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いや、国作るぞ!~ホノルル幕府物語~  作者: ほうこうおんち
最終章:大いなる樹は残った
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ハワイアン・ドクトリン

 外洋艦隊司令官出羽重遠中将は、艦隊の形について考えていた。

 欧州大戦を経験し、幕府の軍人もまた成長した。

 出羽が考えるに、守って戦う上で大型装甲艦は不要という、フランス青年学派ジューヌ・エコールの理念はハワイに合っているが、小艦艇とその搭載兵器がやりたい事に追いついていない。

 ではイギリス式海軍は?

 ハワイには海外植民地は無いし、ハワイが制海権を懸けて争う相手もいない。

 しかし、ハワイ外洋艦隊の仕事は、長距離護衛が最も多い。

 欧州大戦に伴う護衛任務で、インド洋では出会わなかったが、大西洋では何度かUボートの襲撃を受けた。

 出羽は、対潜能力を拡充した小型巡洋艦主体の編制が、ハワイという周囲から離れた島国には丁度良いと考えた。

 一方、内海艦隊、守る側も高価で新型にすぐ置き換えられてしまう装甲艦、海防戦艦では無く、潜水艦が良いのではないか?

 それ程にドイツの無制限潜水艦戦法には刺激を受けた。

 幕府も潜水艦は持っている。

 イギリスのホランド級、フランスの簡易エムロード級を1隻ずつ購入し、潜水母艦「ハウメア」も使いながら評価をしている最中だった。

 幕府海軍として戦術構想がまとまる前に欧州大戦が勃発し、実戦での使用に立ち会ったようなものだった。

 ドイツ海軍は良い実験をしてくれたのだ。

 魚雷が大分使える兵器となった今、ハワイ水域を守る小型潜水艦、ハワイに押し寄せる敵を外洋で沈める航続距離の長い中型潜水艦、その潜水艦から味方を守る対潜巡洋艦と潜水艦主体の海軍とする。

 水雷艇よりもっと小型で、ずっと高速な小型艇がイタリアで開発された。

 MASと呼ばれる20〜30トン程度で45ノットを出す10人程度が乗り組む艇。

 これをライセンス生産して、80〜130トンの水雷艇と置き換える。

 護衛、警備、通商破壊、近海防御、これに適した小型艦を中心に編制する「新青年学派ヌーベル・ジューヌ・エコール」を出羽は構想として纏め始めた。




 陸軍もハワイならではの戦術を作り上げつつあった。

 参考としたのは、やはりドイツである。

 幕府陸軍は、幕末からフランス陸軍に戦術を習い続けて来た。

 普仏戦争でプロイセン・ドイツの強さを知っても尚、フランスに師事し続けた。

 義理堅さとか保守的だったからでは無い。

 外征の為の師団や兵站は、とにかく防衛主体で外で戦う事を想定していないハワイでは不要だった。

 軍区と要塞重視のオランダ流と、火力・防御・要塞を重んじるフランス流のミックスした戦略構想で部隊を作っていた。

 戦略は間違っていない。

 ハワイは変わらず、外を攻める考えは無い。

 しかし戦術は変える必要がある。

 出兵した梅沢道治が体験したのは、横列で銃を撃ち、大砲の支援の下で銃剣突撃という、習って来た戦術では被害が甚大になるという事だ。

 要塞も、アントワープ要塞で経験したが、敵が42cm砲等という重砲を使うとあっさり破壊される。

 そんな中、梅沢はドイツの浸透戦術を見る。

 考えてみれば、ハワイで西部戦線のような長大な塹壕線を作り、要塞都市を連結し、数十万の大軍を衝突させる戦場がどこにあるだろう?

 数十万の敵兵力がハワイに上陸した時点で、総人口百万前後のハワイは負けたようなものだ。

 精々数万同士の戦いだが、塹壕や野戦陣の戦いを出来る島と出来ない島がある。

 火山岩だらけの急峻な斜面では、少数兵力による山岳戦になるし、密林では長大な塹壕線ではなく小規模陣地の点在となろう 。

 ドイツ軍の新戦術は、奇襲効果の高い短時間の予備射撃と、少数部隊が危険地帯を避けて敵後方に展開して、敵を分断、包囲して潰す。

 浸透戦術はかなりの捕虜も獲得した。

 大軍を一ヶ所に置いた消耗戦では無く、こちらの少数部隊の有効な使い方をハワイの戦術として磨くべきではないだろうか?


 こう考えて、梅沢もまた新撰組の戦いに思いが行った。

「土方さんの遺品って、まだ残ってたか?」

 答えは、残念ながら日本に帰国する隊士が全て日野の実家に持ち帰って届けた、だった。

 それでも諦め切れず、日本に使者を送り、戦術について書いたものが有れば、書き写させて欲しいと頼み込んだ。

 そして、土方歳三の戦術ノートは存在した。

 主にハワイ以降のもので、要点を纏めると


・白兵戦と室内戦闘は違う

・大軍を展開出来ない戦場は確かに存在する

・少数を狭い場所で戦わせるには専門技術が必要

・襲う時は躊躇するな、相手が驚いている内に殺せ

・本来守る側が有利だから、先手打って立場逆転せよ。

 例えば敵が守る部屋に煙玉を投げ入れたら、

 相手は知らずに咳き込み、こちらは準備万端。

 地の利による有利を状況の利で封じ込められる。

・暗闇での戦闘は刃物を使うべし。

 銃火は敵に存在を教え、我が有利を消す。

・突入する最初の一人は必死と考えるべし。

 故に死なさぬ工夫をせよ。

・山岳での戦闘は片手で戦うものと考えよ。

 山肌や蔦に掴まりながら戦う事もある。

・路上の戦闘は要注意である。

 敵は我の知らぬ抜け道や迂回路を知ると心得よ。

・林間でも戦闘は上下左右前後の六合に気を払え。

 根元に潜む敵在らば、樹上から狙撃する敵も在り。

・五人を率いる伍長というが、それが最少単位だ。

 十人を以て分隊というが、経験上最も融通が利く。

 二十から四十で小隊だが、これ以上は室内や路上戦闘の集団には向かない。

・一つとして全く同じ戦場は無い。

 臨機応変に判断せよ。

・距離がある、大軍を展開出来る戦場の事は俺に聞くな。

 新撰組はそこで戦う軍隊では無い。


 このようなものが、図解や書き直し、書き足しの上、自戒なのか訓令なのか日記なのかは分からないが、10綴じの帳面に書かれていた。


 他に隊士の心得として、

・必殺の一技を磨くべし

・それとは別に万事の武器に精通すべし

・一人で判断する場合もあるから兵学を学ぶべし

・情報を得る為、敵の言葉を理解すべし

・以上を心得ていると周囲に悟られぬよう振る舞うべし

 と、これは指示書の形で書かれていた。

 元隊士に話を聞くと、口伝だけで書面では渡されていなかったという。

 渡すと、例え読んで焼き捨てろと言っても、しないで残してしまい、敵の目に触れる事が有り得るからだそうだ。

「この遺品も、実は予め書かれていた遺書には、全て焼き捨てて余人の目に触れぬように、と有ったそうです。

 しかし、藤田さんが土方さんには兄の家族が居るが、その方々が土方さんがハワイで何を頑張ったのか知らないままなのは忍び難い。

 文句言って来たら自分が対処するから、日野まで持ち帰ろう。

 なあに、成仏せずに化けて出るのは士道不覚悟だと言ってた御仁だ、化けて出て文句言って来る事は有るまいよ。

 そう言って持ち帰ったものです」


 ホノルル新撰組として活躍したハワイ人や白人も、年を取り引退している。

 彼等から聞き取り

(よく遺言に背いて焼き捨てずにいてくれた。

 このまま使えるものも有るぞ)

 と喜ぶ一方、

(土方さん、貴方化けて出て来た訳じゃないですが、

 ハワイ人の中には随分顔出してますよね?

 西部戦線に現れたとか、士道不覚悟じゃないんですか?

 出て来るなら、我々の前にも出て来て下さいよ)

 と毒づいてもいた。


 この時代、近接戦闘(CQB)について研究した戦術教本は世界中どこにも無い。

 京都祇園の路地裏や志士の隠れ家、ホノルルの市街や倉庫街、ハワイ島の山林等で戦い続けた男の体験記録は実に有益だった。


(いつまでも土方さんの幻影に助けられながらではいけない。

 いつまでも神や伝説が護ってくれる国であってはならない。

 生きている我々だけで戦えるようにする、それが自分の最後の仕事でしょうな)

 梅沢はそう考え、自分の残りの寿命を計算していた。




 そして、第三の軍が生まれる。

 西部戦線を生き残ったジョゼフ・カナへ少尉(大戦中は一等軍曹)は、大戦中と戦後に留まったパリで、空を舞う存在に目を奪われた。

 帰国後、彼は他の兵士同様、シャトー・チェリーとヴィットリオ・ヴェネトの功績で2階級昇進する。

 多くの兵士は除隊し、故郷に戻ったが、カナへ准尉(一等軍曹→曹長→准尉)は士官学校下士官からの昇進コースか、幕府陸軍教授方への進学を希望する。

 学力不足で両方不合格になるも、幕府教授方の面接官が彼の志望動機に興味を持ち、梅沢中将に話を回す。

 梅沢は、「戦争の天才」と呼ばれた先任の立見尚文元帥(死後に元帥号授与)に及ばぬ自覚が有った。

 故に常に新しい戦術や新思考を求めていた。

 戦車については「興味深いが、あれを展開する戦場がハワイに在るだろうか?」と導入を見合わせた。

 パリで見たトラックについては、大量に導入を検討している辺り、新技術が嫌いなのでは無く、大国に比べて少ない国家予算と相談して考えている。

 飛行機については、偵察能力や弾着観測の有効性を認めつつ、予算的に大丈夫か不安視していた。

 そこに軍事教授方から興味深い受験生が居ると知らされ、話し合う事にする。

 カナへ准尉の熱弁に、梅沢は質問を返す。

「一から貴官に作って貰う、そう言ったらどうする?」

「望むところです」

「予算も少ない、その中でやり繰りしろと言われたらどうする?」

「必要ならば、政府に足を運んで、何度でも嘆願します。

 予算が少ないからと言って、中途半端にやったら何の意味も有りません!」


 この下士官を気に入った梅沢は、自分の独断で少尉に昇進させるよう人事方に掛け合うと、教授方(戦略・戦術を兵書研究で部隊長候補が学ぶ)ではなく、大鳥圭介が残した兵書技術書翻訳方(最新の戦略・戦術書や技術書を翻訳する部門で、文官が多い)に配属し、

「組織や編制や運用について学びながら、一から作れ」

 と命じた。


 梅沢は、新時代の軍事思考が、日本人や白人ではないハワイ人から出たのが嬉しかった。

 可能な限りバックアップするつもりである。

 海軍の出羽中将にも話すと、洋上索敵や弾着観測の有効性を彼も認めていて、ハワイ人の自主性も重んじ、第三の軍として相互に協力はするが、どちらかの下には置かない、という「空軍創設準備に関する覚書」を征夷大将軍ジョナ・クヒオに提出した。

 クヒオは既に政治家的思考をするようになっている。

 軍事改革でフランス式からの変更項目が多い事が気にかかっていたクヒオは、空軍創設でフランスとの関係を維持出来るなら良しと考え、

「そうせよ」

 とだけ回答した。


 梅沢、出羽は陸海軍からパイロット希望者を募集した。

 日系人、ハワイ人、白人問わず両軍から百人近くが応募して来た。

 選抜し、40人を空軍完全移籍、20人を自軍紐付きの出向とした。

 カナへ少尉の報告書から、フランス製FBA偵察機と、同じくフランス製スパッドS.Ⅷ戦闘機の導入と指導教官の採用が決まる。

 幕府空軍は、戦闘機5機、偵察機15機、練習機5機(フランス製ブレゲーEt2)から始まる事になる。

ハワイ王国の軍備の最終理想形は、

・魚雷艇/ミサイル艇中心の水上戦力

・潜水艦部隊

・警備艇、巡視艇ら海上警察

・沿岸警備隊

・山岳、森林用レンジャー部隊

・邀撃機部隊

・海難救助用飛行艇部隊


という自己防衛と海域警備用の軍隊と考えます。

その理想形に対し、しばらく迷走します。

フランス植民地警備とか、イギリスの海上護衛支援とか、身の丈に合わない仕事がこの後しばらく有りますので。

明確な形がはっきりするまでは

・水上戦闘機部隊

・水戦を搭載する前半分巡洋艦で後ろ半分水上機母艦

・戦闘飛行艇部隊

みたいに、あれもこれもしたい多機能兵器を発注、もしくはセールスされたのを買って

「結局単機能のを複数買った方が、中途半端な一隻よりマシ」

にたどり着く経緯を辿るでしょう。


ただ、これはこれでスタジオ◯ブリの「紅の◯」的な世界を描けそうで面白いんですよね。


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