとは思わなかったよ」
平間が新撰組分所を訪ね、握手を求めた。
「まさか、今でも俺の罪とかは消えてないのか?
局を勝手に抜け出した、脱走の罪とかで俺を捕まえねばならないのか?」
藤田はニッコリと作り笑顔で答える。
「まさか。新撰組になる前の、壬生浪士組時代の事など、もう誰も覚えちゃいませんよ。
本当にお久しぶりですね、平間先生。
お元気そうで何よりです。
今までどこで何をされていたのですか?
あ、自分は近頃では斎藤ではなく、名を改めて藤田五郎と名乗っております。
どうぞ藤田とお呼び下さい」
(寡黙な男が……よく喋りおる)
平間は警戒する。
一方の藤田は腹の底がまだ見えない。
「ずっと水戸の同志のとこに匿われていたのだが、どうにも昔、壬生浪士組に居た事が問題視されてねえ。
幕府の側にも新政府の側にもいられなくなって、日本を追い出されたのだよ」
「それはそれは、大変なご苦労をなさいましたな。
それで、どなたに日本を追い出されたのでしょう?」
にこやかな表情で藤田は、さらっと肝心な話を聞く。
平間もそれには乗せられない。
「言ってもいいが、ただでは言えんな。
君たち、旧幕府の人間の生き死にに関わる話だよ。
そう簡単には教えられないよ、分かるよね?」
藤田はニコニコしている、相変わらず腹が読めない。
「自分は結婚しましてね……」
「はっ? あ、いや、それはめでたい……」
「妻は会津の者なのですよ。
義父も妻も私にはよくしてくれる、出来た人たちです」
「そ、そうか……」
「幕府とか新撰組はどうでも良いですが、会津の方々に迷惑が及ぶようでは見過ごせません。
先生、どうかその話をもう少し詳しくお聞かせ願えないでしょうか」
藤田はさっと近寄ると、平間の手を握った。
手の中にはドル銀貨が数枚握られていた。
「これは何だね?」
「挨拶です。まさか、情報料だとでも思いましたか?」
「いや、そこまで貧しくなってもいないさ。
まあ、君がくれるというなら、有り難く貰っておくけど、芹沢さんみたいに後で殺して回収、とかしないよね?」
「あはははは、先生、ここはハワイですよ。そんな物騒な事、斎藤一はともかく、藤田五郎はしませんよ」
「そうかね。では、色々話すのは次の機会にしようか。俺も忙しいのでね」
「ご足労いただき、ありがとうございます。どうぞ、またお立ち寄り下され」
2人はそう言って別れた。
お互いに
(釣れたな)
と思いながら……。




