南海の楽園
ハーグから榎本武揚とナワフ首相が戻って来た。
カメハメハ大王が定めた「ママラホエ・カナヴィ」の精神はハーグ会議の戦時法決定の場で、世界各国から称賛された。
小国ハワイとしては鼻が高い事である。
そのママラホエ・カナヴィを第1回ハーグ会議で演説する仕儀となった松平容保は、日本帰国後すぐに燃え尽きたかのように亡くなったという。
その弟、大御所徳川定敬も最近は身体が衰え、床から起き上がらない日も増えて来た。
榎本出迎えのこの日は体調も良く、イオラニ宮殿で征夷大将軍ジョナ・クヒオと椅子を並べていた。
松平容大は
(変わったなあ)
と感じる。
米布戦争が終わり、ホノルル幕府には「新四天王」と呼ばれる将が出た。
あれからそう年月が経っていないが、そのほとんどがこの世にいない。
新四天王筆頭「北斗の羅将」酒井玄蕃もロサンゼルス講和条約締結を見届けて死亡し、現在は嫡男が後を継いでいる。
ガリバルディに倣い赤シャツを制服にしていた「マウイの赤鬼」ウィルコックス少将は1903年に病死した。
「南国無双」立見尚文も死に、残ったのは「海将」出羽重遠だけだ。
幕府軍には有能な将が少なくなった。
だが、アメリカと不可侵条約を結び、三国協商陣営と軍事同盟を結んだハワイは、攻められる心配が無くなった。
有能な将が居なくとも問題とならない、平和な時代が到来した。
榎本武揚の報告は、ロシアとの露布協商を自分が代表して署名した事、ハーグ会議で戦時規制品が定められた事を伝えたが、もう一つ、極東の不穏さを伝えるものもある。
後に「ハーグ二重使節事件」と呼ばれる、大韓帝国の外交的大失敗である。
簡単に言えば、大韓帝国は米英日の政治指導を受けているが、それに従う政府と反対の皇帝が、二重に使節団を送ったのだ。
皇帝高宗は、政府の使節団に自身の信任状を渡して送り出した後に、密使という形で自身の使者と「先立っての信任状は無効である」という書状を出した。
政府使節団の正当性は失われたが、一方で密使団は各国から相手にされず、アポイントメントを取らずに各国代表団の宿舎に押し寄せて米英日を非難するビラをばら撒いたり、地面に寝転がって喚き散らした。
面倒になったハーグ会議提唱国ロシア、議場提供国オランダ、そして当事者の米英日が集まり、韓国代表を双方とも帰国させる事にした。
これで双方を議場から追い出したのだが、騒動はこれで収まらなかった。
面子を潰された正規使節団は、あいつらが居なければ全て解決すると考え、高宗の使節団をホテルで襲い皆殺しにした。
当然オランダの警察に逮捕され、米英日に連絡が入る。
米英日は激怒し、大韓帝国の外交権を剥奪する事を決め、連名で会議に報告していた。
「大韓帝国は、もしかしたら米英日とロシアや清国を振り回す極東の火薬庫になるかもしれません」
榎本はそう報告する。
母国日本には、自らが夷狄になって貰いたくないホノルル幕府の面々だが、極東が混沌として来た以上、彼等に出来る事は見守る事しか無かった。
榎本武揚はまた別な議題についても報告する。
「無政府主義者、共産主義者、民族主義者による要人暗殺に気をつける事、情報を共有する事が決まりました」
「大鳥、余はそなたから共産主義と民族主義については習った。
無政府主義とは如何なるものか?」
陸軍の実戦部隊を外れ、後方勤務に回ってからは、かつての蘭学者時代が甦ったかのように、様々な事を調べ、幕府に還元している。
今回の事に対しても大鳥は
「一向一揆ですな。
上無しを標榜しております」
と答える。
「農業において、地主なり庄屋なりが種籾を与え、用水路の管理をし、村人に作業を指示する代わりに己れは労すくなく収穫物を多く取るのが今迄のやり方です。
それに対し共産主義は、地主や庄屋の指導を必要とせず、村人が知恵を寄せ合って農作業をし、収穫物は分け隔てなく等量で村人皆が受け取ろうというものです。
以前はそこまで話しましたが、この共産主義には更にやり方の違いが有ります。
村人の中から作物や治水について詳しい者を指導者として強い権限を持たせ、指導者というのを作るのがマルクス流です。
それに対し、指導者はやはり権力者となるから不要、皆の知恵を寄せ集めれば良いというのがバクーニン流です。
これを村でなく、一国に拡げたものが無政府主義です」
「さてもさても、恐ろしき謀反人の考えじゃのお。
それで上手くいくものか」
「各々方は『享禄の錯乱』をご存知でしょうか?」
「いや、知らぬ。
戦国乱世の事であろうか?」
「左様、一向一揆の事にございます。
加賀国一向一揆は、そもそも上無しを標榜し、国衆や一向宗門徒の合議で成り立っていました。
しかしそこは戦国乱世ゆえ、隣国に対抗すべく兵を率いる者が必要となります。
石山本願寺は坊官を派遣し、次第に本願寺が加賀を統治するようになりました。
その本願寺の指示で南は越前朝倉、北は越後長尾と争うようになります。
このような戦について、元々の『上無し』の衆が疑問を持ち、一揆持ちたる国の中で一揆が起きます。
お分かりかと思いますが、この本願寺の指示で動く方が共産主義で、『上無し』故に本願寺を否定して一揆を起こした方が無政府主義に当て嵌まります」
「して、その結末は如何になった?」
「本願寺側が勝ち、加賀国は本願寺の支配する国となり申した。
同様に、どうも世界でも共産主義と無政府主義は同様に見られながらもお互い違うと言い、共産主義は会合の場から無政府主義を追い出したりしております。
そして無政府主義はより過激な行動を採りがちです。
一切の上を認めない、それ故に今居る上を殺して手っ取り早く自分たちが正しい事を認めさせよう、と」
「それが間違いとは思わぬのかね?」
「ははは、我等がハワイに住まう事になるそもそもの原因、安政以来の尊王攘夷運動、彼等は過激な攘夷が国を損ねると分かった今でも、その過ちを認めておりましょうか?
賢い者は口を閉じて過去を無かった事にする、愚かな者は自分の思う通りにならないこの世が悪い、と過激な活動を繰り返しましょう」
「厄介じゃな」
だがハワイは、新撰組こそ解散したが、その精神は生きている。
入国時に怪しい者は目をつけ、時にはただの乗継入国だろうが先制攻撃で襲撃して殺す。
新撰組時代と違うのは、首を晒さず秘密裡に終わらせる事くらいだ。
「太平洋上の楽園」は、この血腥い警察組織が支えている事実がそこにあった。
榎本の報告に話を戻す。
榎本は無政府主義同様に恐ろしいものも見て来た。
先年開発され就役した新思考戦艦「ドレッドノート」と、今まさに建造中である巡洋戦艦という艦種である。
排水量1万7千トンで速力は21ノット。
これだけでハワイ海軍の新鋭巡洋艦より8倍も重く、それでいて高速だ。
武装は30cm砲が連装砲で5基10門。
「青年学派」の思想で造られた小型艦より高速で強固で重武装である。
一方の巡洋戦艦は、防御力は巡洋艦並だが、速力は25.5ノットと遥かに速い上に、30cm砲が連装4基8門と「ドレッドノート」にやや劣る程度である。
新四天王「海将」出羽重遠は、そんな艦相手に戦って勝てる姿が想像出来なかった。
もしもイギリスが以前のアメリカのように野心を持ってしまったら……。
(アメリカしか頼れる国は無いな)
出羽はそう考える。
どこかの国が強くなってしまえば、自領にすべく狙われる危険性がある。
平和になったとは言え、外交努力は常にしていかねばなるまい。
「その巡洋戦艦とやらは、買えないか?」
当然そういう声も出たが、榎本も出羽も首を横に振る。
尋常ではない建造費と維持費で、保有した時点で国が傾くだろう。
そして軍艦残して国は破産となり兼ねない。
出羽は部下と共に、フランス「青年学派」を練り直して、ハワイに攻めて来る弩級戦艦に勝てずとも撃退出来る「新青年学派」を構想する。
回答を先に言うと、彼等はドイツ海軍を参考に潜水艦に答えを見出す事になる。
ハワイ王国は随分と強くなった。
人口が10万人を切り、疫病で先住民たるハワイ人は絶滅しつつあり、国は二重国籍を持つ白人農園主に牛耳られ、その農園主の母国アメリカ合衆国に併合して貰おうと陰謀蠢く国だったのが、もう遠い昔のように感じられる。
人口85万人に増えた。
先住民ハワイ人は、ある意味では相変わらず絶滅が危険視されている。
……今や先住民同士の結婚は珍しくなったからだ。
ハワイ人と白人の他、日系人、ポルトガル系移民との結婚が増え、免疫力的には強い子が、改革された健康保険機構に支えられて健康に成長していく。
1870年代のベビーブームがひと段落し、しばらく人口は伸び悩んだが、その子供たち、ベビーブーマー世代が1890年代に結婚する時期を迎えた為、再度人口上昇が起こった。
第二次ベビーブーマーの子らは、1910年代に成人し、第三次ベビーブームを起こすだろう。
ホノルル幕府は、常備軍として陸軍約4千人、海軍約3千人、予備役で陸軍約4千人、その他軍属約3千人という軍人を抱える。
その他にハワイ王国軍というのがあり、約3千人の陸軍兵力を持つ。
かつては身辺警護の為の形式的なものであった原住民ハワイ人酋長社会とその軍は、カウアイ島やハワイ島で残り、合計で3千人にもなる。
彼等は決まった時期に幕府に顔を出し、軍事訓練を受け、お下がりの兵器があったら貰う約束となっていた。
総兵力は約2万人。
カメハメハ大王の最盛期とほぼ同じ数字だが、あの時と比べ武器や装備の金額が上昇している為、現在の方が随分と強力である。
さらに現在の兵力は平時のもので、日系人、ポルトガル系、そしてハワイ人を中心に戦時は募兵・徴兵を行える為、戦時は概算で最大10万人を動員可能だろう。
これだけ居れば、国を守れるという以前に、この国と戦う事を躊躇してしまう。
それでも本土が近いアメリカ、南太平洋にオーストラリアという地域を持つイギリスが、なりふり構わず攻めて来た場合は不安である。
軍事も外交も絶え間無い努力と自己進化をしなければならない。
ハワイの社会は、以前は白人の文化の影響を受けた。
今は日本社会の影響を受けて、また変わりつつある。
増えた子供は、健康になる為と、将来万が一の事があった時に戦えるよう、剣術を習うのがブームとなった。
陸軍を引退した伊庭八郎が開いた心形刀流「ワイキキ練武館」と、新撰組の元隊士がヒジカタ神から授かったという天然理心流「アラ・モアナ試衛館」、そしてダイヤモンド要塞の北側で幕臣用に教えるが一般人も入門可能な直心影流「カイムキ講武館」が「オアフ島三大道場」と呼ばれ、隆盛した。
開祖の流れを汲む伊庭八郎が直接指導する「ワイキキ練武館」が最も精妙で、続いて免許を持つ幕臣が教える「カイムキ講武館」がそれに次ぐ。
「アラ・モアナ試衛館」は自称「ヒジカタ神に教えを受けた」ハワイ人が開き、土方歳三自身天然理心流の名人ではなく(実戦用にかなり別な技や改良が加わってしまった)、日本・多摩の本家から師範派遣を乞うも断られてしまった為、非常に怪しいのではあるが、
「刀と同じ重さの木剣を振り続け、日常でも鍛錬する事」
「刀が常に有るとは限らないから棒術も同時に教える」
「形稽古でなく、常に試合形式で練習し、戦う気組みを練る」
という土方直伝の実戦向き練習法を守り続けた為、貧しくて刀等は買えない層でも通って己を鍛え続けられた。
結果「軍隊のジキシン・警察のリシン・剣士のシンギョー」と、免許を得た者の進路からそう呼ばれるようになった。
ハワイ島ではヒロで会津藩伝「一刀流溝口派」と、藤田五郎(斎藤一)が数少ないながらも教えを授けた者による「無外流」の道場があちこちに開き始めた。
カウアイ島では酒井家御留流の「神景流居合」や「宝蔵院流槍術」が広まる。
その他、松平定信が考えたとされる「新甲乙流」や、多くの武士が心得のある「一刀流」等が、明治二年にハワイに渡って来た兵士たちの引退と共に広まり始めた。
それらは現地風に改良され、棍棒用やサメの歯をつけた長剣、片手用の短剣を扱う流派に、ハワイ人たちが変えていく。
そこに新世代の日系移民が、講談話の「道場破り」や「御前試合」なんてものを広めてしまい、ハワイ各島では新流派を立てた者による道場破りとか、酋長、さらにはリリウオカラニ女王も主催する御前試合が組まれるようになり、健康的で殺伐とした武芸社会となった。
まさに戦国時代に日本を訪れた外国人が「貧乏な癖に、国民が全員武芸の練習しているような国を攻める必要とか有るの?」と言った時と同じようになってしまった。
そしてついに、外交上軍事上の努力、国力の回復と戦闘民族化、諸外国の均衡政策により、ハワイは南国の楽園となった。
第170話の「南海の楽園」は半分皮肉です。
楽園を成り立たせる裏に、絶え間無い存続への努力と、血腥い外敵排除という現実が有るだろうって事です。
前作「コンビニ・ガダルカナル」では歴史をほとんど変えませんでした。
よくある「歴史の修正力」って話、確か「戦国自衛隊」が初出ですかね?、あれを自分は「その時代のその国の人間の求めるものの総体」と解釈してます。
何百万人、何千万人もの人間の何十年か百年以上の執念というか。
そういうのに、部分的に未来技術渡しても、最終的には元の歴史に収束すると考えました。
他の作者さんのやり方に喧嘩売るつもりはなく、これは自分流の解釈です。
歴史の圧みたいなのは、高波のように一発ドカンではなく、津波のように押し寄せるもので、いかにチートな人物や技術があっても、単体では一発ドカンは撃破出来ても、津波のような体積で押し寄せるのにはいずれ呑み込まれる。
無論、津波を「エネルギー充填120%」の砲で海面ごと破壊する級のチートだったら単体でも何とかなりますけどね。
自分の作品だと、基本歴史の修正力という津波に対するは、相応の年月と足腰を必要とする、にしていきたいと思ってます。
今回で言うなら、歴史の修正力は「アメリカ合衆国は太平洋に進出し、中国市場を手に入れたい」という、作者たちが生きてる方の世界だと今でも続いてる意志です。
こいつは修正力となって、常に働いていました。
土方歳三と新撰組が銃剣憲法潰しただけでは、いずれアメリカの意志に飲まれます。
カウアイ夏の陣で幕府が併合派全滅させようが、アメリカが太平洋戦略変えない限り、いずれ戦争になるし、その時チートアメリカンが出て来てしまえば絶対勝てません。
だから、1869年から絶えず幕臣たちは抗い続け、土方歳三は神にまでなって、ハワイ全体の意志としてアメリカの意志にぶつかる必要がありました。
しかも医者が頑張って幼児死亡率下げ、人口を回復させた上で、です。
このハワイ人たちが戦いに参加する時、必要だったのは生身の土方歳三ではなく、伝説・神話の人物「断罪者土方」、ヒジカタ神だったわけです。
ここまでやっても、仮に1899年の第一回ハーグ会議を逃したら、フィリピンみたいに負けたと思います。
アメリカが複数の戦線抱えていて、しかもまだ西海岸が成長してなく、パナマ運河も無く、その上将軍の質が劣悪な時期で、国内的にも帝国主義への反発が出ている時期。
さらに第一次世界大戦前の、アメリカをビビらせる力がまだある欧州の助力。
そして、このタイミングを見逃さずに外交でケリをつけられる人物が必要でした。
自分は最初、明治十年立志社の獄で収監中の「カミソリ」陸奥宗光を拉致同然に連れ出し、ハワイの外交の一切を任せようかと考えました。
しかし、陸奥宗光が新撰組と見廻組の居る国に来る筈が無い、と諦めました。
次はジョン万次郎が候補。
しかしジョン万さんはアメリカの事を分析は出来ても、大局を見た戦略を練れる人では無いんですよね。
アメリカを超えられない人。
それは榎本武揚も一緒。
アメリカの強さを知るから超えられない。
どっかにチートはいねえかぁ?
暇を持て余してるチートはいねえかぁ?と探したら、
居ましたよ、徳川最高の傑物が。
徳川慶喜の政治構想力や寝業、底知れなさと、ジョン万さんの分析力、2つ合体すればチート外交魔人が出来るな、と。
(チートといっても趣味・政治・交渉能力くらいで、空も飛べませんし、命令を絶対遵守させられる眼光の持ち主でも、未来知識もありませんけどね)
そして慶喜公、大政奉還の時期よりパワーアップしてます。
そのチートが何とかしてくれた後も、絶え間無く国を保たせる努力は必要でした。
ただ、そろそろ幕府の連中が最初に構想した「自分たちが消えても大丈夫なハワイ」に辿り着きます。
もの凄い濁流の中に居て、絶えず泳ぎ続けないと流れに飲み込まれる状態でしたが、やっと浅瀬というか取り付く島に辿り着きそうです。
あとは今迄よりは楽に、ルーチンワークででもやっていけそうになります。
(国を維持する努力を怠ったり、舵取りを間違うと国は滅亡するシビアな世界な事は、代わりにかの国に語らせようと思います。
ハワイ併合失敗でヘソを曲げたアメリカが日本にも併合は許さん!とやって、今は生き残ってるかの国です。
「歴史の転換点で必ず最悪の選択をする」国ですし、日本には日本なりの人間の意志の総体があり、かの国を飲み込みたくてウズウズしてますからね。
伊藤公がどこまで止めてくれるか……)
てな訳で、歴史の修正力というか人間の執念の総体というか、そう言うのに流されないよう戦った人「たち」が数十年の戦いを終えて退場していく最終章に入ります。
まあ、英仏露と組んだ以上、1914年には自動的に、システム的に同盟発動しちゃうイベントがありますので、まだ生き残りの舵取りが重要になります。
書き終わったら、散々ネタにした土方さんの墓参りに行って来ます。




