ロサンゼルス講和条約締結 ~そしてフィリピンは犠牲となった~
作者は無知なもので、無政府主義について全部は説明出来ない。
これだ、という纏まった説明が出来る部類のものでは無いようだ。
なので、バクーニンだのプルードンだのの思想を正しく理解していない。
ただ、この人物については何となく分かった。
大統領暗殺犯、ゼロミステリー(末尾に0がつく年の大統領選を勝った大統領は任期を満了する前に死ぬミステリー)を繋げた男、レオン・チョルゴッシュについてである。
チョルゴッシュはポーランド系で、元々の発音はヂョウグシュだった。
アメリカ移民時にハンガリー系とした為、発音とスペルをチョルゴッシュとした。
しょっちゅう仕事を解雇されたり辞めたりし、ストライキとかを何度も見て来たチョルゴッシュの信条は、やがて家族や同胞ポーランド人の信仰であるローマン・カトリックと合わなくなる。
不満を持ち、信仰を持たない彼の心に、無政府主義や社会主義が入り込む。
そしてこう結論づけた。
「俺が悪いんじゃない、社会そのものが悪いんだ!!」
よくある駄目な人の思想転向だから驚くには値しない。
この人は、本物のアナーキストであるエマ・ゴールドマンの演説を聞いて、やけに興奮したようだ。
「富裕層が貧困層を搾取する不平等が存在する!」
「その理由は政府そのものに有る!」
そう考え、1900年7月29日のイタリア国王ウンベルト1世暗殺事件に刺激を受けた。
この暗殺事件は、ガエタノ・ブレーシという無政府主義者が起こしたものだ。
政府とは存在そのものが悪だ、政府が在るから人が苦しむ、だったら政府のトップを殺せば多少でも世は良くなる!
そうしてチョルゴッシュは、1901年9月6日、ニューヨーク州バッファローのパン・アメリカン博覧会場の音楽堂で、ブライアン大統領に近づき発砲した。
直後、チョルゴッシュは周囲の群衆から袋叩きにされた。
まだ生きていたブライアンが「彼を殺さないように」という程であった。
収監された彼は
「むしゃくしゃしてやった。
大統領なら誰でも良かった。
今は反省している」
と述べたという。
アメリカ国民は今迄、セオドア・ルーズベルトを殺されたハワイへの怒りを腹の底で熾火のように暗く燃やし続けていた。
しかし、現職大統領暗殺という事態に遭って、ハワイへのものより、無政府主義者への怒りが業火となって燃え上がった。
警察は、俄か無政府主義者、無政府主義者かぶれ、鬱憤が溜まっただけの無思慮な数年来の無職に対し、イタリアのウンベルト1世暗殺犯との繋がりを探り始めた。
元々繋がり等無いのだが、自供をさせる為に激しい拷問が加えられる。
顔は原型を留めない程に腫れ上がったが、彼は知らないものは知らず、話す事等何も無い。
そこに
「昔、自分はハワイで断罪者土方と新撰組のやり方を見た。
自分に任せてくれたら自供させられる」
という警官が西海岸から来た。
やらせてみたら、中央の警察官は苛烈さに目を背けた。
爪の間に釘を刺し、それだけでも悲鳴を挙げるチョルゴッシュだったが、構わず手を固定すると、釘を下からバーナーで炙って、指を熱伝導で焼く。
敢えて刃こぼれしたノコギリで、身体の各所を切って、「食え」と無理矢理口の中に入れていく。
頭に、死なない程度に釘を打ち、その様子を敢えて鏡で見せる(目蓋を閉さないよう、固定させる)。
逆さ吊りにして水に浸け、苦しんでる最中に腹をフルスイングの角材で殴る。
「もう止めろ。
見ているこちらの気分が悪い。
それは自白させるのが目的では無く、拷問そのものが目的では無いのか?」
「いや、ハワイではこれで自供を引き出していたぞ。
おい、チョルゴッシュ、お前はイタリアの無政府主義者と繋がりがあるな?」
「は……い……」
「無政府主義者は他にも政府要人を狙っているな?」
「はい……そう……です。
もう……何もかも……貴方の言う通り……です。
だから、早く殺して下さい。
反省して……ます。
こんな目に遭うなんて……思ってなかった……」
「おい!
これは自供って言えるものじゃないぞ!
これじゃ証拠にならない!」
新撰組のやり方を、形だけ真似したらこういう事になる。
新撰組は口を割りそうな弱い奴の隣で、口を割りそうに無いタフな奴を痛めつけ、意識朦朧になるまで破壊する様を見せつけて脅し、ああなるよりは……と洗いざらい吐かせる、犯罪を未然に抑止するものだった。
あとは単なる趣味。
動機や自白を得る為ではない。
大体、新撰組は動機や自白は不要で、犯罪をしたという結果さえ分かれば、その時点で裁判さえ省いて首を飛ばす。
だが、完全に誤解したアメリカは、拷問による自白ではなく、もっと科学的な捜査や、犯人であっても人権を守る方に変わっていく。
そしてチョルゴッシュは、電気椅子での処刑後、凄まじい拷問をした証拠を隠す為、酸に漬けて遺体を完全に消滅させられた。
チョルゴッシュとの関わりを疑われた本物の無政府主義者エマ・ゴールドマンは、しばらく勾留されたが、証拠不十分で釈放される。
「私に任せてくれたら自供を得られたのに……」
「やめろ……合衆国の人権意識が問題視される」
結局、釈放されたエマ・ゴールドマンによって捜査のやり方や被疑者への扱いについて非難される事になる。
そんな中、ハワイでも、無政府主義者によるリリウオカラニ女王暗殺未遂事件発生というニュースがアメリカに届いた。
正直、ハワイ王国はカメハメハ大王の時代から、エゲツない階級社会である。
余りの酷さに
「ポリネシアには現代社会では失った真の平等が有るとか言ってたジャン・ジャック・ルソーを呼んで来い!
ここの何処に楽園がある?」
と言った者も居るとか。
そんな社会だから、ウンベルト1世やブライアン大統領暗殺で調子に乗った無政府主義者が目をつけた。
アメリカとの戦争を引き分けに持ち込んだ事で注目された為、このような輩を呼び寄せてしまった。
だがハワイ王国には、長年治安維持活動をしていたホノルル新撰組の元隊士が多数居る。
新撰組の後期は、局長や組長級以外はハワイ人や白人が隊士として多数だったし、その者たちが警察に転任している。
そして、相馬主計がまだ、女王の側近としてあらゆる諜報活動をしていた。
相馬は、ラハイナの半犯罪組織を黙認する代わりに、諜報機関に組み込んでいた。
元盗賊を密偵として積極的に使った、寛政年間の火付盗賊改に倣ったものだ。
裏社会からも、危険人物の情報は逐一入る。
女王暗殺未遂事件が一件だけだったのは、危険分子が入国したという情報を得た時点で、何かをする前に彼等を先に暗殺していた為で、たまたま見つからなかった一人が女王暗殺に挑んだのだ。
もっとも、「怪しきは斬れ」な元新撰組の警察官が、人込みに潜む殺気と不審な動作を見逃す訳は無く、劇場落成式に現れたリリウオカラニを殺そうと近づいたその男は、拳銃を握った手ごと斬り落とされて暗殺は未遂で終わった。
新撰組は無駄な拷問はしない。
女王側近の相馬主計は、腕を失い悶え苦しむ犯人を袈裟懸けに真っ二つに斬り落とし、白人や新世代日系人、華僑たちの恐怖と、ハワイ人たちの喝采を浴びた。
テロリストが何もしていないのに先制攻撃で斬り殺される、しかも胴体真っ二つとか有り得ない攻撃を受ける事情はさて置き、ハワイもまた無政府主義者の攻撃を受けた、それがアメリカ人の同情も買った。
後任の大統領となったジョージ・デューイも、国務長官ウッドロー・ウィルソンも、榎本武揚やナワフ首相に女王の無事を祝福した。
そして
「我々は無政府主義者どもの暴力に屈してはならない。
滞りなく講和条約を締結したい」
と言う。
真珠湾問題は全く解決していないが、講和条約締結は望むところである。
ハワイ王国・ホノルル幕府とアメリカ合衆国はここに
・講和条約
・第三次互恵条約
・不可侵条約
・1905年までのアメリカ軍の地位協定
を締結した。
これを総してロサンゼルス講和条約と言う。
真珠湾独占使用協定は、「1895年から1905年の10年間独占使用を認めた第二次協定」を復帰適用し、1905年の期限切れ時に第三次協定を結ぶかどうか決めるという「先延ばし」する事になった。
榎本武揚とナワフ首相とウィルソン長官の妥協の産物である。
条件面で、アメリカは真珠湾問題が遅れるならば賠償金に関しては減額したいという申し出があり、榎本は「その分を真珠湾修復の投資に回し、総額は変わらない」とする事で妥協した。
またアメリカ企業の参入についても「その方が工事が短く済む」と、榎本の一存で認めた。
ラハイナの経済陣は不満かもしれないが、彼等の本命はワイキキ開発なので、アメリカが主に使う真珠湾への関与は少々減らした方が本命に割けるリソースが増えるのではないだろうか。
そしてこの第二次真珠湾独占使用協定は、真珠湾の軍事利用が認められている為、晴れてアメリカはフィリピン増派における中継地点とする事が出来た。
ハーグ宣言で、フィリピンのアギナルド政権、スールー王国は見捨てられている。
ハワイ王国もフィリピンを犠牲にする事を承知した。
そしてアメリカ合衆国との和平は成り、ハワイ王国存続は確定した。
アメリカ合衆国はハワイを拠点に、米比戦争とスールー戦争を遂行していく。
真珠湾、ホノルル復興はアメリカの利でもある為、ハワイに復興資金が大量に払われ、ハワイ経済は活況を取り戻していく。
おまけの話。
イタリア国王ウンベルト1世は、レストランで食事をしていた。
どうも見た事のある男が店を切り盛りしている。
「あの男を呼んで参れ」
連れて来られた男にウンベルト1世は
「余は貴方をどこかで見た気がする」
と言った。
店主は
「それは陛下、ご自分の顔を鏡で見たのでしょう」
と答える。
それ程瓜二つであった。
「名前はなんと言う?」
「ウンベルトと言います」
「なんと、名前も同じか!
生まれ故郷はどこか?」
「トリノです」
「それも同じだ」
聞くと、産まれた日時、妻の名前、結婚した日、子の名前、レストランの開店日はウンベルト1世の戴冠日と、数多くが同じであった。
ウンベルト1世は再会を約束して別れた。
翌日、競技場にいたウンベルト1世に悲報が届く。
「陛下、あのレストランの店主のウンベルトが死亡じした」
「なんと!
理由は何か?」
「銃の暴発だそうです」
「そうか……、昨日会ったばかりなのに、寂しいな」
その直後、銃声が響いた。
無政府主義者ガエタノ・ブレーシが撃った銃弾はウンベルト1世の心臓に命中、ウンベルト1世は即死した。
2人のウンベルトは、同じ日に産まれ、同じ日に同じ銃による死を迎えた。




