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西部戦線異常アリ ~イーペルの前哨戦~

 ハワイ王国軍なりホノルル幕府軍なりには、致命的な構造上の欠陥がある。

 ハワイ諸島、頑張っても太平洋地域より外側に補給をするだけの兵站機能が無いのだ。

 ホノルル幕府の補給は、大日本帝国が既に棄てた鎮台制度、更に古くは江戸幕府のものと似ている。

 根拠地である要塞に物資を貯め込み、3日分の食糧と必要物資を持って出動する。

 補給部隊は手明てあきという専門の武器を持たない兵種が荷駄を馬匹、或いは人力で運ぶ。

 手明兵は拳銃と打刀は持っているので、必要な時は軽歩兵として戦闘参加する。

 このような戦術輸送しか考えていない軍だけに、長期戦を見越した継続的な調達や、船の手配といったものを行う部署が無い。

 指揮官を将官とすべく、連隊規模の軍集団を旅団と呼んでいるが、一方で旅団を連結して師団を作ろうとはしなかった。

 軍の意義を国土防衛専用とした為、遠征を前提とした師団とその補給システムを、わざと採用しなかった。

 それを英仏も知っていた為、彼等は太平洋におけるドイツ植民地攻略と、自国植民地の警備を依頼したのだが、ハワイ国民が異常に盛り上がってしまい、フランスはハワイ軍を引き受けざるを得なくなった。

 現在連敗中のフランスは、政治的に士気高揚を図る為、わざわざ志願してやって来るハワイ軍を宣伝に利用しようとした。

 一方で、独自の補給システムを持たない部隊等は邪魔なので、二個旅団(ヨーロッパでは二個連隊相当)約五千人を受け入れる事にした。


 そうこうしている内に、フランスはドイツ撃退に成功する。

 マルヌ会戦の勝利である。

 ハワイへの情報到達に時差は有ったが、クヒオ王子らが出発した時には、既に士気高揚の宣伝は不要となってしまった。


 それでもパリに到着したクヒオ王子とホノルル幕府軍は歓迎を受けた。


 クヒオ王子の立場は微妙である。

 ハーグ会議における徳川慶喜の演説から、征夷大将軍は外征を決してしない。

 老中林忠崇もそこは譲らない。

 林老中は代案を出した。


 武家政権を立てた鎌倉の源頼朝は、征夷大将軍を2年務めただけで返上している。

 彼は公卿の身分である正二位と、鎌倉殿と呼ばれ御家人が付き従う実力があれば、官職名に拘りは無かったのだ。

 クヒオ王子は日本人ではないから、公卿たる官位は無いが、日本なんか関係なくハワイ王族という地位がある。

 故に、今回の渡欧に当たり、一度征夷大将軍の職をリリウオカラニ女王に預け(女王から貰った称号では無いから、返上は出来ない)、ハワイ王族という立場で兵を引き連れて行く事になった。

 フランスからしたら、兵権と外交が分離して王が元首なのか将軍が実質的な長なのか分かりづらいものより、女王の下の王族が兵を連れて来たという方が分かりやすい。

 クヒオ王子も直接軍を指揮せず、梅沢道治中将が代理で指揮をするのだから、征夷「大将軍」で無い方が良かったかもしれない。


 クヒオは、王子として社交界デビューする為に来た訳ではない。

 ハワイ人がエラン・ヴィタールという精神の爆発を説いた思想の為に、大規模な参戦を希望している。

 それに先立ち、この戦場がどのようなものかを観る為に来たのだ。


 王族であり指揮権は今回無いクヒオ王子は、督戦という事にされた。

 梅沢中将の部隊は、便宜上ハワイ旅団と呼称され、イギリスの大陸派遣軍BEFと共に戦う事になった。

 まずはイギリス勢力圏のノルマンディーに移動し、予備軍として現地に慣れる訓練を受ける。




 1914年10月の西部戦線の状況を説明する。

 短期間でフランスを倒すドイツのシュリーフェン計画は、マルヌ会戦の敗退により破棄された。

 ドイツは小モルトケを参謀総長から解任し、ファルケンハインを参謀総長にする。

 ファルケンハインは東西をフランス、ロシアから攻められるドイツを要塞に見立て、撃退しつつ敵に出血を強いて離脱させる「消耗戦」を戦略とした。

 そして戦術的には「延翼」、防御線を横に拡め、敵を包み込もうとした。

 フランスもそれに気づき、先にドイツ軍の右翼部隊を抑えようと防御陣を延ばす。

 こうして塹壕線を延ばし合う「海への競走」が始まった。


 だがドイツ軍が海に向けて塹壕線を伸ばすその先に、意外な障害が在った。

 アントワープ要塞に籠る国王アルベール1世率いるベルギー軍である。

 ファルケンハインはベルギー軍が障害であると共に、ここを突破すればフランスを攻撃する糸口になると考えた。

 そこでファルケンハインはディッケベルタ42cm榴弾砲13門を始めとする重砲を運び込み、アントワープ要塞を破壊し始めた。


 アントワープ要塞陥落は危機に繋がる、そう気づいたのはイギリス海軍大臣ウィンストン・チャーチルであった。

 アントワープを突破口にフランスの防御線の裏に出て、沿岸の都市を攻略すれば、英仏を分断出来る。

 イギリス大陸派遣軍BEFも本国との連絡を断たれる。

 そのBEFはまだ内陸深くに居て、アントワープの支援には向かえない。

 そこでチャーチルは海軍が出せる陸上兵力海兵隊と、チャーチルが属するマールバラ家お抱えの騎兵部隊を出す事にする。

 だがマールバラ家の騎兵は民間の志願者を訓練しただけの素人部隊、海兵隊はライフル射撃の訓練もろくにしていない「軍艦内の治安部隊」に過ぎなかった。

 チャーチルはハワイ旅団に目をつける。


「正気か?

 ハワイ王国の兵力なんて所詮政治宣伝用にフランスが連れて来たお飾りだ。

 数がいるならまだしも、たった三千人(一部未到着)で何程の事が出来る?」

 陸軍大臣キッチナーの制止に、チャーチルは

「今、アントワープを落とされる訳にはいかない。

 彼等をお客さんとして遊ばせておく余裕も無い。

 今手持ちで最強の陸上兵力は彼等だ。

 BEFが駆け付ける迄守り切れば良い」

 と言って、強引に押し切った。


 そしてチャーチルは単身、アントワープに向かった。

 それにクヒオ王子が着いて来る。

「貴方は王族だ、最前線に来る必要は無い。

 ロンドンで酒でも飲んでいて欲しい」

 と言うチャーチルだったが、クヒオは

「海軍大臣が陸上の最前線に行く必要も無いでしょう?

 何で行くのですか?」

 と問う。

「海兵隊を派遣する現場を見て置く必要がある」

 と言うと共に、クヒオの意志も悟ったようだ。

「難儀な王子だ」

 と言って、同行を許可した。


「最前線に一国の大臣と王子が来る事も無いでしょう」

 と、最前線で戦う国王アルベール1世が呆れながら言う。

 クヒオは自軍が恥ずかしく思えた。

 ベルギーは小国だと言うが、総兵力12万人で戦っている。

 BEFも16万人程である。

 たった三千人のハワイ軍に何程の事が出来るだろう?


 それに戦場は、かつてモロカイ夏の陣等で彼が指揮した戦場とは違うものだった。

 建物に隠れて戦う?

 建物そのものが跡形も無く粉砕されているではないか!

 大砲の破壊力も機関銃の数も違う。

 クヒオは犬死にする自国の兵士の姿が脳裡にはっきりと浮かんだ。




 人の思いとは自分の想像とは違うもの。

 同盟関係でも何でもないハワイという、人口百万人にも届かない国から自分たちの為に兵が来た、その事実だけでベルギー人は感動した。


 嬉しさはそれとして、アルベール1世はアントワープ要塞を放棄する方針だった。

 ここで守って戦えば、連合軍は助かるかもしれないが、ベルギー王国とベルギー軍は消滅する。

 チャーチルは説得したが失敗した。

 そこで、海兵隊、マールバラ家騎兵、そしてハワイ旅団がベルギー軍に代わってアントワープ要塞を守る事にする。

 クヒオは自軍にだけ無理をさせられないと、自分もアントワープに籠ると言い出した。

 それをアルベール1世は情を持って、チャーチルは

「王子様にこの戦場で生き抜く指揮能力は有るんですか?」

 と皮肉を言いながら説得し、ロンドンに連れ帰った。


 そしてイギリス海兵隊、マールバラ家騎兵、ハワイ旅団は地獄に送り込まれた。

 41cm榴弾砲が頭上から降り注ぐ。

 少数のハワイ旅団をチャーチルが「現時点での最強部隊」と評したのは、機関銃の装備率の高さに因る。

 常に兵力不足のハワイ軍は、機関銃と携帯小火器の充実に頼った。

 それが米布戦争を何とか戦えた要因である。

 BEFはじめイギリス軍は度重なる戦闘と移動で、機関銃を放棄してしまった部隊も多い。

 この辺は水冷式マキシム機関銃より、軽い空冷式オチキス機関銃の方が便利かもしれない。


 3日後の10月7日、BEFとベルギー軍がプールージュで合流に成功。

 翌8日にはアントワープ防衛軍にも撤退許可が下りる。

 しかしアントワープの西にあるポントゥーン橋が、ドイツ軍の追撃に焦るベルギー軍により予定より早く爆破された。

 イギリス海兵隊2500人と、ハワイ旅団の内490人程が敵陣に残されてしまった。


「あんたら、海兵なんだろ?

 泳げるよな?」

「まあ、何とかな」

「ここはハワイ軍が防ぐ。

 あんたらは泳いで本隊に合流してくれ」

「おいおい、ハーフジャパニーズ、お前らこそ逃げろよ。

 俺たちの方が兵力は多いんだぜ」

「機関銃も持って無い連中が何を言ってやがる。

 守る戦いなら機関銃が最強だ。

 これ以上無駄な議論をするなら、今からそいつをお前らの尻にぶち込んでやろうか?」

「分かったよ、恩は必ず返すからな」

「恩を返しに来たのは俺たちなんだよ……」


 そしてイギリス海兵隊を逃すと、ハワイ旅団の一部、正式にはホノルル幕府陸軍歩兵第一旅団第三大隊の生き残りは、


 捨て(がま)った。


 最初から生きて帰る気は無かった。

 楽観的なハワイの市民に、悲惨な最期を伝えて思い止まらせようというのもある。

 自分たちの実力を見せてやろうと言うのもある。

 だが、本当のところは、巨砲に痛めつけられ、反撃も出来ずボロボロにされ、土に潜って耐えるだけの戦いをさせられた、それだけでは誇りが許さなかっただけだ。


「俺の兄貴は、15年前のアメリカとの戦争で死んだ。

 俺は代理で家督を継いだが、そろそろ兄貴の子に家督を返す頃なんだよな。

 でも俺にもガキはいる。

 ガキどもが誇りに思える父親でありたいものだ」

「手柄を立てて討ち死にすれば、子供たちも一族が面倒を見てくれるだろう。

 逆に手柄の一つも無く死んだら、日陰者になりかねん」

「お前ら今更何を言ってるんだ?

 俺は出征前に家族とは別れを済ませて来たぞ。

 生きて帰れたらそりゃ良いが、最初から生きて帰る事前提なんて、武士の風上にも置けん」

「お前も理屈が多い。

 上様が死ねと言ったら死ねば良い。

 後は上様が何とかしてくれようぞ」


 こうして侍ハーフは、ドイツ軍の再三の降伏勧告も無視し、機関銃弾が尽きたら小銃、小銃弾が尽きたら拳銃、拳銃も弾切れなら刀を抜いて、背水の陣を守って戦った。

 そして、軍事上の定義としてでは無く、文字通りの、重傷での捕虜3人だけという「全滅」を演じて見せた。

 ファルケンハインはその報告を聞いてゾッとした。

 ベルギー軍にそんな命知らずがいるとは計算違いである。

 彼の想定する消耗戦は、ヨーロッパ的な常識の範囲で戦う軍隊が前提だ。

 捕虜にならず、弾薬を失っても戦い続け、半身が吹き飛ばされても道連れを求めて戦い続ける軍隊など計算に入れていない。

 死ぬ迄戦う軍隊なんて、そいつらに守られた陣地を落とすのは時間が掛かり過ぎる。

 ドイツ軍は、銃弾でも砲弾でも戦意が砕けない「命知らず」の軍隊でも倒せるように、様々な兵器を開発し始める。

 ……それがハーグ陸戦条約に違反するものであろうとも。




 ハワイ旅団は三千人中、ポントゥーン橋の捨てがまりを含む1600人を失い、戦力を半減させていた。

 後に「第一次イーペル会戦」と呼ばれる戦いの、まだ前哨戦での話であった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ハワイ捨て奸。会津の侍の血筋が異国ヨーロッパにて薩摩の捨て奸。欧米人達は皆、サムライに畏怖を待ち続けるだらうなぁ。
[良い点] 軍事的にみるとどうなのかはわかりませんが、 最後の一兵まで、矢尽き刀折れるまで戦うというのには美学を感じます。 熱い。
[一言] 薩摩隼人なハワイアンとか相手にとって悪夢そのものじゃないですかっ(汗)
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