独領サモア占領 ~アピアの戦い~
かつてハーグ会議で徳川慶喜は
「征夷大将軍とは歴史上一度も外国を攻めた事が無い、国を敵から護るだけの職である」
そう演説した。
その理屈をもって、「幕府の戦いは私欲によるものではなく、国を護る為のものである」となった。
故にこそ米布戦争はアメリカの侵略、ハワイには外部に出る意志無しとし、ハワイ有利な裁定となった。
今回、その幕府が他国であるドイツ領サモアを攻撃しようとしている。
ホノルル幕府老中林忠崇は、大義名分を棄ててはならないと主張する。
いずれ敵に付け入られる事になろう。
例え方便だと誰もが感づいていても、大義は唱え続ける必要がある。
そこで今回の出兵において、一個の修飾を使う事にした。
かつてカラカウア王が唱えた「大ポリネシア主義」。
これを改変して「ポリネシア人によるポリネシアの解放」という名目を作った。
幸いにも、共同戦線を張るニュージーランドは、元々はマオリ族の国、ポリネシアである。
実態は白人の軍隊であるが、スローガン的には使える。
イギリスもそれを可とし、取り入れた。
総司令官ロバート・ローガン大佐は、スコットランド出身のニュージーランド人である。
彼は1,400人程の兵を率いて8月15日にニュージーランドを出発した。
征途、彼は援軍の報を聞く。
ハワイ王国軍640人が巡洋艦1隻と共に合流する。
「黒人の軍か、どれだけ使えるかな?」
という独り言に、他から
「アメリカ合衆国を退けた連中です、相当に強いかと思います」
と回答があった。
また
「黒人ではなく、日本人、つまり黄色人種です」
とも。
「あまり気に入らんな」
この時期、オーストラリア、ニュージーランドの入植者は日本人を警戒していた為、ローガンもそう吐き捨てた。
サミュエル・ノーライン大佐率いる1個大隊640人のハワイ軍は、二等防護巡洋艦「マウナケア」と通報艦「トレント」に護衛され、サモアに向けて出撃した。
サモア遠征軍(SEF)はハワイ軍と合わせ
陸軍兵力:2,053人
護衛艦艇 8隻
・豪:巡洋戦艦オーストラリア、巡洋艦メルボルン、サイケ、フィラマス
・NZ:巡洋艦フィラメル
・仏:巡洋艦モントカーム
・布:巡洋艦マウナケア、トレント
という戦力となった。
彼等は8月29日にサモアに到着する。
首都アピアに対し、30cm砲を搭載する巡洋戦艦「オーストラリア」、20cm砲を搭載する「マウナケア」、19cm砲を搭載する「モントカーム」の3隻が砲撃を行う。
その隙に島の裏側に兵員は上陸し、島を半周してアピアを目指す。
かつてハワイ島でセオドア・ルーズベルトが採った作戦と一緒であり、防御の固い地点に強行上陸はしないものだ。
サモアを護るドイツ軍は兵力100人、責任者は法学者であるエーリッヒ・シュルツ・ウェルスであった。
20倍の兵力と艦砲の前に手も足も出ず、ウェルスは降伏した。
ローガン大佐には急ぐ理由がある。
ドイツ東洋艦隊が青島を出撃し、太平洋方面に向かっているという報告があったのだ。
彼等はサモアに現れるかもしれない。
消息不明な敵を警戒しながら、サモアを攻略し続ける。
ハワイ軍は引き続き、トゥトゥイラ島、アウヌウ島、マヌア諸島攻略に向かう。
ここはかつてアメリカの影響の強い地域だった。
だが米布戦争のどさくさに紛れて、ドイツが手を貸すイオセフォ酋長によって占領され、ハーグ会議で放棄させられた地である。
(アメリカは一体何と言うだろうか)
とノーライン大佐は皮肉っぽく思った。
「我々はハワイ王国の軍である。
君たちを奴隷にする気は全く無い。
同じポリネシアの国家として、降伏してくれないか?
戦争なんかしたくない」
そう兵士に叫ばせると、大概の村は恐る恐るだが様子を見に来て、差し当たり敵対しない旨を宣言してくれた。
担当範囲が広かった事もあり、9月3日に全島を鎮撫した。
犠牲者は0人。
ハワイ王国の欧州大戦は、楽な戦いで始まった。
……始まってしまった。
…………最初に痛い目に遭った方が良かったかもしれない。
戦勝の報と、かねてからの約束だったとは言え、ポリネシア解放の名目でサモアをドイツの支配下から出した事は、ハワイ人の士気を大いに上げた。
そして募兵に応募したハワイ人は、訓練中にも関わらず大きな事を言い始める。
「我々は欧州に派遣してくれないか?」と。
梅沢道治もアシュフォードも首を横に振る。
余りにも遠過ぎる。
地理感も無く、いざという時にすぐに逃げ帰っても来られない。
故ウィルコックス麾下のハワイ人将校たちも、戦うならハワイの近くで戦えと説得する。
だが、軍事を知らない者たち程、熱狂的になっていた。
さらに教本のエラン・ヴィタールの為、いよいよ精神論的になっていた。
「断固たる決意で戦えばきっと勝つ。
ヒジカタ神も御照覧あれ!」
フランスには有難迷惑な話ではあった。
今から訓練を始めた軍隊なんて、あっという間に擂り潰される。
だが、植民地でも無い遠いハワイから援軍が「自主的に」来たというのは、現在ドイツに敗北し続けているフランス国民を励ます上では効果がある。
そこで、本格的なハワイ軍派遣は差し置いて、常備軍であるホノルル幕府陸軍が戦場を見に来て貰えないか?と提案した。
「欧州大戦とは如何なるものか、知っておいた方が良いと思う。
幸いにも後継者も出来たしな」
現征夷大将軍ジョナ・クヒオはそう言って、欧州参戦を決めた。
三代将軍になるであろうジョン・ドミニスJr.は結婚し、1912年に子供が生まれた。
四代様も決まったようなものだ、と幕府では大喜びをしていたものだった。
無論、多くの反対がある。
松平容大、松平定唐、林忠崇らも反対である。
リリウオカラニ女王も
「貴方に万が一の事があったらどうするのですか?
絶対に反対です!」
と強硬だ。
それでもクヒオも折れない。
「ハワイは多くの人数をフランスに送る事は出来ない。
ならば人の質で誠意を見せるべきではないだろうか?」
さらに
「この大戦だが、クリスマスの頃には終わるという専らの噂だ。
私が戦場についても、何もする事も無く終わるかもしれない。
なれば、尚の事、私が見ておく必要があるだろう」
とも言った。
すぐにこの認識は改まる事になるが……。
かくして幕府は2個旅団、他国だったら2個連隊相当の約5千人を征夷大将軍ジョナ・クヒオ直卒で欧州に向けて出撃させた。
ハワイ人は戦争をかなり楽観視している。
米布戦争も勝った気分の彼等は、あのような戦争を想像し、活躍する日を夢に見ていた。
実際サモアでは何の戦闘も無く、圧勝したではないか。
将軍クヒオが出撃した2日後に起きた戦闘は、2日程遅れてハワイに報告された。
ハワイ人はやっと、ドイツとは強敵であると思い知る。
9月22日、フランスに頼まれてタヒチの警備に当たっていた通報艦「デュラハン」は、沖合に黒煙を確認する。
ドイツ東洋艦隊が現れた。
「デュラハン」の足は、最新鋭のドイツ艦隊よりも遅い。
そこで「デュラハン」は逃げずに敵情を探り、少しでもタヒチの主要都市パペーテ到着を遅らせようとした。
ドイツ東洋艦隊は
・装甲巡洋艦シャルンホルスト 12,781t、22.7ノット、21cm連装2+21cm単装砲4、15cm砲6門
・装甲巡洋艦グナイゼナウ 12,781t、22.7ノット、21cm連装2+21cm単装砲4、15cm砲6門
・防護巡洋艦ニュルンベルク 3,469t、23ノット、10cm砲10門、魚雷発射管2基
・防護巡洋艦ライプツィヒ 3,278t、22.1ノット、10cm砲10門、魚雷発射管2基
・防護巡洋艦ドレスデン 3,664t、25.2ノット、10cm砲10門、魚雷発射管2基
という陣容である。
それに対しハワイ艦隊は
・水雷砲艦デュラハン 1,200トン、18ノット、12cm砲4門、魚雷発射管2基
である。
勝負は最初から見えていた。
なぶり殺しに遭う「デュラハン」は、タヒチ方面に上る黒煙を見る。
ドイツ東洋艦隊にはあと1隻巡洋艦がいる。
・防護巡洋艦エムデン 3,660t、24ノット、10cm砲10門、魚雷発射管2基
こいつに先回りされて市街を砲撃されたか?と思った。
しかし違った。
彼等は知る由も無いが「エムデン」は現在インド洋方面に単艦で出撃し、通商破壊作戦と、東洋艦隊本隊の目晦ましを行っていた。
タヒチの方の黒煙は、味方の巡洋艦「マウナケア」とフランスの砲艦「ゼレ」だった。
(来ないで欲しい、勝てない……)
そう思いながら、どこか嬉しくもあった。
だが戦闘は感情が入り込む余地無し。
・防護巡洋艦マウナケア 3,500t 19ノット、20cm砲4門、15cm砲4門、魚雷発射管2基
・砲艦ゼレ 646トン、13ノット、10cm砲2門
1時間余りの砲戦で、ハワイとフランスの軍艦は炎上、沈没をし始めた。
圧勝なのだが、ドイツ東洋艦隊司令官グラフ・シュペーは苛立っていた。
雑魚に余計な砲弾を使い、肝心のパペーテ砲撃に使う時間と砲弾の余裕が無くなったのだ。
彼等は太平洋を根拠地無く移動し続けて戦う為、砲弾は節約したい。
今回、「デュラハン」も「マウナケア」と「ゼレ」も、挑戦して来なければ見逃す予定だった。
パペーテ砲撃がフランス海外領への一撃となって、本国を警戒させるものだったから。
だが、この旧式艦たちは向こう見ずにも立ち向かって来た為、反撃せざるを得なかった。
(戦略的な目的であるパペーテ砲撃から護り抜いたという意味では彼等の勝利か)
と心の中で思う、シュペーは攻撃中止と次の作戦行動への転換を命じた。
伯爵であるシュペーは、パペーテ砲撃を邪魔された不満は置いて、勇敢に戦った3隻の詳報を世界に発信し、健闘を称える電報をそれぞれの海軍省に送った。
シュペー艦隊がタヒチに現れた、3隻の連合軍艦艇が全滅した、という情報だけを残し、シュペーはまた太平洋の靄の中に消え去った。
タヒチ市民は3隻の自己犠牲が有って、自分たちは戦火を免れたと感謝する。
そしてハワイ王国は、ドイツ海軍の強さを知り、やがて陸軍のえげつない強さを実感する事になる。
欧州大戦にハワイ王国が参戦しましたが、これでもまだ1914年は騎士道とか貴族的な振る舞いとかが残っていた時期なんですよね。
ドイツ東洋艦隊及びエムデンの通商破壊にしても、後の潜水艦作戦に比べれば人道的。
陸軍は(エランヴィタールとか余分なのはあるが)近代軍の訓練を受けてますが、海軍の艦の方は前世紀の遺物が動いてますので、1910年代に出来た最新鋭巡洋艦と戦ったらこうなります。




