欧州大戦終了 ~ヴィットリオ・ヴェネトの戦い~
ジョナ・クヒオはハワイ王国代表、ホノルル幕府代表として戦場後方に居る。
(征夷大将軍って、軍事指導者ではないのか?)
そう疑問に思う。
義父の徳川定敬はそれだけでいたいと言っていたが、やっていた事は家督の管理・祭祀・恩賞とそれに基づく財務や事業管理等多岐に渡っていた。
その義父死後、彼も世界からは大君ジョナ・クヒオと呼ばれるようになる。
(一度この辺の事は、博覧強記な林忠崇に聞いておこう)
彼はそう思った。
さて、大君ジョナ・クヒオの今の仕事は、政治家、国家の代表である。
イギリス首相ロイド・ジョージ、フランス大統領ポアンカレと首相クレマンソー、イタリア首相オルランド、アメリカ大統領顧問エドワード・ハウスらと、戦争の行方について話す立場である。
前線ではハワイ兵が死んでいる。
だが彼は後方から動いてはいけない立場だった。
ドイツの春季攻勢は撃退されている。
ドイツの新戦術「浸透戦術」は、フランスのペタン将軍に破られた。
第一線に戦力を置かず、第二線に戦力を集中させれば、第一線を突破した時点で「浸透戦術」最大の効果である「奇襲による混乱」は最小限に食い止められる。
そうなると第一線の間隙を縫って突入した小部隊等は、第二線の良い手頃な標的でしかなかった。
春季攻勢・第二次マルヌ会戦で連合国軍は85万人の死傷者を出した。
ドイツ軍の損失は約70万人である。
傷が深い筈の連合国軍だが、存在自体反則国家アメリカから毎月30万人の援軍が到着する為、すぐに傷は癒えていく。
ドイツ軍の方は、厭戦気分が広がりつつあった。
そんな西部戦線のひと段落から、連合国軍司令部はイタリアに攻撃指令を出す。
ドイツの同盟国オーストリアに致命的一撃を与え、戦線から離脱させる意図があった。
オーストリア軍との11次に及ぶイゾンツォ攻勢、そしてドイツ軍に痛い目に遭わされたカポレット会戦の傷が深いイタリアは、オーストリアへの逆撃を拒否する。
しかし1918年10月、ドイツがアメリカに和平の使者を出した事を知ったイタリアは、オーストリアへの反攻を決断する。
和平成立より前に、オーストリアに奪われた南チロルやダルマチア等の「未回収のイタリア」を占領しておく政治的判断である。
日付は10月24日、1年前に大敗を喫したカポレット会戦と同じ日に決めた。
「アシュフォード軍団長、イタリアに行く気は無いか?」
アメリカ欧州派遣軍総司令官パーシングは、アシュフォードに尋ねた。
ハワイ・アメリカ軍団はシャトー・チェリー以降は戦う機会が無かった。
やはり他国との合同軍は、使う側からしたら気も使う。
割と楽そうな戦線で、あと一戦しないか?という事だった。
「今、西部戦線から割ける本国の軍は一個連隊しかない。
その分はハワイ・アメリカ軍団に補って貰いたい」
「質問がある」
「何だい?」
「ドイツから和平の申し出が有ったと聞いた。
それもアメリカ合衆国にだ。
それでもこの戦闘は必要なのか?
無駄な血なら流したくは無い」
「ははは、大統領のアレかい?
ドイツが降伏するのでなければ、英仏が納得する訳ないだろう?
和平なんか成立しないよ」
パーシングはバッサリと切る。
大統領の理想主義者ぶりは、よく知られるとこだ。
「戦争を勝ちで終わらせる為には、ドイツの継戦意志を潰す事が肝要だ。
その為に、裏口から同盟国を離脱させる一撃を加える必要がある」
「了解しました。
ハワイ・アメリカ軍団はこれよりイタリア戦線に向かいます」
10月22日、ヴィットリオ・ヴェネトの戦場にはイタリア51個師団、イギリス3個師団、フランス2個師団、ハワイ・アメリカ連合5個師団相当が集結した。
対するオーストリア軍は52個師団。
フランス軍の中に、以前米布戦争でガリバルディ大隊として援軍に来た者や、その親類縁者、友人がいて、ハワイ兵に話しかける。
彼等はイタリアの為にハワイ人が来てくれた事に感動する。
イタリア戦線最後の戦いで、オーストリア軍は必死に占領地を守っていた。
この戦いで欧州に再び「破軍星旗」が掲げられ、いくつかの要地を攻略、反撃に出たオーストリア軍撃退と活躍する。
この戦場では幕府陸軍が活躍した。
相手がドイツ軍より弱いオーストリア軍で、見様見真似で浸透戦術モドキの戦法を使い、しかもそれが個人戦闘力が高い侍とポリネシアンのハーフには合ったようだ。
新任の第二旅団長は、破軍星旗を突撃の際に使用せず、陣地を占領する度に掲げた為、オーストリア軍の各民族は常に北斗七星の旗に陣地を奪われている錯覚に陥った。
ドイツから「北斗七星を軍旗とするイギリスの特殊部隊は恐ろしく強い」という報告もあり、知ると共に士気が挫けた。
「北斗七星」はドイツ語系の2つの国や中欧諸国で「死を呼ぶ星」として広まりつつあった。
10月28日、オーストリア・ハンガリー二重帝国に組み込まれていたチェコ人が反乱を起こす。
10月29日にはスロベニア、クロアチアで反乱が起こる。
10月31日、ついに二重帝国の片割れ、ハンガリー王国の民マジャール人が離反する。
これらは前線にも影響し、ハンガリー兵とドイツ系のオーストリア兵が対立、チェコやスラブ系の兵士は脱走と戦線は崩壊した。
二重帝国軍からの投降兵は11月1日までに10万に上った。
11月3日、ついにオーストリア軍は白旗を掲げて降伏する。
停戦は11月4日午後3時に発効と決まった。
しかし強硬派のピエトロ・バドリア将軍は「明日15時までは戦争中だ」と、無抵抗のオーストリア軍を撃破しながら前進し、ついにオーストリアがイタリアから奪った土地を大体奪い返し、南チロルまで進軍して戦闘を終えた。
北イタリア、アルプスに近い土地の寒さに震えながら、ハワイ兵たちは一つ大人になった。
「あれが国が亡びるという姿なのか……」
ハワイは国が亡びる寸前で踏みとどまり、先人が苦労し続けながらポリネシアの国の中で唯一20世紀を迎える事が出来た。
オーストリア・ハンガリー二重帝国は、ハワイ王国の52倍もの人口を持つ巨大な帝国だ。
それが亡びる瞬間を目にし、ハワイ兵は寒さとは別な感覚で震える。
ハワイ人にとって、彼等が主体となって戦い、南の島の青い空の下で勝利を味わったのなら、こんな暗澹たる気分にはならなかっただろう。
今回、米軍と共に行動し、米軍の膨大な物資を利用出来て、ドイツ軍も大分弱体化していたとは言え、ハワイ軍はやはり2割の死傷者を出した。
激しい機関銃の撃ち合い、頭上から降る砲弾、場所によっては毒ガスも使われ、短期間ではあったが地獄を味わった。
遠く故郷を離れた空で、一国が亡びる姿に心は踊らず、むしろ「自分たちも一歩間違うと……」という気分になっている。
なにせハワイ王国は、今この戦場にいるどの国よりも弱いのだ。
ハワイ兵たちは、欧州の戦場で様々な物を見た。
地上を走る戦車、空中の飛行船と航空機、地形をも変える巨砲、ハワイで幕府とかが造っていた稜堡式要塞とはまた違うコンクリートの要塞。
戦場に来るまでにも、アメリカの大都市、ロンドンとパリの都を見て来た。
ホノルルやラハイナもイングランド的な佇まいを見せるとは言え、本家はやはり違った。
8つの島に住んでいただけでは分からなかったものを、約1万のハワイ人たちは体験出来た。
「帰ろう、あの椰子の木の下に。
ここは俺たちの来るべき場所じゃなかったんだ。
もし今後、戦う必要があるなら、ハワイの島で戦おう。
こんな世界の果てで死ぬ必要は無い」
世界の果てとはお前らの事だろう、とイギリス人辺りは言いそうだが、立場を逆にするとこういう思いとなる。
ハワイ兵は一度ロンドンにより、客死したカイウラニ王女の墓に詣でて帰路に着く筈であった。
ハワイ・アメリカ軍団を護衛して欧州に来ていた外洋艦隊出羽中将は、意外な出会いをする。
地中海で連合国軍の輸送船団護衛作戦に従事していた大日本帝国海軍第二特務艦隊の面々であった。
彼等もロンドンを表敬訪問していた。
日本は、ハワイには朝鮮併合を邪魔されているという思いがあり、正直「時代遅れの江戸時代の残党」を嫌う者も居る。
しかし海軍は流石にマナーを弁えていて、海外で揉め事を起こす事も無く、敬礼を交わす。
「大日本帝国海軍第二特務艦隊司令官、佐藤皐蔵少将です」
「ハワイ王国海軍外洋艦隊司令官、出羽重遠中将です」
「そちらは何隻やられました?」
「1914年のタヒチで巡洋艦が2隻です。
護衛任務では損害は有りませんでした」
「うちは青島で巡洋艦1隻、地中海では駆逐艦2隻が雷撃を受け、78名が逝きました」
「戦果は?」
「Uボート7隻を鹵獲しました。
そちらは?」
「有りません。
何度かインド洋や大西洋を横断しただけです。
若い者が経験を積めた事が戦果でしょう」
「それは素晴らしい戦果です。
お互い遠い地で苦労しましたね」
「佐藤少将、戦死者を拝みに行きたいのですが、よろしいですか?」
「では、我が旗艦『出雲』に案内します。
そういえば、お国の旗艦は我が国では失われた『畝傍艦』と同型艦とか?」
「そうです。
ただ戦争で損害を受け、艦形が変わる程の改装をしました」
「私も幻の『畝傍』を見てみたいものです。
閣下にご案内頂けたら有難いです」
「喜んでご案内します」
オーストリア軍がヴィットリオ・ヴェネトで降伏して1週間後、1918年11月11日午前5時、コンピエーニュの森の列車においてドイツと連合国の休戦協定が締結された。
クヒオはロンドンでこの知らせを受ける。
クヒオとハワイ軍は、このまましばらく欧州の地に残る事になった。
休戦協定が締結されたが、まだ各地で戦争が続いていた事が理由か?
アメリカがまだ戦争から手を引かないからか?
それらもある。
一番の理由は
「ヨーロッパで重大な疫病が流行していると聞いた。
ハワイが病気に弱い国なのは知っていると思う。
沈静化する迄、ハワイへの帰国を禁じる!」
というカラカウア2世からの命令が出た為である。
正しくは、14歳の国王ではなく、王を補佐する政府及び幕府留守居役の意見であるが。
世界は「スペイン風邪」こと悪性インフルエンザで多くの病人を出している。
過去に滅亡しかけたハワイは、多くの非難を無視して半鎖国状態となり、病気から国を遮断していた。
出征兵士も同様にである。
ハワイ兵は文句を言うが、翌年まで欧州に残った事で、確かに罹患して入院、或いは病死した兵も多数出たが、元気な残りはイギリスやフランスの文化を経験する事になる。
約1万人の留学生を出したようなもので、戦後のハワイの発展にこれが大いに寄与する事になる。
一方、予備軍としてアメリカにまでは渡った残り2個連隊は、ついに戦争を体験する事は無く終わった。
彼等も同様に帰国を禁じられた。
「スペイン風邪」と言われながら、実はアメリカが発症源であった為、この措置はハワイを守ると共に、6千人の予備部隊の内半数の3千人が罹患する事になる。
この予備部隊も、アメリカに長く留まってその力を知り、文明を学んだ事で、帰国後はハワイの発展の為に大いに働く。
かくして欧州大戦は終了した。
今度こそ最終章です。
一旦ここで〆ます。
最終回の年以降の歴史についても、構想は大体纏まっていますが、それはそれとして、幕末からの流れはここで終わらせます。
ではあと10話よろしくお願いします。




