ハワイ兵の欧州大戦 ~シャトー・チェリーの戦い~
ハワイ王国はかつて疫病により、昔から住んでいたポリネシア系ハワイ人が絶滅に瀕していた。
そこから謎の使命に燃えてやって来た日本人の医師たちと、それに引きずられるように白人以外の医療にも積極的になったキリスト教の医師たちにより、劇的に健康状態は改善された。
白人、キリスト教というのは、独善的な集団ばかりではない。
親切な集団ならば、彼等は無償で貧しき者に奉仕する崇高さも発揮する。
サンフォード・ドールというハワイ王国の裏切者にしても、正義漢で、無私で誠実に働き、情に篤い部分もあった。
人間、宗教、国家、全てを単純に一面だけでは判断出来ない。
さて、そういう多くの協力を得て人口が減少から増加に転じたハワイ王国で、ベビーブームが来る。
人口がある時期、一気に増加した。
1870年代に増加に転じた人口は、1890年代に成人人口が多くなり、彼等彼女等の結婚及び未婚での出産で生まれた子たちが、欧州大戦の時期には成人となっていた。
そのベビーブーム世代の若者は、やる気を持て余していた。
如何にホノルル幕府という組織が白人に占有されていた土地を多く解放したとは言え、彼等も味方をした白人の土地は奪わないし、むしろ敗者の土地を分配したりで、相変わらず「砂糖貴族」はそのままである。
ハワイ人たちにかなりの土地が返っては来たが、家族制度の強いハワイでは「一家辺りの土地は有るが、一家内で家族が増え過ぎると困窮する」状態になる。
日本の戦国時代のように、家長と嫡男が土地の所有者で、次男以降はその労働者だ。
もし彼等にも公平に土地を分配すると「田分け者」になる。
なので次男以降は父や兄の奴隷のような扱いとなる。
以前と違い、活気がある時代ならば、そんな境遇に満足しない若者は実家を飛び出す。
丁度そんなところに欧州大戦が勃発した。
彼等には軍人となってひと暴れする道が、まるで天国への道のように輝いて見えた。
……実際、本当に天国への道なのだが。
ハワイ王国第二種非常態勢により、兵士募集の広告が出ると、彼等は競って応募する。
ちなみに第一種非常態勢は募兵でなく徴兵となる。
第二種非常態勢の募兵数を遥かに超える人数が応募して来た。
フランス人軍事顧問は喜ぶと同時に、この人数では無理であると判断もした。
ハワイ王国軍、その軍事だけを抽出した組織ホノルル幕府、共に兵站部門が弱体である。
無理も無い、元々ハワイ近辺で戦う事のみ想定し、外征の意思は無かったのだから。
外征に当たるサモア出兵は専らホノルル幕府に任せ、その背後を守る軍さえ居たら良かったのである。
ハワイ人青年の意気は、フランスの唱える生命躍動と相まって、より好戦的になった。
そこで、まず5万人の応募者から、年齢制限や体力選考で3万人を不合格とした。
残り2万人を、毎度訓練はこの人とばかり、アシュフォード中将に預ける。
若者が訓練を受けている間にホノルル幕府は、彼等に先んじて欧州戦線に身を投じ、壊滅状態で帰還する。
戦争の様相は変わった。
ハワイでの「合戦」であれだけ強かった幕府軍ですら、負けてはいないが、勝ってすら兵力の半数以上を失う過酷なものが「戦争」であった。
それで一時期は沈静化した若者の参戦熱だが、どうも最近ぶり返したようだ。
知ってか知らずか、アメリカが共同派兵を提案して来る。
リリウオカラニ女王は最早「身を以て味わわないと、いつまでも戦争熱は続くだろう」と見て、彼等に出兵を命じた。
訓練を終えたハワイ兵は2万人。
約3千人の連隊が6個出来たが(他に砲兵と工兵)、この内の4個連隊をアメリカ軍と共に出撃させる。
残り2個連隊も、消耗後の追加派遣兵力であり、決して本土守備隊では無い。
サモアにいた幕府第三旅団は、後備大隊と交代し、第一から第三の幕府現役旅団全軍も出動した。
ハワイを守るのは酋長軍3千(装備は旧式のシャスポー銃等)と本来の議会防衛隊やロイヤル・ガード等の民兵数百人のみ。
リリウオカラニはまさに、一国の全軍を挙げた賭けに出たのだった。
ハワイの青年たちは、1ヶ月を経ずに、こんな所に来たのを後悔し始めた。
無知で楽天的な彼等は、サモアやフィジーのような、自国と大して変わらない地での戦争を想像していた。
寒く、海が見えない土地で、瓦礫と埃に覆われた灰色の土地は、彼等の士気を一気に下げた。
彼等にとって地球とは、もっと青く、緑に覆われたものだった。
(こんな所に来るんじゃなかった)
彼等は戦う前から後悔をしていた。
そんな兵を、ハワイ・アメリカ軍団長アシュフォード大将(戦時昇進)は叱咤する。
今回は、人口第二勢力の非幕府系日系人は来ていない。
彼等は本来、戦争に乗り気では無い。
以前は家族の眠る墓を冒涜されたという、彼等の逆鱗に触れた為に兵士として敵を倒す道を選んだが、特に利害関係の無い欧州大戦では応募者も少なかった。
さらに白人農園主は働き者の日系人の出征を嫌がり、好待遇を与えて引き留める。
その上、最近入って来た韓国系移民とよく喧嘩になる。
韓国系移民は、どうも人種差別、職業差別、出自差別が激しいようで、農民として暮らす日系人をしばしば馬鹿にして、暴動に近い喧嘩騒動を起こす。
本国が大日本帝国に占領されている状態なので、憂さを晴らしているのだろう。
だが、出自が武家で、手を出すと喧嘩では済まない幕府系日系人には黙っている。
そういう事情のせいで、日系人たちは欧州大戦よりも新参者からの嫌がらせに気を尖らせている。
そんな事もあり、今回日系人の志願者はほぼ居なく、日系人部隊というのも無い。
(体格も貧弱で燃え上がるような闘志も見せなかったが、日系人部隊は命令に従順だし、不満を漏らさなかった。
それに比べて、今回の部隊は感情の起伏が激しく、苦労が絶えん)
アシュフォード軍団長はボヤキながらも訓練を続けていた。
将軍ジョナ・クヒオにとって欧州は慣れっこになっている。
1914年に最初に来た時から、変わった顔も有れば変わらぬ顔もあった。
イギリスのキッチナー陸軍大臣は戦死し、チャーチル海軍大臣は軍需大臣に異動した。
イギリス首相もアスキスからロイド・ジョージに代わった。
イギリス大陸派遣軍(BEF)の司令官はフレンチ将軍からヘイグ将軍に代わった。
フランス軍司令官もジョフル将軍から1人挟んで、現在はペタン将軍である。
ベルギーの国王アルベール1世は相変わらず戦い続けている。
こんな顔ぶれの中に、クヒオは混ざっている。
出している兵力が少ないから、末席に座り、主だって発言はしないが、遥か遠くから来ている事や、海軍は開戦初年から継続して協力している事で一定の評価を受けていて、欧州に居る時は必ず招待を受ける。
1918年4月3日、ボーヴェ会議にクヒオはアメリカ代表タスカー・ブリス将軍と共に招かれる。
英仏はその前のダレン会議で、統一した指揮系統の重要さを確認し、フランスのフォシュ将軍を総司令官にする事で一致していた。
ボーヴェ会議でクヒオとブリス将軍は、フォシュの連合国軍総司令官を正式に決める場に参加し、自軍もその指揮下に入る事を確認した。
さらにアビービル会議にイタリアのオルランド首相が参加し、西部戦線の統一指揮は確定した。
さて、西部戦線の激戦は続いている。
これらの会議より前に、ドイツのルーデンドルフ参謀次長は春季攻勢を掛けて来た。
ドイツはカイザー=ヴィルヘルム砲、通称「パリ砲」を戦場に投入した。
新戦術「浸透戦術」で塹壕線を突破し、後方の司令部を破壊し、迅速に包囲を繰り返しながら後方に浸透していって、連合国軍を大いに慌てさせる(その結果が総司令官を決める会議に繋がった)。
この前進で、パリはドイツ「パリ砲」の射程に入った。
この「ミヒャエル作戦」自体が囮である。
ドイツ軍の狙いは以下のようなものであった。
まず北部に攻撃をかけて、連合軍を北部に集中させる。
空いたパリ方面に突出し、パリを危険に晒す。
連合軍が「本命はパリか!」と、大規模な兵力を南に下げて防御を固める。
そして孤立した北部のBEFに攻撃を集中し、BEFを先に壊滅させる。
ドイツは、パリ近郊にまで攻め込まれながらフランスが戦い続けるのはイギリスの支援の為であると考えていた。
故に、今回はパリを囮に使って連合軍を南に集結させ、その隙にBEFを破り、BEFが守っているダンケルク等の港湾都市を奪取して英仏を分断し、フランスから停戦を引き出そうとしていた。
第一段階の北への攻撃は、予想以上に上手くいき、ポルトガルからの二個師団を潰走させた。
そして予想通り、アミアン、アラスと言った地域に連合軍は集結する。
ルーデンドルフは第二段階、パリへの攻撃をかける。
第二次マルヌ会戦の始まりである。
第二次マルヌ会戦の嚆矢となったのは、ロシア軍団のソワッソンでの戦いであった。
ロシア革命に取り残された西部戦線のロシア人は、フランス第10軍に「ロシア軍団」として配属されていた。
ロシア帝国最後の正規軍である。
このロシア軍団は85%の損害を出しながら、ドイツ軍の前進を止めた。
ソワッソンでの前進は止まったが、その南部・シャトー・チェリー付近でドイツ軍を止められる兵力は無い。
ついに連合軍取って置きの予備部隊、アメリカ欧州派遣軍(8.5個師団相当)が投入された。
パーシング将軍率いる少数の先遣隊ではあるが、ここにハワイ・アメリカ軍団も加わる。
「貴様ら! 待ちに待った戦場だ!
本国ではでかい口を叩いていたなあ!
今その実力を見せてみろ!!」
ハワイ人連隊の指揮官が発破をかける。
しかし、彼等の動きが鈍い。
今迄アメリカ本土とフランスの後方で訓練をしていたとは言え、初の実戦で身体が竦んでしまったのだ。
「どうした! 撃ち返せ!」
「おい、いい加減にしろ!
アメリカ人の前でそのザマは何だ!」
檄にも動かない。
このままでは、ただのお荷物ではなく、完全に弱点としてドイツ軍の好餌となる。
アメリカ軍そのものを崩壊させかねない、危険な穴だ。
北部で逃走して味方を苦戦に陥れたポルトガル師団より、もっと危ない穴となる。
だが、ハワイ人がやっと反撃を始めた。
一度動き出すと、攻撃は苛烈である。
ドイツ軍の少数の浸透部隊に対し、同じく少数の部隊が移動攻撃を仕掛ける等、次第に戦い方が勇敢になって来た。
「流石、ハワイの名将と名高いアシュフォード将軍。
ドイツ軍の新戦術にあのような対処法を用意していたとは。
いつ訓練をしたのですか?」
「私はそんな事はしていない」
「なんと!」
「私はごく普通の訓練をしていただけだ。
命令に従え、逃げるな、勝手に攻めるな、勝手に死ぬな、と。
あんな戦い方は初めて見る」
ハワイ・アメリカ軍団の参謀(アメリカ人)とそのように話す。
(いや、正確にはハワイ人はあの戦い方を遥か昔に見ている、聞いて育っている。
少数での戦闘、足を止めるな、回り込め、攻める時は各個撃破の隙を与えぬよう一斉に。
同じ少数同士なら、相手を圧する気組みが物を言う。
そう、過激派の一団を倒す、新撰組の戦術……)
シャトー・チェリーでの戦いはアメリカ欧州派遣軍の勝利に終わった。
さらに追撃をかけるも、これはドイツ軍に撃退される。
アメリカ軍もハワイ軍も被害は少なくない。
アシュフォードのハワイ・アメリカ軍団は一時後退し、部隊を再編する。
その時、アシュフォードはハワイ人兵士と話した。
「やれば出来るではないか」
「違うのです、将軍」
「違う?」
「神です、神が助けてくれました」
聞くと、こんな話である。
塹壕で震えていたハワイ兵の前に、黒い影が立った。
「あんた、危ないぞ、早く塹壕に潜れ!
弾が当たったら死ぬぞ!」
だがその人影は、弾が当たったのか当たらないのか、平然と立っている。
やがて静かだが恐ろしい声で
『敵を見て戦わないとは、士道不覚悟、俺が殺す!
殺されたくなければ反撃しろ!』
そう言った。
(誰だろう、この人?)
緑褐色の軍服ではない、古めかしい黒い軍服に首には白いマフラー。
ヘルメットもかぶらず、オールバックの黒髪を靡かせた東洋人。
手には銀色に光る日本刀。
日本刀……サムライソード……まさか!
ハワイ兵たちの気が一気に引き締まった。
敵に殺されるか、神に殺されるか?
敵に殺されても、その死によって家族神となり家族を見守ってあげられる。
神に殺されたら、魂も切り裂かれて、消滅してしまう。
だったら敵に殺される方がマシだ!
……どうもそういう「幻覚」「幻聴」を各部隊で見聞きした者が居るようだ。
中には
「砲弾が降って来た時、黒い人影が守ってくれました。
大丈夫か?と言おうとしたら、それは人間じゃなく、神像だったんです。
そして、その神像はもう一度砲撃から護って、燃えてなくなりました。
あの神は手に刀を持っていたから、きっとヒジ……」
「おっと、そこまでだ。
無闇やたらと神を頼るんじゃない。
生き残りたいなら、今度は自分の頭で考えて行動するんだ。
単なる偶然に頼るんじゃないぞ、分かったな!!」
戦場伝説は戦場伝説であり、真実とは限らない。
だがその戦場伝説に守られながら、ハワイ軍は西部戦線でまだ戦い続ける。
はい、この章で終わりにする筈が、第一次世界大戦同様長引かされてしまったダメ作者です。
次の章で流石に終わる筈です。
もう1918年になりましたし、あと4年でもう粗方寿命が尽きます。
まあ「最後の大名」林忠崇さまは1941年まで生きますが……。
あとはベルサイユ条約と…………。
書いてて自分の癖に気付きました。
1章戦争のフェーズがあったら、次の1章は外交のフェーズをやってるな、と。
米布戦争が2章の長さで戦争やってましたが、これも中に外交は入ってます。
戦争と同じくらい外交に重きを置いてるな自分、と今更思いました。
戦争より外交部分の方が書いてて難しいのですが。
あとおまけの戦場伝説。
愛媛県今治市にいた梅の木狸は日露戦争に参戦した。
赤い軍服を着た一隊として活躍した。
敵がいくら射撃しても、赤い軍服を着た兵隊には一発も当たらず、逆に赤い軍服の者が撃った弾は百発百中だったという。
他に日本では、絶体絶命の戦闘機隊を天狗の軍団が守ってくれたとか、色々あります。
(ヒ……くらいは伝説としてはかわいい部類でして)




