リリウオカラニの死
1917年はハワイ王国にもホノルル幕府にも重大な死が相次いだ。
まず、西ノ丸殿ことジョン・ドミニスJr.が急死した。
7月7日の事である。
二代将軍ジョナ・クヒオが欧州大戦参戦の為、征夷大将軍号を一時的にリリウオカラニ女王に預けて将軍不在であり、実際にクヒオ王子がロンドンに出向していたりして不在だった為、ドミニスJr.が事実上の将軍として幕府の長を務めていた。
リリウオカラニ女王の夫、ジョン・ドミニスとハワイ人女性の間に生まれた不義の子であるドミニスJr.は、王族としては格が低い方である。
また、特筆すべき才能や一芸も無い。
必死にこの特殊な組織の長を努めた。
その無理が祟ったのか、彼は前触れも無く倒れ、そのまま急死。
護送船団の件でロンドンに行っていたクヒオ王子は急ぎ帰国し、不遇の養子の死に涙した。
ドミニスJr.は将軍に就任していなかったが、遡って1914年に共同統治者として征夷大将軍号を受けていた事にし、記録上は三代将軍とした。
「三代様は3年の御世であられたか……」
幕臣たちは喪に服し、短命に終わったドミニスJr.を惜しんだ。
才覚は無くとも、とにかく真面目で好感を持たれていた。
本来なら1年は喪に服し、歌舞音曲、殺生を禁じるとこだが、大戦の最中にそんな事も言っていられない。
外洋艦隊は、交代でホノルルに帰って来るが、仮墓所に眠る三代将軍に別れを告げた後は、喪章を付けて任務に戻る。
ドミニスJr.には子が3人いる。
男子にして長子は1912年生まれのジョン・ドミニス3世だが、まだ5歳でしかない。
流石に四代将軍には早いと、クヒオ王子が将軍に戻ろうとした。
そこにアメリカから共同軍編成の話が来た。
政治的事情から、自分が軍団長に推されている。
「外国を攻めない、国を守る」征夷大将軍の名目だけは守りたいクヒオだが、それと外征兵団である軍団長職とは矛盾する。
そんなクヒオに、リリウオカラニ女王から征夷大将軍号再授与の使者が来た。
「つまり守りの方の将軍たれ、攻める将軍であってはならない。
軍団長は断れという事か」
というクヒオに使者は
「それは直接聞いて下さい。
まだお話し出来る内に」
と返す。
「お悪いのか?」
リリウオカラニは1917年に入ってから、病臥する事が増えた。
夫の不義の子ではあったが、養子に迎えて可愛がったドミニスJr.の死を聞いて以降、めっきり衰えた。
クヒオは海防戦艦「カヘキリ2世」でラハイナに向かう。
仮王宮にリリウオカラニを見舞う。
随分と痩せてしまった。
日本のヤクザ、イタリアのマフィア、アメリカのギャングを束ねる鋭い眼光だけは健在であった。
「よく来ましたね。
よく間に合ってくれましたね」
「叔母上様、まだ御健勝におわし……」
「はい、時間がもったいない。
さっさと本題に入る!」
「はあ……」
「ハワイ・アメリカ軍団長はアシュフォード将軍に任せましょう。
幕府陸軍は梅沢将軍しか率いる人は居ないでしょうが、梅沢将軍に頼んでヨーロッパの戦いを生き抜いた士官をアシュフォード将軍の参謀に付けて下さい」
「はあ?」
「はあ?ではありません。
ハワイ兵の生き残れる確率を上げるには、経験者が参謀に必要なのです」
「あの……叔母上?」
「何か?」
「自分は叔母上は出兵反対かと思っていました。
叔母上はアメリカは嫌いでしょう?」
「好き嫌いでやっていける程、国王位は軽いものではありません」
「左様ですが、今迄叔母上はアメリカを拒んでしばしば外交衝突したではありませんか」
「あれは全部演技です」
「演技ですって?」
「国王として譲ってはいけない場面も有ったのです」
「では、アメリカとの共同出兵に賛成なのですね?」
「クヒオ……」
「はい」
「賛成か反対か、ではありません。
この博打、アメリカに賭けたのです」
「博打ですと?」
「博打で勝負に出る時は、チマチマ小出しにする意味が有りません。
時には全身代を賭けた方が良いのです」
「その博打の為にハワイ軍2万人に死んで来いと言われるのですか?」
「そうです。
幕府があれだけの犠牲を出したのに、もう忘れたというなら、一辺死んでみるしか理解出来ないでしょう。
その上で、なるべく死ぬ数を減らしたいと思っています。
悪い女王だと思いますか?」
「何となく……少しは」
「いいえ、私は大悪人です。
だからこそ、罪を次の代に回したくはありません」
「叔母上が全ての責を負われると?」
「そうです。
こんな事を、次の王の仕事にしてはなりません。
だから、貴方も軍団長になってはなりません。
政治家として、将軍として、ハワイ人の死から遠いとこにいないとなりません。
ハワイ人を死地に追い込んだ悪の女王は、間もなくこの世から去ります。
全ての悪業は持って行きます!」
「その悪業の果てに何が有るのですか?」
「アメリカ、イギリス、フランスからの信用です」
「それが一体何を生むのですか?」
「経済です。
人間、腹が減っては生きていけません」
「話が飛躍しています」
「クヒオ、ハワイは今、国際情勢の波涛の上にバランス良く立っているに過ぎません」
「それは分かります」
「信用というサーフボードが小さいと、どこかの力が強くなれば、バランスを崩してひっくり返ります」
「何となくそれも分かります」
「信用というサーフボードを大きいものにする為には、こちらも相手の為に血を流す態度を示す必要があります」
「それが全軍挙げての出兵になる、と」
「そうです。
そういう仲間は潰さない、自分の為にも役立つなら手を取り合う、それが昨今の国際情勢です。
カメハメハ3世から5世の頃の、白人国家が他国をなりふり構わず自国領土に組み込む時代は終わりました。
時代は変わったのです。
これから先、ハワイは国際社会と手を組んでいかないと、生き残れません」
「それと経済との関係は?」
「国が安定してこそ、人は金を使うのです。
国が信用されてこそ、人は金を預けるのです。
これからの貴方の役割は、そういう人たちと付き合っていく事です」
クヒオはしばらく黙った。
成る程、女王の言う通りだろう。
何だかんだでハワイはアメリカを排除出来ない。
アメリカのなりふり構わぬ侵略は、英仏との信用がもたらした軍事力や外交で防いだ。
今、アメリカと英仏は接近している。
アメリカの信用も得て、米英仏に支えて貰う方がより安定する。
だが、いくつか疑問も残った。
「ロシアとドイツは如何いたしましょう?」
ロシア帝国はこの1917年2月に革命が起こり、皇帝ニコライ2世が退位した。
しかしそれでも安定せず、また革命が起こるのでは無いかと言われている。
それに対しリリウオカラニは
「ロシアの事は知りません。
社会主義というものが毒か薬か、もう私のような古い世代の者には分かりません。
だから、貴方の好きにしなさい」
ドイツは、米布戦争で共同戦線を張ったり、欧州大戦ではサモアを巡って争ったりもした。
だが、ハワイにとってドイツは嫌いでは無い。
好きでも無いが、ここを国際社会上どうするか?
「私の考えだと、ドイツは国際会議で救いなさい。
恨みを残し過ぎると、それが悪霊となって現れます。
ですが、今のは何の根拠も無いものですから、結局のところは貴方の好きにしなさい」
「はあ……」
「何を途方に暮れた顔をしているのですか!
貴方には幕府という機関があるでしょう?
彼等の知恵も借りなさい」
「あと、クヒオに任せたい事が有ります」
「はい」
「私はアメリカ嫌いの演技をし続けたまま死にますが、私の死後はその演技は不要です。
国内の意見と折り合ったなら、後は貴方が好きにやれば良いです。
私は公式には真珠湾を渡すな、と遺言を残しますが、本音を言うと、貴方が必要だと思ったら譲渡しても良いです。
貴方のする事に制限はかけません」
「…………はい」
「おかしいですか?
これは私たちの偉大な始祖・カメハメハ大王に倣っての事です。
かつて大王はキリスト教を危険視していました。
しかし当時の状況は、いつまでもキリスト教排斥は許されないものでした。
そこで大王は、宰相のボキに言いました。
キリスト教は私が生きている内は認めない、と。
その真意は、死んだ後は自由にせよ、というものでした。
国王は、死ぬまで意地を張らねばならぬ、中々面倒な仕事でしたわよ」
そう言いながらもリリウオカラニは、今迄十分満足にやれた、という表情であった。
彼女と彼女の兄・カラカウア王の治世は、国が失われる一歩手前まで行ったのだ。
それを外国人勢力とは言え、救いの神が現れて国を維持出来た。
国を一度維持しても、二度三度と危機はやって来た。
彼女はそれを払いのけ、決して他力本願だけでは無く、自力でも国を守ったという誇りがある。
彼女は26年の治世で、国を失わない程に立て直しに成功したのだ。
相当に危うい綱渡りもして来た。
阿片を国と組んだヤクザたちの専売制にして稼いだり、積極的にマネーロンダリングに関わったり、相手の弱みに付け込んで阿漕な価格設定をしたり、ラハイナを「魔都」「太平洋のソドム市」なんて呼ばれるくらいにカジノの都として栄えさせたりして来た。
国が国際社会に組み込まれ、安定して来た為、そろそろ、この型の悪も邪も利用する政治家は退場の時期だろう。
彼女はそう自覚をしていた。
11月11日、第8代ハワイ国王リリウオカラニは79歳でこの世を去った。
長年リリウオカラニの横で諜報を扱っていた元新撰組の相馬主計も引退するという。
「刀で人を斬る時、背骨で刀が止まり、真っ二つは出来なくなってしまった。
もう私もここらが潮時だろう」
という理由による。
新撰組関係者で言うと、1915年に杉村義衛(永倉新八)、藤田五郎(斎藤一)という猛者が相次いでこの世を去っている。
1915年には、ハワイ王女と結婚し、初期のホノルル幕府財務を担当してくれたチャールズ・ビショップも死亡している。
激動の1880~90年代を共に生きた者たちの大半がこの世を去った。
その下の新しい世代の者たちとハワイを維持していかねばならない。
第二代征夷大将軍に復位したジョナ・クヒオは、13歳で即位したばかりの第9代ハワイ国王カラカウア2世に挨拶し、閲兵を乞う。
ハワイ軍1万2千人(4個連隊)と幕府軍8千人(欧州での一般的な1個旅団相当)は、再び地獄の西部戦線に向かおうとしていた。
1917年11月末、女王の喪も明けぬ内の出動であった。
この後、カラカウア2世の統治は1953年まで続き、現在は第12代国王が在位しています。
興味ある方は「ハワイ 現王室」で検索してみて下さい。
なろうは「第二次世界大戦以降で実在の人物」は書けないと覚えてますので、まだ存続している王家の物語は書けないです。




