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ポーツマスにて

 イギリスのポーツマスはポートシー島にあり、各国代表団はその島内で親睦を深めながら、日露講和について話し合う。

 島である故に警備もしやすく、かつ都市である為各国代表団が過ごすには丁度良かった。

 こういう時、ロシアは上手い。

 ロシア代表ウィッテ伯は巧妙に他国代表と交わっていた。

 日本全権代表小村寿太郎も負けず、社交を続けていた。

 ただ、新聞を味方につける技術はウィッテに遅れを取った。


 本会議においてロシアは、満州から撤退するが、その他は一切譲歩しないと主張した。

 特に賠償金については

「ロシアは負けてはいないから、払う必要は無い」

「日本は人間の命を金で買おうと言うのか?」

 と払おうとしない。

「もし払うなら、再戦だ」

 とも言った。


 しかし、これに口を挟んだのは国債を購入して日本を助けていたアメリカとイギリスである。

「日本は今回得られるものは遼東半島だけで、得るものが少ない。

 ロシアは自国の領土を寸土たりとも失わない。

 ならば賠償金くらいは払ってやったらどうだ?」

 無論本音は

(日本が賠償金を得なければ、貸した金の回収が覚束ない)

 というものだったが。


 ロシアは強硬だったが、ロシアにもアメリカからの借りがあった。

 バルチック艦隊の極東回航において、ハワイの日系人に痛い目に遭わされた「反日派」の企業が石炭供給において協力してくれたのだ。

 イギリスの妨害にフランスは腰砕け、ドイツ企業はしばしば遅延や低質な石炭納入をしたのに、アメリカ企業は契約通りに行ってくれた。

 バルチック艦隊は日本海海戦で壊滅したが、ロシアはこの時の恩を忘れてはいない。


 ロシアとアメリカとフランスで話し合いをした結果、

「日本に遼陽以南の鉄道を譲渡する。

 さらに地域の開発権も認める。

 その開発費として20億ルーブルを投資する」

(※:現在に換算すると約2兆6000億円に相当)

(※:1905年当時1ルーブル≒1円)

 という、賠償金の名目を取った形の案を提示して来た。


 日本では「最低30億円、可能なら50億円」という賠償金を取る声が出ている。

 小村は額を引き上げる交渉をするが、これにはフランスとドイツが反対した。

 何とか粘る小村は、ついに「25億円」というロシア側の回答を得た。

 ここらが引き時だと判断した小村は、本国に確認を取る。

 本国の伊藤博文は

「君にばかり負担をかけて済まない。

 それで良い。

 自分が君を守るから、それで締結して来て欲しい」

 と回答した。


 こうしてポーツマス条約が締結され、日本は

・遼東半島南半分の領土と、旅順から遼陽までの鉄道インフラ

・25億円の資金

・朝鮮国に対し宗主国となる権利

 を獲得した。

 ロシアは投資という形で金を払う以外、清国から奪ったものを渡しただけで、本土は全く奪われなかった。

 外交的にはロシアの勝利と言えたが、戦争の勝者は日本と認められる。

 伊藤たちにはその「勝者の肩書」だけでもう十分だった。


 果たして帰国した小村は、右翼団体に煽られた市民から

「どうして樺太を奪い取って来なかった!」

「賠償金を半額に値切られるとは、何たるザマだ!」

「こんな事なら停戦等せず、ウラル山脈を越えて露都ペテルブルクまで進軍すべきだった」

「我等には陸に大山、海に東郷が居た。

 その勝利を政府と外務省が無駄にした!」

「交渉一つまともに出来ない外相等不要だ!」

「小村、桂、伊藤を殺せ!

 あんな奴らの家など燃やしてしまえ!」

 と自宅に放火され、外務省まで刃物を持った暴漢が押し寄せる有様となった。

 東大の博士とやらも

「戦争を続けるか、終わらせるかの判断は軍部がすべきで、政府は部外者だから軍に任せるべき」

 ととんでもない事を言い出す。

 陸軍の山縣有朋、海軍の山本権兵衛の元には、戦争継続の嘆願書を持った壮士サマが連日押し寄せる。

 酷い者になると、第二維新を訴え、軍部による政権樹立を叫んだ。

 軍の重鎮はこんな声は無視し、小村の外交を是とした。

 ……一方で、若手の将校たちは、自分たちを崇めて政府を叩く世論に、悪い影響を受け始める。


 だが、日本の外交は続く。

 今回の骨折りに対し礼を言うべく、桂太郎総理大臣がアメリカ、イギリスを歴訪する。

 そしてワシントンD.C.でタフト大統領と会談した。

 ここで日米は

・フィリピンはアメリカのもので、日本は野心を抱かない

・極東は日米英の協力で守る

・極東のリーダーを日本と認める

 事では一致したが、

「朝鮮こと大韓帝国について日本の指導は認めるが、決して独占的ではなく米英も関与する」

「満州についても、米英の資本投下を認める」

 と要求され、桂はそれを呑まざるを得なかった。

 というのは、桂には別の案件でアメリカの黙認を得たい事があったのだ。

 それは

「条約改正、関税自主権を回復したい」

「その為に一等国として認められる条件、植民地を得たい」

 というものである。

 タフトは考えた上で

「条約改正に応じるが、恐らく日本が望む韓国の統合については認められない。

 ただしこれは全土の事で、一部領土割譲ならば日韓で話し合って決めれば良い」

 と部分的な承認を与えた。


 その後渡英でも同じ回答を得る。

 韓国全土は認めない、満州の開発権も独占はさせない、それと引き換えに条約改正に応じる、であった。

 条約改正が第一な以上、桂はそれで良しとし、形式的な謝礼の旅としてフランスとドイツを訪問して帰国の途に着いた。


 日露戦争は、せめて奉天、可能ならば哈爾濱ハルピンまで陸軍が進出していれば、もっと多くを取れたのかもしれない。

 一個師団を丸々喪失し、予備戦力も使い果たした満州軍は、ウラジオストクを狙おうとする部隊、樺太を攻める予定の部隊、韓国の王宮で目を光らせている部隊に内地の警察まで野戦軍に入れた。

 その結果、どこかロシアの地を占領する事も無くなり、ロシアは何も失わずに負けられた。

 第一次黒溝台会戦の敗北は外交的に痛いものとなって返って来た。

 この敗戦の責任者2人は処罰こそされなかったが、史料編纂室や後備師団長に回される。

 そしてこれ以降、土佐(高知県)出身の陸軍軍人は、出世出来なくなっていく。


 一方で伊藤博文は

「朝鮮についてはそれで良い」

 と言った。

「ハワイの旧幕臣めが、やっと我が国の役に立ったか」

 とも言う。


 ロシアを食い止める為に日本に手を貸したアメリカだが、ハワイで日系人に一撃を食らわされた恨みはまだどこかに残っていて、それがバルチック艦隊への給炭活動や、今回の件に現れたと言う。

「自分たちは日本人のせいでハワイ併合を出来なかった。

 だから、日本人にも朝鮮併合をさせん。

 そういう意趣返しだろうよ」


 伊藤は

「朝鮮人は偉いよ。

 侮ってはいかん。

 今は体制が悪いだけだ。

 日本人に出来た事が朝鮮人に出来ないなんて無いんだ」

 と新渡戸稲造に言い、韓国統合には明確に反対している。

 だから、ハワイのせいでアメリカが統合を認めないのは、日本にとって利と考えていた。

 だがそれは伊藤とごく少数の意見であり、多くは

「ハワイの旧幕府の連中が余計な事をしたから、我々は簡単に韓国を手に入れられなくなった」

 と恨みに思い始める。


 日本は大韓帝国と直接交渉をする。

 保護国となり軍隊を置いて防衛を約束する一方、済州島、鬱陵島、江華島の3島租借を要求した。

 済州島には海軍基地、江華島には緊急時に韓国を救援する陸軍部隊、鬱陵島には日本海の気象観測拠点を置きたい、という名目である。

 韓国の皇帝・高宗は、今までも日本の行動に不満を持ち、それを外国に訴えていた事で日本からの信用を失っていた。

 そこで韓国代表は外部大臣の朴斉純となった。

 朴斉純は租借を認め、

「それでは早速に、租借金と我が国への投資をお願いしたい」

 と言い、1千万円以上が日本興業銀行から韓国へ融資された。

 

 日本にとって、済州島の獲得は唯一の光明であった。

 伊藤は学者に歴史を研究させ、この島がかつては「耽羅」という独立した王国であった事を知る。

 そこで割譲された済州島を耽羅王国として韓国から独立させ、然る後に王国からの嘆願という形で大日本帝国領とするやり方を、アメリカに倣った。

 ならば韓国はハワイに倣うべきであったが、彼等は

「化外の島ひとつで済むなら安いものだ」

 と切り捨てた。

 小なりと言えども国外の一国を支配する事が出来た事で、日本もまた帝国主義の植民地保有国側に座る事が出来た。

 そして米英が約束通り条約改正をした事で、幕末以来の課題、条約改正が成る。


 伊藤博文にとっては万々歳な結果だが、他はそうでは無かった。

 山縣有朋始め多くは韓国全土を併合したいと思っている。

 李完用ら韓国の政治家は、国を立て直す為に日本との統合を模索している。

 逆に高宗らの一党は日本排除を企て、今後様々な行動を起こし、この地域に騒動をもたらす。




 日本の事はここまでにし、ハワイの話に戻す。

 ハワイ王国としては、ロシアに頼まれた和平仲介と、それがロシア有利に働くようにする事は、この会議開催で果たせていた。

 ハワイ程度の国力で、日本とロシアの和平を取り持ち、利害を調整する等出来ない事は百も承知。

 仲の良いフランスを頼るだろうとは予想していたウィッテ伯も、ここまで大きな会議にするとは予想外だった。

 確かにロシアに不利な面も有るが、意外に国際社会は日本大勝で中国進出……というのは警戒している。

 外交手腕の勝負、としたなら上出来だった。

 ロシアは、実は東郷平八郎との縁から日本に不利にならない環境を用意しようとした榎本武揚に対し、知らない為に勲章を与える。

 王家に対しても、別荘地を与える等好意を示した。

 ハワイ王国とロシア帝国は接近し、緊密になる。


 ポーツマス会議をしている時、立会人として発言権は無かったがハワイ王国関係者も臨席していた。

 それは建前の事。

 本当はポーツマス会議の第二会場で、イギリス・フランスを交えて真珠湾独占使用協定についての下交渉が行われていた。

 リリウオカラニ女王の望みとしては、英仏にも真珠湾を使用させ、アメリカを牽制したい。

 アメリカはその逆で、いずれ軍港にする場所に他国の軍を置きたくはない。

 イギリス・フランスは使えるならば使いたい。

 揉めた挙句、イギリスとフランスは隣のホノルル港の使用権を拡大獲得する事で、真珠湾を諦めた。

 また、リリウオカラニ女王は真珠湾の軍港化をさせたくない。

 二度も侵略の拠点とされた以上、当然の反応である。

 アメリカにとって、軍港機能が無ければ価値は半減する。


 アメリカの要望として、港湾使用料の値下げが有った。

 高いと感じている。

 しかしハワイは、産業が乏しい以上真珠湾の使用料金は重要な財源である。

 これを値切るなら、ラハイナの黒い経済陣が得意とする裏経済でやっていくしかない。

 アメリカは、ハワイもドル基軸な以上、ドルの信用を損ねる行為を大々的にされたら困る。

 これも揉めたが、結局

・真珠湾の全域の軍港化はせず、認められた一部の入江に限定する

・使用料は値下げするが、軍港化する地区に比例した罰則金を支払う(結果大体以前と同額になる)

 という形に落ち着いた。


 ラハイナを攻撃した際に、イギリス資本に損害を与えた事についても、この場で米英間の交渉が為され、損害補填で決着する。

 フランスとアメリカは、北西ハワイ諸島に関して不可侵条約を結んだ。

 アメリカ領ミッドウェー島への侵攻の危険性は無くなった。


 日露講和と並行して行われた真珠湾独占使用協定に関する協定は、ほぼ纏まって、後は各国国家元首の承認を取れば良いというまでに煮詰まった。

 そしてハワイに帰国した代表団は意外な言葉を受ける。

 リリウオカラニ女王は

「アメリカへの真珠湾独占使用協定延長は認めません」

 と言い出した。

 国内問題としての真珠湾問題が再燃し出したのである。

詳しく書く気が無いので省略しましたが、日比谷はエラい事になりました。

全国的に暴動が起き、軍隊出動で鎮圧。

より右翼的な煽動が日本を覆い、大山巌が「馬鹿ども」と言った連中が増殖しまくってます。

そんな中に「アメリカのハワイ併合を邪魔したせいで、回り回って日本が損をした」と吹き込まれ、

カラカウア王の頃にはあった「日本ハワイ合邦論」なんて無くなるくらい嫌われましたとさ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白いな。日本VSホノルル幕府のフラグ……
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