最終話:アジア太平洋の平和
血を吐き、顔色が悪い。
握手する手に力が感じられず、肉よりも骨の感触がする。
死相というものが出ているが、目だけは爛々としている。
摂政クヒオの人生のロウソク、最後の輝きなのだろう。
会議最大の難点となってしまった日本の戦艦「陸奥」問題。
加藤友三郎海軍大臣は、再び随行の徳川家達に頼み、一門会談を行って貰った。
徳川家達は、クヒオの病が死を宣告されたものだと知らされた。
松平容大もこの回からは参加する。
また、旗本松平太郎の養子の松平小太郎も幕府に登用され、今回からは参加となった
(頼み込んで同じ旗本松平家から迎えた養子な為、血筋的には問題無し)
松平定唐、容大、小太郎という3人の松平姓を持つ者が、揃って宗家・徳川家達に頭を下げる。
どうにか「陸奥」問題を解決したい。
徳川家達が言う。
「我々は既に過ぎ去った時代の生き残りに過ぎない。
昔は随分と不可解に思ったものだが、先代の慶喜公の大政奉還と千代田城無血開城、あれが我々をして、いまだ貴人と為しているのかもしれぬ。
日本を内乱の泥沼に落とし込まず、早々に近代化させたのは、慶喜公の業績やも知れぬ。
なれば『陸奥』にも業績があれば、その廃棄も名誉のものとなるかもしれない」
「イギリスが譲歩した東経103度より東の海軍基地及び要塞禁止では足りませぬか?」
「アメリカの譲歩も欲しい。
例え既定路線のものであっても、『陸奥』引き換えに得られる名誉が欲しい」
「『陸奥』はそれ程までに大事な艦なのですか?」
そう聞く松平小太郎に、松平容大が代わりに答える。
「我が父・会津宰相は城を明け渡した。
慶喜公と違い、戦に敗れての事だ。
父は顔には現わさなかったが、家臣たちはずっと悔しさを抱えていた。
故に幾多のハワイでの合戦で、城を護り抜いて、彼等は屈辱から解き放たれた。
人間の機微は、たかが一個の城、たかが一隻の戦艦、という言葉では語れぬものよ」
咳払いをし、松平定唐が徳川家達に尋ねる。
「アメリカから譲歩を引き出せば、『陸奥』の問題は解決しますな?
これ以上は我々ではどうにもなりませんぞ。
何度も何度も条件を積み上げられたなら、日本に軍縮の意思無しとして散会させます。
ハワイ王国の名誉は守れませんが、子供の使いとなるよりはマシですゆえ」
「うむ、加藤海相はこれがギリギリの線だ、ここを譲ってくれたら、自分の命にかけても軍縮を成功させると言っておられた」
かくして最後の「南洋の徳川一門会談」は終わる。
内容を聞いてクヒオと林忠崇はアメリカのヒューズ国務長官を訪ねる。
日本の要求の勝手さに、思わず眉をひそめたヒューズだったが、
(既定路線のものを敢えて文章化すれば名誉を得られる、それなら安いものか。
何より対日はこの会議の次が本命だからな)
そう考え、条件を提示した。
1922年1月6日、この日の会議で
”イギリスは東経103度より東に主力艦を配備しない”
”イギリス領オーストラリア及びニュージーランドに配備された巡洋戦艦は1922年迄に全艦廃棄”
”アメリカは西経154度 (タヒチやハワイ)より西に主力艦を配備しない”
”フランスとイタリアは太平洋上に主力艦を配備しない”
という破格の条件が提示された。
もっとも
”日本は千島諸島・小笠原諸島・奄美大島・琉球諸島・台湾・澎湖諸島を要塞化せず主力艦を配備しない”
という条件もついたが、日本もその予定は無い。
加藤友三郎代表は
「ここまで譲歩してくれた各国と、会議を投げ出さずに纏めてくれたクヒオ摂政殿下に感謝と、これまでの非礼を詫びたい。
日本はこの条件で戦艦『陸奥』を廃棄する。
これはこの加藤の生命を懸けた約束です」
こう言い、議場では拍手が起こった。
クヒオはその光景を見て、安堵した。
翌1月7日、ハワイ王国摂政クヒオ王子死去。
胃病で苦しい筈が、穏やかな表情で眠ったまま亡くなっていた。
大老林忠崇がこの事を代表団に伝え、1日会議は喪に服する事となる。
「大丈夫でしょうか?」
副使の一人、幣原喜重郎が加藤友三郎に尋ねる。
「言っただろう?
私の生命に懸けて約束は守る、と」
「閣下は原総理のように暗殺されるのではないですか?」
「ふん、殺せるものなら殺してみろ。
そうして国際会議で決めた事をひっくり返し、一体何が出来るものか」
「閣下、馬鹿に理屈は通じません」
「そうだ、馬鹿には馬鹿用の薬がある。
それを使うまでの事よ」
軍縮会議は、細かいとこを詰めながら議長代行の林忠崇が無難に纏め、2月6日に閉幕した。
果たして加藤友三郎は、対米7割5分を呑ませた事より、皇后・皇太子含む皇族が進水式に参加した『陸奥』廃棄の件で叩かれ、帰国時には投石を浴びる事になる。
だが日本海海戦の連合艦隊総参謀長の胆力が凄まじかった。
投石する者の方に、無防備に歩み寄る。
こうすると石を投げる者は、妙に怖気づいて石を当てられなくなる、或いは投げる力が弱まる。
何個か石を頭に受け、血を流しながらも加藤はこう言った。
「君に全権を与えよう。
不満が有るなら、今あの船でアメリカとイギリスに行き、私に代わって交渉して来給え!
ほら、ここにアメリカのヒューズ国務長官とイギリスのバルフォア伯爵への推薦状がある。
君が私に代わって、日本国民の期待に応えてくれるなら、それで良いが如何に?」
指差された男は、思わず後ずさった。
周囲を見渡し、野次馬何人かに突き付ける。
彼等は首を横に振り、後ずさって群衆の中に隠れようとした。
「おう、誰かおらんかの?
儂に代わって米英説得するっちゅう者はの?
命懸けで渡り合うっちゅう者はおらんか?
拳銃持って来て儂を撃つっちゅうんなら、その者にやって貰おうが、どうじゃの?」
広島弁で凄む加藤に、群衆は圧倒された。
「加藤君、そこまでにして置きなさい。
俺いが信頼する加藤君以上に、英米相手に渡り合える者なんか、おらんよ」
周囲が硬直する中、小柄な老人が加藤の元に歩み寄った。
「東郷閣下、このような場所に……」
「加藤君の帰国を待っていたのだよ」
群衆がざわざわと、東郷元帥? あの東郷元帥か? と騒ぎ始める。
「皆も聞くが良か!
戦艦の保有数が減らされようが、大した事は無か。
日露戦争の折りも、『敷島』と『八島』を失ったが、日本は勝った。
良かか? 訓練に制限ば課せられて無か!
山椒は小粒でもぴりりと辛か。
我が海軍はそれで良か」
日本海海戦の連合艦司令長官と参謀長、この2人の威圧感と東郷の発言、群衆は静まり、やがて万歳三唱をして散っていった。
「閣下、お手数をおかけし、申し訳ございません」
「加藤君をこんな場で失う訳にはいかんからな。
にして、『陸奥』廃棄とはえらか決断したもんよの」
「ハワイの摂政の気迫に呑まれましたよ。
お陰でこの広い太平洋に戦争の種は無くなりました」
「じゃっどん、気ぃ抜いてはいけもはん。
戦艦等造ろう思えばすぐに造れるもの。
要塞や海軍基地とて同じ事。
数年有れば何とかなる。
大事なのは人を育てる事ごわす」
「左様ですな」
「……榎本サァは良か人を遺して逝きなさったようじゃの」
「は? 何か?」
「一人言よ。
俺いどんも口数が増えたようです」
ワイキキ海軍軍縮会議は批准された。
東郷平八郎の発言を新聞が引用した事と、気づいたら太平洋上に英米の戦艦の姿が無くなっていた事で、「陸奥」は「英米を太平洋から追い出した幻の戦艦」という称号を得た。
太平洋において、日本沿岸及びアメリカ西海岸のみ戦艦が配備され、他はカナダにも南米太平洋岸諸国にもオーストラリア・ニュージーランドにも、東南アジア西欧植民地にも、最早戦艦や巡洋戦艦は居ない。
ソ連の動向が不明ではあるが、ソ連は太平洋に直接面してはいない。
感情的な部分を除けば日本の大勝利なのだ。
もっとも、余計な出費を抑える事が出来て、かつ譲歩とは言っても、そもそも予定に無かった部分を明文化しただけで済ませた米英仏伊も、自国の「大平洋の保安官」たる存在意義を高めて会議を終えたハワイも、外交的に勝利と言える。
高橋是清内閣が倒れた後、加藤友三郎が総理大臣の下命を受け、彼は総理大臣として軍縮条項を批准し、世界各国から賞賛を浴びた。
そして倣うかのように山梨半造陸軍大臣が、陸軍の軍縮に手をつける。
陸軍の一部が画策したように、満州を伺う関東軍には手が付かなかったが、他は国力及び大戦の戦訓を反映した、人数頼りではない扱いやすい編制に変わった。
日本の経済は、膨大な軍事予算から解放され、健全化する。
もっとも1923年には関東大震災が起こり、財政難から更なる軍縮を求められるが。
ワイキキの次はワシントンで国際会議が開かれた。
(ヒューズが、思った以上に譲歩してしまったが、大きな問題は無い。
逆に日本をあそこまで勝たせた事が、今回に繋がる)
ハーディング大統領は失業率の改善や児童福祉、労働争議の解決に尽力した政治家である。
海軍の予算を思った以上に減らせた為、全くもって外交的敗北では無い。
世界に16インチ砲搭載戦艦は日本の「長門」とアメリカの「メリーランド」の2隻のみである。
両艦とも、奇しくも45口径16インチ連装砲4基8門を前後に2基ずつと同じスタイルとなった。
「海洋神の双子巨人」、イギリスの巡洋戦艦「フッド」と併せて「世界の三大巨艦」、日本では「東西両横綱」と呼ばれている。
これはこれで、世界へのアピール力は高いのだ。
ワイキキ会議の結果を持って、ハーディングは日本に要求を突き付けた。
「山東半島を中華民国に返還して欲しい」
そして
「機会均衡、門戸開放、アジアの平和、これで行こうじゃないか!」
各国に呼び掛けた。
渋って見せる日本代表に、ハーディングがこう耳打ちする。
『貴国が既に死んだ韓国の皇帝を使って、満州で何をしているか、こちらは承知しているのだぞ。
それに海軍軍縮会議ではこちらも随分と譲歩した。
強欲は身を亡ぼす元だ。
山東半島くらい諦めたらどうかね?』
青くなった日本代表だが、本国に一度問い合わせたところ、山東半島放棄を陸軍が承知しているという思わぬ回答を得た。
陸軍は山東半島より、満州が狙いである。
こうしてワシントン9か国条約が締結され、中国には各国が協調進出する事となった。
このワシントン体制も、1926年に蒋介石の北伐が開始されると不穏なものとなった。
国際会議で作られた平和は、急流のように事態が次々と変わる20世紀初頭において、数年から長くて十数年の効果しか持たなかった。
ワイキキ軍縮もやはり十数年の効果しか持たなかった。
だがその為に生命を懸けたクヒオ王子は、各国から賞賛された。
日本、アメリカ、イギリスの間に挟まり、彼等の軍事力をより外側に押しやり、距離を持たせた事と、強引にでも主力艦を減らした事で平和に近づき、かつ参加国全ての異常な軍事費支出を終わらせた。
「生きていたならノーベル平和賞に推薦したかった」
とイギリスのバルフォア伯爵は語ったと言う。
(もっとも、バルフォア宣言のバルフォア伯爵だけに、単なるリップサービスの疑いが有るが)
イギリスのジョージ5世、フランスのポアンカレ首相、ベルギーのアルベール1世等、王族・政治家・軍人から弔問の使者が訪れる。
小型巡洋艦しか持たないが、各国が主力艦を太平洋地域に配備しない事により、「太平洋の保安官」となったハワイ王国、その軍事部門ホノルル幕府では、今日も外洋艦隊司令官出羽重遠中将が将兵を鍛えていた。
1922年12月7日、第四代征夷大将軍ジョン・オーウェン・トクガワ・ドミニス3世の就任1年記念行事には、各国から多くの観光客や招待客が集まっていた。
梅沢道治中将が先陣、大老林忠崇が将軍横に馬を並べる。
江戸時代の作法では無礼なのだが、将軍を駕籠に乗せずに顔を見せ、軍事部門を担う組織の長として相応しいと周囲に知らしめる必要があった。
大老が馬を並べるのは、万が一暗殺者が居た時には身を呈するつもりでの事だった。
オアフ東照宮まで行列は進む。
初代将軍徳川定敬の廟に詣で、将軍は誓詞を読み上げた。
「征夷大将軍ドミニス、ここにハワイのみならず、世界の安定に貢献する事を誓う」
ホノルル湾で、海防戦艦「カヘキリ2世」が祝砲を放つ。
米英仏伊さらにオランダやオーストラリアの巡洋艦も祝砲を鳴らす。
日本の軍艦もこの日は来ていて、同様に祝砲を撃った。
太平洋は平和な日々を迎えている。
世界はハワイ王国というパズルのピースを受け容れ、その形での進行を始めた。
ポリネシア系ハワイ人たちは、幕府の行事を横目に今日も、多少近代化したとはいえ、先祖代々の「海の遊牧民」たる生活を送っていた。
そんな日々がこれからも続くであろう。
明日も、明後日も、また次の日も。
十数年先は分からないが、この先しばらくはこのまま平穏に。
とりあえずここで一旦終了します。
1869年から1922年まで53年分。
次回作があるとしたら、1939年からがメインとなりそうです。
そしてこの辺から現在も生きている人が関係しそうで怖いとこです。
幕末の頃の生き残りは林忠崇さん(1941年没)しかもう居ませんし、主人公その他を架空の人物にしないとなりません。
実在の人物と違い、キャラ設定を一から練らないとならず、当分書く予定無いです。
兵器的にはD.520戦闘機やLeO 451爆撃機、Potez 63.11戦術支援機を活用する幕府空軍とか書いてみたいのですが。
(D.520はモーターカノンイスパノスイザエンジンを、ロールスロイス・マーリンに換装し、魔改造してみようかな、と)
何にせよ、主人公が決まってないので、設定ばかり膨らんでも書けない状態です。
1922年まで生き延びた以上、もう歴史はハワイ王国というピースを組み込んだまま進展するでしょう。
というわけで、
・北アフリカでロンメル軍団と戦う幕府旗本部隊
・イタリア戦線でアメリカに指揮されて戦うハワイ・アメリカ合同日系人部隊
・軽巡と潜水艦だけで奮闘するハワイ海軍
てのは、主人公決めてから、です。
今迄ありがとうございました。