1873年の金融恐慌
1873年というのは、ハワイ王国の重要な転機となった年である。
それは親米的なルナリロの即位ということではない。
もっと大きな、世界史の深層流にハワイ王国が巻き込まれ、ルナリロ王という船長は必死の舵取りをしたのだ。
それについて触れる。
1860年代は、日本は幕末・戊辰戦争の動乱期であった。
世界で見るならば、まずハワイ王国にもっとも大きな影響力を及ぼしているアメリカが南北戦争をしていた(1861~1865年)。
欧州においては、イタリア統一が成し遂げられた(~1870年)。
プロイセンがデンマーク戦争(1864年)、普墺戦争(1866年)、普仏戦争(1870年)と戦争をしながらドイツ統一を成し遂げた。
そしてフランス第2帝政が崩壊した(1870年)。
フランス第2帝政は、メキシコにおいてマクシミリアンを立てて帝政を敷いたが、ベニート・フアレスの反抗によって打倒された(1867年)。
中国では太平天国の乱(1851~1864年)が起きていた他、各地で反乱が勃発していた。
いわば世界各地で戦乱が起こっていた年代と言える。
この戦乱が、1872年頃には一部を除いて全て終了した。
戦争に向けていた資金が行き場を失った。
そこで、南北戦争で荒廃したアメリカの国土復興事業や、賠償金を得たドイツの経済成長等に投資がなされ、短期間に各国の金融市場は活況を呈した。
つまり「バブル景気」である。
だが、当時の事業は20世紀末の日本や、21世紀初頭の欧州と違い、規模が小さかった。
1929年のような巨大なショックとなる前に、バブルは弾けて、金融市場では大暴落が発生した。
これでとばっちりを受けたのが、過剰投資もしていない、当時の世界の基軸通貨を発行していたイギリス帝国である。
彼等はバブルになる事もなく、ポンドを安心して運用していたのだが、世界各国は違った。
現在の富の値下がりを防ぐ為、金を大量に買い込んだ。
金本位制の中、買い付ける為にポンドが大量に市場に溢れた。
ポンドの暴落である。
イギリスの金融政策は、なまじまともな運用をしていただけに後手後手に回り、通貨は暴落した。
そして、いつの時代も大体国内で経済を回して何となく回復してしまうアメリカが、経済面でも頭角を現す。
決済通貨としてポンドに代ってドルが使用されるようになり始めた。
イギリスとアメリカの逆転が始まりかけていたのだ。
ハワイ王国の主力産業は砂糖栽培である。
アメリカが対抗関税50%をかけていた為、主にイギリスに輸出していた。
イギリスは自由貿易をしているから、どんどん買っては貰えた。
だが、イギリスにはインフラが発達し過ぎた不都合が発生した。
大量に買い込むという事は、倉庫で腐らせてでも一定以上を確保する必要があっての事だ。
イギリスの場合インフラが発達し、結果倉庫に大量に貯め込んでおく必要は無くなった。
それなのに自由貿易で穀物がどんどん運び込まれる為、飽和状態となってしまった。
金融恐慌を引き金に、穀物価格も大暴落を始めたのだ。
ハワイからの砂糖も、安くしか買われなくなった。
必要量は既にある、むしろ余っているのだから。
ハワイ王国は、カメハメハ大王以来、貿易で得られる外貨は全てポンドだった。
確かに貿易商品である白檀の枯渇や、捕鯨が下火になった事で港湾利益が減少、対米で砂糖に高関税を掛けられるという不利益を被っていたが、それでもある時期まで、王家は世界有数の金持ちであったのだ。
だが、保有するポンドが大暴落した事で、その座は一気に失われた。
国の富が半減する等、防がねばならない。
ルナリロにとって、アメリカとの通商問題の他、通貨問題は是が非でも解決せねばならない急務となった。
こういう時に、旧幕臣はまるで役に立たない。
つい十数年前まで、自国で完結する経済の中で、公務員的に禄米を得て生活していたのだ。
金銀の内外価格差問題を担当した水野忠徳や小栗忠順といった人物ならば、敏感に気づき、何か対策を考えたかもしれない。
だが彼等は江戸幕府滅亡と共に死んでいる。
箱館まで戦った幕臣には、残念ながらそこまでの財政通はいなかった。
幕臣ではないが、早期に世界経済を察知した者もいる。
一つはカウアイ島の本間家であった。
日本に居た時でも、関東の金、関西の銀、そして米というそれぞれの相場で儲けていた。
ハワイに来てからも、本業の他に投機事業を行っていた。
そして、穀物価格の下落と、金に対するポンドの下落をいち早く察知した。
彼等はまともな方の対策をした。
金融システムに組み込まれていなく、バブルに全く巻き込まれなかった母国との取引で、金銀を大量に購入して貯め込んだ。
さらに言えば、本国で使われなくなった通貨を格安で買い、酒井家に持ち込んで
「日本人同士での取引は、旧来の小判、方金、銭で行いましょう。
相場が分からない場合は、米や布での物々交換も可としましょう。
しばらくこの国の市場は混乱します」
と進言した。
穀物相場が暴落している以上、米をハワイの市場に出しても儲からない。
儲かる市場は太平洋を渡った北の日本、北海道の開拓地事業にある。
ホンマ・カンパニーは穀物の日本への輸出と、貴金属の輸入で富を維持した。
酒井家を仲介とし、他の大名家、旗本領の生産物も安く買いたたかれないよう取引し、そこと繋がりのある白人やハワイ人もまた一定の恩恵を受けた。
金による貸しを上手く作った形となる。
相場に敏感なのは商人のみではない。
博徒もまた、この異常を察知した。
マウイ島ラハイナの闇社会の一角に居場所を作りつつある黒駒勝蔵である。
彼自身は海外と取引をしていない為、肌で感じる危機は無かった。
だが、賭場に出入りしている白人船主や、この国の農園主から情報を仕入れ、今どうなっているのかを自分の頭で考えた。
出した結論が「今、俺らが使ってるこの銭が、いつか安い鐚銭同様になってしまう」という事だった。
そうしたら、この国は一体どういう手を打って来るだろう?
彼は子分たちを走らせた。
既に子分の中には、白人やハワイ人も含まれるようになっていた為、情報網は大きくなっていた。
国王の政策顧問の元にも入り込んでいた。
勝蔵はそうして集めた情報を元に、ひとつの賭けに出る。
「おい、てめえら。てめえらにやって貰いてえ事がある」
「へい、どんな事でしょうか?」
「ホンマの船に入り込め。
普通に船乗りとしてでいい。とにかく商人となって日本に行って、金銀を仕入れて来な。
いくらでもいい、万延小判みたいな屑でも構わねえ」
「へい! では、親分は金を貯めなさるわけですな?」
「それじゃ博打にならねえ。
金銀は博打の為の元手に過ぎねえのさ。
うじゃうじゃ言ってねえで、早く行け!」
「へい!」
アメリカ合衆国では、今だに原住民との戦争が続いていた。
西部はいまだに安定していない。
だが、太平洋に達したアメリカにも、海外にも目を向けるべきであるという「帝国主義」が生まれつつあった。
その力はまだ弱い。
陸軍は騎兵隊、海軍も太平洋岸にはまともな戦力は無かった。
それでも太平洋に海軍の拠点を持つべきである。
そう上院議員のジョン・モーガンは説いていた。
彼等の野心の矛先はハワイ王国である。
カメハメハ4世、5世と親英政策を採る国王が続いた為、彼等は危機感を覚えていた。
彼等は密かに「ハワイ王国をアメリカ合衆国に併合する」計画を立てていた。
やり方はいつも通りである。
テキサスを併合した時のように、まずはアメリカ系の住民を増やしていき、次に彼等による議会最大派閥を形成し、議会による「独立宣言」を行う。
ハワイの場合は、王権の停止と共和国成立の宣言となるだろう。
そして時期を見て「アメリカ合衆国への併合決議」を通して、合法的に併合するのだ。
だが、ハワイの場合は問題があった。
カメハメハ5世による憲法改正で、議会は一院制とされ、国王によって簡単に否決出来るのだ。
ワンクッション、何らかの憲法改正が必要で、国王の権限を弱めねばなるまい。
さらにカメハメハ5世は、非アメリカ系の移民を増やした。
彼等をこれ以上増やさぬようにし、かつ彼等に選挙権を与えないようにしないとなるまい。
そう計画している内に、カメハメハ5世は亡くなり、親米派のルナリロが国王となった。
さらに金融恐慌によって、イギリスの力が弱まりつつある。
ハワイはアメリカに頼る以外に、まともな交易相手が無くなりつつある。
上手く依存させれば、操るのも簡単であろう。
都合の良い事に、ハワイ側からアメリカに交渉を持ちかけて来ている。
「私は、ハワイ王国に可能な限りの利益を与えてやるつもりだ」
ジョン・モーガンは同志たちにそう言った。
「正しくは、ハワイにいる我々の同胞という事になる。
砂糖関税撤廃くらいしてやろう。
あれは先王に対する経済制裁であったから、先王亡き後も続ける必要は無い」
「無論、あの黒人どもに懇願させてから、だろう?」
「その通りさ。無償で認めるつもりはない。
最大限に利益を与えるが、最大限に利権も分捕ってみせよう」
しばらくしてジョン・モーガンは、議会よりハワイとの通商についての外交権限を与えられる事になる。




