帰国
ハワイ陸海軍は分営していた各地から、適宜帰国を始めた。
「スペイン風邪」ことインフルエンザの流行で、全滅を防ぐ為にロンドン、ポーツマス、スカパフロー、パリ、ノルマンディー、アントワープ等に分散していた。
兵站部門が無いハワイ軍ではあったが、平和が戻った事もあり、ハワイ政府が入金して食糧を購入し、滞在費を払っていた。
ハワイはこの戦争で意外に儲かった。
砂糖以外の穀物にも手を広げていた農園は、ヨーロッパからの需要に応じられた。
またハワイ国籍の船主は、船舶不足に喘ぐヨーロッパ諸国(ドイツの潜水艦作戦による)に貸し出し、利益を得ていた。
ただ、産業が農業と運輸くらいしか戦争の役に立たないハワイは、重工業・軽工業・繊維業等で莫大な儲けを手にしたアメリカや日本と比べれば、利益も微々たるものではあった。
まあそれでも、ハワイ人にとって一番良かったのは、戦火を浴びずに済んだ、戦争は国の外で行われた事である。
2年も見知らぬ空の下に居たハワイ兵たちは、懐かしいポリネシアの風薫るハワイへの帰国を、どれだけ心待ちにしていただろう。
だが、帰国した彼等は思いもかけぬ光景を目撃する。
一部ではあるが焼けて破壊されたホノルル市内と、腐って崩れ落ちている多数の生贄だった。
「一体何が有った?」
真っ先に帰国したホノルル幕府の面々は、残留した者たちに事情を聞く。
事はパリ講和会議で、日本の朝鮮領有権が議論された時に始まった。
ある時点まで「日本に占領された朝鮮半島は再独立」で会議が進んでいた。
ハワイに移住した朝鮮人たちは、移民したにも関わらず母国への意識が強過ぎる。
「正義は勝つのだ! お前らは我々の正義の前に土下座して謝らねばならない!」
と日系移民に向かって常に喧嘩を売る日々だった。
なんせ、怖い武士たちは戦場に行って不在である。
朝鮮系移民は大人しい日系移民を挑発して歩いていた。
しかし、高宗が暴動を起こした挙句、国際社会が最も警戒するソビエト連邦に亡命するという、考えられる限り一番有り得ない選択肢を採った結果、国際社会は一転して日本の朝鮮領有を認める。
その代わり、シベリア出兵でソ連をどうにかしろ、という意味込みでもあった。
そんな事情は分からない朝鮮系移民は、新聞を読み、聞き、噂に触れて激昂した。
そして
「日本人の奴ら、こうなるのを知っていて我々を相手にしなかったのだ。
我々を影で笑っていたに違いない!」
そう逆恨みをし、ついに日系人農夫を殺害する挙に出る。
警察は殺人事件を受けて、犯人グループを収監する。
すると朝鮮系移民は大挙して押し寄せ、同胞の解放を要求した。
現在ホノルル幕府軍だけでなく、国軍も居ない。
数百人の民兵部隊がラハイナに居るだけで、ホノルルには彼等の怖い者は無かった。
そしてついに暴動を起こす。
警察署に放火し、日本人街を破壊し、婦女を攫う。
ついでに中華街やポリネシア系住民の地区でも暴れる。
あくまでも白人の地区には行かない。
イオラニ宮殿も襲撃しかけたが、予備役部隊が機関銃を撃ちかけたところ、「哀号!」と叫んでクモの子を散らすように逃げ去った。
ホノルル暴動の翌日、今度はハワイ島ヒロの日本人地区でも放火、略奪が起こる。
流石に怒った少年王カラカウア2世は、軍への治安出動を命じる。
幕府軍も募兵による国軍も居ないが、カウアイ島やハワイ島には酋長たちによる部隊があった。
その前近代的な部隊が動き出した。
カウアイ島の酒井家と仲の良い酋長連合軍がオアフ島に上陸する。
ここの部隊は軍事訓練も受けているし、武器も比較的新しく、動作機敏で手際良い。
密かに暴徒を包囲し、降伏勧告をせずに銃撃しまくった……。
こうして暴徒を鎮圧させると、重傷者はサメの餌にし、軽傷の者は生贄として持ち帰った。
ハワイ島の部隊は、軍事訓練的には旧式で、装備も古い。
彼等には憧れの存在がある。
ヒジカタ神と新撰組である。
ヒロに突入した酋長連合軍は、蛮刀や日本刀を持って暴徒を切り刻んでいく。
朝鮮系移民の方が銃で武装していて、反撃による犠牲者も出るが、何せ数が多い。
血化粧をしながら太鼓を鳴らし、酋長軍は斬殺を繰り返す。
そして生き残り(投降した者ではない)を連れ帰り、生贄とした。
悲惨だったのは、暴動に加わっていない朝鮮系移民である。
数百の暴徒のせいで、朝鮮系移民の居留地区に酋長連合軍が侵攻し、略奪しまくって去って行った。
恐ろしくてガタガタ震えていれば、それが正解である。
臆病者の魂を彼等は好まない。
歯向かった者は、年齢性別問わず、原型を留める程度に暴行を受け、生贄用に連れ去られた。
(神に捧げる生贄の肉体は完全な形でないとならない。
不完全な肉体は亜神であるサメやフクロウやネズミの食事にされる)
そして、趣向を凝らしたクー神への生贄の数々が各地で見られるようになる。
欧米を体験したハワイ兵たちが帰国したのは、この暴動が鎮圧され、生贄がいい加減腐って来た頃であった。
「なんて野蛮なんだ!」
若く、文明を経験した彼等は憤った。
ジョナ・クヒオたちは青ざめる。
過度の拷問や弾圧は禁止というウィルソン大統領の15箇条プラス1に賛同して来たばかりなのに、何て事をしてくれた!
帰国後、摂政に任じられたクヒオは、国王に抗議をする。
「軍が居ない状態で、他に方法があったと言うのか?」
そう反論するカラカウア2世だが、彼自身にも「やり過ぎた」という負い目は有ったようで、王の私費を投じて暴動に加わっていない朝鮮系移民への補償と、生贄にされた人々の鎮魂の儀式を執り行う事を約束した。
クヒオも
(13歳で即位し、今はまだ16歳の国王を責めても意味は無い)
と引き下がる。
一方で
「酋長たちは裁けない。
酋長たちは我がポリネシア社会の無くてはならぬ柱である」
とも言い、クヒオらはため息を吐く。
確かに元の活力を取り戻す為、カメハメハ大王初期の猛々しさを是とする時期は有った。
だが、それをいつまでも続ける訳にもいかない。
今のままではハワイ王国は、ヨーロッパ弱小国程度の都市文明と原始部族社会が共存し、歪な発展をする国となるだろう。
とりあえずクヒオは、幕府の力を背景に朝鮮系移民たちと話し合った。
事態を掴んだ彼は、まず挑発して攻撃をした日系人に対し謝罪しろ、そう要求する。
しかし朝鮮系移民はそれを頑ななまでに拒む。
まるで謝罪したら死ぬかのように、拒否する。
業を煮やしたクヒオは
「仕方無い、民族自決を謳ってはいるが、他の民族と仲良く出来ない民族はポリネシア民族の為にもならない。
国を出て行って貰おう」
と冷たく語った。
散々に喚いてクヒオに罵詈雑言を浴びせた朝鮮系移民だが、クヒオがパリ条約の時に知り合った日本政府の官僚と話をつけ、とりあえず500人程を捕らえて日本の貿易船で朝鮮半島に送り返したのを見て、一気に態度を改めた。
「どうか、どうか強制送還だけは許して下さい……。
国に戻れば、我々はとてもとても酷い差別を受け、きっと奴隷労働させられます。
お願いですから、どうかこの国に居させて下さい」
「では日系人に謝罪するか?」
「しますとも、この通りです」
朝鮮系移民は靴を舐め、地に頭を擦り付け、集団で大声で泣きながら日系人に謝罪した。
「見るに耐えん」
日系人の方は既に「心の中の祖国・日本に恥じぬよう堂々と生きよ」という指針はあるにせよ、感情的にはハワイの国民と成っていた為、どうして自分たちがここまで嫌われ、今度は一転して卑屈に跪かれるのか分からず、大いに迷惑なようだった。
ただ、仲直りが出来るならそれで問題は無い。
白人を間に挟んで手打ちの祭りが開かれ、この件はとりあえず終わった。
(叔母上はこういう手合いを、あの威圧感で黙らせ、その上に君臨していたのか……)
クヒオは先代リリウオカラニ女王の凄味を今更理解した。
日系人への嫌がらせ等は無くなったが、大日本帝国への革命運動はこの時期からハワイで活発になっていく。
今迄は「怪しい者は入国した時点で地獄行に強制乗換」という方針だった。
しかしウィルソンの15箇条を受け容れ、また若い世代は野蛮さの排除を求めている。
「容疑者即斬」を変更した自由なハワイでは、今後幾多の政治運動が起こるようになる。
政治運動と言えば、若い兵士たちが立ち上がりつつあった。
名も無い兵士たちが集まり、やがて「ハワイ改革連盟」なる「野蛮な文化を改めよう」という会派が出来た。
ただ、パリに居たハワイ兵の中には共産主義に触れた者も居て、その者たちは「野蛮な文化には王制も含まれる」として他と反発、新たに「コミンテルン・ハワイ・インターナショナル」(CHI)を結成した。
また、アメリカに滞在した者の中には、少数ではあるが宣教師集団と頻繁に会って「ハワイ人によるアメリカ併合を望む会」を立ち上げ、老人たちばかりかクヒオ王子らも落胆させたりした。
数千人単位のハワイの若者は島国・部族社会・モノカルチャーの社会から抜け出た事で、多様な価値観を持つようになって来た。
アメリカに染まった一部や、共産主義にかぶれた者以外の元兵士たちは、とある神の事を忘れていない。
部族社会の野蛮さを象徴するような存在だが、彼等は戦場でその神に助けられたと信じてもいた。
これはあくまでも戦場伝説の一つである。
ある兵士が西部戦線の戦いを終え、故郷の村に帰って来た。
すると、崇めるべき軍神の像がボロボロになり、所々焼け焦げた形で立っていた。
「なんて事だ、これでは祟られるぞ!」
そう怒る兵士に、酋長は語って聞かせた。
「2年前のお前が戦に行っていた日の事だ。
気が付いたら、この像が姿を消していた。
村人総出で探したんだが見つからない。
諦めて新しい像を立てようとしたら、ある日ひょっこり戻っていた。
このような姿になってな。
流石に痛ましかったので、皆で洗っていたら、像の中からこれが……」
そう言って酋長は若者に握っていたものを手渡した。
「これは、ドイツのモーゼル小銃の弾丸!
どうしてこんな所に有るのだ?」
「儂にもさっぱり分からん。
分からんが、神はきっと戦場にお前らを助けに行ったのだと思った。
それ以来、この傷は尊いものとして、直さずにこのままにしてある」
「……そう言えば、俺たちも見たんだ。
戦場を駆ける漆黒の軍服を着た何かを。
手には刀だけを持ち、敵陣に向けて先駆けて行った不死身の男を。
何発も銃弾を浴びていたのに平然と突き進むモノを!」
「やはりそうだったのか!」
ハワイ各地で似たような戦場話が広まっていた。
不思議な事だが、日系人で構成されたホノルル幕府軍の中で、そのような奇跡体験をした者は皆無だった。
「死」を求めて敵と戦い、己のみを信じる幕府兵の前に、今迄一度も「彼」は現れない。
生きて帰って来たいから神に縋るハワイ人だけが、何度も「彼」の姿を見ている。
「土方歳三という軍神の事は知っていますよ。
でも、あの人も死んでからそういう扱いばかりされて、困ってるんじゃないでしょうか?」
幕府兵たちは戦場伝説を聞き、そう言って苦笑いするだけであった。
「まあ、ハワイ人を助けたって言うんなら、礼を言っておきますかね。
近々墓参りにでも行きますか」
「あの人、酒好きでしたかね?」
「酔うと人を斬りたくなるとか言ってましたよ」
「……酒はやめておくか……」
数少ない「生の土方歳三」を知っている梅沢道治、出羽重遠らはそう言って、日本酒を酌み交わしていた。
余談です。
戦場伝説的には、ホノルル幕府の前身の蝦夷共和国は、やられた側になります。
当時の旗艦「開陽丸」の前方に狐火のようなものが見えた。
目をこらして見ると、一人の漁師が小舟に立って手招きしている。
当時の水先案内人はこのよう形で大船を誘導していたので、安全な場所に誘導してくれるのだと思い込み、その方向に開陽丸を進めると、物凄い音がして暗礁に乗り上げた。
直後、その水先案内人は狐に姿を変え、山奥に逃げていった。
江差の奥山にある霊場である笹山稲荷神社の笹山狐が、水先案内人に扮して開陽丸を座礁させたといわれている。
こんな感じです。
今後も、幕府の側には断罪者も神も出て来ず、人間の力でどうにかしろ、となるでしょう。
神と共に暮らしているハワイ人の元には出て来るかもしれません。
罪の恐怖を持つ白人には断罪者でしたが、もう世代交代していい加減伝説化してますから出ないかと。




