身内主義か、門戸を開くべきか
榎本武揚の立場というのは、よく分からないものであった。
表向きはハワイ王国海軍外洋艦隊司令官で代将に過ぎない。
旗本として最も身分の高かった永井尚志が身を引き、農場の共同経営者になった為、彼がハワイ王国政府に対する日本人移民団の代表のような形になった。
そして、分散配置されないように編制されたハワイ陸軍日本人旅団の司令部が、榎本の借りた建物内に在った。
さらに元庄内藩家老酒井玄蕃が開いたカウアイ島酒井家は、庄内時代からの御用商人本間家から人を出させ、「ホンマ・カンパニー」として日本や清国、英領香港との貿易を行っているが、彼等とて外洋用商船を持っていない為、海軍所属の輸送船を貸出しし、そのレンタル料の徴収もしていた。
軍医の高松凌雲は、彼等日本人だけでなく、広くハワイ人の治療も無償で行っていたが、その為の資金運用や医薬品購入の部門も榎本の居る建物に入っていた。
よって、
・外洋艦隊司令部
・日本人旅団司令部
・商務部
・健康医療部
・王国政府との労務交渉部
・会計部
が集まっているのである。
そこに榎本の判断で
・外交部
・法務部
・技術部
が追加されようとしていた。
外交部とは、現在自分たちのせいで悪化しつつあるハワイとアメリカの関係について、分析し、今後の行動を諮る機関となる。
そもそもが「ハワイ王国の簒奪を阻止せよ」という勅でハワイに来た為、もしもアメリカがハワイを奪うのならば、戦わなければならない。
例え全滅しようと、それが彼等の存在意義なのだから。
だが、平和裏に事が運ぶなら、貿易相手国たるアメリカを迂闊に刺激する事も無い。
ここら辺の匙加減が難しく、オランダ留学組の榎本としては、アメリカを知る者を求めていた。
(勝安房守なんて丁度良いが、奴さんには大樹公の為に働いて貰わねばならない…)
法務部は、いよいよ拡大して来た日系人の事業において、白人事業主や投資家と関わらねばならず、その辺無知な4大名家や、他の日本人からも、何故か、榎本たちがよく相談される為、専門家を以て対応すべく立ち上げるものである。
正直、自分たちに好意的な欧州系白人の法律家を招く他ないと考えている。
技術部は、自前で弾薬を生産する為に必要となった。
シャスポー銃の紙製薬包の湿気対策は進んでいない。
そこで、自分たちでももう一度弾薬を製造したいと考え、化学班を設置しようと考えた。
白人砂糖農園主は、砂糖を使って酒造もしていたりする。
そのアルコール醸造は、雷管の作成時に役立つ技術である。
また、蒸留酒を作る際の金属管加工技術も、将来の金属薬莢を考えれば学ぶ必要がある。
規模的に製鉄所までは無理だが、やれる範囲で自給自足出来るよう、火薬や銃の部品の生産を始めたい。
というわけで、荒井郁之助に艦隊を、中島三郎助に兵員教育と軍港・要塞司令を任せ、榎本は何とも言えない上長として全体を統括・管理することになった。
「日ノ本始まって以来、最も仕事を抱え込んだ侍じゃねえのか? 榎本さん」
土方歳三が冷やかして来た。
この上彼の「憲兵的な治安組織」まで一緒にいたら堪ったものじゃなかったが、幸い彼等「新撰組」はチャイナタウンに屯所を置いて、治安の悪い一帯を見回り、かつ日本人の非行を処罰してくれている。
土方に言われるまでもなく、榎本は忙しい。
管轄外の仕事まで舞い込んでいる為、補佐役を必要とした。
一人は大鳥圭介で、彼は合理的な判断、だがカラっと明るい思考で榎本の助けとなる。
もう一人はこの土方歳三だった。
彼は自ら「無学」と言うように、専門的な知識は何一つ持っていない。
だが、時々思いもかけない事を発言し、それが思考の転換に役立つ。
それに意志が固い為、学者肌の榎本・大鳥が狼狽していても、土方だけは揺るがない。
そんな補佐役の土方が、また面白い事を言い出した。
「榎本さん、もっとハワイ人や白人を加えようぜ」
大鳥がギョっとした表情になる。
大鳥は、日本人があちこちに分散してしまうと、個々の力は外国の中で埋もれていき、一朝事が起きた時に零細化して役に立たなくなる事を警戒し、交渉して交渉して、塊としての日本人組織を認めさせた。
ゆえに、西洋人顧問とかは受け容れるが、基本的には日本人中心主義だった。
榎本も大鳥も、そういう意味では土方歳三が最も「身内重視主義」だと思っていた。
彼の「新撰組」は、基本的に共に京都や会津、箱館の戦場を駆け抜けた者たちで構成されている。
京都時代、近藤勇を中心とする「試衛館派」と芹沢鴨を中心とする「水戸派」に分かれ、派閥抗争の末に水戸派を粛清もした。
そんな男が、非日本人をもっと組織に取り入れようと言って来たのだから、不思議でたまらない。
「土方君、いつ宗旨替えしたのかね?
君は味方であろうが、外国人は嫌いだと思っていたが?」
当然の大鳥の質問に、土方はまた意外な言葉で返す。
「日本人が信用出来なくなるからなぁ……」
榎本も大鳥も意味が呑み込めない。
「土方君、一体何を言ってるのか?」
流石に榎本が聞く。
「新撰組の結成以来の朋友で、まだ日本に残っているのが居る。
そいつが色々調べてくれてる最中なのだが……。
どうやら新政府の連中は移民という名目で、『毒』を送り込むつもりらしい」
会津松平家若年寄・手代木直右衛門は、京都に居た時は公用人として壬生浪士組→新撰組の世話役をしていた。
彼は今、比呂松平家の若年寄として、オアフ島ホノルル上屋敷の西郷頼母、マウイ島ラハイナ蔵屋敷の萱野権兵衛との連絡掛を勤めている。
その手代木がラハイナで平間重助を見た。
彼は手の者に平間を追わせたが、翌日骸となって海に浮かんでいた。
手代木が平間を見張ったように、平間もまた手代木らの様子を伺っていた。
手代木は自身が見られている事に気付き、あえて手の内を晒しながら相手を探った。
どうも元新撰組隊士、行方不明になった者などが数名潜んでいるようだ。
また、薩摩訛りや水戸訛りの日本人もいる。
手代木は、密偵行為が悟られ、殺されて以降はヒロで松平家に仕える現地人農夫を利用した。
それゆえ、複雑な事情は分からないが、文字でなく会話で意思疎通しているだけに、相手の不思議な日本語を聞き取れず、そのまま報告して来た。
耳コピの「ゴワス」や「ダベ」という語尾で敵は知れた。
何を企んでいるかまでは分からない。
「だが、小者ばかりではないか。
そんな小悪党、土方君ならすぐに捕まえられるだろ?
そんなのが居ると、知らないわけでなく、もう分かったのだから」
「大鳥さん、確かに小者の悪党は怖くねえよ。
だが、榎本さんは日本本土に、法や外国に詳しい人を派遣して欲しいって頼むつもりじゃねえか?
大物の間諜はな、堂々とお役目を持って入り込んで来るんだよ」
土方は、参謀という役で新撰組に途中加入し、御陵衛士という分派を作って出て行った伊藤という男を思い出しながら言った。
「なるほど、出国に際し散々に取り調べをするような中、こちらの求めに応じてやって来る学者先生なりは、新政府の間諜の疑いが強いってことか。
嫌んなるねえ」
「だから、日本人に固執しないで、外国人……って、ここじゃ俺らが外国人なんだが、そっちにも同志を作った方がいい。
俺もハワイ人を密偵に使ってるし、手代木さんも使った。
この地にあって異質な俺たちが何かをするなら、奴らの協力が必要だ。
俺たちも変わらざるを得ないんだよ」
榎本と大鳥は、その話を聞き、考え込んだ。
日本人の為だけでなく、ハワイ王国の為、そこに暮らす民の為、そう考えると身内だけで固まるのは確かに良くない。
だが、外国人の方こそ信用出来るのだろうか?
外国人も仲間に入れな、と言う土方自体は、相変わらず新撰組で身内主義を貫いてる。
榎本は大きくなりつつある組織を、どのように運営していくか、しばし悩む事になる。
 




