クヒオ倒れる
ハワイ王国摂政・ホノルル幕府征夷大将軍・ハワイ王国軍総司令官・オアフ島知事・カウアイ島王と数多くの称号や官職を持つジョナ・クヒオ・トクガワ・カラニアナオレは、正しくハワイ王国の柱石である。
国王がいまだ17歳である以上、王族の中で最も実力のあるクヒオが国王名代として活躍せざるを得ない。
さらにクヒオは、イギリスのジョージ5世、イタリアのヴィットリオ・エマヌエレ3世他、欧州の要人たちと知り合いであり、信望も有った。
ハワイ王国の平和は、彼の肩に乗っかっていた。
そのクヒオが血を吐いた。
1921年12月の事である。
第五代カメハメハ5世、第六代ルナリロ王、第七代カラカウア1世、彼等は12月頃に体調を崩し、悪化させ、あっという間の翌1月に逝去していた。
クヒオも自分の死後に思いを至らせる。
(何とか自分の命がある内に、太平洋に平和を!
それがハワイがこの先も平穏無事に生きる道だ)
まずクヒオは征夷大将軍を辞任し、まだ9歳のジョン・ドミニス3世を四代将軍とさせた。
(三代将軍は正式には就任していなかったジョン・ドミニスJr.)
不思議な縁で、徳川宗家の家達がハワイに居た為、彼に(髷は無いが)ドミニス3世の加冠親になって貰い、東照宮における就任式の立会人になって貰った。
(話には聞いていたが、異国でかつて千代田の御城での儀式が行われているとは、何とも不思議なものだ。
そして、世が世なれば将軍となっていた私が立会人になろうとは……)
半世紀前に終わった江戸時代が、まだそこに生き残っていた。
軍縮会議の代表団は、気分転換に日本とポリネシア風の混ざった将軍就任行列を観覧する。
その翌日、クヒオは日本代表の加藤友三郎海軍大臣と交渉を持った。
「前時代的な珍しいものを見せて頂きました」
加藤は青白い顔で毒を吐く。
「その前時代的な精神が、かつてはアメリカと戦う原動力となったものです」
「だが今は精神力で戦争に勝つ時代では無い。
機械力とそれを生み出す経済力が勝敗を決する。
貴方も分からん事は無いでしょう?」
加藤は毒舌っぽいが、特に悪気は無い。
「私は機械力より経済力を重視する。
しかし、本国の多くの者はそうでは無いようだ。
経済力を超える機械力を欲している。
それが度を越していれば、私も嗜められよう。
しかし『陸奥』一隻、増やすも減らすもその程度では大して変わらん。
私はアメリカのあの工業力から作られる艦隊を、日本の1.5倍迄と制限をかけられた、それだけで十分勝利だと思っている」
クヒオが口を開く。
「勝った……そう思ってますか?」
「ふむ……」
加藤はしばし考え、
「勝ち負けで終わらせられるなら楽ですな。
しかし、それでは痼りが残る。
私のこの胃のようにな。
外交は勝ち勝ちで終わらせるのが上策だろう」
「そこまで分かっておいでなら、あと一国勝ちに加えて頂けませんか?」
「『陸奥』を認めればイギリスもアメリカも新型戦艦を得られる。
そうなれば英米も我等同様勝ちだろう。
他に何処が有るのですかね?」
「我がハワイ王国です」
「異な事を。
貴国はただの議長国。
条約を纏められたら十分勝ちでは無いか?」
「私が思う勝ちは、この後数十年、出来れば百年続く平和を太平洋地域にもたらす事です」
「成る程、それはそうだ。
貴国の立ち位置を無視していた。
許されたし」
「構いません。
加藤閣下、私は欧州大戦に参加しました。
あんな凄惨な戦争は、もう二度としてはいけないと思います。
それには平和が必要です。
太平洋だけでなく、アジア地域でもイギリスは軍事力を減らすそうです。
この地球の四分の一は平和に纏まる事が出来ましょう。
戦艦を一隻、増やそうが減らそうが勝ちが決まっているなら、減らす方で勝って頂けないでしょうか?」
加藤は考え込んだ。
クヒオの方を分析するように覗き込み、まあしばらく考える。
その上で「善処する」と即答を避けた。
クヒオが加藤の前を辞す時、加藤の方から話しかけた。
「摂政殿下、殿下も私と同じように胃を病んでおりませぬか?」
クヒオは振り返り、笑みを浮かべて頷く。
「そうですか……。
互いにあと一歩頑張らねばなりません。
殿下も会議を纏めるまでご壮健で」
クヒオを見送り、加藤は独り言を言う。
「『陸奥』一隻に拘ると、逆に我が国は不利になる。
日本が一隻を得れば、英米は二隻を得る。
一見勝ったように見えて、逆に得た利益を放棄しておるのだ。
じゃがのぉ……どんだけの者が分かろうかの?」
クヒオは、残りの命数を数えながら、様々な事を一気に行っていた。
ハワイ民法の草案を提出し、議会に諮る。
元々、大鳥圭介が翻訳したナポレオン法典やハワイの独自の家庭事情等を調べて、纏めさせてはいたのだが、この機会に議会に提出し、形にしようと考えた。
また、クヒオはハワイアン・シビッククラブを創設する。
ボランティア団体で、文化、健康、経済発展、教育、社会福祉、言語、歴史、ダンス等多岐に渡るハワイ人の為の保護や促進活動を行う組織である。
クヒオはこれに私財のほぼ全てを投じる。
「私には継ぐべき子がいない。
妻への遺産以外は全てハワイ人の為に寄附する」
そのクヒオの妻であるエリザベスは、ハワイにおける女性の参政権を認めるべく運動を起こす事になる。
ハワイ王国がいまだにアメリカの属国と見られているのは、通貨の問題がある。
ハワイは完全にドル経済であり、一応自国での一定量のローカル・ドルを発行出来る。
これを改め、この機会にヒューズ国務長官と米布通貨同盟を結び、レートは等価で発行量について調整するが、USドルとは違うハワイアンドル発行権を得る。
同時にアーサー・バルフォア枢密院議長と英布通貨協定の交渉する事を約束し、ハワイは2通貨体制となる。
この事は内部での為替取引が発生する為、金融で稼いでいる者たちへの新しい仕事を与えた事になった。
バルフォア議長とは、海軍の艦艇貸与についても再確認し、この軍縮会議後に巡洋艦は更新される事になった。
フランスのアルベール・サロー海軍大臣には、改めてハワイ空軍創設に向けての協力を依頼した。
フランスは国力が衰退した為、ハワイの太平洋警備に寄せる期待大となっていた。
喜んで協力する、ついては陸軍の武器も買って欲しいと、セールスもかけられた。
「上様、ご自身で全てを終わらせようとしない方がよろしい。
後の者にも仕事を残して置くのも、器量の一つですぞ。
無論、目鼻をつけてからでよろしいですが」
そう諫言した林忠崇にクヒオは、
「よろしい。
では貴殿を大老に任ずる。
将軍殿はまだ年少だから、よく補佐するように」
と、井伊直弼以来久々の「大老」に任命した。
林忠崇は大いに慌てた。
自分の家格は老中すら出来過ぎで、大老を出せる家柄では無いとの事。
カウアイ島にいる酒井家ならば大老となれる家柄である。
ハワイ島の松平家も、藩祖が大老格となった保科正之である。
そちらを任じて欲しいと言うも、
「たった4家しかない大名家で、家格がどうとか言っても仕方あるまい。
格式は確かに必要かもしれないが、現状経歴的に最も大老に相応しいのは貴殿だ。
73歳にもなって、狼狽えなさるな」
そう言ってクヒオは笑った。
「なれば、この73歳の明日をも知れぬ爺いめが死んだ時は、どなたに大老職を譲ればよろしいでしょうか?」
「将軍殿が18歳となっていたならば、大老職は不要。
これ迄通りの老中合議制に戻すのが筋であろう。
それより前に死ぬ事は罷りならん!
……と言いたいが、もしもそうなった場合は松平容大殿しかあるまいな」
不出来と言われ、父に叱られながら比呂松平家を継いだ容大も、もう52歳になった。
年齢的に松平定唐は49歳で年下だから、順番的に容大が将軍後見となろう。
旗本の中では、若年寄永井亨が、大老の片腕となる。
永井主水正尚志の養子・永井岩之丞尚忠は既に他界したが、その子らは
・長男の壮吉が海軍に入り外洋艦隊で勤務
・次男の亨が幕府閣僚となり大目付から若年寄に昇進
・三男の啓は王国政府の金融監査方に就任
・四男、五男、六男がそれぞれ起業をしてハワイ経済の発展に寄与
と政財界の重鎮となって活躍している。
大鳥圭介の子、大鳥富士太郎は成人後に父を助けるべくハワイにやって来た。
その後、ハワイ王国政府の方に出仕していたが(大鳥圭介が、父と同じ組織で、七光りで職を与えるのを嫌った為)、この度はクヒオが頼み込んで幕府の方の外交方に転じて貰った。
クヒオは、義父徳川定敬と同様「幕府を自然消滅させる」考えであったが、国王が未成年、幕府の長たる将軍も少年という事態に、付け焼刃ではあるが先代を支えてくれた「江戸幕府以来の」人材の子や孫を頼り、組織を存続させる方に考えを転向させた。
大体その考えであった榎本武揚らは、子供たちを海外留学させたり、伸び伸びと教育させていたが、どうもそれがかえって良かったようで、視野の広い二代目、三代目が幕府に戻って来る事となった。
クリスマスの日、ついにクヒオは倒れた。
議事進行を代行である林忠崇が各国代表団にその旨を知らせるも、翌日の会議には身体を支えられながら参加し、代表団からの畏敬の念を受けた。
クヒオは言う。
「この海軍軍縮会議は是が非でも成立させる。
我が名誉等はどうでも良い。
欧州大戦に僅かでも参加した自分は、この太平洋にあの戦争を再現させぬ為、平和を築きたい。
各国代表団には、一層の協力をお願いしたい」
クヒオの執念がそこに在った。
軍縮会議、日本側使節に徳川家達が居て、話の膨らませ方で助かりました。
今迄活躍して来た人たちがどんどん死んでいく中、最後に「徳川幕府」の見せ場が来ましたから。
徳川一門が居なかったら、クヒオと林くらいの寂しいラスト3話でした。




