ワイキキ海軍軍縮会議開催
大日本帝国咸鏡北道、ここでは朝鮮人の抗日ゲリラや馬賊、山賊が日本軍と戦ったり、お互い潰し合ったりしている。
この日も「金日成」を頭目にする集団と「高宗」を頭目とする集団が争っているところに、通報により日本軍の一団が駆けつけて襲撃し、両集団を撃破した。
まあ「金日成」団というのは複数集団存在する為、どれが本物かは分からない。
問題は高宗を頂く「大韓帝国正統軍団」という組織である。
高宗は仮にも一国の君主であり、日本は欧州大戦時にドイツ皇帝の裁判や処刑に反対した経緯もあって、迂闊に殺す事が出来ない。
高宗以外の李家は日本の皇族に準じる待遇を受けて、日本の一員となっている。
高宗を殺すと、今は大人しい李王家にも波風を立てかねない。
そんな中、シベリア出兵中の日本軍が赤軍捕虜から奇妙な話を聞いた。
高宗という亡命皇帝は、2年前に死んでいると言うのだ。
日本に対する道具として生かしていたソビエト連邦だったが、同じように亡命した朝鮮人より李王家の圧政を訴えられ、中央シベリアに連行された上で「人民から搾取した罪」で銃殺されたという。
それが本当ならば、今戦っている「高宗」とは何者なのか?
「何者かなんて、それって問題ですかね?」
陸軍大学校兵学教官の若い大尉が呟く。
まだ尉官の彼に、周囲は「生意気な事言いやがって」という視線を浴びせる。
「その高宗は満州方面に逃げたんでしょう?
そっちの方が大事ですよ。
高宗は我が国の国事犯、捕縛の必要がある。
これって満州侵攻の大義名分になりますよね」
余り上官から好かれてはいないようだが、中々キレ者ではある。
「簡単に言うな。
あの高宗は我々が操る為に敢えて逃がした道具ではないか。
それが違う者に代わっているなら、思わぬ強敵になるかもしれんぞ」
「高宗はもう爺さんです。
今年は数え70歳でしたかね。
アカの奴らに処刑されなくても、そろそろくたばったでしょうよ。
そうなると、高宗は死んだと発表される方が厄介です。
上手い具合に生きている事になっているなら、捕縛の為に動ける訳ですよ」
「ふむ……」
参謀たちは、若造の意見に一理有る事を認めた。
その上で彼等の本音を出す。
「我々とて馬鹿ではない。
国家の経済が持たず、兵を整理せねばならない時期が来る。
その時に、削られてはいけないものは分かる形で残さなければな」
「つまりは満州へ出せる兵力だ。
日露戦争で獲り損ねた満州を、いつかは手に入れねばならない。
その兵力までは減らされないように、常に満州は不穏、兵を出し続けている状態に維持しよう」
この好悪両方の感情を抱かれる若い大尉は、一部がハワイに移り住んだ庄内藩鶴岡出身である。
庄内藩士であった父親は、家老であった酒井玄蕃について行かず、藩主に従って日本に残った。
この大尉は同郷の者がハワイにおいてアメリカ合衆国撃退に一役買った事に興味を抱く。
そして
(俺は陸大の卒論に越後長岡藩の河合継之助の作戦を調べて書いた。
それで分かったのだが、旧幕府とは決して悪では無い。
松平・酒井・榎本・大鳥、彼等がハワイで為したのは東洋の王道楽土のやり方だ。
西洋の覇道に王道は勝てる、それを示している。
満州をもって、一刻も早く西洋の覇道に対抗する王道楽土の地にせねば。
あの小なるハワイで為せた事が、この日本で為せぬ訳が無い)
そう考え、独自の思想を追求していく事になる。
市ヶ谷で参謀たちの話し合いが為されている頃、軍縮を実際に迫られている海軍の加藤友三郎大臣は、原総理大臣と打ち合わせをしていた。
「軍縮は国際社会が求めているもので、我が国も拒否は出来ません。
加藤さんはどこまで減らせると思いますか?」
「私は現在建造中の主力艦全て放棄で良いと考えます」
「加藤さん、貴方が推進した八八艦隊を捨て去るのですか?」
「昨日の正解が今日も正解とは限りません。
大戦中の好景気は既に消え去り、現在は不況に入っています。
莫大な国家予算を費やす八八八艦隊は、今為すべきものではありません」
八八艦隊計画、ポスト・ジュットランド型の40cm砲以上の主砲を搭載した戦艦を8隻、巡洋艦を8隻揃える計画である。
単に主力艦を増やすだけでなく、それに合わせた補助艦、そして海軍軍人も増やす総合計画で、この艦隊が完成した場合の年間維持費は6億円(国家予算は15億円)と算定された。
欧州大戦の好景気を元に計画された計画だが、大戦後の今は重荷になって来ている。
ポスト・ジュットランド型戦艦、それはユトラント沖海戦というイギリスとドイツの対戦に教訓を得た戦艦である。
長距離砲戦になった時、大仰角で発射された大口径砲弾は、舷側ではなく真上から降って来て甲板に命中する。
ここが非装甲な艦は、貫いた砲弾が機関部で爆発し、撃沈されたり大破したりした。
元々の八八艦隊は、戦艦「伊勢」級、「扶桑」級、巡洋戦艦「金剛」級等で編制させる予定であったが、これらの艦は垂直方向に致命的な欠陥がある事が分かり、このままでは主力艦として使えないと判断される。
そして垂直方向にも防御を考慮し、大口径砲の長距離射撃にも対応したポスト・ジュットランド型戦艦が必要とされた。
さらに欧州では38cm砲(15インチ砲)搭載艦が登場した為、日本は36cm砲(14インチ砲)でなく41cm(16インチ砲)以上の戦艦・巡洋戦艦を建造する事になった。
元々日露戦争後に、ロシアからの戦利艦を加えて、艦歴の新しい戦艦を一定数揃え続ける意味での八八艦隊構想を考えた加藤友三郎だったが、こうも完成艦の陳腐化が頻繁だと「金がいくら有っても足りない」という危惧を抱いていた。
そして、新型戦艦8隻、新型巡洋戦艦8隻のみならず、一世代前の八八艦隊構想で既に完成済みの「金剛」級以降の8隻も残した「八八八艦隊」等、海軍の手に余る。
現役は新型戦艦8、新型巡洋戦艦8、艦齢8年以降の主力艦8隻で、それ以降は当時の想定運用年数24年までは二線級としてとりあえず置いておき、24年を過ぎると退役させる。
この計画だと総数72隻の戦艦・巡洋戦艦を維持させる為、毎年3隻ずつ新型艦を建造し、3隻ずつ旧式艦として廃棄し続ける事になる。
それに合わせて常に人員も交代し続ける。
だから兵学校でも募集人員を増員し、海軍全体を肥大化させる事になる。
こうなると陸軍も黙っていなく、大軍拡計画を出して来た。
どこかで防がねばならないが、お互いが自分からは言い出せない意地の張り合いが有った。
米英からの軍縮の呼び掛けは、渡りに船と言えよう。
「加藤さん、貴方は海軍の裏切者と言われませんか?
大丈夫ですか?」
「予算を通した島村(速雄)さんとは既に話をつけています。
東郷さんにも説明はしました。
文句言う奴もいるでしょうが、自分はこれでも日本海海戦の連合艦隊参謀長です。
その名声だか虚名だか知りませんが、そいつで黙らせますよ」
「うん、分かった。
加藤さん、国内のことは自分が纏めるから、あなたはワイキキで思う存分やって下さい」
こうして原内閣は加藤海相を軍縮会議に送り出した。
アメリカのダニエルズ・プラン、日本の八八艦隊計画以外の各国の計画はどうであろうか?
大戦で疲弊したとは言え、イギリスは戦艦4隻、巡洋戦艦4隻の建造計画を立ち上げていた。
だが、もうアメリカの建艦ペースにはついていけない。
「青年学派」に沿って小艦艇を中心に建造した結果、大型装甲艦が必要と分かった時には遅れを取ってしまったフランスは、1920年までに戦艦28隻、巡洋艦10隻、水雷艇52隻、潜水艦94隻他を建造する計画を立てていた。
しかしフランスもまた欧州大戦の痛手が大きい。
本土が戦場となった為、イギリス以上に傷は深い。
現状の保有戦力は超ド級戦艦が3隻、ド級戦艦4隻、準ド級戦艦8隻。
イタリアは、これから海軍を拡充させたい。
この国には超ド級戦艦は存在しない。
ド級戦艦が6隻、準ド級戦艦が4隻があるだけだ。
イギリスにとって、仏伊の海軍軍拡は問題では無いが、枠組みとして「戦勝5ヶ国」にすべく両国も会議に参加してもらう。
こういった分析は幕府海軍外洋艦隊司令官出羽重遠に意見を聞きながら、外国奉行所でまとめて将軍クヒオに報告されている。
戦勝5ヶ国の海軍軍縮において、全ての国と一定以上の関係があり、中立に議事進行出来ると見込まれてのワイキキ開催なのだが、だからといって各国事情に無知では済まされない。
概要を掴むと、会議開催前の数日間でクヒオは各国代表団と交流を持ち、大体の本音が分かった。
日本:軍縮は大枠賛成だが、対米で戦力7割を維持したい
アメリカ:軍縮もさることながら、日本のこれ以上の太平洋方面侵出を阻止したい
あと、イギリスに匹敵する戦力を持ちたい
イギリス:アメリカの軍拡を阻止したい
それが成ればアジア地域の影響が弱まっているから、日本の伸張を阻止したい
フランス:一定の戦力が維持出来れば良い
イタリア:フランス並の戦力を揃えたい
クヒオは「日本が納得出来る形で軍縮が成功すれば、アメリカもイギリスもこれ以上アジア太平洋地域での軍拡をしない」と見た。
日本は、代表の加藤友三郎海軍大臣が本音を打ち明けたが、自国の軍拡を持て余している。
日本が納得すればこの会議はすんなり話が済むだろう。
大体の方針をもって会議は開催された。
クヒオは知らない事がある。
いや、ハワイ王国そのものがこの際は無視された話である。
同時期、ワシントンD.C.において、アメリカが呼び掛け、イギリス、フランス、日本、イタリアというワイキキ会議と同じ枠組みにプラスして、オランダ(インドネシアに東インド会社を持つ)、ポルトガル(マカオを中国から租借し、東ティモールに植民地を持つ)、ベルギー(天津に租界を持つ)、そして中華民国を集めて、アジア・太平洋地域の新枠組構築会議を開こうと準備をしている。
アメリカはいまだに太平洋方面への進出を諦めてはいない。
むしろ欧州大戦を終え、自国が強力になった事で改めて気づいたと言っても良い。
既にパズルのピースとして世界地図に嵌まったハワイ王国であり、アメリカも真珠湾以外の要求、特に領有主張等はして来ないだろうが、共に歩むべきか、反発するか、これからの悩みどころとなるだろう。
庄内藩鶴岡出身で、ハワイ王国に連れて行くか否か迷った人物が2人います。
1人はこの回の冒頭に出て来た陸軍大尉。
この人をハワイに連れて来たら満州事変は起こらないかな?と考えましたが、
「この国では俺が思い描く王道楽土は作れない」
と日本に戻ってしまう筋書きばかりになり、結局連れて行くのは断念しました。
この人の作戦指揮は二十世紀になってからですので、米布戦争等ハワイの危機の十九世紀には出番有りませんし。
仮にハワイに閉じ込めておいても、別な誰かが同じ事しそうです。
もう1人は海軍の佐藤鉄太郎。
出羽重遠の後任の海軍の重鎮に良いかな、とも思いましたが、晩年がちょっと……なので、やめました。
あとこの人は、親や親戚の反対押し切って日本海軍に入った人なので、ハワイに連れて来ても日本海軍の方を志して日本に行きそうでした。
本人が思想家な人は、作品としてちょっと扱いづらいですね。




